2008年01月21日
ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー(Daisy Miller)」
西川 正身訳/新潮文庫
たとえば、衛星中継を通じて、日本とアメリカの若者でリアルタイムの討論会があったとしよう。日本人はおおむねきっちりとイスに座っている。アメリカの若者は、ガムをくちゃくちゃ噛みながら、ジーパンの足を高く組み上げてラフなスタイルで討論にのぞんでいる。こんなシーンがあったとして、アメリカの若者に対して「行儀が悪い、失礼だ」と感じるか、「自由で気楽な感じでいい」と感じるか、あなたはどちらだろう。いずれにしろ、このときアメリカの若者に「悪気」はないのである。文化と歴史の違いであり、行儀作法などをうるさく言わないアメリカ人のとらわれのなさ、無邪気さには良いところもある。
19世紀の終わりに発表された「デイジー・ミラー」を読んでこんなことを考えさせられた。アメリカ人の大金持ちの二十そこそこの娘デイジー・ミラーは、ヨーロッパに遊びに訪れ「初対面の男に声をかけられて、口をきき」、男友達と街中のあちこちを遊び歩く。それは当時のヨーロッパのアメリカ人の社会で顰蹙を買う。ただ、本人はいたって無邪気で何の悪気もなく、ただ自由に振る舞っているだけなのである。歴史の古いヨーロッパ社会と歴史の浅いアメリカ社会との落差がここにある。
主人公のアメリカの青年は、若く美しいデイジー・ミラーに惹かれるのだが、イタリアの美貌の青年と遊び歩く彼女に対してやきもきと心配する。しかし、月の光に照らされた夜中のコロッセウムを見に来て熱病にかかり、デイジー・ミラーは死んでしまう。後に謎と神秘と虚無が残される。
たとえば、衛星中継を通じて、日本とアメリカの若者でリアルタイムの討論会があったとしよう。日本人はおおむねきっちりとイスに座っている。アメリカの若者は、ガムをくちゃくちゃ噛みながら、ジーパンの足を高く組み上げてラフなスタイルで討論にのぞんでいる。こんなシーンがあったとして、アメリカの若者に対して「行儀が悪い、失礼だ」と感じるか、「自由で気楽な感じでいい」と感じるか、あなたはどちらだろう。いずれにしろ、このときアメリカの若者に「悪気」はないのである。文化と歴史の違いであり、行儀作法などをうるさく言わないアメリカ人のとらわれのなさ、無邪気さには良いところもある。
19世紀の終わりに発表された「デイジー・ミラー」を読んでこんなことを考えさせられた。アメリカ人の大金持ちの二十そこそこの娘デイジー・ミラーは、ヨーロッパに遊びに訪れ「初対面の男に声をかけられて、口をきき」、男友達と街中のあちこちを遊び歩く。それは当時のヨーロッパのアメリカ人の社会で顰蹙を買う。ただ、本人はいたって無邪気で何の悪気もなく、ただ自由に振る舞っているだけなのである。歴史の古いヨーロッパ社会と歴史の浅いアメリカ社会との落差がここにある。
主人公のアメリカの青年は、若く美しいデイジー・ミラーに惹かれるのだが、イタリアの美貌の青年と遊び歩く彼女に対してやきもきと心配する。しかし、月の光に照らされた夜中のコロッセウムを見に来て熱病にかかり、デイジー・ミラーは死んでしまう。後に謎と神秘と虚無が残される。