Tommy's Blog

手ぶらで行こう。

メタセカイ系としての「鈴木先生」



友達に借りている「鈴木先生」が面白い。
あんまり漫画にハマることのない私なのだが、ぐいぐいと読み進んでしまう。
決して読みやすい漫画ではなく、文字量も多いし、概念的なセリフも多い。

なぜ面白いのかといえば、その主人公を取り巻く行動の描写が非漫画的だからだ。
たとえば、鈴木先生は、恋人との電話を唯一のモチベーションとして仕事の難局を乗り越えたり、タブーとされている生徒に恋愛感情を抱きながらも、それを表に出すことはせずに内面の物語として平凡な毎日を生き抜くスパイスに転化させたりする。また、学園教師物語にありがちな問題解決一件落着万事平和というドラマツルギーではなく、常に並行していくつもの問題が生じていて、いつも憂鬱な状態が持続している。


私が「鈴木先生」に感じた物語の新しさの一つに、「問題解決」≠「カタルシス」という構図がある。いわゆる漫画の多くは、問題解決=カタルシス、すなわち悪い敵をやっつけることが、主人公の精神的なモチベーションになっているわけだが、そうではなく、主人公のモチベーションは問題解決とは全く別のところにあって、そこからエネルギーを補給してなんとか日常を乗り越えていく。
作中にも、風俗通いをつづける教師が登場するが、彼は、日常を乗り越えるエネルギーを非日常から補充しているわけだ。これは、現実世界の構図そのものだと思うのだ。たとえば、「親の前ではおとなしくていい子」だった子が、学校で急に事件を起こしてしまうロジック。

そして、この物語は、「セカイ系の世界観を抱えた主人公」というメタセカイ系という新たなジャンルをつくっているのではないかということも感じた。

アンパンマンで説明すると、

●セカイ系以前
アンパンマンはバイキンマンをやっつけることが仕事であるし、それ自身にモチベーションも感じている。

●セカイ系
アンパンマンは、ドキンちゃんに恋心を抱いているが、ドキンちゃんはアンパンマンには見向きもしない。アンパンマンのドキンちゃんへの思いの葛藤が、物語中の世界の崩壊とリンクし、アンパンマンの自意識が原因で世界は危機に陥る。しかし、ドキンちゃんへの思いを克服したと同時に、世界は平和を取り戻す。(内面の成長=外部問題の解決)

●メタセカイ系
アンパンマンは、職務としてばいきんまん退治を全うする。しかし心のなかではドキンちゃんに思いを寄せている。しかし、そのことが表立って問題化することはなく、個人的な妄想エネルギー源として淡々とバイキンマンをやっつける。

終わりなき日常を生きるためのスキルであった物語それ自体を、物語のなかで登場させるこの複雑さよ。

でも、非常に共感するのは、僕を含め、きっと多くの人はそうやって日常を生きているのだから。

親父にぶたれたことはありません


ガンダムの名言に「親父にもぶたれたことないのに」というのがありますよね。

そのセリフだけ切りだしちゃうと過保護の代名詞みたいに聞こえますが、実は僕自身も親父にぶたれたことはありません。

でも、そのことに気づいたのは、18歳になってからでした。

父親に叱られたことは、山ほどありました。
それこそ、殴られそうになったことは何回もあったのです。
でも、よく思い返してみると、その全ては、「寸止め」だったんですね。

おそらく、父は、「こどもを殴らない」ということを自分にルールとして課していたのだと思います。確かに兄弟にも手をあげたことはありません。(母親には平手打ちを食らった経験は何度もありますが)

もちろん、これはあくまで僕の推測であって、父親に確認したわけではありません。

でも、事実そうなのであれば、親父は非常にかっこいいことをやっていたのだと思うわけです。誰にも言わず自身のルールに従って子に暴力を振るうことをしなかった、と。

一言も言わずに気づかせるってのは、コミュニケーションにおいてものすごく効果的で高度な手法ですよね。

というわけで、親父自慢でした。

世の中と楽しさについて

なんかこの世の中って、別にそんな大して執着するようなものでもないんだろうってね。でも、それでも必死でもがいて生きている人や、汗水流して働いている人はたくさんいる。そこまでして執着して生きる理由はどこにあるの?きっとそこにはすばらしい価値があるとか、意味があるとか、そういった結論はない気がするのだ。自殺する人だっているし、後悔に苛まれて死んでいく人もいるし、志半ばに病気になってしまう人も、事故、災害、etc。言ってしまえば理不尽なのだ、人生は。結局、そんな理不尽な人生をその人なりにいかに楽しむかという観点が重要なんだと思っている最近である。仕事をするのが楽しいのか、ぐうたら寝続けるのが楽しいのか、恋し続けるのが楽しいのか、バランスをとって幸せな家庭生活を築くのが楽しいのか、学問を究めるのが楽しいのか。それは人それぞれだが、共通するのは、結果ではなくプロセスだということ。実は結果ってのは、楽しさをくれない。(うれしさはくれるけどね。)

