2005年05月03日

山口百恵 さよならの向う側

 
山口百恵


1980年10月5日。

その日、21歳の山口百恵は、8年間に亘る歌手としての活動に幕を下ろした。
 
山口百恵が、伝説のオーディション番組『スター誕生』でプロ歌手としての足掛かりを得たのが1972年12月。「としごろ」でデビューを果たしたのが1973年5月、そのとき百恵は14歳だった。
 
ときは折しもアイドル歌謡の全盛期。特に女性アイドルに関しては、早くも戦国時代の様相を呈しており、岡崎友紀、小柳ルミ子、南沙織、天地真理、麻丘めぐみ、アグネス・チャン、浅田美代子、ざっと思いつくだけでもこれだけのアイドル歌手がヒットチャートでしのぎを削り、いずれ劣らぬ初々しく可憐な姿で毎日のようにTVの画面を彩っていた。
 
デビュー当時の百恵の印象はというと、今思い出すとやや地味な存在であったように感じる。百恵と同じ『スター誕生』を経てデビューした森昌子、桜田淳子と”花の中三トリオ”と呼ばれていた。

テディベアーのぬいぐるみを思わせる愛らしい顔立ちと新人離れした圧倒的な歌唱力を持った森昌子。周囲を一瞬の間に春色に染めてしまう天使の笑顔と陽だまりに咲くタンポポのような親しみやすさが個性の桜田淳子。そんなふたりに挟まれた百恵は、あどけない笑顔こそアイドル歌手のそれであったが、存在感は希薄で、ちょっと平凡すぎるように思えたのだ。
 
そんな百恵から最初の輝きを感じたのは、5枚目のシングル「ひと夏の経験」。この曲は、当時両親に買ってもらったばかりの真新しいラジカセで、ヒットチャートのラジオ番組からエアチェックして繰り返し聴いていた。
 
暗く沈んだ意味ありげな声で歌い出す陰影のある旋律。それまでのアイドルのヒット曲とは明らかに違う匂いにドキリとさせられた。TVカメラを前にした凛とした立ち姿と正面を見据えて射るような視線はまだ確固たる個性へと昇華するまでには至らず、一世を風靡し大物スターへと成長する山口百恵を予想させるにはやや不十分であったが、「ひと夏の経験」での歌唱がのちの百恵を築く礎となったことだけは確かだ。
 
山口百恵ほど新曲を発表するごとに変貌を遂げ驚かされた歌手はいなかったのではないかと、今にして思う。”これっきりですか”の流行語を生んだ「横須賀ストーリー」で、突然大人びた雰囲気を纏ったかと思いきや、「イミテイション・ゴールド」では、女性の色香までも漂わせるようになる。
 
決定打は「プレイバック part2」。背中が大きく開いた黒のドレスで現われ、颯爽とした振り付けで”馬鹿にしないでよ!”と啖呵を切ってうたうその姿に、背筋が寒くなるくらいの衝撃を受けた。
 
歌手活動と平行して映画・TVドラマで女優としての存在価値も高めていった百恵が、時代を代表する大物シンガーとして大きく開花したのは必然であった。一切の私人としての自己を闇に葬り、あくまで表現者としてひた走る百恵の姿は、ときには空恐ろしくもあった。
 
”時代と寝た女”

百恵をデビュー直後から引退まで撮り続けてきた写真家 篠山紀信のけだし名言だが、時代という刃物と向き合うことで無残にも自己を切り刻んで真っ赤な鮮血を流し、そんなことも厭わずただ死に物狂いで演じうたい続ける。それが百恵の見えざる真の姿だったのではないか。
 
青白く揺らぐ炎を宿した瞳の向う側で、”愛”と”憎しみ”の両極の狭間で翻弄され、やがてどちらかを選択しなければならなくなったとき、百恵は躊躇することなく”愛”を選んだ。その瞬間、清濁併せ呑む比類なき表現者・山口百恵の生命は終焉を迎えたのである。

