2006年05月

2006年05月30日

ナンチャッテ知事に2期目はあるのか

フェロシルトの回収状況
後追いで更新されてます。。

▼異例の知事コメント

ナンチャッテ知事が石原産業の提訴に理解を示した
という趣旨の記事が22日の毎日新聞夕刊7面(中部本社版)に掲載された

夕刊で掲載したのは毎日新聞1社だけだったので
田中記者にバイアスが掛かってんのかなあ
まあ点火してボーボー燃やすという予告なんだろうなあ

夕刊とはまたハデにやるなあ
ナンチャッテもトップとしての自覚と責任てのがねえな

と見てたら案の定翌日の毎日三重版で続報されたが
 野呂知事の“石原産業の提訴、理解”発言に反発広がる
 http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/mie/news/20060523ddlk24040172000c.html
他社は批判すれども同調しているとまでは言い難かった

フェロシルト事件の発覚以後どれだけ批判されようとも
その声をひたすら無視し続けてきた三重県庁だが
何でまたわざわざこんな些細なことで

あのやる気ゼロの広報責任者が走り回って
異例の知事コメントというのが出た

 全量撤去が基本 発言が反発呼び、知事が異例の釈明
 http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/mie/news/20060524ddlk24040054000c.html


▼コメントは見せられません

広報主導でコメントを作ったのは聞く前からわかりきっていたが
常道というやつで誰が作ったのか周辺から裏取りをすると
件の副室長は

 わたしではありません
 もっと上の方です
 このへんで勘弁してください

いや十分吐いていただきまして
ありがとさん

さてお次は喧嘩中の広報
コメント全文を見せてくれんかのお?
と直撃したら

 上司に相談します

の後は予想通り

 記者クラブに対して出した文書なので県民には見せられません

出た出た
予想通り
報道グループ改め記者クラブ支援グループ


▼スパイ大作戦

ここまでの話だけなら毎度のことなので
よろずやが書くに値しない

エグいのはここからで
なぜ県は異例のコメントを出すという過剰反応をしたのか

 デスクの意向もあって夕刊になったらしい

わが県の諜報活動もよろずやに負けず劣らずなかなか立派らしく
恐らく記者クラブ室での会話か何かを
探りを入れて聞き出したのだろう
こんな具合に

ねえちょっと
なんで毎日は夕刊になったワケ?
 ↓
ねえ毎日さん
なんでアレ夕刊なの?
 ↓
いや夕刊になるとは思わんかった
デスクの意向でああなって正直ビビった
 ↓
デスクの意向で夕刊になったらしいよ
 ↓
知事コメントを出す

記者クラブ支援グループは
時にマスコミ対策グループと化す

だが記者クラブの口は簡単に塞げても
岐阜県民の口は塞げなかった

本日てらまちさん提訴のあと
県庁で会見するそうですが
スパイには気をつけませう


▼軽量級知事

コメントごときで批判をピタリと止めた毎日もだらしないけど
効果てきめん
良かった良かったと言いそうだが
ちょっと待て

知事を軽く扱っているという事に気づいているのか

政治家は言葉が命だ

それをこんなに軽く扱うなんておかしいじゃないか
訂正を出すことに同意した政治家はそこがわかっていない

RDF爆発死傷事故の時も
 県政最大の汚点
と言っている

あまりにも言葉が軽い

議会や記者クラブが猛烈に攻めるかと思いきや
なぜかスルー
さすが文化力のなせるわざ
などとふざけてる場合じゃない

これはもう
どう見ても政治家の器じゃないだろ!

軽いのは言葉だけじゃない
行動も軽い

RDF発電所の再開宣言をしようとして
議会と対立していた時も
委員長らを追いかけて急遽東京まで説得に赴いた

表面上は軽くあしらわれて
面目丸潰れ

政治的な駆け引きが下手で
部下にも恵まれないかもしれないが
それでも2期目をやる気ですか?

- - - - - - - - - - -
【訂正しました】
22日の毎日新聞夕刊1面
 ↓
22日の毎日新聞夕刊7面

mieken1876418 at 07:18|PermalinkComments(0)TrackBack(1)このエントリーをはてなブックマークに追加 石原産業フェロシルト事件 | 殿様=野呂昭彦・前知事

2006年05月26日

過去60年間に三重県で観測された津波

発震日時(日本時間)  地点/波高m  震源域/マグニチュード
1946.12.21 04:19  賀田5.50  紀伊半島沖 8.0
1952.03.04 10:23  鳥羽0.08  十勝沖 8.2
1952.11.05 01:58  鳥羽0.33  カムチャッカ沖 8.3
1957.03.09 23:22  尾鷲0.50  アリューシャン沖 8.1
1958.11.07 07:58  鳥羽0.03  択捉沖 8.1
1960.05.23 04:11  尾鷲3.20  チリ沖 8.5
1961.02.27 03:10  尾鷲0.09  日向灘 7.0
1963.10.13 14:17  鳥羽0.16  択捉沖 7.9
1964.03.28 12:36  鳥羽0.15  アラスカ沖 9.2
1968.04.01 09:42  尾鷲0.21  日向灘 7.5
1968.08.02 05:19  尾鷲0.06  ルソン島沖 7.3
1968.08.10 11:07  尾鷲0.11  モルッカ海 7.6
1969.08.12 06:28  尾鷲0.17  色丹沖 7.8
1970.07.26 07:41  尾鷲0.04  日向灘 6.7
1971.07.14 15:11  尾鷲0.05  ニューアイルランド沖 7.9
1971.07.26 10:23  尾鷲0.11  ニューアイルランド沖 7.9
1972.02.29 18:23  尾鷲0.10  八丈島東方沖 7.5
1972.12.02 09:19  鳥羽0.04  ミンダナオ島沖 7.8
1972.12.04 19:16  尾鷲0.20  八丈島東方沖 7.5
1974.10.03 23:21  尾鷲0.07  ペルー沖 7.6
1975.07.20 23:37  尾鷲0.04  ソロモン沖 7.9
1975.10.31 17:23  尾鷲0.23  フィリピン東方沖 7.6
1975.11.29 23:48  尾鷲0.08  ハワイ 7.2
1979.12.12 16:59  尾鷲0.13  コロンビア沖 7.9
1980.07.18 04:42  尾鷲0.05  サンタクルーズ諸島 7.9
1984.06.13 11:29  尾鷲0.03  鳥島沖 5.9
1984.08.07 04:06  尾鷲0.03  日向灘 7.1
1984.09.19 02:02  尾鷲0.03  房総半島東方沖 6.6
1985.03.04 07:47  尾鷲0.13  チリ中部沿岸 7.8
1986.05.08 07:47  尾鷲0.09  アリューシャン沖 7.7
1990.04.06 06:12  尾鷲0.07  マリアナ海溝付近 7.5
1990.09.24 06:13  尾鷲0.03  東海道はるか沖 6.6
1993.08.08 17:23  尾鷲0.23  グアム島沖 8.0
1995.07.30 14:11  尾鷲0.18  チリ北部沿岸 7.3
1996.02.17 14:59  尾鷲0.68  イリアンジャヤ沖 8.1
1998.07.17      尾鷲0.06  パプアニューギニア沖 7.1
2001.06.24 05:33  尾鷲0.13  ペルー沖 8.4
2002.09.09 03:44  尾鷲0.08  パプアニューギニア沖 7.8
2004.09.05 19:07  尾鷲0.29  紀伊半島沖 6.9
2004.09.05 23:57  尾鷲0.61  東海道沖 7.4

