平井美帆 MIHO HIRAI BLOG

思ったこと、感じたこと、ぼやいてます。

写真=高部心成
『故郷松花江 黒龍江省 哈爾浜』
(2003年刊)より















権力は腐敗する

今日帰宅したら、Aさんから暑中お見舞いのハガキが来ていた。日付は8月10日。私は最近引越したので、転送もあって少し時間がかかったらしい(疑われたら、いやなので、消印の画像もアップしておこう)。
ハガキ20170814
Aさんのハガキには、戸惑いが書かれていた。
あれから(女性自身)を見て山口放送が来る 岐阜放送局が取材に来て、慣れない私は閉口しました、とある。

20170814
Aさんのことは気になっていた。

Aさんは黒川開拓団の‟性接待”に行かされた人ではないが、関係する人だ。

私がハガキを書いて、初めて取材に応じてくれた。その後、遺族会にコンタクトしてきたテレビ局側に、遺族会側はAさんの存在と連絡先を伝えていた。女性自身のルポを読めば、Aさんがキーパーソンとなってくることもわかる。
テレビの取材ならば、おばあさんたち本人の意思を確認しなければならないと、私はその人に電話で伝えた。(今年の3月。だけどその後連絡は途絶え、テレビ局の取材は進んでいった。)

ちょっと考えてみてほしい。

遺族会とはどういう存在か。
もちろん、「あの日々」につながっているのである。
リーダや幹部になるのは当然のごとく「男」であり(そういう世界)、一世代さかのぼれば、満州の避難生活中の団幹部ら、つまり少女らの「性接待」を決断した側につながるのである。

遺族会の真摯な努力や結束を否定するのではない。
しかし、相手は90歳前後の女性である。女性の権利が認められていなかった時代を生きてきた人たちだ。

過去もそうだが、いまも地元の有力者の存在が抑圧的に作用することもある。関係を崩さないようしよう、お世話になっているのだから(本音)はいいずらい……と高齢女性からすればなる。地元の男性側にまったく、そのつもりがなかったとしてもだ。

90歳ぐらいのおばあさんは、個人情報保護法や自己決定権などあまり知らないし、うまく言語にできない。なんかおかしい…と感じたとしても、権利を主張しなれていない。

***

NHKは実名で一部のおばあさんを出していた。顔も出していた。

仮に、90歳前後のおばあさんがそのとき「いいよ」と言ったからといって、現役世代の孫や家族がいる。

放映後に話した別のおばあさん(Bさん)は、「家族が居間にいるから、(8月5日の)放映はほとんど見られなかった」と話していた。これはそういうセンシティブな問題なのである。

実名と顔出しを希望したのは、おばあさん本人なのか。それとも、「歴史」に刻みたい人やNHK側なのか?

Aさんは顔と名前を出されたことをどう思っているのだろう。いったん顔や名前が出たら、ネットにでまわる可能性をわかっていたのか。

一時だけのテレビ取材者は放映するにあたって、十分に配慮したのだろうか。

おばあさんの意思。本人の認識と理解。
これらは女性の人権や権利と直結している。
そして、まさに、満州での「性接待」は、女性の人権問題そのものなのである。

***
Bさんについてはテレビを見たとき、私は出ていないと思った。(だからブログに1秒も出ていないと書いた。)とにかく、私にはどこに、私の知っているBさんが出たのか、1回見ただけでは正直わからなかった。いつもBさんが主張しているような内容もなかった。上述のとおり、Bさん自身もリアルタイムでは見ていない。

ところがBさんはあとから知人に「出ていた」と言われたという。(今度、Bさんと一緒に録画ビデオを見てみようという話になった。私のTVには録画機能がないので…)

Bさんいわく、NHK側は「これを着て」と、洋服を当日持ってきたのだという。
そのこともあって、私は認識できなかったのかもしれない。Bさんは洋裁の仕事を長らくしていて、身に着けている衣服はすべて手作りだからだ。自分の着物をほどいて、作り直している。

これは映像の演出なのだろうけど、ドキュメンタリー番組とはそうして撮影するものなのか。その人の服装はその人となりや個性を表すものである……。

(私にとっては)おばあさんたちは学術研究の対象物でもないし、「証言のみ」を与えてくれる存在でもない。人生の先輩であって、その人となりや生きざま、人生のすばらしさ・強さを伝えていくのが、私の役割だと思っている。

少々前置きが長くなるけど…

中国帰国者や引揚者のことをもっと広く知ってもらいと、現代ビジネス(ウエブ版)には前から話を持ちかけていた。これを1回目(6月)、これを2回目(7月)、これを…と大枠の企画の流れはできていたのだけど…私が忙しくて、1回目(2世の住居問題)をなんとか出せたのは8月になってしまった。黒川開拓団の“性接待”については、『女性自身』(1年前)に書いたこととは違う切り口で1回書こうと思っていた。内容や構成についてはまだ迷っていた段階。

