こん近のblog

楽しいフォトライフ  主に鳥取県東部を中心に自然散策 四季折々の風物を楽しむ (但し名前の同定は趣味の範囲内であることをご了承ください)

趣味のカメラ片手に自然散策・旅・歴史などに興味をもっています

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コガラ(小雀) 全長13cm
遠くから チチー チチー チチー♪  やがてご一行様がやってきた

 巷のうわさ 自分でいうのも変だけど”小さくて可愛い”
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エッ 他にも可愛いこが?・すねる姿も愛らしい
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くるりと背中~哀愁漂うリーゼント 人気の秘密はこれなんだ
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何か見つけたらしい・それな~に?
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すっかりアートに溶け込んで・キーホルダーっぽい?
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そろそろ帰ろうかな いっぱい遊んだよ
鳥取市 2月撮影

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耳を澄ますと ギィー ギィー ♪
私はだ~れ?
ジ~ッと見つめていると・・・
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プイと背を向けてしまった
ア~分かった ところで その頭~クスッ!
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コツコツ コツコツ 餌を見つけたのかな
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う~ん なかなか捕まらんよ
三寒四温 ふきのとうも出てきた 気持ちを明るくしてくれる菜の花
ようやく春めいてきた コゲラは枝から枝へと忙しない
鳥取市 2月撮影
 

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名勝 琴弾公園 銭形展望台
ここは香川県荘内半島より少し南、有明浜のある三豊地区観光地 琴平山は標高58m
駐車場からやや急勾配の歩道(九十九曲道)を登ります 
金刀比羅宮の階段で酷使した足は悲鳴をあげそう~!
視野が広がる展望台は 有明浜と穏やかな瀬戸内海を眺望できます   
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銭形砂絵
寛永10年(1633)時の将軍家光公から讃岐巡遣使を派遣するとの知らせを受けて 藩主生駒高俊公が領内巡視の際 地元の領民たちが藩主歓迎のため 有明浜に銭形の砂絵「寛永通宝」を一夜のうちに作り上げたと伝えられています 東西122m 南北90m 周囲345mの楕円形になっています 砂の芸術として保存され 毎年春と秋に形を整える砂ざらえがボランティアにより行われています この銭形を見た人は健康で長生きできてお金に不自由しなくなるといわれています   
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琴弾八幡宮の案内板があります この先を登った所ですがここでは屋根が見えるだけ
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琴弾八幡宮の正面ルートは地図によると山の麓になります
琴平山に鎮座する神社 神仏分離までは当神社が四国霊場68番札所だった 現在は新四国曼荼羅霊場23番 さぬき15社の14番 麓から社殿までの階段は381段
後陽成天皇(107代)「八幡大菩薩」の宝号を下賜給う また この縁起は応永23年(1416)権中納言藤原実秋筆、足利将軍義持の花押のある逸品です
特に 源家との縁深く 源頼義は前九年の役に代参をたてて願文を納め 八幡太郎義家は父頼義の志を継いで社殿を造営し 神馬を奉納した 次いで九郎判官義経は屋島合戦の後 平家追討を祈って名馬望月と木之鳥居を奉納し 頼朝は一千貫文の土地を寄進している
香川県観音寺市 1月26日撮影
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階段の多いことで知られる金刀比羅宮初詣 この日鳥取市内の積雪30cm位 添乗員さん曰く 前日のツアーは当日キャンセルが多く20人割れのため取りやめ 集まった参加者もいたがお断りしたそうだ 
この日は全員参加 前日不参加者はこの日も来ない 現地は雪どころか冬晴れの好天 
行く先々はおそらく最後の訪問地となるだろう 実現できたことに感謝!  

