J−REIT&配当銘柄&株式投資日記

REITの話題や配当銘柄、配当性向などの動向、株式市場を舞台にした事件へのコメントを綴ります。

2007年05月

かく(漢字がタイトル部のみ対応できません。本文を読んでください。)

中国の戦国時代はあまりに古いのでその前に三国時代の天才、賈詡について書こうと思います。

日本の戦国時代は江戸時代の前なのでせいぜい500年くらい前ですが中国の戦国時代はキリストの生まれる遥か昔の話です。

フランスのナポレオンや日本の武田信玄が研究した孫子は紀元前5世紀です。2000年以上前の理論が通用したことも驚きですがやはり文書の重要性を認識すべきですね。

日本は2600年間の天皇の歴史がありますが文章がない時代が長すぎて検証は不可能です。例えば私の5代前のおじいさんが何をやってきたか口伝で知っている人はいないでしょう。文章で残すから昔のことが正確にわかるのです。

日本書紀や古事記が書かれたのが8世紀ですから信頼できる日本の記録はその3代前程度でつまり7世紀までが日本の記録による限界です。そうでないと言う方は徳川の埋蔵金を探し当ててみてください。ちょっと前の時代の埋蔵金であっても誰に聞いてもわからない筈です。それどころか日記を書かなければ昨年のある日の自分の行動もわからないと思います。

さて中国の歴史を見ると日本の5王が記載されており仁徳天皇等が中国の歴史書で確認できる日本最古の天皇。

卑弥呼に関しては魏志倭人伝に記載されていますがこの魏は三国志の魏、呉、蜀の一国魏のことで賈詡(かく)は魏の天才的な参謀です。

三国志演義は劉備が前王朝漢の劉氏と同姓である為、劉備を主人公にしていますが実際に人民の側から見れば統治能力に問題がありもっとも優れた指導者は曹操でした。

同じように三国志演義を通して最大の軍師は孔明として描かれていますが賈詡と比べると大きく見劣りがします。

賈詡についてはその知略があまりに知られており全てを書くことが出来ない。もし書物で全てを読む機会があったら孔明との差を認識できると思う。

横山光輝の三国志を読むと孔明の策略はほとんど伏兵、つまり兵を隠しておいて敵をそこに誘導して勝ちを収めるものばかりであることに気付くでしょう。更に、実際の孔明は軍事の才より、治世の才が優れていた人物で伏兵策自体も三国志演義で作られたものでしょう。

さて長くは書けないので張繍陣営に招かれた時から書きます。張繍は賈詡の盟友、張済の甥です。

軍略の才があり、曹操を撃破している。

その際のエピソードですが向かい合っていた曹操が突如撤退を開始した。

撤退する兵は弱いので張繍は追撃しようとしたが賈詡は追撃すれば負けると主張。これを無視した張繍は追撃し敗北する。しかし、負けて帰った張繍に賈詡は今もう一度追撃すれば必ず勝てると言う。俄かには信じられないが今度は従うと容易く勝利を得ることが出来た。

張繍は賈詡に説明を求めた。

張繍は軍事の天才だが曹操は大天才である。従って、戦えば曹操が勝つ。勝てる戦いで撤退するのは国許で政変が起こったからであり、撤退すれば張繍が追撃するのはわかりきっており、これを一撃しないと撤退できないことは曹操は知っている。

従って、撤退をしながらしんがりは曹操自身が指揮を取り万全の体制で待ち受ける。つまり事実上、撤退兵を追撃するのでなく待ち受ける兵に突進するに等しい。両陣営の兵はどちらも精兵であり戦い前で疲れていない。撤退兵と認識しているようでは曹操に勝てないのである。

一方、国許で変があるので一撃した後は急がねばならず曹操自信が先頭を走って帰国する。曹操は張繍が敗戦の後、再度追撃できないと読みきっている。

その更に上を行ったのは賈詡である。

先ほどは追撃の驕りで負けたが今度は勝利した敵方が驕っている。曹操は国許に急いでしまい残っている将では軍事の天才張繍に敵せない。

後に曹操陣営に入る際にこの勝利で張繍は優遇される。

曹操にとっての関が原、官渡の戦いで膠着状態で財力で勝る袁紹に徐々に食糧難に追い詰められた時、打開策を賈詡に諮問した。

聡明さ、勇敢さ、人の使い方の全てで袁紹に勝り、決断力では更に勝る殿です。

袁紹の勝る点は家柄と財力のみです。

殿が戦線を持久戦としたのは万全を期したからです。これが袁紹を有利にしているのです。巨万の富を持つ相手に何故持久戦で対抗できるのでしょうか?

