平井美帆 MIHO HIRAI BLOG

思ったこと、感じたこと、ぼやいてます。

写真=高部心成
『故郷松花江 黒龍江省 哈爾浜』
(2003年刊)より















権力は腐敗する

約1年前、黒川開拓団(岐阜)の取材の成果をまとめ、
『女性自身』(光文社、2016年10月4日号)にルポを寄稿した。

忘れたい あの凌辱の日々 
 忘れさせない乙女たちの哀咽


女性自身おばあさんの記事


「こんなことがあったとは知らなかった」
と岐阜在住の教師の方からメールが来るなど、それなりに反響はあった。


このスクープのあと、


本記事に登場した人達に対して、テレビ局から取材依頼があったそうだ。

私がいきついた取材対象者から直接、

「平井さんの記事を読んで取材したいと、山口放送の○○さんから連絡があった」「NHK岐阜の××さんから連絡があって、いついつ会う」

などと連絡が来るようになった。
おばあさんは前々から私と会っていたので、律儀に知らせようと思ってくれたらしい(*ほかにも、記事の掲載後、次から次へと記者から連絡が来るようになったという)。*そのうちのひとつが、東京新聞で7月2日に掲載済み。

直接に彼女自身の承諾もいっさい得ず、彼女の個人情報(私の取材ルート)がどこから流れ続けたのかは知っている。…せめて、取材相手の承諾を先に得なければならないと伝えたけど、がんがん先に、私が調査するなかで見つけた取材先まで、他のメディアに流している。このあたりは立場の違いだろうけど、私に一言もいわないのはどうなのだろう。

それはさておき、テレビ局の側。

私自身にはまったく連絡はない。

きっかけはもちろん、言わない。

ひとりのフリーランスの記事からテレビ企画のネタをひろって制作して、あたかも独自取材であるかのように報じる。テレビのネタ探しでは珍しくない方法なのかもしれない。組織に属する会社員からしたら、なぜこちらがこのように感じるかすら、理解しがたいかもしれない。

でも、最初の企画とルート開発、取材対象者に行き着くまでの苦労(関係者もあきらめていて、協力のない部分もあった)、オープンにするまでの説得など、重い扉を開くまでの力は相当大変だった。なので、複雑な思いはある。
はっきり言って、「私」個人が、たいした看板もない私が、まわりの信頼を勝ちとるまでは、言われたくないようなことを言われ、いやな思いをすることもある。独りのフリーランスはまず、自分を信頼してもらうところから始めなければならない。

**

おばあさんは「テレビに撮られたけど、私が死んだあと、無断で顔は出ないかな」
と心配して、私に電話をかけてきた。

ふつうの戦争被害のことならいいけど、
下の話(性の被害)だけはイヤ、孫もいるんだし明かされたくない、と。

その心境は痛いほど理解できる。
私が生きているあいだは見張っておくと答えておいたが、そのテープは恒久的にNHKに保管されるのだろう。

担当者もころころと変わるだろう(ここが組織はこわい)。
私が死んだあとのことまではわからない。

個人の尊厳に時効はないと私は思う。
たとえ、死んでも、遺族がいる。

自由にカメラを回したみたいだけど、ご本人との約束、ちゃんと守ってくださいね。

***

関係者からは以前、「平井さんが扉を開けてくれた」と言われた。70年も封印されてきたことだから。タブーを打ち破るきっかけにはなったのだと思う。

その方は私が書く雑誌名を聞いて、いきなり反対に転じていた(直前に少々圧力だった)。なのに一度世にでて、大丈夫そうなら、今度はテレビもOKになったのかとこれまた複雑になる…。あの反対も受けた私って、何だったのだろう。
この手のことはもう慣れたのだが、私の人生って…何事も、道なき道を作るための地道な闘いばかり。

