命のパン、命の水はキリストから。ミカエル小栗の随想。

主キリストは命のパン、水です。キリストの愛を感じたり、聖書の福音から読み込んだこと、徒然の黙想を書いているブログです。

聖書から福音から主キリストの愛を感じたり、
イエス様の語りかけを受けた、信仰生活のあれこれを随筆的に書いています。
聖書をあまり読んだことの無い方の参考になればと思いながら・・。

私達は主の祈りから

日ごとの糧の祈るように教えて下さいました。

日ごとの糧とは、神を信じて生活するための全て生きて行くための全てを指して祈っても良い気がします。
*聖書を読み込むための知識、また聖書の言葉の応用力が豊かになるように聖霊の助けを祈る。神様との日々の交わりを深めるために、信仰生活に必要な全てを与えられる、支えられるように祈ります。

*日常の生活 現実的な全ての維持が当てられるように祈ります。農家は農産物が豊かに実ること含めて祈ります。サラリーマン、職人 商売している人々、仕事が支えられ家族を養うことが出来るように。日々の食事が出来るようにも祈ります。

*健康で働ける、病気にならない事を祈る。病気になったとしても癒やされる事を願う日常生活の全てを神に祈ることを、イエス様教えられました。

さて、生活が神によって守られ 支えられるのだろうか!?

神とイサクの契約から見てみましょうか?
神はイサクを支え祝福しました。
創 26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである

この祝福は何だったのでしょうか?

イサクは神の言葉に献身して信じました。
献身とは、神の言葉の上に立つ、身を置くことです。自分自身の考え方や行動を、神に捧げることを意味します。

神はイサクには、ききんが有った時に語りかけて『エジプトには行くな!』と命じました。
イサクはこの言葉の上に立ち献身して信じました。神の言葉から何を信じて夢を見たのでしょうか?

そこで、ききんの時にエジプトに行けば飢饉 貧困の苦労しないで済むはずでしたが、父アブラハムからも、彼の父がエジプトで味わった危険を聞いたいたかも知れませんが、神の言葉でエジプトには行かずに、神の言葉に献身行動をしました。 神から聞いた言葉に従って祝福の約束に献身しました。

創26:2 主はイサクに現れて仰せられた。「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。26:3 あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。
 26:4 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される

イサクは飢饉の大変な時。家族を養うには最悪な時期でしたけれどカナンにとどまりました。
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            {ゲラルの地}
創 26:1 さて、アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがあった。それでイサクはゲラルのペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。

ゲラル(英語:gerar)は、旧約聖書に登場するカナンの南側境界線にあったペリシテの平原で、ガザの南にあった町、また、地域の名前です。

創26:5 これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。

日々の糧として祝福の基盤は神の命令 言葉に献身することでは無いだろうか!? 

創 26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。
イサクが種を蒔いた場所は文脈から見るとゲラル 居留地だと思われます。周りの環境は飢饉です。けれど神の祝福を信じて種を蒔きました。種は同時にイサクの家族を支える食料でもあったわけですね。
それを削って、種として使いました。作物が飢饉の厳しい環境下で果たして実だろうか?確実に実かどうかも分からない環境下での中では大変難しい決断でした。
喩え苦しいとき 飢饉 困窮したときでも神の言葉に神の言葉に献身して身を削る様なことも信仰の一部 行動を信仰で表す事では無いでしょうか?
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             {ゲラル}
信仰を表すと言えば、私達は、苦しい生活の中からでもパウロを支えた人々の話を聞いております。
Ⅱコリ8:1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
 8:2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

献金の尊さの聖書箇所として用いられる箇所ですが、神の福音の恵みを知る人々の熱意を物語り、福音のために献身していた人々を神様が祝したことが伝わります。

私は随分前に、レストランを廃業し金策にも困りました。当時の私の経済状況下では、身を削る様な・・思いがした献金をある方のために~と言っても大金ではありません。僅かの金額でも生活に困窮していたときでしたから、1円 ~10円でも惜しい時でしたが、神から試された気がしました。献金した後、交通費が無く2時間ほど
歩いて帰りました。 
それから暫くして、神学校入学費用全額が また別な方を通して与えられました。
神は生きておられます。

献身、献金を考える前に、後悔する前に・・必要な事は何でしょう。
神を信じ、神の言葉と神の思いに寄り添って献身すること 神の言葉に熱意と夢を持って従うことが重要では無いでしょうか!?