この他に三重県でも津波が観測されたと推測される地震は以下の通り
1946.04.01 21:29  串本0.70  アリューシャン東部沖 7.4
1948.04.18 01:11  伊南0.50  紀伊半島沖 7.0
1965.02.04 05:01  串本0.55  アリューシャン沖 7.5


1.日本被害津波総覧第2版 1998/2 渡辺偉夫
 を元に
 新聞各紙、気象、津波・高潮・海洋災害 1970/6 和達清夫
 で補足して作成した
2.波高mは、"高さ"に統一するため"最大全振幅"は半分とした

mieken1876418 at 06:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 自然災害 

2006年05月24日

1960.5.24 チリ地震津波

▼津波予報の歴史

インド洋を中心に襲ったおととしの大津波は
テレビで繰り返し放送されたので誰の目にも焼き付いているだろうが
三重県では津波といえば東南海・南海地震かチリ地震の印象が強かった

次の東南海・南海地震と津波への備えが指摘されるが
1960年に太平洋岸一帯を襲ったチリ津波について
いくつかまとめてみた

まず津波予報の歴史を振り返ってみると

1933.3.3 三陸地震津波で死者不明約3000人
1941.9.1 気象官署で三陸沿岸に対する津波警報組織を確立
1944.12.7 東南海地震で死者不明約1200人
1946.4.1 アリューシャン地震でハワイに津波 多数の死者
      その教訓としてハワイに太平洋津波情報センターを設立
1946.12.21 南海地震で死者不明約1300人
1949.12. GHQの勧告にもとづき日本政府が津波予報の計画を閣議了解
1952.3.3 日本で津波予報業務の訓練
1952.3.4 十勝沖地震 試験的に津波予報
1952.4.1 津波予報業務を正式に開始
1952.11.4 カムチャッカ地震でチリに津波
1960.5.24 チリ地震で太平洋一帯に津波
      ハワイでの死者61人
      日本での死者不明142人(米統治下の沖縄含む)
1960.9.  行政管理庁行政監察局が気象庁に対する改善所見を発表
1964.   ユネスコ委員会で太平洋津波警報組織の創立決議
1967.   ハワイに国際津波情報センターを設立

チリ津波を教訓に国際的なネットワークを作ったかのように言われるが
それ以前のアリューシャン津波を契機に予報体制を確立しており
気象庁が失敗を隠すための方便を流布しているにすぎない


▼予報に失敗した気象庁

チリ津波についての文献は数多いが
なぜ気象庁が津波予報を失敗したかについて触れるものは
今探してもなかなか見当たらない

地震直後の動きについて気象庁本庁を中心に整理してみると

1960.5.23(日時は日本時間)
04:11 チリ地震発震 *1
04:31 日本国内の地震計で観測 *2
06:30 チリで大地震の事実を確認 *3
    AFP電はマグニチュード9.2 *4
10:20 ハワイ9時発第一報の入電 *4
 「ホノルル地磁気観測所より次のような注意報がだされた.すなわち36時間前からチリで激震が起っている.災害をともなう津波が発生している.可能性があるバルパライソとバルボアカナル帯で津波の出発がいつとみてよいか現在のところわれわれは知らない.もし現在までに津波が発生しているとすればハワイ島に到着するのは今夜半と考えられるので出来る限り早く必要な注意報を発表する.」
13:00 ハワイの情報は関係者への伝達が終わる *4
 地震課内で検討した結果「津波がくるとすれば24日午前2時ごろ、50cm位であろう」
午後、横須賀米軍の問い合わせに50cm位と答えたもよう *4
16:00 ハワイ地区に津波警報を発令 *4

入電時刻不明 ハワイ15:05発 グアム15:55中継 *4
 「一般市民ならびに各軍機関に対して次のような通告がなされた.これは津波警報である.チリの激震は太平洋全域にわたって拡がりつつある津波を発生しており、その第一波の推定到着時刻はハワイ島に対しては今夜12時ハワイ標準時で、オアフ島はそれより約30分後である.災害は数時間にわたって継続するもよう.津波の強さは予告し得ない.ハワイ島の南部が第一に影響をうけようし、またハワイ島の各所に起ると思われる災害もこの南部に先ず発現しよう.」

