December 12, 2004

踊りをはじめるきっかけ(2)

 最初、打診があった時は、「チームメンバーでもないのにあかんで」とか「やったことないし、振り覚えるの、間に合わんで」と言ったんですが、代表からは、「かまへん。1回出てみいや。ヘタでもいいで、とにかく前見て踊ろや」と言われました。
 さて、出場を決めたのはいいんですが、振りの指導も練習も全くしていない超初心者だったため、その後は、振りを覚えるのが大変でした。そのころは四日市住まいの津勤めだったため、練習は当然自宅で自主練習です。友だちから南中ソーランのビデオを借りたのはいいんですが、経験も技術もないし、振りを理解する眼も何ら蓄積がないから、早くてなんのこっちゃよく分からない。正面撮りの振りを自分の振りにおきかえる経験もないから、しかたなく映像を鏡に映し、その鏡の映像をビデオ撮影しておぼえてました。
 いくら代表が気安い知り合いとはいえ、他人様の前でチームの一員として踊るわけですから、きちんと振りを覚えねば、と勤務が終わってからは家に直行して夜遅くまで練習でした。振りが分からないれば、尾鷲の知り合いに電話し、「櫓こぎのところって、出だしは腰から出すの?胸あたりから出すの?」とか聞き、携帯電話片手に「こうか?こうか?」と1人でバタバタやってました。
 出番1週間前には尾鷲でチーム練習。ストレッチの時間も省いて練習し、わからない振りは、休憩時間中もずっと反復練習してました。で、経験ゼロの初心者が休みも取らずにそういうことをすると、当然体に、はねかえってくる。太股あたりの筋肉がつってしまい、しばらく脇で休んでました。その間も、ずっと振りを確認してました。
 そうこうして、振りを何とか染み込ませ、いよいよ本番です。
4 当日のイベントは、尾鷲市文化会館の大ホールでの演舞。エントランスに行くと、地域おこしの仲間たちが「最前列で見てるで〜」とカメラ片手にありがたいプレッシャーをかけてくれました。楽屋に行くと、10チームほどの多くの踊り手で、ごった返してました。そんなとこは入るの初めてですから、衣装姿の踊り手がプロに思えて、ハッピ姿のままタバコ吸ってるのを見て「うわ〜、タバコ吸ってるよ、すげ〜」と変な感心したのを憶えてます。
 素人丸出しで、ぼけっと突っ立ってると、楽屋の奥にいた代表が「こっちこっち」と手招き。衣装を渡してくれました。足袋と手甲を付け、仲間のチームの白ハッピの袖を通して、たすき掛け。初心者で不器用なため、普通に手間取ります。で、当日のポジションを聞いてなかったため、たすき掛けを手伝ってくれてる代表に確認したところ「センター2列目や」。
 あり得ん場所です。「普通、初心者は、端っこで後ろやろ」という僕に、代表は「かまへん。あとは気合や」と答えになってない応え。
 緊張したくってる僕に、代表がとどめの一言。「振り付け、一部変わったで今から教えるわ」。流石に「マジっすか?」しか言えませんでした。
 でもって、出番までの20分ほど、代表から振りの変更をバタバタと教えてもらいますが、緊張のあまり、間に2回ほど「トイレ行ってくるわ」と中座。でもって、案内係が「出番でっせ」と呼びに来て、楽屋からステージ移動。今でこそ、場数を踏んだから、何百人という観客の前で1人で踊っても、普通に楽しめますが、当時は心臓バクバクで、楽屋からステージ袖にみんなと一緒に移動する時は、地面がフワフワ感じて歩いている感触もありませんでした。ステージ袖で「あと5分です」と言われたときは「このまま“来週に続く!”とかならんかな?」とか自然に思ってました。
 で、いよいよ出番。代表の「客見て踊ろや」だけを肝に命じて、舞台に立ちました。
 前を見たところ、正面からまばゆいライトが目に飛び込んできました。チーム紹介の間、目を凝らすと、客席に多くの人影がいることが分かります。多くいることは分かりますが、顔まで分かりません。最前列に座っている仲間が「イトービー、しっかりな〜」と大きな声援を送ってくれましたが、その声の主の顔も分かりません。ただ、その声聞いて「あ、あいつに昨日1000円貸したままや」と思い出しました。
 そして「構え」の掛け声とともに演舞開始。「客見て踊る」以外は無我夢中。非常に短く感じたことを覚えています。
 そして演舞終了。あっという間だったように思います。憶えているのは、まぶしい正面のライト、その向こう側に多くいる客席多くの人影。そして演舞終了後にいきなり聞こえたような大きな拍手と、はける際の代表の「お疲れさん!」の一言でした。