「沢山の祈りをして 神が99%も応えてなかった!」神がいないのか?と思う心、信仰の飢饉です。でもね、残りの信仰 期待を神様にもてる1%が有れば 辛子種の様に成長したら百倍に! その時。神は期待した以上に祝福し答えますから!喩え難問でも、喩え難病にも
神の希望1%の奇跡があるのです。癒やしと聖霊の満たしの中に!
人性の中 あらゆるタイプの飢饉があっても、神を信じて信仰の種。献身と献金をしてみませんか?
*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげますブログランキング・にほんブログ村へ
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主の祈りの中で、

日ごとの糧を求めるように、キリストは教えられました。
前記では霊的な糧の話をいたしました。


個人的な生きていく為の日ごとの糧は祈れば与えれるだろうか?

徹底して父なる神 キリスト 聖霊の助けを信じて祈るのことが必要になります。
神は生きている。神には出来ないことはないと信じる事ですね。神は私たちの願いが御心に叶う時、お答えになります。何月何時まで!とのことには余り答えることが無い気がしますけれど、信じて忍耐して待つことも、神様は私たちを訓練されるかと思います。

神は私たちの叫ぶ声を聞く耳を持っています。
私は過去 祈りから 神学校の費用、海外研修費用、アパートの補助等など祈りから 助ける人が現れました。 今も 野菜や他にも送ってくださる方がいます。聖霊に心を促された人々からです。


「私は神様の為にこのような計画 夢を持っています。お祈りしてください!」と 祈りの共有を依頼した人達が実際的な助けをしてくださいました。 祈りの共有はこの御言葉 下記からです。

マタイ18:20 「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

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御言葉の適応、応用はその人の信仰に寄ります。意見も様々ですが、信じて祈る事 {神に何でも相談をする気持ちで語りかける。}が土台です

あらゆる事、願い、癒やし、希望を通じて聖霊の助けを期待しています。
神様を命令して動かすことは出来ません!けれど憐れみは受ける事が出来ます。
神学生の頃、支払い必要があり独り祈祷室で祈っていました。ある方が洋服か何かを買おうと計画して、その目的の店に行く途中で、急に、『それは今、必要か!?小栗が必要としているお金がある!』とその方の心に語りかけ!?思いが浮かんできたそうです。 
私自身はその方には必要があることを一切 話していませんでしたので大変!!
驚きながら神様を讃美しました。

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それ以来、個人的にあの人に頼もうとか言おうと金銭的な依頼は避けるようになりました。!ただ将来の夢、神様にある夢を
共有して話し祈り合います。

私は私の困窮を誰にも言えなくて、食べる米が底をつき 神様に泣きつきました。
その後、焼けに 最後の米を炊いてから、米袋を捨てようとしたら アレ、まだ米が有ったかな?  また、それを炊いてから、袋を捨てようとしたら 又 米が有った!


そんな事が三ヶ月 続きました。 米ばかりで少し血糖値の上昇が有ったかな? 

最後になる家賃{あまり野菜を食べず、家賃分確保していました。}の支払いを済ませると ある方が、家賃分 三ヶ月分、またある人は米を送ってくださる。
三ヶ月先の家賃を使い 就活をして 仕事を見つけました。

話せばキリがないくらい。


神を見上げて 神に期待して 信じて祈りましょう、神はあなたを見捨てて 孤児のようにはしませんからね。

ヨハ 14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。この聖書箇所。本来は復活 聖霊降臨、再臨の意味があります。しかし孤児のように見捨てない!神の心と愛が伝わって感謝しております。


私達も「
日々の糧を与えてください!」と祈りながら 霊と魂と体のため 
神が生きている事を体験するようにも祈りませんか?



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私に必要なもの全てについて
父なる神には細かく話します。
主の祈りには、「私たちに日ごとの糧をお与えください」とあります。食糧だけではなく、日々生きて行くのに必要なもの。自分だけの為ではなく、自分のまわりにいる人々のためにも祈ります。

それは何故か?キリストは語られました! 
「得るより 与える者は幸いです!」と、。ですから、隣人の為に必ず祈ります。

それは何故か?物資の提供や献金する前に 霊的な豊かさを感じる、霊的満たしを受けるように、隣人の為に祈ります。 隣人の為に祈ることは、強いて言えば 自分のためにも等しく祈っていることにつながりますね。

私の生活に必要な事はもちろん、ミニストリーに必要なもの 祈りの依頼者の人々が「霊的に満たされました!癒されました!救われました!」と聞く事も、私には必要な日ごとの糧だからです。依頼者達の為に 願います。
            
隣人たちが救われる為に、癒されることも 私には日々必要な糧になります。
それはどうして!?
依頼者から、「私たちの信じる天の父なる神、キリスト 聖霊は凄いね!祈りが答えられ家族、友人が救われました!」と聞くのは 私自身の生きていく糧、生き甲斐 喜びだからです。

それにしても日々 祈り必要があるのは、神さまご自身が私たちと向き合って会話をなさりたい、話{祈り}を聞くことも求めておられますね。

今日も父なる神しか回答出来ない事を祈り求めませんか?
キリスト パンと葡萄1

何かを意識しながら


主の祈りを込めて祈りませんか?