18:58 ハワイのヒロ検潮所で津波第一波を観測 *5
19:00 「タヒチで1メートル」「クリスマス島変化なし」の入電 *2
21:30 新聞社がハワイの大津波の報について気象庁に問い合わせ *6
.5.24
02:23まで「ハワイ、オアフ島を含む太平洋一帯に津波拡大」の入電 *3
02:47 岩手県宮古測候所が津波第一波を観測し打電 *6
04:26 北海道広尾測候所から「広尾港の異常干潮」の入電 *3
04:27 宮古測候所から「津波来襲」の入電 *3
04:54 「八戸で第一波が来襲」の入電*4
04:58 仙台管区気象台が津波警報を発表 *3
05:00 札幌管区気象台が津波予報を発表 *3
05:13までに前後9回の異常潮の入電 *3
05:20 気象庁が津波警報電文を作った *4
05:37 気象庁が津波警報を発信 *4
朝   「予報技術の限界」と説明 *7
同日  和達清夫長官の辞任説が放送される *3

気象庁は津波当日の朝
「南米の大地震でこんな大津波が日本に来るなんて、気象学の常識では考えられないことだった。津波予報技術の限界をこえている」 *7
と会見で説明したものの夕刊で警報の遅れを批判された *8

また地震課長広野卓蔵は
 (地震の)一日後には当然日本にも津波がやってくると判断し、専門の津波予報官が終日警戒した *7
とは言いながらも

 (夜の警戒体制は)地震計室に宿直員が二人。ふだんと変わりはない *7
なんら手を打っていないが
 手薄だったとは思わない *7
と開き直った

当然一部の学者は痛烈に批判した *9

チリ津波の8年前に起きたカムチャッカ地震による津波は
ハワイよりも遠方のチリで最も波が高かったことから
チリで津波が生じればカムチャッカに大きい津波が現われるであろう *10
と同じ学者が警告していた


引用元
*1 日本被害津波総覧第2版 1998/2 渡辺偉夫
*2 共同通信(1960/5/25地方紙)
*3 気象百年史 1975/3 気象庁
*4 1960/8 自然 責任は気象庁の怠慢か 東条貞義
*5 1990/8 気象 チリ地震 津波災害30周年 地震津波監視課
*6 1960/5/25朝日新聞 天声人語
*7 1960/5/25朝日新聞 なぜ「津波警報」は遅れたか
*8 世界災害物語2 1983/5 金子史朗
*9 1960/8 自然 チリ地震津波の実態 三好壽
*10 1956/7 自然 津浪 三好壽


▼広野課長の机の上で眠っていた?津波情報

ハワイから気象庁などに打電された警報電文も
 雲隠れしていて誰も見ていなかった
 フッと気がついてみると地震課のある人の机の上にあった
 退庁時以後だったから誰も知らなかった *4
と迷宮入りさせてしまった

長官辞任説まで流されたことで気象庁は開き直りの境地に達したのか
その後も和達長官が辞めることはなかった

しかしチリ津波から14年後
サンチアゴで開かれた国際火山学会での雑談で
米国人学者が「せっかく予報を出してやったのに」
 問題の電報は某課長の机の上で眠っているうちに津波が来襲した *11

当時の報道と突き合わせると某課長とは地震課長のことで
その広野卓蔵氏は日本地震学会の名誉会員として健在らしい


*11 1974/9/14朝日新聞 チリ津波警報はあった 日本のミス?明るみに


▼その後の気象庁の津波予報

1975.6.10 津波到達の35分後に警報
1983.5.26 日本海中部地震で警報が間に合わず死者
1985.3.4 ツナミナシの発表後にハワイからの情報を受け注意報
1993.7.12 北海道南西沖地震で警報が間に合わず死者
1995.7.30 ツナミナシの発表後に注意報
1996.2.17 注意報を出すが到達した波高が予想以上に高く警報に変更

この他にも空振りは数知れず
予報時間に比べて精度は進歩していない

それなのにテレビからの情報に頼りすぎて
「警報が出ていない」からと油断して
興味半分で海岸に足を運ぶとどうなるか

津波予報なんて話半分ですから
と正直に言えば過度な期待をしないのだが
先日も緊急地震速報で波形抽出ミスから震度7の誤報をやらかした *12

2年前の紀伊半島沖地震でも同じ技術的なミスから警報が遅れたのに
「精度を高めるため時間がかかってしまった」 *13
と適当に言いくるめられた

なんせ気象庁には"チリ地震の伝統"が息づいている

記者クラブは取材してないので真実を何も知らないが
この件はまた機を改めて書く

*12 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060510k0000m040078000c.html 緊急地震速報:「震度7」はプログラムミス
*13 2004/9/7朝日新聞 警報発令に2分の時差 和歌山と三重で


▼伊勢湾内を襲った津波

チリ津波の波高と時間 *14
     第一波     最大波
  尾鷲 03:33 18cm 05:45 301cm
  鳥羽 03:52 12  06:00 150
  松阪 04:35  8  08:47 126
   津        09:08 152
 四日市 04:42 12  09:52 96
 名古屋 05:20 18  07:50 100

今回チリ津波の一次資料を探すため近辺の各機関をまわったが
被害は太平洋沿岸で大きかったという印象が強いせいか
伊勢湾内にまで被害が及んだという真実を正確に知る人はいなかった

だが晴れた日に県庁からは神島がよく見えるし
その後方に広がるのが太平洋であるのを考えれば
チリ地震でなくとも眺望の範囲内で地震があれば津波が襲ってくるのは自明の理というものだろう