日本の歪み

ええっと、メモ。

●米軍、福島第1から93キロ以内の立ち入り禁止
2011/3/17 1:32 (日経)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9C81E2E2E3E2E2E3E58DE3E4E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000 (リンク切れ)
【ワシントン=弟子丸幸子】東日本巨大地震を受け、米国防総省のラパン副報道官は16日、記者団に、米軍が福島第1原子力発電所から半径50カイリ(約93キロメートル)圏内への立ち入りを原則禁止する通達を出したことを明らかにした。立ち入る場合には許可が必要とした。米兵の放射線被曝(ひばく)を避けながら支援活動を本格化する構えだ。一方、無人偵察機「グローバルホーク」を投入し、原発内部の調査などを検討する。

震災から6日後に出ていた、このニュースをメモっていたのですが、このときは拡散情報などは公式にはでていなかったわけですね。
退去する半径が20kmのまま変わらない状態がつづいていた。
個人的にきな臭いと思っていたのですが、あまり騒ぐとデマ野郎だと言われそうなので黙っていたのですが。

そしたら今になってこんなニュースがでてきた。

●拡散予測先に米軍へ 住民公表9日遅れ2012/1/17(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012011702000021.html
文部科学省の渡辺格科学技術・学術政策局次長は十六日、福島第一原発から放射性物質がどう拡散するか緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、事故直後の昨年三月十四日、外務省を通じて米軍に提供していたことを明らかにした。試算結果が公表されたのは、米軍への提供より九日も遅い三月二十三日のことだった。

なんだやっぱり上の人は知ってたのね。

米軍が、予測に基づいて、93キロ以内を立ち入り禁止にしているときに、
福島の人々は20kmで大丈夫と言われていた。

住民より米国を大事にする、日本という国家の歪みがあからさまに出ていますね。

今後の大きな課題だと思います。

日曜日の憂鬱

ああ、晴れて来たので銀座にゆこうかと思う。銀座というのは便座に似ているな、とひとりでけらけら笑っていると、トイレットペーパーを切らしていたような気がしてきた。それを確かめに、廊下に出たところ、ひやっ。そうだ。靴下をはいていなかった。私は裸足だったのだ。ようし、ここはいっちょう靴下をはいてやろうでねえか、と江戸っ子の真似をしてみるが、誰も聴いておらず、猫がにゃあと鳴くだけである。むなしい気持ちになったので俯く。喪に服したような心持ちで靴下を探し、履いてみると、是、親指のところに穴があいているではないか。あらいけない。これは大変なことである。この国では、ドーナツの穴はで許容されても、靴下の穴は許容されないのである。ひどい場合は子女に笑いものにされ、一生口をきいてもらえなくなると聞く。恐怖人生への落とし穴がぽっかりとここにあいていたのだ。「靴下の穴は落とし穴、靴下の穴は落とし穴」と復唱しながら、猫をみると、猫はにゃあと鳴くだけである。さて、これは靴下を買わなければならない事態になったということだが、さてどこで買おう。銀座で買おうか。よし、銀座にゆこう。と思ったところで、便座のことを思い出して、非常にめんどくさくなって昼寝した。

帰省の内省

父親の一眼レフを借りて、写真を撮ってみた。
ニコパチの記念写真じゃつまらないので、
なるべく騙し討ちのようにして、家族の顔を狙って撮る。
ふだんそんなことして家族の写真に撮ったことはなかったのだけれど、
そうして撮られた写真を見てみたらじぶんの記憶にこびりついている家族の一瞬がそこにはあった。
小学生のときから見慣れた母親の後ろ姿や、祖母の孫たちの会話を聴くときのきょとんとした表情。
そして生まれたばかりの赤ん坊を大切に抱く弟の姿。
そして、そういう写真を撮りたくなっている自分がいることにも気づく。
家族って永遠じゃないんだよな。ということを実感として持ち始めているんだと思った。
幼い頃は、この日常がずっと続くと思っていたけれど、違うのですね。
スタティックなものじゃなくて、ダイナミックなものなのだ、家族とは。