意識!その時がスタート台に立ちます。あらゆる夢 ビジョン、パッションも、信仰も、賜物を生かすか 賜物を無くし殺すか? 

意識して祈り願い始めたら ようや物事 全て動き出し 天の父も 考え始めて下さる! 


意識して 神さまに 日頃から包まず 話すと、神は大きな旨の内に留めて下さる方!

私たちが意識し追い求める事を 助けて指導し始めます。  

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出エジプト 砂漠に居たユダヤ人々に、天からのパン マナが降りました!生きる 旅することの目的 ビジョン 夢が有りました!それで モーゼに 迫りました!必死になっていました!


現代では直接、私たちに天から マナ降っては来ないけれど達成する為のあらゆる知識 知恵 人々からの手助け 指導を与えて下さる方!それらは 私たちを生かすマナに変わります。
必死になって探し回り 願い始めたら必ず見つかる。神からの助けを見つけます。マナも自分自身の手で拾いました!


日ごとの糧。必要を包まず 気取らずに 必死に 慈しみ深い父なる神にすがり訴えませんか!? 
              

欲張って 知識を得ても活用し切れない!人々からの助けを必要以上に 個人的に当てにしない!  欲張り過ぎたら あらゆる関係が腐る 歪みますね!


あらゆる事を考え諦め 放棄することを始めたら 夢が消える!生きる希望がなくなる?

気力が無くなるのではないか? 意識することは神を意識すること!目先の不安は神様が解決すると意識を始めた時から信仰が始まり、日ごとの糧が与えられていると感謝と讃美が生まれます。

さあ〜日ごと糧を マナを探しに行きませんか?

天にまします我らの父よ。

① ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
② みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
③ 我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
④ 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
⑤ 我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
⑥ 国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
前記の主の祈りのシリーズでは、
②まで私個人が思うことを書きました。
此所では
③我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
について書き述べたいと思います。
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主キリストは日常生活の中からの祈りするようにと勧めておられます。
まず第一に 主キリストが語られた日用の糧とは一体なんでしょうか?
日用の糧が無ければ一般的に暮らし向きに支障を来しますね。
私たちクリスチャンが第一に求めたいのは、パン=米に相当しますが、キリストは祈りのパン=米ですね。 キリストご自身も、私は祈りのパンだと言い切りました。

食べ物のパンよりも霊的なパンを第一に求める事を望んでおられるのではないでしょうか?何故ならば、今日も 毎日与えられる新しいの恵みの命のパン求めるように願われたのではないだろうか?食料品は買いだめは出来ます。

しかし天からの恵みの霊的なパンは、その日その日ですね。それは旧約聖書、出エジプトにも記されている天からのマナですね。天から降るマナは
その日の分だけでした!取り置きした分は翌日には腐ってしまいました。安息日の前日だけが取り置きできました。

毎朝、神の前に出て 神と交わり 祈り 聖書の言葉を思い巡らすときに与えられる命のパンです。なせ神は貯めることを拒まれたのだろうか?
それは神は毎日、私たちとの交わり祈りを楽しみにしておられるのではないだろうか?

どんな些細なことも父なる神に打ち明け相談したり 願ったり 甘えたり 時には叱咤激励を受けたりしながら 私たちは成長し、神の実体 現実を知っていきます。
一度大きく与えられた神からの御言葉は私たちを生き返らせますね。
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一度 飲み込んでも繰り返し反芻(はんすう)する牛のように 繰り返して御言葉を味わうことが出来ます。
その量によって、味わい方も変わります。経験することも変わって来ます。おなじみの言葉を後ろから 斜めから見ると新しい発見 聖霊の導きで見方が変わるときさえ有ります。
沢山暗記したり、沢山聖書の言葉を知っていても、旨く上手に食べないと消化不良もあります。毎日少しづつ 聖霊の助け手を求めて 命のパンを求めて生きませんか?

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