私の読書日記

本との出会いを通して

2016年06月

能登半島

能登島水族館で楽しみました。和倉温泉に宿泊です。imageimage

武蔵野ペン165号

2016年6月1日発行です。まだ読み途中ですが、素敵な文章がたくさんあります。
4月23日に総会が開かれました。投稿されている方の何人かにお会いでき、一層読む楽しみが増えました。
総会にて新たに代表幹事が尾崎氏から山野氏にバトンタッチしました。
山野氏は上代文学の研究者として、大学で教鞭をとって来られた方です。
山野氏は6月25日に川越中央図書館にて「三芳野砂子」と題して講演をされました。
私もこの講演を聞かせていただきました。
明治時代に書かれた文語文を読み下して解説付きでお話しくださり、地元川越の地誌に興味をもつ
ことができました。私の住む野田とか今成と言った地名も出て来たのは嬉しいことでした。

さて武蔵野ペンに私も寄稿しています。タイトルは「NHKラジオ文芸館を聞く楽しみ」です。私はラジオ文芸館の
聞き取りを通して、ブログに感想を綴り、NHKアナウンス室に感想を送っています。また「ラジオ文芸館で語りましょう」というサイトで感想を語り合う日々の様子も書いています。短編小説をラジオを通して楽しみ、話し合いを通して理解を深め、他の人の感想を聞き、お互いの人生の糧にしています。

徒然なるままに

吉田兼好ではないですが、思いを書き連ねてみたく思います。
身近な人で80歳を過ぎて体調がよくない方がおられます。
若い頃にはバリバリでなんでもできた方がそれができなくなったとき、
感じる寂しさはとても大きいと思います。母が80歳過ぎて、認知が難しくなったとき
そばにいて感じたそれです。
母はすごく機転の利く人でしたから、ショックが大きかったと思うのです。
作話という言葉があります。つじつまを合わせるために話を作ってしまい、その場を取り繕う。
あのころの母がとても気の毒です。
きょうだいの世代があの頃の母の世代になりました。十年すれば今度は自分です。
幸せってなんだろう?肉体の死がゴール?
私はそう思いません。
毎日毎日、どんなに若い子どもでもその日がゴールなのではないでしょうか?
幸せな一日一日の積み重ねが幸せな人生であって、年を取って完璧な幸せを得るのではない。
認知症になって、分からなくなってしまったら、もう神様に任せるしかありません。
自分で何もできなくなって、存在価値があるとすれば、それは自分を越えた必要、あとになって
「ああ、あの人の命はこういう意味があったのだ」と理解されるのでしょう。
今私は考えることも動くことも自由にできます。時間も自由になります。
私を必要としてくださることによって、私の命は輝きます。
必要とされる人になりたいです。

涼しい日

昨夜来の雨が降っている。網戸のまま眠ってしまった。少し肌寒いくらい。
昼間室内に風を入れて、湿気を追い出したのが、また湿ってしまう。
そんなことを考えながら、ゆっくり朝寝をしてしまいました。
雨の日は活動的になれません。しかし水田や植物にとっては恵みの雨。
私はちいさな虫になったつもりで、小さな小さなことを今日はしようと決めました。
いつも自意識過剰で、「自分が何かしなければ」とか「生きる意味は」とか「選挙で支持政党が伸びてほしい」とかいつも焦ってしまいます。(現実に何かしているとは言えないのですが)

一番苦手な片付け。
ささやかな絵手紙を一通。

植村直己の世界

植村直己
家の中で探し物をしていたら、こんな本が出てきました。
すごいタイミングです。
中身をざっと見てみると、日曜喫茶室で話に出た冒険などの写真がありました。
また「植村直己物語」という映画の全シナリオもありました。
グリーンランド縦断は地図上に行路が記され、日本、デンマークの国旗が掲げられていました。
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greeen

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