が、8月5日にEテレの放映があったこともあって、計画を変更。
元原稿に加筆して出すことになった。(そうでなければ、まずは“性接待”について伝わらない)

タイミング的にこんな形になったが、これまでの取材ではここまで。
今現在も、この件に限らず、引揚者や帰国者のことは追い続けている。

ちなみにテレビ側が関係者にコンタクトしたのは今年3月。おばあさんたちを撮影しはじめたのは今年4、5月あたりから(今年6月の人もいる)。新聞の取材はそのあとの話だ。取材ルートや裏話については、表に出てこない市井の人たちがいるので、ぜんぶはオープンにできない。

いずれにしろ、あの悲劇を伝える目的と比べれば、私の気持ちなどは取るに足りないことなのかもしれない。当事者のおばあさんたちが納得するものならば、それでいいのだろう。

ただ、いまの心境としてはあれ以降、NHKのドキュメンタリーを見て、「今回初めて」「NHKの取材に…」「初めて入手」などといったアナウンスを聞いても、ほんまかいなという気持ちしかない(この前の731部隊もそういう傾向)。紙からネタと先行取材ルートを拾うだけでなく、ささっと上塗りするかたちで取材を進め、全国オンエアで「初」を強調する作りにはなんだかな…という気持ち。

テレビのディレクターは若い。会社組織のなかでそういう作り方を学び、スクープ「競争」をしていくのだろう。

私も甘かったなと。(どうしても、紙媒体オンリーの人だったので。)ノンフィクションは取材に時間がかかる。

紙とネット。
これからはうまく、活用していきたい。

日本が敗戦となる直前まで…
親元を離れ、国策の地「満州」へ行かされて、無念の死を遂げたり、運命を狂わされたりした子どもたちは多い。
そのひとつが、1938年1月から募集された義勇軍(満蒙開拓青少年義勇軍)である。子どもたちを満州に向かわせたのは、当時絶対権力を握っていた先生のすすめ、そして先生に従った親のすすめだ。

大人が子どもをだましたのである。

こうした裏の話はあまり出ないし、関連本も少ないが、下記の本には詳しい状況や体験談が書かれている。


FBでこの件をぼやいたら、NHKの独自取材かと思ったと知人に言われた…。哀しいわ。そこはやっぱり、独りで奮闘してきた側としては。

関係者が協力的だった部分、そうではなかった部分はあった。
ところが、いちど表にでると、私がいきついて説得した人まで、NHKや新聞にはほいほい、紹介するんだなあ。わざわざ、「ハルエさん(当事者)からの紹介です」って、大手メディア側に言わせて。ぜんぶ、私がたどった道を、いろいろとプラスして紹介しまくったのではないか。

それにしても、ひとりの大事なおばあさんが1秒も出てこなかった。何度も、NHK側の取材を受けて、カメラに収められたのに。

一瞬、仮名と顔出しNGだからかな?って思ったけど、仮名・顔から下だけのおばあさんもひとり出ていた。「テレビの前で初めて語りました」と、わざわざナレーションつけて(私の記事に登場した人)。

なぜだろう? 
ここも含めて、考えるポイントは多い。

曖昧に封印していたところもある。

関係者が出したいところだけ出す、というのは本来はNG。

確実に、当時18歳くらいだった少女らに強要していた側は存在するのだから。
引揚げ後の二次被害についても、触れられていなかった。

戦後70年表にでなかったのは、おばあさんたち自身の事情だけではなく、性行為の強要(レイプ)を軽んじる価値観が根強かったからだ。認識の低さは、いまだって当時のことを、関係者らは「接待」と呼ぶところに現れている。

Eテレを見てるけど…かんぜんに1年前の私の記事をベースにした焼き直し番組。

案の定、私の存在は黙殺。

「いま語りだしました」
「今回初めて」
などといったナレーションが流れるたびに、さすがにいらっとした。

岐阜NHKねえ……

でも、深い取材は個人のほうができるよ。
だからこそ、そこで発見されたものを後追い取材するんだろうけど。(そりゃあ、組織による2回目のほうがリソースも資金もかけられるし、取材もしやすくなっている。)

NHKの取材した人の名前などは知っている。

何度も何度も「今回初めて」などと強調して、必死にナレーションをつけていた(苦笑)。
恥ずかしい……(クリエーターとしての矜持はないのだろうか)。そんなの普通、書かない。