 これが僕のデビューでした。意外と当時の状況は忘れてません。
そして、客席にいた仲間から、まだ1000円返してもらってないことを、原稿書きながら思い出しました。
 そして、もうひとつ思い出しながら、不思議だったことがあります。当時は、「南中ソーラン」を「よさこい」だと言われても何も疑問に思わず、自分の頭の中では「よさこい=南中ソーラン」で、「鳴子を持たないのが、南中ソーランの特徴なんだ〜」と、今、普通に聞いたら失笑を買うような感覚を持っていたことです。なぜ、そう思ったのかあたりも、今後の原稿で書いていこうと思います。
 ただ、まだ僕はこの2002年2月は単なる助っ人参加。踊りを定期的に始めるのは、この先の7月7日となります。今度の原稿は、僕が代表張っている「凛」の誕生あたりを書いてまいります。  
Posted by miejin_maturi at 10:05

December 09, 2004

踊りを始めたきっかけ(1)

3 さて、僕が踊り始めたきっかけを2回に分けて書こうと思います。
 僕は、よさこいから踊り始めた訳ではありません。きっかけは、今から約3年前、2002年1月に踊った「南中ソーラン」でした。
 僕が踊りと出会うきっかけを語る前に、書かなければならないことがあります。以前、僕は、東紀州と呼ばれる三重県南部の尾鷲市で勤務してました。東紀州地域は、8つもの市町村で構成され、最近、世界遺産登録された「熊野古道」が通り、漁業や林業で知られる地域です。域内人口8万程度ということで、他聞に漏れず、過疎化が進み、「地域振興」が常にお題目に挙がる地域です。
 その東紀州地域で、1999年4月〜11月にかけて、「東紀州体験フェスタ」という長期イベントが開催されました。「熊野古道ウォーク」や自然体験、文化体験をメニューにして集客交流を図り、地域を元気にしていこうというこのイベントで、僕は地域内で多くの友人に出会いました。この友人達とは、イベント終了後も交流を続けました。そして「尾鷲がみんなつまらんというが、つまらんとこなら、自分たちで面白くしよう」と熱く語る仲間達とともに「水面下倶楽部」というサークルを結成し、手始めとして尾鷲市の中心にある中村山という山を、イルミネーションで飾り、交流を図る自主イベントを同年12月に企画・運営し、好評を得ました。
 僕は、翌年4月に名古屋に転勤となりましたが、この遠方の友人たちとの取り組みは、むしろ転勤後に本格化しました。土日は必ずといっていいほど、160卞遒糧鷲市に通い、安い酒を飲みながら遅くまで夢を語り、知らない間に雑魚寝したり、朝は4時起きで友人が切り盛りする備長炭の作業を手伝ったり、市内の汚い川の清掃活動、地域の朝市での呼び込み、地域の伝統的な祭りへの参加等、いろんな活動に参加しました。
 現在、僕は、県内外のいろんな踊り祭に割と多く参加し、「フットワークが軽いね」と、よくお声がけいただいたりしますが、この腰の軽さは、この頃の地域活動や仲間との交流を通じて育成されたと思っています。
さて、仲間と共に様々な地域活動に取り組む一方、東紀州地域では「YOSAKOIソーラン祭り」の興隆や映画「学び座」が注目され、2001年頃から地域内に踊り連がいくつか生まれ出しました。僕の仲間も何人か、踊りに取り組み出しました。
 そして、2001年、夏のいくつかの祭りで、たくさんのハッピ姿の踊り手が「南中ソーラン」や「どっこいしょ」を踊りました。そのころ、僕は他の取り組みに忙しく、踊っていませんでしたが、何百人もの踊り手が「南中ソーラン」を踊り、その中に、仲間が数人入っているのを見て、置いてけぼりをくらったような寂しさを感じたことを覚えています。
その翌年1月頃から、仲間が代表やっているチームの練習を、遊びがてら見学してました。仲間のチームは、母子が多い市民系チーム。2ヶ月後に、尾鷲市文化会館のホールで踊りイベントがあるため、南中ソーランを練習してました。
 最初、僕も壁際で、子ども達と遊びながら見学し、何回か踊るのを見てるうちに、門前の小僧よろしく、子ども達と一緒に振りをちょいちょいと真似してました。そうこうしているうちに、イベントが2週間後に迫りましたが、練習中に、参加人数が1名足らないことが判明し、どうするか、というお話をしていました。悩むメンバー達が、壁際で子ども達と遊んでいる僕を見つけ、「あ、伊藤さんがおるやん、出てみないか?」と声をかけられました。その日が、2002年2月10日の土曜日。デビュー2週間前でした。その頃は、よさこい祭りもYOSAKOIソーラン祭りも詳しく知りませんでした。
(続く)
  
Posted by miejin_maturi at 12:17

はじめまして!(2)