1854年の安政東海地震の震源がまさにその例で
津でも津波の被害が記録されている

湾口に位置する神島と答志島での減衰があったとしてもそれは約1/3で
エネルギーの集中しやすい箇所では今後も大きな被害が想定される

*14 気象庁技術報告第8号 1961 チリ地震津波調査報告


▼松阪での被害

ダメ元で県警本部にも足を運んで驚いたのだが
小1時間で松阪署沿革史の災害警備記録をわざわざ署からファックスさせて
それを提供してくれた

 災害警備実施 5月24日 *15
 午前6時30分頃と同7時0分頃の2回にわたりチリ地震の余波による高潮(津波)が県下海岸線一帯に来襲し相当の被害があったが当署管内においても下記被害を受けたので一部署員および消防団 地元民が警備に当った 管内における被害状況下記のとおり
  記
 松阪市松崎浦地内において浸水家屋36戸 道路冠水100米

ほかの記録によると

 松阪市 床下浸水36 船舶破損7隻 *14
 嬉野町 床上浸水1 田畑冠水23ヘクタール

 午前6時ごろ三雲村小津地内 三渡川の千右ヒ門が約1.5メートルの高潮のため決壊 *16
 西野部地内で床上浸水1 床下浸水36戸 道路冠水100メートル
 松阪港では漁船大破2 同中破2 同小破3
 最高水位は午前6時38分の2.4メートル

 二十四日朝の津波で松阪市と一志郡境を流れる三渡川は午前五時半ごろから九時半ごろにかけ五回海水が逆流し六軒橋上流、一志郡三雲村小津で伊勢湾台風災害復旧工事中の仮ヒ(樋)門と仮堤防三カ所(延べ約七十メートル)が決壊した。このため付近の水田と三渡中学の校庭など約六ヘクタールは一時逆流した海水が流れ込んで水びたしとなった。
 六軒新聞販売業山下誠四郎さんや地元の人々の話によると、高潮は二回目(午前六時半ごろ)のが一番大きく決壊場所の堤防を越えた、という。
 三雲村および松阪市六軒地区では午前五時半ごろからサイレン、半鐘がなり地元民や消防団員など約百人が出動して警戒に当たり、減水をまって決壊場所に土俵を積み一たん応急復旧したが午後四時過ぎからの満潮で再び切れ三雲、嬉野両町村の田畑四十五ヘクタールは一面のみずびたしとなり、夜おそくまで警戒に当たった。川沿いの松阪市松ヶ崎小と三雲村三渡中は生徒の朝の登校を一時延期し午前十一時から始業した。 *17


*15 松阪署沿革史
*16 1960/5/25伊勢新聞 寝耳に水の大津波
*17 1960/5/25朝日新聞三重版 仮堤防など決壊 松阪の三渡川


▼歴史を改竄する津市

 津市には被害はなかったが、尾鷲市、北牟婁、度会郡等には大被害を及ぼした *18

気象庁の被害集計と矛盾する記述が津市史にみられ
わざわざ"チリ地震津波"という小見出しを設けて
"津市には被害はなかった"と後世に伝えているが
歴史を改竄するとはなんたる愚かなことだろう

市史がこれであるからして当然のごとく市防災危機管理室は
 津市内ではチリ津波の被害はなかった
と孫引きしたような市地域防災計画を持参して市民に答える

気象庁と同じで人の命を守る気などこれっぽっちもないくせに
看板だけは県庁を真似して"防災危機管理室"だと?
笑わせるじゃないか

実際はどうだったか調べてみると

 津市 床下浸水19 水田・畑冠水20ヘクタール 堤防決壊1カ所 *14

 藤方の相川左岸が約50メートル決壊 水田約20ヘクタールが冠水 *16
 岩田水上マーケットの15戸と寺町4戸が床下浸水

 二十四日朝決壊した津市相川堤防の復旧工事は、地元民たちの懸命な土俵づくりから始まった。しかし午後三時ごろせっかく積まれた土俵も一時間に二度も襲う異常水位のため押し流され、県は自衛隊の出動を要請、同三時半ごろ陸上自衛隊久居部隊五十人が現地に着き、ただちに地元民とともに工事にかかり、仮堤防は同日中に完成した。 *19

いつもは信憑性の低い伊勢新聞社だが
気象庁の集計と数字が一致しているので間違いないだろう

なお朝日新聞三重版は
県立図書館所蔵の原紙とマイクロフィルムとで版が違うため
マイクロフィルムには相川堤防の記事がない

図書館の所在地と他の記事の相違から推測すると
原紙は津市で配達されたもので
マイクロフィルムは伊賀で配達されたものと考えられる


*18 津市史 第5巻 1969/3 第7章災害 733頁
*19 1960/5/25朝日新聞三重版 決壊の相川堤防に自衛隊が出動


▼尾鷲を救った巡視船もがみ

チリ津波は三陸を中心に死者が多かったが
津波の高さでいえば尾鷲はそれに匹敵して高く
現に物的損害は三陸並だったにも関わらず死者は0だった

東南海・南海地震の経験がものを言ったらしく
 恐怖感から家財にわき目もくれず避難した *14
 保安庁巡視船「もがみ」が引き波に気づきサイレンで市民に警告したこともみのがすことはできない
との記述があるものの
一次資料となるような記事は当時の県版・県紙では見当たらなかった

尾鷲市史にも
 港に停泊中の巡視船「もがみ」が第一退波を察知して市民に警告 *20
と書いてあるだけで一次資料の引用はないが
尾鷲の地域紙には詳しく残っていた

(尾鷲まで行かないと読めないのは県の文化力の弱いところ
 複写版にして県立図書館で所蔵するかデジタル化を望みたい)

地震予知の研究に大金をかけるよりも
緊急地震速報などの情報伝達分野に移行しようとしている過渡期のいま
いかに早く大勢に知らせるかという点で通用する


*20 尾鷲市史 下巻 1971/5

なお下記文中で"こうずとある箇所は"もがみ"の間違いである
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