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飯野山(讃岐富士)を眺望
御本宮の北東側は 人工の高台が広がり展望台になっています ここからの眺めは絶景
丸亀市にある飯野山 別名は”讃岐富士” その名の通り なだらかな裾野が美しい山 
標高422mの小さな富士山 春には麓に桃の花の絨毯が広がります
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瀬戸大橋を眺望
飯野山の向こうにかすんで見える瀬戸大橋
琴平山(象頭山)標高538m その中腹にある本宮は標高251m また 象頭山の頂上には金刀比羅宮の奥社が鎮座する 奥社まで階段1368段 本宮までが785段 
山頂にあるのは厳魂神社(いづたまじんじゃ)で 本宮の右側を回って進むと鳥居があり参道へ続く  
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讃岐平野・飯野山(讃岐富士)
誰が投げたのか 讃岐平野に浮かんでいるおにぎり形の山々 
片道1時間で登れる気軽さから ウオーキングやハイキングに人気の山だそうです
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三穂津姫社(左)・南渡殿(中央)・本宮授与所(右)
境内の奥に本宮 本宮前の広場が「展望台」になります
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厳島神社
三穂津姫社の向かい側に鎮座 御神主は市寸嶋姫尊(いつきしまひめ)です 宮島に祀る神様と同じ素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御女です 俗に弁財天・弁天といわれ 音楽をつかさどる福徳の神様として崇拝されます
元は境外にあったのですが 明治31年(1898)ここに迎え祀られました
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本宮を後に 上った道ではなく旭社前の道を降ります 酷使した足をいたわりながらゆっくりと!
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こんぴら狗の銅像 (桜馬場西詰銅鳥居の横にあります)
 江戸時代 庶民は旅行を禁止されていたが神仏の崇拝は許されていた 神社仏閣の中でも「お伊勢参り」は庶民にとっては一生に一度の夢 それに並び「金毘羅大権現」と京都の「東西本願寺」への参拝の旅も一生の大イベントでした 江戸を中心とした東日本の各地からの参拝の旅は大変で 当人の代理で参拝に行くことがありました これを「代参」という 旅を途中であきらめ道中で出会った旅人に旅費とお賽銭を託す人もあったようです
「こんぴら参り」と書いた袋を首にかけた犬が飼い主の代参をすることもあった 飼い主の木札・お賽銭・道中の食費などが入っていました 犬は旅人から旅人へ連れられ目的地にたどり着いたのです
金毘羅大権現へ着いた犬も そんなのどかな風習により代参をした犬は 特に「こんぴら狗」と呼ばれたのです 
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さざれ石
国家の「君が代」の題材になっている「さざれ石」が重々しく鎮座 
「さざれ石」というのは細かい石のことで 長い時間をかけて集まり堆積して 粘土や砂などと混ざって礫岩となり やがて巌(大きな岩)になったもの、 古来 小粒のものが大きく育つ意味合いで 目出度い石とされている 他の神社にも鎮座している所があり 特に京都の護王神社(和気清麻呂を祀っている)のものは和歌に詠まれた「君が代」の原点になったともいわれているが~?
その他 出雲大社(島根)・鶴岡八幡宮(鎌倉)など
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参道案内図 主部分(本宮は左)
金刀比羅宮参拝を終えて 35人全員リタイアしないで上りきれたことに感謝
沢山の神様が祀られている象頭山 神さまの詳しいことが知りたい そこで図書館で本を借りる
”日本人の源流 神話を訪ねて” 絵やイラスト・写真入りで分かり易い 
その冒頭に書かれている文章に惹かれる
~「戦後教育の最大の忘れ物」ともいわれる神話 712年に完成した古事記1300年を機に その意義を見つめなおしたい~
香川県琴平町 1月26日撮影
帰りにもう1か所寄ります つづく 