2 こうして、高知から飛び火した札幌のYOSAKOIソーランが興隆するなか、その経済効果や文化効果等に注目した各種団体や、学生間のネットワークなどでここ5〜6年のうちに、全国に、鳴子踊り系の祭りが波及していきました。
この系統の祭りがどれくらいの数になるのかは、正直よくわかりません。200とも300とも言われており、また開催されてない都道府県は、阿波踊りの伝統を誇る徳島県だけだと聞きます。
ましてや踊りチームとなると、次々生まれたり、消えたり、名前を変えたり、吸収合併されたり、分裂したりしますので、どれだけあるのか、まったく正確な数字が把握できません。(よさこいに通じたある方にお聞きすると、7000くらいとか)
 ちなみに三重県では、2回以上継続して実施されている鳴子踊り系の祭り、先述の「安濃津よさこい」と、伊勢方面で開催される「三重の国ふるさとまつり」といったところでしょうか。(踊り祭ということなら、夏に鈴鹿や秋の尾鷲で大きめの祭りがありますが)
 さて、考えてみると、一地域で始まった祭りが、これほどの全国展開力を持つのは、よさこい系だけなんですよね。
なぜ、これほどの展開力を持ったかという理由は、いろいろあると思います。
踊る側から見れば、迫力いっぱい、伸び伸びとした踊りを割と気軽に楽しむことが出来て、バリエーションも非常に豊富で、そこら中に参加できる祭りもあり、いろんな世代や地域の方との交流を楽しめるという点。
祭りを作る側からすれば、そうした気軽に参加できるよさこい系の祭りを実施して、市民参加や観光による経済効果、知名度アップを目的にしたり、コミュニティ崩壊が懸念される中、気軽に世代交流が図れるよさこい系の祭りで、青少年の健全育成や地域内交流を目指したいというところでしょうか?(地域地域で事情は色々あると思いますが)
で、ここで一つ疑問があるんですよね。
最初に皆さんに「よさこい鳴子踊り」はご存じですか?と聞いたことにもあるように、これほどの全国展開力を持ちながら、いろいろ知り合いとかに意見とかを聞くと一般的には認識が薄いように思います。
 もちろん、全国的に広がったのが、先述のとおりここ5〜6年であるという
経緯もありますが、それだけではないような気もします。こうした疑問やよさこいに対する思いなどテーマに、僕の拙い経験やいろいろ教わったことをベースに書きつづっていきたいと思います。

次回は、踊り始めたきっかけについて、書こうと思います。  
Posted by miejin_maturi at 12:05

December 03, 2004

はじめまして!(1)

どうもこんにちわ♪
三重県で、よさこい鳴子踊りやっているBBこと伊藤と申します。
ひょんなことから、「なんか、祭りについて随想みたいなの書いてみないか」というお誘いをいただきました。
祭りといっても、よさこい関係をやってるだけで、しかもその経験すら2年半程度と非常に短いため、どうしようかな?と思ったのですが、まぁ、気楽に経験したことや感じたことを、失笑覚悟で書いてまいりますので、どうぞ温かく見守っていただければうれしく思います
1自己紹介はおいおいしていくとして、まず質問。
皆さま、「よさこい鳴子踊り」はご存じでしょうか?
ここ3〜4年、両手にカチャカチャいう鳴子(なるこ)を持って、いろんな衣装のチームが踊ってたりするのを各地で、見かけます。

三重ですと、10月に津市で津まつりの一環として行う「安濃津よさこい」、三重の近辺だと、8月末に名古屋中心に実施される「にっぽんど真ん中祭り」があります。
踊るチームを見ると、子供から大人、学生等、様々な世代のチームがあり、踊り方も、鳴子を持つ等、2〜3点程度の基本ルール以外は、特に定めがなく、非常にいろんなスタイルの踊りが、ステージやパレードで展開されています。

こうしたよさこい系の踊り祭って、どこにルーツがあるか?と聞くと、意外とちょっと知ってる人でも、「北海道」と言う人が多いんですね。もちろん、これは間違いで、高知市で8月に行われる「よさこい祭り」がルーツです。

昭和29年8月に、高知商工会議所が中心となって発足したこの祭りは、今年の夏で51回目を迎えました。
手に鳴子、曲に「よさこい鳴子踊り」の曲の一節、地方車を先頭に前に進む等の基本的なルールを守れば、あとのスタイルは自由です。
だから、衣装も髪型も音楽も踊り方も様々で、今では、180ほどのチームが、祭り期間中、市内15の会場で熱い踊りを展開し、見物人とともに祭りを造っています。

この高知の「よさこい祭り」を、91年8月に見た1人の学生が、「こんな祭りをしたい」と奮い立ち、100人以上の学生とともに、よさこい祭りと北海道のソーラン節を組み合わて作ったのが、札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」です。92年6月に10チーム、1000人の踊り手で開始したこのイベントは「街は舞台だ」を合い言葉に、急成長。
14回目の今年は330チーム、4万4千人の踊り子、観客202万人(公式発表数字)となりました。(つづく)
  
Posted by miejin_maturi at 14:32