[旧]島根三枝子Blog

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ブログ引越しのお知らせ


ご観覧ありがとうございます。この度ブログの引越しをさせていただくことになりました。今後は新しいブログで更新を行っていきますので宜しくお願いしたします。なお、このページにつきましては過去文章として残しておく次第です。今後の島根三枝子の活動を重ねて宜しくお願いします。

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2月のメッセージ

赤ちゃんを抱っこするって
     気持ちいいですよね
でも 赤ちゃんはいきなり抱っこされると
             びっくりします

     『さあ  いらっしゃい』って声をかけましょう

抱っこするとき
   お母さんの心は穏やかですか
   お母さんの気持ちはちゃんと
         赤ちゃんの方に向いていますか
   お父さんとお母さんの心はつながっていますか
   心地よい おうちですか

何も分からない赤ちゃんは
    すべてを身体で感じ取ります
 それは赤ちゃんの これから
    性格・素質・気性などにつながっています

三つ子の魂百まで  雀百まで踊り忘れず

さあ
  お母さん 気持ちをきりかえて
    優しく話しかけながら 抱っこしましょう

学校の限界

教育基本法が無理やり改正されたり
ゆとり教育を考え直すと言う

きっと不登校やイジメの問題がきっかけなのでしょう

勉強嫌いになってしまった
嫌いになったのではなくさせられた
勉強のやり方が合わい
そういう子どもは少なくないでしょう


教育を子どもの視点で考えたり
どんな子どもになって欲しいとの願いが大切です

なんだか根本が見えにくい
小手先
目先の変化
おとなの都合

どうしてもおとなの利権が見え隠れしている感じがする

私は学校が子どもの教育をすること
教師が勉強を教えることの限界だけでなく
学校そのものの限界を感じます

子どもには本物にたくさん触れさせてあげたい

少なくとも美術館・映画・演劇はある程度自由に干渉できるようにし
町のプロが技を教えたり見せたりする
企業の協力もあっていいのではないか
本物にふれる機会を多くつくる