1960/5/27南海日日新聞 不意の津波になぜ死傷なかったか
 手際よかった沿岸民の避難ぶり 巡視船?もがみ?のサイレンも一役

 寝こみを襲ったチリ−津波地震だが、尾鷲では一人の死傷者も出ず無事だった。午前四時三十分ごろから五時三十分ごろにかけて最も大きな被害を受けたわけで、ほとんどがまだ就寝中だっただけにその避難ぶりは高く評価されている。"なぜ死傷者がなかったか"尾鷲の沿岸民の声をもとに探ってみた。
 第一波は午前四時二十分ごろ、この時は海岸すれすれに達する高潮で津波と気づく人は少なかった。朝早く出港する一部の漁業者は潮の流れがおかしいと思い状況を見つめていた。天満浦の上田藤三郎さん(六一)もその一人。しばらくすると極端に潮が引き出したので驚いてみんなわが家へ帰り家族を起こして近所へ注意した。藤三郎さんはすぐ近くの実兄の漁業上田楠平さん(六四)に知らせ、楠平さんが隣近所へ避難するよう大声をあげた。この時にはもう津波が来ることがわかり大騒動となった。
 一方尾鷲魚市場近くの深川タバコ店では、松本にいる親戚の人から午前四時すぎ?津波だから逃げろ?との電話連絡を受けとった。家人はすぐ裏のおばあさんに津波についての知識を得ようと聞きにいくと、おばあさんは?津波?と聞いただけで何も持たずに逃げ出した。この時分には海岸通りの人たちも目を覚まし異常な潮の変化に避難態勢をとりはじめた。北浦方面の人たちは浜近くの人たちの?津波だ?という声に起こされた。四時五十分、第二派がやってきて今度は道路上へ押し寄せ家の中へ入ってきた。低い家では床上までつかった。しかしこの時分にはほとんどの人は逃げていた。次に第三波、これはもっと大きく、最大の津波だったが一人も残っていなかった。何の予報もなかったのに手際のよい避難ぶりだった。
 ところで四時四十分ごろ、異常なサイレンで急を知らせたのは尾鷲港に停泊していた尾鷲海上保安署所属巡視船?こうず?(二七〇トン)だ。この音に尾鷲地区の山手の人たちも起き出した。高町の人の話によると、妙なサイレンが鳴り出したので火事ではないかと思った。起きてみると?津波だ?という声。あの異常なサイレンの音を聞いて不気味な感じを受けたとみんな口をそろえて語っている。最も早く全市民に急を知らせたのはこの?もがみ?だったのだ。
 この日?もがみ?には八人の乗組員が眠っていた。当直の永井錬造機関長(三一)が見張りをしていると、潮の流れがおかしいのに気づき、みんなに知らせて船を岸壁から離すとともに非常用電気サイレンを十分間鳴らしつづけた。近くの漁船に沖へ出るよう呼びかけながら……。八人の乗組員はもう夢中で時間さえわからなかったという。潮が引いてしまえば船底を海底へぶっつけるのも覚悟の上沖へ出ずに港内でサイレンを鳴らしつづけたわけだ。いまになってこのサイレンが?もがみ?だったことを知り、人々は保安庁の人たちに感謝している。中野正満署長は「ちょうど名古屋から帰ってきて当直員三人以外に五人が船内にいたので、うまく運んだ。表彰してもらうよう本部へ申請する」といっている。
 ともかく漁業者たちのカンの良さ、昭和十九年の大津波で津波についての知識をみんなが身につけていたことなどが大きな効果をあげた。以前はふとんや衣類を持ち出そうとして波にさらわれた人が多かっただけに、今度は潮が引き出すとわが身だけを守った。このため家財道具や衣類を水につけてしまったのだが、みんな?よかった、よかった?とあと片づけに余念がない
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▼ことし報道されたチリ津波

すべて三陸地方です

06/5/22岩手日報 津波に備え住民力 大船渡などで訓練
 http://www.iwate-np.co.jp/news/y2006/m05/d22/NippoNews_9.html

06/5/22東海新報 大船渡市 惨禍教訓に防災へ心新た 最多参加の6900人
 http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws1491

06/5/23三陸河北新報 津波の怖さ実感 南三陸町図書館 資料展防災紙芝居も上演
 http://www.sanriku-kahoku.com/news/2006_05/k/060523k-tunami.html

06/5/24岩手放送 チリ地震津波教訓に高浜小で訓練
 http://www.ibc.co.jp/ibcnews/today/NS003200605241930094.html

06/5/25河北新報 「あの日」忘れずに訓練 南三陸チリ地震津波から46年
 http://www.kahoku.co.jp/news/2006/05/20060525t13018.htm

06/5/25三陸河北新報 チリ津波を忘れない 南三陸町 5500人が防災訓練
 http://www.sanriku-kahoku.com/news/2006_05/k/060525k-tiri.html

ほかにチリ津波を継承する優れたHPとして
 八戸市史 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/shiryo/shishi/17_chiri_tsunami.html

mieken1876418 at 05:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 自然災害 | tsu.z

2006年05月21日

三重県内のフェロシルトの回収状況

社長が未だに居座っているのは
あれだ
株価下がれって事だろ?
仕手筋はレッツゴー!


▼フェロシルトの回収状況 H18年4月15日現在

と題したPDFファイルが4月25日に掲載されていた
 http://www.eco.pref.mie.jp/jyourei/jyourei-yoko/jyorei/j20/feroshiruto/paper/kaishu_060415.pdf

廃棄物対策室の副室長と電話で話したのが4月21日頃なので
 http://blog.livedoor.jp/mieken1876418/archives/50558302.html

『三重県よろずや』の愛読者が環境森林部内にいて
 ヤバイぞ、「弱腰」とか書かれてる
あわてて掲載したのか?
電話での指摘を素直に受け入れたのか
前から準備していていたのか

岐阜県は3月15日から毎週公表しているそうなので
 http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/060315_5.htm

3月に
 三重県も真似しないのか
と、ごみゼロ推進室に指摘したが拒否していたので
それに比べると廃棄物対策室は
弱腰ながら少し前向きかもしれない

が最新の回収状況を尋ねると
 把握していません

まだまだですな


▼津市榊原で説明会 5月15日

三重県庁のお膝元である津市
とはいっても昨年までは久居市榊原町と呼ばれ
1月1日の合併で新・津市になったのだが
榊原地区にもフェロシルトが1万トンほど埋められている