殿が勝つには聡明さ、勇敢さ、人の使い方の全てで袁紹に勝り、決断力では更に勝る点を生かすだけで十分です。

曹操の決断力で袁紹を破るきっかけはこの分析によります。

その才は荀をすら凌ぐ。

1998年9月に李學仁が肝臓癌のため死去したことが蒼天航路がつまらなくなった原因でしょうか?この点は未検証です。

花の慶次 前田慶次利貞!

少年ジャンプに花の慶次が連載されてから久しい。

彼のイメージは白洲次郎と重なる。

何が重なるかというとその行動の大胆さと私欲の薄さである。その行動の大胆さゆえ実在したのか作り話なのかを判断するのが難しい。

戦争に負け占領下のマッカーサー元帥を怒鳴りつけ動揺させサンフランシスコ講和条約の受託演説を英語で作成した官僚を叱り飛ばし日本語に変えさせた白洲。現在の官僚が自分の権益拡大を仕事と勘違いしているのと大違いだ。

さて慶次の幸運も不幸も隆慶一郎の「一夢庵風流記」の雑誌連載に始まる。

幸運と言うのは慶次自体の資料の少なさから知名度の無かった前田慶次が広まった事である。

更に少年ジャンプの連載で時代小説を読まない子供まで魅了した。原哲夫の絵も素晴らしかった。

しかし、不幸は隆慶一郎が史実よりもエンターテイメント性を重んじる作風であったこととそれを原哲夫が「北斗の拳」の様にダイナミックに描いた事である。これが面白くないわけが無くそれ故にこんな人が実在したのか?で多くの人が終わってしまったことである。

ということで実際にはどんな人だったのか?

織田信長の知将滝川一益の甥、滝川義太夫益氏の子で前田利家の兄利久の養子となる。

花の慶次では前田利家は利久の家督を横領した卑屈な人物に描かれているが実際は本能寺の変の後に秀吉と利家が和すると利家は利久と慶次を呼び寄せそれぞれ2000石と5000石を与えている。5000石と言えば大身であるから利家は慶次を可愛がっていたのであろう。

では良家の御曹司でいたのかというとその5000石を捨てて浪人している。後に直江兼次に惚れ込み上杉景勝に1000石で仕えるが関が原後の上杉の減封で慶次も300石になっている。

和漢の書に通じ「源氏物語」「伊勢物語」を好み連歌は里村紹巴に学び、茶は古田織部に学び謡曲、仕舞にも通じ武芸十八般の達人である。

つまり、花の慶次での我流が偶然作法にかなっているというのは真実ではなくちゃんと本格的に今で言う人間国宝級の人に教わっているのである。

花の慶次では敵陣に常に一人で飛び込み数十人を叩き切るがそんなことをして寿命をまっとうできるわけが無い。では無かったかというと何度かは鬼人の働きをしている。

関が原の時の最上の役での撤退戦で「しんがりはお任せあって早々に立ち退かれよ!」と直江兼次に言い渡すや最上義光の本陣に赤柄の長槍をふるって阿修羅の如く暴れ回り瞬時に数十人を薙ぎ倒し本陣は四散し義光は命からがら逃げ去ったという。

つまり劇画ほどは派手ではないが実際に存在した人物と思える範囲を超えた人なのである。

もし興味がある方は「花の慶次」や「一夢庵風流記」を読んで見てください。

なんでこんなことを書いたかというと今後戦国春秋について書きたいと思うからです。

中国の戦国春秋時代はキリストが生まれるよりもっと昔、人々が自分の実力で出世した時代でした。出てくる人がみんな前田慶次のような人でありしかも実在の人物である。なんでこんな昔の話が真実とわかるかというと中国にはそのころから文書が存在したからである。例えばその時代から遥か後の三国志の時代の勝者魏国が日本の邪馬台国の訪朝を記録してくれたから邪馬台国が日本にあったことが判るのであって中国はそれほど先進国だったのです。世界の三大発明は西洋人が発明したことになっているがその全てを中国人がそれ以前に発明していたことは今日では良く知られています。

ペーパー(紙)の語源はエジプトのパピルスですが実際に西洋人が使ったのは蔡倫の発明した紙でありパピルスより遥かに使いやすいから普及したのです。紙の普及前も甲骨文字、竹簡、絹などを駆使した中国の歴史は非常によく記録されています。

これらのイントロデュースとして前田慶次を選んでみたのです。

ところで最近ブログの更新が少ないのは以下のブログを立ち上げていたからです。内容は高利回りで人気のニュージーランドドルの2倍以上の高金利通貨トルコリラの運用です。ちなみに利回りは17.5%です。為替リスクと利回りは分離して考えなければなりませんが日本の金利は多分17.5%を越えないでしょうから金利分は必ず受け取り側になるはずです。為替はリスクがありますが。

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