平井美帆 MIHO HIRAI BLOG

思ったこと、感じたこと、ぼやいてます。

Tada Beach, Izu

今でも私をいろいろな場面で助けてくれるのが、「英語」なんであります……(過去の努力の賜物だわ ←自分で言う)。

たとえば、司法試験予備試験。
いっさい、予備校の通学も通信も利用してないし(もちろん、法科大学院も)、このごろろくに勉強する時間がなかったので、ぼろぼろになりそう。だけど、受ける予定にしている。

最初から捨てているのが、一般教養。
以前、いろんなブログを読んで、一般教養はスルーするほうが効率的と書いてあるのを見て、「えーもったいない」などと思ったが、いまでは納得。どっから訊かれるかわからないのに、勉強などしている余裕などない。だったら、法律系の科目を勉強するほうがいい。

一般教養だが、40数問から20問を選択するシステム。
ざっと見てみたが、日本の大学を受験していないし、すでに忘れてしまった(あるいは最初からない)知識ばかり……。高校でも選考していない科目などはまったくわからない。

と、ところが! 一般教養のなかに英語が8、9問あるではないかー。

助かった。
9/20。うまくいけば、半分近くは点がとれる。
少なくとも、司法試験予備試験で「確実に解ける」問題はあるわけだっ!

旧態依然とした家父長制を愛してやまない産経新聞の
この記事から(「親による子どもの連れ去り 日本の予防・解決態勢に国内外から批判」)、
松波氏はどういう思想なんだろうとチェックしたところ、

「夫婦別姓」反対運動を提唱するという文章を見つけた。

なるほどねえ……。
「夫婦別姓は、確実に家族の一体感を損なう」ですか…。
ひとさまの家庭のことなど、ほっとけと思うけど。個人あっての家族だよ。
夫婦別姓と書いているが、つまりは女が男の名字にする、という大前提あっての主張だ。

仮に、男が女の名字にほぼ10割で改姓する不均等な世であったとすれば、同じ主張を松波氏ができるはずはない。

連れ去りの話に戻るが、
これほど強固に選択制夫婦別姓に反対する男性議員が、
国際結婚の連れ去り問題にも反対しているのを見ると…、
「子どもは夫婦対等のなかで、夫婦共に育てる存在だから」ではなくて、
「男の俺から、俺の子どもを勝手に連れ去ってんじゃねえよ!」にしか聞こえない。所有の概念がぷんぷん。

そもそも、連れ去りって話し合いもなにも、男から逃げているケースが多いのではないか。
家庭内で逃げ場がないなら、外に逃げるしかないでしょう。賢明な選択だ。

ハーグ条約をもとにして国際結婚のケースを引き合いに出しているが、
松波氏の想定する「家族」ってどういう家族なんだろうか?

俺を三角形の頂点においた「家族」にしか、思えないんだけど?

その頂点が虐待していたらどうなるの? (DVやモラハラ)

***

「名字なんてどうでもいいよ」
なんて言う既婚の男はうそつきだ。偽善だ。
(独身の男もいざ自分が結婚する段階では、そんなことは絶対に言わない。)

そう言う既婚の男で、実際に改姓した人は極めてまれ。
本心からどっちでもいいならば、
あるいは単に利便性の問題ならば(最高裁判断)、
もっと多くの男が改姓しているはずだ。

自分は変えない側だから、「どうでもいい」と言えるだけの話。

名字はアイデンティティーの問題だ。
男にとって(一部女)、名字は家父長制の生命線である。
そこにあえて触れずして、
「何言ってんの?」って思う。

嫁って呼びたいくせに、何言ってんだと。
ほんとにどっちでもいいなら、変えれるよ。
ほんとにどっちでもいいなら、変えるよ。

そういう段階では全然ないね、まだまだ日本は。
選択制ですら、実現されていないのだから。

…それにしても、産経ってわかりやすい。ハーグを出してきて、家父長制思想のロンダリングみたい。

申し込んだ以上、受ける予定の司法試験予備試験……。あまりにぼろぼろだと、半日が苦痛だし、来年もぼろぼろになる気がする。

しかし、時間がない。
進んでいる気がしない。
民法の物件・債権のところはだいぶ、ましになってきたけど…。(わかってくると、民法がいちばん奥深いというか、おもしろいのかもしれない。)