親や兄弟と離れて暮らすとそれが分かりやすくなる。
帰省のたびに少しずつ風景が変わって行くから。

年末年始とかにする帰省ってダイビングに似ているなあと思う。
心をいったん海の奥深くに沈めるようにして、日常のノイズが遮断された、自分が生まれてきた元の位置まで遡ってみる。
家族の笑顔、住み慣れた家、生まれた土地の空気、旧い友人の言葉。
なにげなかったものが光ってみえてきたのなら、それは自分が遠くまで行った証拠かもしれない。
別に悪いことじゃない。
ただどれくらい遠くまで離れてしまったのかとか、どれくらい唯一無二なものなのかは、
形式的にではなくて感覚で知っておいたほうがいいんじゃないかなと思うのだ。
直接、何かの役に立つとかではないと思うけど、たぶんその人のモノサシになっていくのではないのかしらね。

好位置の蔦屋



巷にて話題の蔦屋書店にいってきた。

代官山駅から徒歩五分くらいの好立地。

ガラス張りのシュッとした建物がつづくなかにその本屋はあります。

佇まいからして、オシャレインテリ用本屋さんである。

一見の価値はあると思うものの、個人的にはそわんそわんして落ち着かなかった。

知とファッションが結びつく人にはいいのだが、そうではない人間にとってはちょっと敷居が高いかもね。「これは知ってて当然だよね。で、あえてこの本のとなりにこれを置くセンスみたいな」みたいなコードが好きな人にははまると思うのです。

じぶんはじゃあどこの本屋がいちばん好きかって考えたら、
東大生協の本屋だ。(個人的には駒場>本郷?)
あそこで出会う本のヒット率はダントツでいちばんだ。
その次は新宿三丁目のジュンク堂かな。

みたいなことを考えて恵比寿でもつ鍋を食うのだつた。


やんきー



ヤンキーについて友達と話して盛り上がって、書物を読む等していろいろと調べていたら、

ヤンキー的なものとは何か。それは成熟と洗練の拒否である。あるいは民衆のゴシック。(永江朗)

という一文に出会う。

ちなみにゴシックとは、原意は「ゴート人の」を意味する言葉で、ルネサンス期の15-16世紀に、イタリアの美術家アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、中世時代の美術を粗野で野蛮なものとみなして、「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する蔑称である(ゴート人が実際に用いていた美術様式という訳ではない)。その後、中世の教会建築、絵画などの様式を示す概念になっていった。19世紀になってロココ様式や新古典主義に対する反動から、中世の時代へ関心が向かい、建築を中心にゴシック様式を回顧的に用いるゴシック・リヴァイヴァルが生まれた。

やり過ぎ感、ケバさ。それがヤンキー的なものの一つの価値軸だ。そしてそれは一種の蔑視の対象となり、ダササにつながる。
けれど、そういうダササを持ったものが、今日の日本では圧倒的多数の支持を得たりする。
EXILE,浜崎あゆみ,ルーキーズ,アメブロ。
特徴は、フィジカルで、非論理的で、熱っぽくて、形式的だという点。


要はお祭り。

欧散歩しながら思うこと

ヨーロッパの町(どちらかといえば田舎)を散歩していると、この文化はインターネットという概念を受容する前に完成してしまった文化なのだということを実感する。いたるところに教会があって、教会の前には広場がある。あちこちに会話を楽しむためのカフェがあり、コンビニの役割を果たすバルがある。そのような町に住めば、きっと携帯やネットがなくても十分に快適に都市的生活が送れそうな気がする。

ヨーロッパの田舎の人をみていてなんとなく思うのは、「もうこの暮らしで十分だよ。べつにこれ以上便利にならなくてもいいよ」というアティテュードである。じっさい、ギリシャやイタリアといった古代文明発祥の地が軒並み金融危機に見舞われているのをみると、彼らにはこれ以上利便性を追求するモチベーションがないんじゃないかという思いも抱いてしまう(もちろん、それが要因ではないと思うが)。一方で、アジアの多くの国やアフリカは、電話線を引く前にモバイルやウェブという技術が到来してしまっていたりするので、まったく異なった街並みを形成する可能性があるし、きっとそれはおどろくような制度的なイノベーションを準備するのだろうとも思う。

南イタリアへ

我々を乗せた深緑色のアリタリア・イタリアの航空機は、一時間遅れの出発について謝罪もせず、素知らぬ顔で滑走路を走り始めた。







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昨日来てくれた人…





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1Q83年 
琵琶湖生まれ
東京都在住


人生は短い。
人生は長い。

それがどちらだとしても
僕はそれを理由に
文章を書くだろうと思う。

からあげはうまい。
さむいのがきらい。

「魅力的な人間はどこか胡散臭いものである」
by チェコの係長
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