5月15日に榊原で今年2回目の住民説明会が開かれたが
記者クラブは事前に知っていながら報道しなかった
というか誰一人取材にすら行かなかったらしい

市議会での質疑
 http://chubu.yomiuri.co.jp/news_kan/kan060315_1.htm
 ttp://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000000603150003(期限切れ)
市長の視察
 フェロシルト撤去現場を市長が視察 2006/03/25 16:28
 ttp://www.mietv.com/news/prefnews.html(日々上書き更新)
前回の説明会は各社報道していたのに
今回は揃って見送りである

報ずる価値がないと判断した記者もいるようだが
それは読者と視聴者への背信行為に等しいと気付くべきだ

また市政記者クラブに取材を依頼しなかった津市環境部も
記者の効果的な操作方法を覚えるべきだ

さて本題の説明会だが
回収必要量が11362トン → 42000トン に増えた(前述PDFファイル参照)
前回説明した6月末までに終えるため平日だけでなく日曜も搬出し始めた
平日400〜500トン + 日曜800トン ≒ 週最大3800トン

これまでに15000トンを四日市三田と神戸へ搬出したので残りは27000トン
逆算すると 27000/3800 = 7週 + 約1日
6月末は現実的な数字に見えるが

ただし雨が降れば流出しかねないので搬出中止
よって期限を守れるかどうかは天候次第


▼藤原と亀山は今も未着手

藤原と亀山は4月15日現在でも未着手だが
5月19日現在も未着手で
他県の例にもれず地権者と石原産業との協議が進まないそうだ

両者が現状のままで良いと同意したら県は口出しできるのか
とふっかけてみたら

 産業廃棄物なのでそのままはない

と廃棄物対策室の副室長が珍しく即答したけれど
結果で示さねば弱腰のレッテルは剥がしてあげません

石原はこの期に及んでも顔色を伺いながら
やる、やらないを決めてて
社長が居座っているのはその典型的な例

mieken1876418 at 06:33|PermalinkComments(1)TrackBack(1)このエントリーをはてなブックマークに追加 石原産業フェロシルト事件 | 津市よろずや

2006年05月17日

騙された?名物部長

▼ちょこっと日記

HP『三重の環境』の開設当初は毎日更新と言うものの
カタブツの音頭取りで作っただけあってネタの面白みに欠け
職員の雑感を綴る『ちょこっと日記』ぐらいしか売りがなかった

今でも稀に
立場を離れて率直な私見を述べる人がいたりして

 2006年01月04日 継続は力なり(廃棄物対策室長)
 昨年も、いろんなことがありました。
 良いことも悪いことも・・・

 2006年02月22日 行政の悪いところ(廃棄物監視・指導室主幹)
 責任の擦り付け合いをしている場合じゃないと思います。

色んな意味で味のあるコーナーだったが
3月に入って急に更新頻度が落ちた

いやその更新頻度が落ちたなんて
よろずやも人のこと言えませんが
なんせあっちは本庁だけで170人前後いますからねえ・・


▼わたしの思い 環境森林部長 油家正

最近ちょこっと日記の更新をサボってるけど
まずは部長がピシッと手本を見せたらどないや?
とメールしたら

こうなりました↓ 全文引用(転載につき事後承諾求む)
 http://www.eco.pref.mie.jp/nikki/200605021703380100/index.htm
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2006年05月01日
わたしの思い
 昨年4月に環境森林部長に着任してから、1年が過ぎました。
 光陰矢のごとし、あっという間に1年が過ぎた感じです。
 環境保全事業団の経営健全化問題に始まり、四日市市大矢知の産業廃棄物の問題、アスベスト問題、そして石原産業のフェロシルト問題、荒廃する森林を再生させるための対策と次から次へとその取組に追われました。
 今もまだひきつづき追われつつも、時には先んじて進めていくぐらいの気持ちで、頑張って課題の解決に全力投球していこうと思っています。
 いずれの問題も解決に向けて職員一丸となって努力をしているところですが、ややもすると県民の目線と違ったところで物事を考えてしまうことがあるのではないかと思い、気をつけておりますが、時には厳しいご意見をいただくことがあります。
 大きな問題に直面したとき、私は、地元住民の方や関係する県民の皆さんが、どのような気持ちでおられるのか、また、何を望んでおられるのか、ということを県民の方の目線で考えることが大切であると思っておりますので、職員ともそういった議論をしながら物事をすすめております。
 このように書くと県民の方から本当にそうなっているのか、というご批判を頂戴するかもしれませんし、県民の代表である県議会議員の方からも多くのご意見、叱咤激励、ご批判をいただいていますが、気持ちはいつもそういうつもりで望んでいます。
 いつも迅速かつ的確な対応に努めようと頑張っているつもりですが、時には、当面の対応ばかりでなく、将来のことも考えて判断しなければならないときや、全体最適や部分最適、県民の方の気持ちと制度の狭間など、難しい問題の判断をしなければならないときもあって、そのようなときは、本当に悩みます。
 でも、頑張らなくっちゃと思っていますのでよろしくお願いします。
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色んな意味でオモロイ部長なのは議会答弁を聞けばわかりますが
 ポイントを絞り込まない
 簡潔にまとめない
 しかし思いがたくさん溢れている
という性格そのままの文章です


▼虚偽の議会答弁?