 
山口百恵さよならコンサート


1980年10月5日、日本武道館での最後の百恵をDVDで観た。TVの特番で観て以来、実に25年ぶりのことであったが、そのときの印象が、四半世紀を過ぎた今も微動だにしないことに、我ながら驚きを禁じ得ない。
 
百恵のその姿は、天寿を全うしたのち、最後の魔法を披露するために今いちど下界に降り立った天使そのものだ。神々しいオーラを纏い、ふたたび天に召されていく百恵の姿を目にしたとき、なにかが拙の心に宿ったのを感じた。

清冽な水がやがて流れをやめるとき、それは光輪に包まれた水晶と化し、命ある者に乗り移って”愛”と”憎しみ”を囁き続ける。

永遠に・・・。
 

mickbanzai at 02:36│Comments(4)TrackBack(1)

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1. 百恵回帰  [ TEA FOR ONE ]   2005年06月02日 18:20
 コンプリート百恵回帰と題されたこのアルバムは、山口百恵の名曲の数々を百恵自身の新たなヴォーカルトラック(別テイク)とNEWアレンジでリマスタリングした企画盤で、1992年から94年にかけて発売された3枚のCDを完全収録したもの。  シングルのみの発売でオリジナルア

この記事へのコメント

1. Posted by Arthur   2005年05月04日 19:47
山口 百恵って引退の時に21歳だったんですか。勝手なイメージで24,5歳くらいだったのかと思っていました。引退当時はどうせすぐ復帰するんだろうと思っていましたが、結局そのままというのはある意味すごいですよね。国立なんて彼女のおかげで随分イメージアップしましたし(笑)。

当時ルックス的には私の場合桜田 淳子派(若しくは南 沙織、安西 マリア...)だったのですが山口 百恵に関しては、自分が小学生の頃鉄道好きで、国鉄のイメージソングか何かだった「いい日旅立ち」が忘れられないのと、引退の少し前から何曲か、達観したような歌を歌っていたのが印象的でした。
2. Posted by MASA   2005年05月05日 02:47
「時代と寝た女」とか「山口百恵は菩薩である」なんて言った人もおりましたが、そんな言われ方をしていた頃の百恵は確かに単なる国民的人気歌手の範疇を逸脱した独自の存在でしたよね。
引退コンサートのTV生中継は私も最後には泣きながら観ていました(笑)。

阿久悠&都倉俊一らが楽曲を提供していたアイドル然としていた時代から、「横須賀ストーリー」以降の阿木曜子&宇崎竜童の手による楽曲に百恵が出会うことによってこの3つが奇跡的と言える化学反応を起こした結果が「菩薩」山口百恵の誕生を生んだと思います。
3. Posted by mS   2008年08月30日 13:39
私が生まれた年に百恵さんが引退され、私が横須賀出身ということもあって興味があっても百恵さんの曲を聴きましたが、一瞬で魅せられてしまいました。
アイドルと呼ぶには高すぎる完成度と表現力。これだけの聞き手に対して「力」を持った歌い手を私は知りません。70年代だというのに、現在の音楽にまったく遜色感を感じさせませんね。
4. Posted by 路傍の石   2008年08月30日 22:53
5 mSさん、はじめまして。ようこそいらっしゃいませ。
> 私が生まれた年に百恵さんが引退され、私が横須賀出身ということもあって興味があっても百恵さんの曲を聴きましたが、一瞬で魅せられてしまいました。

百恵が引退された年にお生まれになったというのも人生における符合の一致。そのことがmSさんのなかでの百恵の存在感をさらに強烈なものにしているのかもしれませんね。

> 70年代だというのに、現在の音楽にまったく遜色感を感じさせませんね。

思えば70年代ほど面白い時代はなかったのではないかと。今ほど情報が溢れていなかったので、カリスマが誕生すると、その威力が世代を超えて伝播していきました。かくして百恵を知らない人はほとんどいないという。そんなこと今ではあり得ないでしょう。だからあの時代のスターは堂々と時代と渡り合うことになり、結果的に普遍的な存在足り得たのだと思います。

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