私に必要なもの全てについて
父なる神には細かく話します。
主の祈りには、「私たちに日ごとの糧をお与えください」とあります。食糧だけではなく、日々生きて行くのに必要なもの。自分だけの為ではなく、自分のまわりにいる人々のためにも祈ります。

それは何故か?キリストは語られました! 
「得るより 与える者は幸いです!」と、。ですから、隣人の為に必ず祈ります。

それは何故か?物資の提供や献金する前に 霊的な豊かさを感じる、霊的満たしを受けるように、隣人の為に祈ります。 隣人の為に祈ることは、強いて言えば 自分のためにも等しく祈っていることにつながりますね。

私の生活に必要な事はもちろん、ミニストリーに必要なもの 祈りの依頼者の人々が「霊的に満たされました!癒されました!救われました!」と聞く事も、私には必要な日ごとの糧だからです。依頼者達の為に 願います。
            
隣人たちが救われる為に、癒されることも 私には日々必要な糧になります。
それはどうして!?
依頼者から、「私たちの信じる天の父なる神、キリスト 聖霊は凄いね!祈りが答えられ家族、友人が救われました!」と聞くのは 私自身の生きていく糧、生き甲斐 喜びだからです。

それにしても日々 祈り必要があるのは、神さまご自身が私たちと向き合って会話をなさりたい、話{祈り}を聞くことも求めておられますね。

今日も父なる神しか回答出来ない事を祈り求めませんか?
キリスト パンと葡萄1