愚痴ではない。このまま突っ走ります。
黒川のことにしても書ききれてないことや、私自身の見解もあるので、また書く予定はしている。

***
NHKの二番煎じ、後追い取材はこの放送です。

→8月5日Eテレ 23:00~23:59
最後の盾~満州開拓村~女たちの敗戦 黒川開拓団

前にブログに書いたけど(「麻酔専門医」)、
今日、読売がこんな記事をだしてくれていた。(よかった。)日本の無痛分娩のおそまつな現状が伝われば…。

無痛分娩 6割が診療所、16年度調査…欧米は大病院主流
7/20(木) 15:30配信

安心・安全の環境のもと、お産ができるようになってほしい。

今日、混雑したJRでのこと。
汗ダラダラの腰の深く曲がった小さいおじいさんが、いかにもしんどそうに立っていた。
角に立ち、手すりを支えにして、どう見ても苦しそうだった。

ちょうどラッシュ時で車内はとても混んでいて、優先席からもおじいさんは離れてしまっていた。優先席を見ると、若めの女性が3人、それぞれに携帯をいじっている。おじいさん側の座席の男の人らも誰も、まわりの人も、おじいさんのことを「スルー」していた。

私も正直、1駅は「大丈夫かな」と思いつつ、声をかけれなかった。
でも、途中で、「どこまでいくんですか?」「立ったままで大丈夫ですか?」とそこそこ大きな声で話しかけた。おじいさんは「大丈夫」と言ったけど、どう見てもしんどそうだった。

私はわざと、まわりに聞こえるように大きな声で言ったのだ。誰か席を譲ってあげないかな、と。だけど、近くに座ってる男性会社員らは誰も席を譲ろうとしなかった(30~40代くらい)。立っている会社員らも、私のやりとりを目の前でみてるのにそのままやりすごしていた。

それから1駅ほど走って、若い男性がようやく席を譲っていた。
おじいさんは助かった…というようになんとか席になだれ込むようにして座った。
そのあいだ、ずっとおじいさんは私の目を見ていた。

感謝の目ではない。かといって、怒る目でもない。
あの表情は何を、どういう内面を映し出していたのだろう。

もっとはやくに声をかけたり、優先席側のところに大きな声で呼びかけたり、もっと自分にもできることはあった。へんな自意識が私にもあったのだろうか。あぁ、これが帰国者の人達だったら、人目など気にせずに、互いに助け合っていたと思う。どうして、自分もそういうふうにできなかったのだろう……恥などかいてもいいのに。

***
ついつい、タイミングを逃したりして、お年寄りに席を譲れないときはある。譲ろうとしても、断ってくるお年寄りも少なくはない。

だが、今日に関してはそういうことではない。あきらかに気分の悪そうな、腰の曲がったお年寄りがしんどうそうに手すりにしがみついているのに、あれはないだろう。見て見ぬふりの人しかいなかった。きっと、一人ひとりは常識人で、いい人なのだろう。

でもさあ…。うーん。
あれじゃあ、お年寄りで、身体の不自由な人はひとりで、公共の乗り物に乗れないよね。混雑したJR。時間帯や路線を選ばなくてはならない。…乗っちゃダメなの?って話。乗ってしまったら、黙殺されるの?

そんなに働く人たちは、心にゆとりがないのか。
この社会の働き方の構図は、個人から「表情」を薄めていっているように思う。

知り合いのおばあちゃん(満州からの引揚体験者)から電話📱

たまたま、早朝に目が覚めて、NHKラジオを聞いていたら、私の本(『中国残留孤児 70年の孤独』に登場する池田澄江さんがラジオに出ていたという。中国残留孤児の肉声を聞くのは初めてのようで、おばあちゃんは池田さんの印象について色々と話してくれた。


(9分くらいから)