子どもを本気で育てるのに
もはや学校だけではむずかしい
おとなの、市民の協力があってもいいような気がします

おとなが本気になることです

現実は高校生の中には
計算ができない
ローマ字が書けない
 
教育を受ける権利はどうなっているのでしょう

美しい日本は美しい心からです

真剣に子どもの教育を考えたいと思うのですが

無力な私が情けなくなる

ひとりでもいい
本気でちゃんと向き合って話す
いま私ができるのはそんなことです




2007年1月 メッセージ

いつもなら許せるのに 今日はなぜか腹が立つ

そんなときは我が子に
  とっても冷たくなります
  嫌なお母さんになっています
  

ちょっと子どもの顔をのぞいてみましょう
  笑顔がありますか
  不安そうな顔をしていませんか

 さあ お母さん
気持ちを切り替えて

我が子に微笑みかけてみましょう

きっと
 笑顔が返ってきます

そこには天使がいるからです

私たちは常に人を気にしながら生きています
そして
いつも愛されたいと思っています
愛を欲しがっています

私たちがこの世に生まれること
それは愛です
生まれることそのことが愛です
だから私は
私たちは愛なのです

それなのに人に愛を求めるのはおかしい

自分が愛なのだから
人に愛を注ぎませんか

愛は欲しがるものでなく
愛は求めるものでなく
愛はみんなが持っているものです

だから愛は与えましょう

きっとそのとき
自分が愛に満ちていること知るでしょう

感謝して
愛をいっぱい人に注ぎましょう

子どもの醜い犯行

昔から父親は頑固で
      物分りが悪くて
      横暴で
  などといわれてきた

今でもあまり変わっていない
ただこの頃は優しすぎたり
      頼りなかったりもするようです

思春期を迎えた子どもたちは
そんな父親に反発をする

非行 家庭内暴力など親を困らせる

この頃の反抗のターゲットは分かりにくい
行動が陰湿になったからか
行動が個人プレーだからか

ゲームやインターネットという社会的影響も大きい

でも
根本的には子が親に
       学校に
       社会に
反発していることには変わらない

ただとても分かり難い
だからおとなは頭を抱える

  どうして人を傷つけるの
  どうして動物をいたぶるの
  どうして親に毒を盛るの
  どうして子どもが子どもを殺すの
  どうして自ら死んでしまうの

私はどんな子どもでも
したくてしているとは思えない

そうしなければいられなかったのではないだろうか

『罪を憎んで 人を憎まず』だ

どんなことがあっても私はそう思っていたい
子どものすることがどんなに醜いことでも・・・・

おとなの世界より分かりやすいはず
子どもはストレートだから・・・・


分かり合えない

親が悪いわけではない
子どもが悪いわけではない
どうしても分かり合えない親子がある

お互いに愛しているのにかみ合わない

母親は子が可愛いから
あれも これもしてあげたいと思う

子は母親が大好きだから
母親の望みに答えようと思う

母親は良かれと思って先走る
子どもは余計なお世話と心の中で言う

母親は心配で心配で口を出す
子どもはその心配をウザイと思う

子どもは母親の言うことが重いと感じたとき
母親の抑圧を感じ
母親に嫌われていると感じる

そして
いつしか憎しみを抱く

だから
分かり合おうとがんばるより

親は子どもに嫌われないように
      憎しみを抱かれないように
何も言わず
ただ『好きだよ』だけ伝えればいい

教科書

ある青年から『死にたい』と電話が入った

私の感性が鋭くなる
この人は何を言いたいのか
この人は本当はどうしたいのか

母親は分かってくれないと言う
そろそろ甘える年齢ではない

誰に何を分かって欲しいのか
何を迷っているのか

私は話しながら探る
時には刺激をして怒らせたり
ちょっと的外れなことをわざと言ったりしながら
心を探る
『死にたいほど困っていること』
それは何なのか

私はその青年の母親を知っている
どうして と思う

いま 取り返しの付かない犯罪を犯してしまった子どもの
親が書いた本を読んでいる

親と子の関係を知るために

ごく普通にある親子関係なのになぜ
むしろ大切に関わってきたのになぜ

そこを知りたくて読んでいる

私にはどうしても教育による弊害が見えてしまう
『正しい子どもの育て方』
『正しい親のあり方』

親子を見る限り何の問題はない

でも子どもは死にたいと思い
      犯罪を犯してしまう

あえて言うならば親の正しいあり方が
子どもを苦しめてしまった

正しい親
そこには子どもの気持ちがない

子どもは親が思うより以上に
親が好きだ

だから

心で嫌だと叫んでも
口では『いいよ』という
心は決して許さない

だから だから

もうひとり違う自分をもってしまう

違う自分が『死にたい』といい
     犯罪を犯す

ほんとに子どもの気持ちを読むのはむずかしい

もしかしてもうひとりの自分がいることに
自分も気ずくいてないのかもしれない

親も 子も 人は誰でも
自分に向き合い
自分を見つめ
自分を知り
自分を大切にすりこと

それができていれば・・・・








12月メッセージ

お母さんにとって隣の赤ちゃんが気になります

あの子は歩くのに
あの子は話すようになったのに
あの子はあんなこと こんなことできるのに
  なのに なのにうちの子は・・・・

私たちは小さいときから人と比べられてきました
それが嫌だったはずなのに
いつの間にか比べています

赤ちゃんを宿したときから
産院では標準と比べるので無理ないことです

でも
どんなに人と違っていても
『やっぱり我が子のにこにこ笑顔が一番』って
いつも思っていたいですね

心の傷

最近イジメの問題が自殺と言う最悪の結末になり
大きくクローズアップされている

ある子どもは
『本当に死ぬつもりだったんじゃあないと思う』
『きっと寸前で誰かが止めてくれると思ったんだよ』
『でも誰も止めてくれなかったから死んじゃったんだ』
『だって私も遺書 書いたことあるもん』
そんな話しをしてくれた

きっと彼女は心に
傷を負ったのでしょう

また ちがう少女たちとイジメの話しをした
ひとりが『わたしいじめてるよね』
『からかってるだけだよ
  だって愛があるもの』

私は感心して聞いていた

どちらにしても
心の傷をどう感じどう捉えるか
その判断がその人の
考え方
生き方と言える

それで強くなるか
そこから何を学ぶか
そこからどう逃げるか

心の傷は受けるのが恐いから
人を傷つけないようにすると良く聞きます

意識しなくても人を傷つけることはあるし
相手がそんなつもりでなくても傷つくこともある

私は傷つけた人を恨むのではなく
なぜ私はそんなことで傷ついてしまったのか
自分に向けてみることも大切だと思う

決してしてはいけないのは相手を壊すこと

それにしても教育委員会が
今 イジメ問題で考えている対策って
ちょっと違うかなと思うのは
私だけでしょうか


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