こまつ座公演は、まだ4回め。
「紙屋町さくらホテル」「ロマンス」「人間合格」そして今回の「父と暮らせば」です。

井上さんの戯曲から感じる、厳しさと優しさ。
生きてる全員への叱責とエール。
この作品からも又、それらは私に伝わってきました…。

公演後半、6月19日のソワレを観ました。

こまつ座第八十五回公演・紀伊國屋書店提携
「父と暮せば」
2008/6/13〜22 新宿南口・紀伊國屋サザンシアター

[スタッフ]
作:井上ひさし/演出:鵜山仁

[キャスト]
辻萬長/栗田桃子


公演予定を把握して、“観よう!”と思っていました。
ただ、仕事や自分事の諸々が立て込んで、気持ちが元気100%じゃない時が続いていくと、ちょっと観ることに躊躇が出て来ました。

題材として“ヒロシマ”が扱われていることは、チラシを見れば判ります。
とすれば、楽しいオンリーじゃない内容だということも、容易に想像が付きます。
自分のパワーが十分じゃない時に観ることに、いつしか腰が引けて、このままスルーにしちゃおうかなぁ…という気分になっていきました。
(本当、ヘナチョコですみません)
(><)

でも、お邪魔するお気に入りブログの一つ「おけぴ管理人の感激観劇レポ」を拝見して背中を押された気がしました。
“何から逃げようとしてるんだ>自分”と。
結果、見逃さずに立ち会うことが出来ました!


いきなりの雷の中、家の中にかけこんで来た、もんぺ姿の女性・美津江。
家の中では押入れに先客が!
彼女の父・竹造だ。

「おとったん!来てらしたとですか?」
そう尋ねる間にも稲光が光り、雷鳴がとどろく。

悲鳴と共に竹造のこもる押入れに、美津江も飛び込む。


あの日、ピカがヒロシマに落ちるまで、美津江は雷なんぞを怖がる娘ではなかった…。

竹造の思い出話しが始まる。
美津江も語り始める。

二人が暮らした広島が、ヒロシマになったあの日。
そしてソレから続いた三年の日々について・・・。



予想通り、明るいテーマじゃありませんでした。
というより、目を逸らしてはいけない歴史のヒトコマでした。
でも、ガチガチに大上段に振りかぶった正論は、ありません。
毎日を必死に懸命にひたむきに生きている、そんな中で起きる喜怒哀楽です。
だから、微笑ましかったり、爆笑しちゃったり、苦笑しちゃったり、苦しくなったり、切なくなったり、嬉しくなったりします。

井上戯曲のチカラって、役者さんのチカラにも、とても強く支えられていると今回も痛感しました。
役者の伝えるチカラを借りてこそ、戯曲の真意は見ている私たちに染み入ってくるのです。

ハデな舞台転換は、ありません。
ただ、戯曲の“想い”を真摯に伝えようとする役者と、少しでも多くを感じ取ろうと集中する観客とが、居るばかりです。

広島弁(お国言葉)の持つ独特の音感が暖かさとなり、物語の語り口調を柔らかく、けれどリアルに伝えてくれます。
苦しい激白や切ない叫びが、時を越えて私に迫ってくるのです。


“現在”は、決してソコだけで完結していません。
過ぎてきたこと、起こしてしまったことの後に続いているのです。
そのことを忘れてしまった時、あるいは忘れようとした時、愚かで起きてはならない過ちは、再び起こりかねない!

「あんときの広島では死ぬんが自然で、生きのこるんが不自然なことじゃったんじゃ。
そいじゃけえ、うちが生きとるんはおかしい。
うち、生きとんのが申し訳のうてならん。じゃけんど死ぬ勇気もなあです!」
(公式サイト「こまつ座通 第四四回」より)


生きていることに前向きになれないって、苦し過ぎませんか?
舞台を観ながら、最近ニュースで報じられる様々な事件が頭をかすめました。
けれど、観終わって感じるのは“勇気や希望”なのです。
そこが井上作品の、素晴らしさではないでしょうか!

観客の年齢層は、やや高め。
そして、“こまつ座ファン”だろうなという気がしました。
ただ、もっと多くの多様な人に、出逢って欲しい舞台だと思いました。

日常に紡がれる出来事だから、チャンと笑いもあるのが救いです。
さりげなさの積み上げられた中にある真摯な生きる姿勢に背筋が伸びる想いです。

再び生きること幸せになることに向かい合おうとうした美津江に、父・竹造が感じたであろう喜びを、観ていた私も共有したような気持ちになりました。
真に胸に響く舞台でした!!

こまつ座:公式サイトです。
公演概要:こまつ座公式サイト内です。

応援クリック、励みにしてます!
よろしくお願いします!!