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御本宮の風格ある屋根が見えてきました 足取りも軽く急に元気がでてきました
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御本宮 拝殿  785段 
ここまで全785段の石段を踏破することができました 海抜251m
本宮 御祭神 大物主神崇徳天皇 農業・殖産・医薬・海上守護の神さまです
(大物主神は大国主命の別名)
75代崇徳天皇(1119-1164・在位期間1123-1142) 父・鳥羽天皇(74代) 母・藤原璋子
中宮(妻)・藤原聖子(関白藤原忠道 長女)
保元の乱」(保元元年・1156)後 讃岐に配流された 8年後の長寛2年(1164)46歳で崩御 一説には京からの刺客により暗殺されたともされる 
讃岐での生活は 村田の雲井御所(約3年間)・国府の近くの木ノ丸殿、 木ノ丸殿では 一日部屋にこもり書物を読んだりお経を唱えたりしていました 毎日お経を写し始め 三年写経し 田舎ではなく都に近い八幡山か高野山か 許しが得られれば鳥羽法皇の御陵に納めたいと思っていました しかし 京都の朝廷は罪人の写した写経は受け取らず 送り返してきました 崇徳上皇は大変悲しまれたと言われています そのお経は 後に崇徳上皇の子・元性法印の手で保管された 
お経が送り返されてから 上皇は食事をあまりとらず 髪もとかず 爪は長く伸ばし放題 その様子は天狗のように恐ろしげだったと伝えられます 讃岐には崇徳上皇ゆかりの地が数多くあります    
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御本宮
本宮社殿の創立に関しての詳細は解っていません 約1000年前の長保3年(1001)藤原實秋が一条天皇(66代)の勅を奉じて改築したのにはじまり その後の元亀4年(1573)の改築 天正年間(1573-1592)の長曾我部元親による再営を経て 万治2年(1659)の高松城主松平讃岐守頼重之による改築に至り 明治11年(1878)の改築で現在の社殿ができました
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御本宮
本殿・幣殿・拝殿は檜材が用いられ 檜皮葺の大社関棟造です
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巫女の舞
年間の祭典では 拝殿において神職や巫女の舞を見ることができます 毎月1・10・26日に月次祭があり 10月9-11日には例祭があります この日 26日は偶然にも月次祭の日 
その時点では全く知らず 厳かな行事が行われている様子だけ 今この時WEBで知りました 
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神饌殿(右)・北渡殿(左)
本宮の向かって右にあるのは神饌殿です 祭典や毎朝夕に神前に献ずる神饌を調進する所です
神饌殿と本宮拝殿は北渡殿でつながっています
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直所・神木・展望台
本宮の向かって左にあります 本宮詰員の控所です 本宮の向こうに展望台があります 
神木は本宮前にあるクスノキの大木 幹周りは約4.7m 高さ25m
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南渡殿 (本宮側からの様子)
本宮授与所の向かい側に長い廊下があります 本宮から 三穂津姫社まで南北に渡っています 
長さ約40mで 屋根は檜皮葺 明治11年(1878)建立
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三穂津姫社(みほつひめのやしろ)
本宮御祭神大物主神の后の神 三穂津姫神をまつる高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御女
社殿は明治9年の建物です 5月10日に例祭、毎月1日に月次祭が行われます
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銅馬
三穂津姫社直社の前には銅馬があります 一文銭を集めて作られたといわれています 
文政7年(1824)周防國花岡驛上原惣左衛門延清より献納