昨日のRDFに関する議会答弁でも
アクの強さと押しの弱さが存分に発揮され
報告で済むはずの問題が仕切り直しになりかねない

そうそう
森本議員がこれまでの交渉経過を質問してましたが
部長さん嘘の答弁しちゃいけませんよ

 3年前の事故直後から企業庁4階に『第二法務室』を設けて交渉にあたらせたが
 いたずらに時間だけを引き延す結果となってしまいました

とは
さすがに言えない罠

それとも部長も騙されたクチか
法務の松本サンは人騙すの得意だからねえ

mieken1876418 at 06:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 石原産業フェロシルト事件 | RDF爆発死傷事故

2006年05月11日

すいません手抜きです

遅ればせながら三重版の情報共有ということで

▼リサイクル認定制度改正の評判

チラホラとリサイクル認定を取り下げる業者があったのは
石原産業を真似して悪事を働いているのかと勘繰ってましたが
そうではなくて

 バカらしい、三重県には付き合ってられん

という業者のホンネを取材した記事がありましたので
ちと古いですがchunichi.co.jpは未掲載でしたから
リードの要約と本文の要旨
それに業者側のカギカッコ「」発言を全部引用します

 06/4/15中日新聞三重版 リサイクル条例改正 県説明会
  フェロシルト問題をめぐり(三重)県リサイクル製品利用推進条例が改正
 されたことを受け、業者に対する説明会が(4月)14日あった。審査が厳し
 くなってコストや手間がかかるため、業者からはため息も。そんな中、最
 近は「費用対効果がない」とリサイクル製品認定を取り下げる業者も相次
 いでいる。(三重総局・沢田敦)

 年1回だった検査は3ヵ月ごとが原則になり、埋め戻し材などは毎月
 検査の相場は1回につき5-10万円。それが年4回、多いと年12回
 県が立ち入り検査を必要と判断した際も、業者が費用を負担
 問題が表面化して以降、認定取り下げは5製品
 誰のために県独自の制度を維持する必要があるのか、疑問は残る

 業者側
 「かなり費用が発生する。厳しい」
 「まじめにやってきた者がばかを見る」
 「コストがかかる」
 「手間がかかって面倒」
 「コストも時間もかかる割に、メリットが少ない」
 「認定があるからと言って売れたことはない」
 「(日本環境協会の)エコマーク認定の方が信用力がある」

いやそれにしても中日が独自ネタとは珍しい


▼4月以後の記事一覧

googleでニュース検索をしても以外と漏れるので
これも情報共有ということで

06/4/1中日社会 埋設量3万8000トンに 長久手のフェロシルト 推定の3倍
06/4/5朝日三重 フェロシルト・産廃 また記載なし 四日市「市政白書05」
/6 18:54 CBCテレビ フェロシルトで勧告
/6 20:32 中京テレビ 愛知県知事 フェロシルト撤去を勧告
06/4/7中日三重 県、危機管理体制を強化 想定被害の大きさ3段階に分け対応
06/4/7毎日三重 フェロシルト問題受け、危機管理システム見直し リスク把握強化
06/4/8中日愛知 名古屋東郊3カ所で先行き見えず フェロシルト撤去問題
06/4/8毎日京都 加茂町の問題解決求め、弁護士らが府と企業に意見書
/11 19:17 東海テレビ フェロシルト現場に、神田知事初視察
/11 19:54 中京テレビ 神田知事、フェロシルト現場を視察
06/4/12中日愛知 長久手と瀬戸のフェロシルト造成地 知事が初視察
06/4/12読売 撤去計画きょうにも再提出 長久手のフェロシルトで石原産業
06/4/15毎日社会 三重県 産廃税徴収へ
06/4/15中日三重 リサイクル条例改正 県説明会
06/4/16中日社会 封じ込め案浮上。全量撤去を困難視
06/4/16毎日社会 非公開、市民側反発
06/4/16読売三重 県内で処分のフェロシルト 県が産廃税徴収へ
06/4/19毎日岐阜 恵那で撤去作業が完了 県と住民ら、確認とサンプル採取
06/4/29毎日愛知 六価クロムなど環境基準下回る 瀬戸の有害物質撤去で県
06/5/1中日社会 瀬戸の"悲願"宙浮く フェロシルト最大の埋設地 「IT誘致」掘り起こせない
06/5/2毎日愛知 土壌からの撤去が終了−−長久手町
06/5/10朝日三重 石原産業 福岡の処分場と契約

上記には一部HP未掲載もあります

つかマスコミさん

フェロシルト特設コーナーを作ればアクセス増えるし
住民からの評価も高まりますよ

ビジネスが下手ですね

mieken1876418 at 22:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 石原産業フェロシルト事件 | メディア

2006年05月04日

鶴の一声 図書館予算復活

mitani様(らしき人)から文化力のコメントを頂戴してしまったようです

▼1期4年で実績はこれだけかも

ナンチャッテ知事をボロっカスに書き連ねてますが
だってせっかく功績を探そうとしても君ら妨害するしねえ
教育委員会とかも昨夏に取材拒否しやがったし

でもたった一つだけ
ナンチャッテ知事にも文化面で功績があるのだが
なぜか全国紙の記者も取材して知ってるはずだが
記事にはなっていない

それは三重県立図書館が
新聞10紙と雑誌152誌をいきなり購読中止した際に
鶴の一声で復活させたことだ

昨春、三重県立図書館の図書購入予算が一気に3割削減され
 15年度 4000万円
 16年度 3800万円
 17年度 2605万円
書籍をこれ以上削れないと考えた図書館側は
雑誌と新聞をバッサリ切り捨てて
利用者から大顰蹙を買っていた

それを朝日新聞が05/4/28三重版で割と大きく扱った
がこの記者は県民よりも県庁に軸足を置いて ← 広報戦略の恐るべき成果
 財政削減に県民の皆様ご理解を
的な肯定調で書いてしまった

しかしこれが知事の目に止まって
トップダウンで担当室に指示が出され
予算を組み替えて購読を一部再開した


▼新潟県議会と三重県議会の文化力の違い

ちなみに日本図書館協会の統計で三重県立図書館の資料費を調べると
 元年度   2050万円
 4年度 2億7676万円
 6年度 1億9155万円 この年、新館建設
 13年度 1億0433万円
 14年度  7869万円
ドン底から這い上がってハコモノ作って息絶えたのがよくわかる