中国名を入れると、3つではなくて、4つめの名前で、池田さんは本当の名前にたどり着いた。

もう少しセキュリティーのましなところへ引っ越そうと思い、引越し先を探している。が、物件が多すぎて挫折しそうになる。

エリアが決まっていればすぐに決まりそうなものなのだが、ここは選択肢がやけに多い。

もう少し離れてもいいんだけど…と考え出すと、きりがない。

どうせ、テンポラリーだしと思い、最後はエイッと決めるんだろう。でも、いまのところも「とりあえず」と思って入居したけど、長くいたなぁ。移る動機もなかったので、「もしかして、この空間で東京人生を終えるんではないか」という不安もどこかにあった。

土地とか家に執着はまったくない。
もし、私がお金持ちでもないと思う。
なさすぎて、困るくらいだ。
東京も便利だから住んでるだけ。

ビザや仕事、言葉の不自由さがなければ、かなりどこでもいい。
アメリカは飽きたから、異空間の中国などもおもしろそうだ。
でも、いまからアジアで根無し草をする気はないな……きっかけもないし。

ロサンゼルスも第二の故郷と思っていたが、帰国してから時間が経ち、その意識も薄れてきた。

どこにも本当の故郷の意識が持てない。
住まいだけでなく、コミュニティーに関しても、帰属意識がない、というのはむかしからだ。
年を重ねるたび、ますます、なくなってきた。(ふつーと逆?)

いいのか、わるいのか、わからない。
(日本ではわるいほうに分類されるんだろうな。)
だから、根っこはいつも孤独だ。
どこにいても、精神的移民。

が、生きていかねば。Life goes on.

めんどうなことをブログに書かねばならず(って判断するのは自分だけど)、書くまえからげんなり・・・・たぶん気質的にネット活用やSNSは向いてない。時間が細切れになっちゃうから。人によって、コミュニケーションのとり方が違うので、いちおう、だいたいはアカウント持っているのだが・・・。

80代から上のお年寄りとなると、携帯を持っていない人がふつう。
持っていたとしても、家族から持たされているだけで、耳が遠いから実際のやりとりはできない。

それはそれで……時間の流れが安定していそうで、うらやましい。

疲れた…。ブログもきちんとつけたり、内容も整えたりしなくてはいけないと思うが、そこまで追いつけない。

司法試験(予備試験)の論文の勉強をはじめたのだけど……

短答は範囲が広すぎる。自力で半年やってみたが、ポイントを押さえながら、全体を網羅できなかった。少し遅れたけど、基礎講座に参加し(辰巳)、さらに同時並行で論文マスターもウエブで受けることにした(伊藤塾)。

何が大変って、時間がないこと。集中できる時間ね。

でもある程度は自分にノルマを課すことにした。いい加減、少し厳しめに。

いったん家に帰ると、やらなくなるので、勉強できそうなところを見つけてそこでやる。

だから、なんかいつも疲れている(苦笑)。

脳みそを使っていると覚醒してしまい、もともと寝つきが悪いのにさらに寝つけなくなり、悪循環。

民法は昨年11月のゼロからはちょっとは成長したな。やっぱり、生きた事例から学ばないと頭に入ってこない。条文にしろ、判例しろ、問題文にしろ。

刑事や刑訴、会社法はまだろくにできていないので恐怖。

***
予備校にいくと、よく他の講座目的の人(行政書士等)と間違えられる。

この年代の女性で司法試験の勉強をはじめた人は珍しいのだろう。(珍しくないくらいの世の中になってほしい。)

本当ならば…
なぜ、私がここに至ったか。自分がどういう体験をしてきたか。日本の法曹界に対して、何をどう思うか。――などなどまじめに発信しつづけたいところなのだが、時間区切りで生活しているので今はムリ。

***
日本のマスコミ・メディアにしろ、法曹にしろ、背骨のところを押さえているのはまだまだ男中心の考え方と男たちの無邪気な連携だ。一般のビジネス界よりも、その傾向は強いと思う(自分は派遣社員としてそこそこの数の大手企業で働いてきたので、非正規雇用側からみた風景を知っている。)あえて「無邪気な」と書いたのは……そこに無意識でいられるほど、当然のことのように受け止めている男性が少なくないからだ。

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