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絵馬殿
三穂津姫社の南側にあります 各地から祈願報賽のために奉納された無数の絵馬が掲げられています
もともとは生きた駿馬を神に奉納したのが始まりです 武者や美人画の絵馬も現れるようになりました 金刀比羅宮は航海安全祈願の信仰を集めていることから 特に船の絵馬が多くみられます
展望台からの眺望へ つづく
香川県琴平 1月26日撮影
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旭社  628段
祭神 天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神です
社殿は 天保8年(1837)竣工 高さ約18m 銅板葺 総欅造二重入母屋造 全て槻材(けやきざい)が使われています
「旭社」の扁額は 正二位綾小路有長(幕末・明治の公卿)の筆です 
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旭社は 御本宮かと思うほどの大きな建物で ただ唖然と見上げてしまいました 
?十年前に訪れたときには階段の多さに負けて途中でリタイヤ ただ門前町をうろついた記憶のみ 
ガイドさんの説明を聞いていると 参拝時間が~あわただしくその場を去り次の場所へ
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旭社 上層の屋根裏には巻雲が そして柱間・扉には人物・鳥獣・草花が彫刻されています
どれも稀に見る華麗な装飾です 天保時代の芸術の精華を集めた建物なのです
楼上に掲揚された「降神観」の額
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黄銅鳥居
この鳥居は 慶応3年(1867)に伊予松山松齢講より献納されました
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賢木門(さかきもん)  642段
鳥居をくぐると賢木門があります 唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根をもち 他に類をみない優麗温雅な様式となります
「賢木門」のヘ扁額は 有栖川宮熾仁親王殿下の御筆によるものです
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賢木門」はその昔「逆木門」と書きました 天正年間(1573-1592)長曾我部元親は諸州を侵略し 多くの神社仏閣を焼き払ってしまいました ある日 元親は琴平山の隣の大麻山に陣取ったのですが その夜 琴平山の全ての草木が敵兵に見え狂乱 老臣らは 霊境付近を犯したための神罰だ と考えました 元親は罪を謹み 門を献納することにしました ですが建築を急ぐあまり一本の柱を逆さまにつけてしまいました その門は「逆木門」と呼ばれるようになりました 明治12年(1879)の改築の際に「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになりました
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連籬橋(れんりばし)を渡ると 正面に真須賀神社が鎮座
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真須賀神社
祭神 建速須佐之男尊(たけはやすさのおのみこと)・后神奇稲田姫尊(くしなだひめのみこと)
八俣大蛇(やまたのおろち)退治の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の神話にでる神様で 武勇絶倫の神といわれる
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遥拝所(ようはいじょ)
伊勢神宮をはじめ全国皇陵諸社を ここより遥拝する 明治初年の建立
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御前四段坂 652段 
ゴールドプレート「あともう少し 御本宮まで133段! 登って幸せ 福が来る!」 
ハイ 信じて登ろう あと少し 
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御年神社  713段
祭神 大年神・御年神・若年神の三神
はじめ大年神社と称す のち御年神社と称す 大年神社は素戔嗚尊の御子 御年神は大年神の御子 若年神は御年神の御弟神の御子です 農作穀物を司る神です
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事知(ことしり)神社  739段
御年神社の少し上にあります 
祭神 積羽八重事代(つみはやえことしろ) 主神・味鉏高彦根神(あじすきたかひこねのみこと) 加夜鳴海神(かやなるみのかみ) ともに大国主命の御子神になります 商売繁盛の神さまです
いよいよ御本宮へとまいります つづく 

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神馬(しんめ)・月琴号
神様がお乗りになるための馬で 神社に奉納する馬を神馬あるいはカミノコマといいます 生馬が奉納できないときには神馬を鋳造したり また木や土で馬形を造り献納 さらには額に馬の絵をかいて献納 これがのちに絵馬へと変遷しました 神馬は神さまの馬として厩で飼育され大祭に奉仕します
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アフリカ象
金刀比羅宮のある象頭山にちなんで奉納されたのか 特に説明はない
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風車
造船会社から奉納された巨大なプロペラ その意味は・・・?
☆ 巨大プロペラは船のスクリューのようです (ブロ友Bさんよりコメントいただきました)
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社務所門 御書院入口  477段
表書院・奥書院があり 表書院は丸山応挙の90面襖画、奥書院は伊藤若冲の「花丸図」や岸岱筆の襖絵がある 普段一般公開は表書院のみ(外観のみ観光)
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表書院は 入母屋造 檜皮葺 萬治年間(1658-1660)の建築 金毘羅大権現に奉仕した別当金光院が 諸儀式や参拝者との応接の場として用いた客殿でした 内部の五間に描かれた丸山応挙による障壁画とともに重文に指定 丸山応挙の障壁画はすべて 応挙晩年の天明から寛政年間にかけての秀作であり 三井家から資金援助を得て京都で制作されたものと言われています
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虎之間「水呑みの虎」
丸山応挙 享保18年(1733)-寛政7年(1795)
応挙は写生派の祖と呼ばれ 写生主義をとなえて江戸後期の画風を変革した京都画壇の大御所、丸山派の始祖 享保18年(1733)丹波国穴太村(現 京都府亀岡市)の農家に生まれ 15歳の時京都へ出て狩野派の石田幽汀に師事 33歳以降 応挙と号して 特に屏風や襖絵などの大画面にすぐれた効果をあげました 
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 旭社の大きな屋根が見えてきました  595段 
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旭社の手前の広場 手を清めます
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祓戸社前銅馬
祓戸社の東側にあります 萬野汽船(株)の創業者・萬野裕昭氏から献納
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火雷社(手前)・祓戸社(奥)
祓戸社は 神神の神髄ともいうべき罪穢を祓い清める神さまです
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火雷社
鎮火・消防の神 疫病を防ぎ止める神といわれています
 つづく 旭社参拝へ
香川県琴平町 1月26日撮影

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