また14年度決算と16年度予算の削減比 -53.64%は
全国の都道府県立では新潟県の -55.44% に次ぐ急激な削減率である

このため新潟県議会では削減問題が議論されていましたが
三重県議会では誰も表立って発言しませんでした

あの知事の文化力にして
この議会の文化力
と言えば言い過ぎか


▼県民の声

【お願い】6階企画の勉強会及び関係者並びに議会筋どのへ

県庁で購入している雑誌や新聞の中には
専門的であったり高価であったりするものもありますが
 例 日本農業新聞、ニッキン など
これらは県民や議員が読んでも役に立ちますし
業界での影響力も相当あります

しかし県庁は短期間のうちに廃棄してしまい
県民の財産として考えれば誠にもったいない話です

県立図書館でも一部専門紙誌を購入していますが
県庁で廃棄せずに図書館へ移管すれば予算が浮きます

当方は専門外の情報なら多少タイムラグがあってもいいと考えています
(業界関係者は会社が経費で購入して読んでいる)
1ヵ月毎に移管して図書館を書庫替わりにしてはどうですか?

ついでに議会図書室宛に
るるぶやマップルなどの旅行ガイドブックばかり充実させるのはいかがか
と送ったが議員らの議論を経ずに官僚が勝手に返答してきた

 ttp://www.pref.mie.jp/KOHO/voice/View.asp?NO=200500115
  ↓
 http://www.pref.mie.lg.jp/KOHO/voice/list.asp?CTR=SEC&YY=2005&AREA=0&SECTION=10

てか県民を切る前に
金がないなら知恵を出せ官僚どもめ
どいつもこいつもプンプン!


▼副知事の諸経費は聖域 前知事の功績か?

県民の大事な大事な図書購入予算を削減するぐらいだから
県の予算は相当キビシイのだろうな
公共事業も一気に3割削減されるかな
あっちは必死で献金してるから大丈夫か

そうだ
県庁全体でどのくらい新聞・雑誌を購読してるの
と昨春調査してみたら

出るわ出るわ
不思議なモノが出る
さすが情報公開先進県

【お断り】
 以下の情報は昨春時点での文書を元にしていますので
 ご利用の際は計画的に

まず副議長のマブダチ、副知事

中日新聞を『公費で』購読させて副知事公舎に配達させているけど
出勤前から県政に目を通す心がけはリッパですね
でもなぜか『知事は自費』だそうですよ

次にわが天敵
もとい大好きな県政記者クラブ室

おいおい11紙で年間48万2040円も公費で購入って
お前らは支局から最低一部ずつ持参して来いよコラッ

さて最後は
実に言いにくいのだが
お許し下さい

副知事と記者クラブを斬ってしまったゆえ
見逃すわけにはいきませぬ

議員会派控室の新聞も公費ですよ〜!

 資料調査費を支給するようになったから厳密には違法だよね

と関係職員も衝撃発言 ← 憶えてないだろうな

電気水道通信費と同じように
会派の運営費で新聞を購入するのが筋ってもんでしょう


▼最大の功績は飼い殺し

話は飛びますが

現状維持派もしくは復古派と目される勢力から見れば
現知事の最大の功績は
改革を支持してきたブレーンたちを
わけのわからぬゴーストライターとして4年間飼い殺したことだろう

飼い主は知事よりもエライ人たちだが正体は誰も知らない
記者クラブもよろずやも知らない

mieken1876418 at 06:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 殿様=野呂昭彦・前知事 | 教育委員会

2006年05月01日

環境先進県から環境破壊県へ

jp
















写真=2003年8月19日14時18分 三重県撮影

中日新聞がRDFを報道し始めたので
 http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20060429/mng_____sya_____005.shtml
当ブログも新カテゴリを追加します

まずは前菜をお召し上がり下さい

▼環境先進県の作り方

自治省からやって来たダイゾー*(1)
ホームページ「三重の環境*(2)」を売り出したのは00年

情報教育の格好の材料として教育現場で人気を博し
北川正恭に気に入られ
せっせと原稿作りにも励んだ

それを北川が
あっちで環境こっちで環境
フェロシルトのごとく広範囲に撒き散らした*(3)

すると
あっという間に環境先進県のできあがり!
だが当然中身はない

 *(1)1971年生まれ 2004年総務省へ戻る
  自己紹介:ttp://www.eco.pref.mie.jp/nikki/200106281944300100/index.htm
   なぜか工事中↑
  ググればブログも見つかる。随所に顔写真があるけど○○党狙い?
 *(2)http://www.eco.pref.mie.jp
 *(3)知事が語る環境:ttp://www.eco.pref.mie.jp/gyousei/chiji/index.htm
   ただし北川時代は全部削除済で、野呂が語る環境のみ↑


▼環境破壊県の作り方

99年に環境部長となったハマちゃん*(4)
典型的なワンマンで翌年さっそく次長課長を総入れ替え

02年に企業庁長へ昇格し
RDF発電所を所管したのが運の尽き
そこでも恐怖政治を敷いちゃったから悪い情報が上がらない

稼働直後から続くトラブルを何度も隠蔽し
野呂知事の視察も軽くあしらい
小爆発さえ「爆風」と言い替えさせ
続いて訪れた議員団の至近距離で
ちゅどーん

その後も責任の擦り合いで物議を醸し
当然クビかと思いきや
辞表を出して勝手に辞めた*(5)

 *(4)1944年生まれ 2003年一身上の都合により退職
  念のためググるがブログ等無しw
 *(5)http://72.14.203.104/search?q=cache:8Nh2yggGSq0J:www.mietv.com/ndata/01_nd20031114.html+%E6%BF%B1%E7%94%B0%E6%99%BA%E7%94%9F&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=10&ie=UTF-8&inlang=ja

mieken1876418 at 07:42|PermalinkComments(3)TrackBack(1)このエントリーをはてなブックマークに追加 RDF爆発死傷事故