司法試験をめざしている人のブログに、試験前はいらいらしてしまい、些細なことにも敏感になると書いてあって、わかる……と思った。だからこそ、こんな苦境ははやく終わらせたいのだけど。

勉強がはかどらず、公園に来てみたけど、集中できない。気持ちの良い春は勉強の大敵だな。😭 ゴールデンウィークも基本的には勉強と思うとうんざりだが、ここまで参考書類を買ったならば、最低限、今年の行政書士の試験は受かりたい。

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児童書『イレーナ・センドラー ホロコーストの子ども達の母』(汐文社、2008年)
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発刊から9年経つが、6刷りの重版の連絡がきた。じわじわと長く読まれる本になって、うれしい……。

「ひとりを変えることができれば、世界を変えることができる」

イレーナの勇気と真の優しさを子ども達に伝えたかった。それと同時に、いかに戦争や差別が、人間を残酷でおそろしい行為に向かわせるかということも。

目の前で殺されていく赤の他人に、私たちはどれほどの行動を起こせるだろうか?

2007年はじめ、ABCニュースのインタビューにイレーナはこう答えている。今こそ、私たちは彼女の精神を胸に刻むべきだと思う。

「第二次世界大戦のあと、人類は大切なことを学び、あのような悲劇は二度と起こらないように思われました。ところが、今でも、宗教間、民族間、国家間の戦争は続いていて、たくさんの命が奪われています……。人類は過去から何も学んではいなかったのです。わたしたちに愛と寛容、ゆずり合いの精神があれば、世界はもっとよくなるはずです」(『イレーナ・センドラー』より)


雨が降って、あっというまに桜が散ってしまった……むなしい。
次に見れるのは一年後だ。

日々の暮らしに埋もれがちで、やるべきことがなかなかできていない。

でも、続ける。

基本的な人生の目標は、高校3年のときに日記に書いたこととぶれてはいない(コトバにすると青臭いと言われそうなこと)。

紆余曲折しすぎた道のりだけども。

叶えられなかった希望もあるけれども。

だが、それらは最終的には心から望んでいなかった、ということだ。心の底から望んだことは必ず、叶える人間なので。

なんだか、いろいろ、まだまだだ。

***
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散っていく桜の大木を見ていると、
気持ちが深いところまで落ちていく。

塀のなかの永善はもう二度と、生きている間に、この桜を見にすることはないだろうな…などと毎年考える。(取材した精神障害のある無期懲役囚)
ときには薄青い色のなかに、‟あの詩”が浮かび上がってきて、どこかひやりとした気持ちになる。

「さくら」 
 茨木のり子

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回くらいさくらをみるのかしら
ものごころつくころが十歳くらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふらふらと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と



不思議っすわ。
私の記事を見て、関係者に連絡を取りまくり(私の見つけた情報の横流しを受け)、ドキュメンタリー番組を作る……。そこに私の名前はむろんない。自分がそれらを知った経緯はいっさい出さない。私なら、ノンフィクション作品の中に、書くに至ったきっかけも、取材相手に行きついた経緯も正直に書く。そこも大事だから。

ノンフィクションやドキュメンタリー番組を仕上げる場合、テーマの発掘や一次ソース、協力者を探しだすことが、いちばん大変なことくらい、知っているだろうに。連絡すら一切ない山口放送のなんとかアキラさん。

そちらと違い、義理堅い人らがすぐに電話くれる。

この問題にかんして、なぜ、女のライターがこだわったか? そこに全く目もくれないから、こーいう男の発信者は失礼なんだよ(私に内緒にしつつ、「男の連携」が頼りかよ、と)。だいたいの問題の根底にはこれがあるから腹が立つ。

こっそりと、人の切りひらいた道をわが道として、二次的に歩む気分はどうですか?

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