企画をゼロから練ってみてほしい、と言いたい。

追記:番組の後半は、なんだか違うものになっていた。NHKならでは、なのか、NHKの限界なのか。あまりとんがったものは作れないのだろうな。

約1年前、黒川開拓団(岐阜)の取材の成果をまとめ、
『女性自身』(光文社、2016年10月4日号)にルポを寄稿した。

忘れたい あの凌辱の日々 
 忘れさせない乙女たちの哀咽

女性自身3

「こんなことがあったとは知らなかった」
と岐阜在住の教師の方からメールが来るなど、それなりに反響はあった。


このスクープのあと、


本記事に登場した人達に対して、テレビ局から取材依頼があったそうだ。

私がいきついた取材対象者から直接、

「平井さんの記事を読んで取材したいと、山口放送の○○さんから連絡があった」「NHK岐阜の××さんから連絡があって、いついつ会う」

などと連絡が来るようになった。
おばあさんは前々から私と会っていたので、律儀に知らせようと思ってくれたらしい(*ほかにも、記事の掲載後、次から次へと記者から連絡が来るようになったという)。*そのうちのひとつが、東京新聞で2017年7月2日に掲載済み。

直接に彼女自身の承諾もいっさい得ず、彼女の個人情報(私の取材ルート)がどこから流れ続けたのかは知っている。…せめて、取材相手の承諾を先に得なければならないと伝えたけど、がんがん先に、私が調査するなかで見つけた取材先まで、他のメディアに流している。このあたりは立場の違いだろうけど、私に一言もいわないのはどうなのだろう。

それはさておき、テレビ局の側。

私自身にはまったく連絡はない。

きっかけはもちろん、言わない。

ひとりのフリーランスの記事からテレビ企画のネタをひろって制作して、あたかも独自取材であるかのように報じる。テレビのネタ探しでは珍しくない方法なのかもしれない。組織に属する会社員からしたら、なぜこちらがこのように感じるかすら、理解しがたいかもしれない。

でも、最初の企画とルート開発、取材対象者に行き着くまでの苦労(関係者もあきらめていて、協力のない部分もあった)、オープンにするまでの説得など、重い扉を開くまでの力は相当大変だった。なので、複雑な思いはある。
はっきり言って、「私」個人が、たいした看板もない私が、まわりの信頼を勝ちとるまでは、言われたくないようなことを言われ、いやな思いをすることもある。独りのフリーランスはまず、自分を信頼してもらうところから始めなければならない。

**

おばあさんは「テレビに撮られたけど、私が死んだあと、無断で顔は出ないかな」
と心配して、私に電話をかけてきた。

ふつうの戦争被害のことならいいけど、
下の話(性の被害)だけはイヤ、孫もいるんだし明かされたくない、と。

その心境は痛いほど理解できる。
私が生きているあいだは見張っておくと答えておいたが、そのテープは恒久的にNHKに保管されるのだろう。

担当者もころころと変わるだろう(ここが組織はこわい)。
私が死んだあとのことまではわからない。

個人の尊厳に時効はないと私は思う。
たとえ、死んでも、遺族がいる。

自由にカメラを回したみたいだけど、ご本人との約束、ちゃんと守ってくださいね。

***

関係者からは以前、「平井さんが扉を開けてくれた」と言われた。70年も封印されてきたことだから。タブーを打ち破るきっかけにはなったのだと思う。

その方は私が書く雑誌名を聞いて、いきなり反対に転じていた(直前に少々圧力だった)。なのに一度世にでて、大丈夫そうなら、今度はテレビもOKになったのかとこれまた複雑になる…。あの反対も受けた私って、何だったのだろう。
この手のことはもう慣れたのだが、私の人生って…何事も、道なき道を作るための地道な闘いばかり。

愚痴ではない。このまま突っ走ります。
黒川開拓団のことにしても書ききれてないことや、私自身の見解もあるので、また書く予定はしている。

***
NHKの二番煎じ、後追い取材はこの放送です。

→8月5日Eテレ 23:00~23:59
最後の盾~満州開拓村~女たちの敗戦 黒川開拓団

追記:この企画、一番最初は『文藝春秋』に持ちこんだのだけど、断れました。

死者の名誉毀損については、『落日燃ゆ』*がリーディングケースのようになっている。

まったくもって、承服しがたい。

(詳細はいま、ここで書かない。)

この件について、私が控訴した裁判の第一回口頭弁論があった。

法廷の入り口で裁判長の名前を確認してみると……
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約1年前、亡き祖父の遺産範囲確認の裁判の控訴審で、裁判長を務め、事実上、私に勝訴をもたらしてくれた大段亨裁判長だった。

このときは、私の主張(真実)を証拠に基づいて、素直に認める大逆転判決を出してくれて、感極まった。実際、大泣き。ここに至るまで、どれほどの、どれほどの道のりだったか…。

唸ってしまうほど鋭い、的を得た控訴理由書を書いてくれた伊東良徳弁護士のおかげでもある。相手の嘘を見事に暴いてくれたのである。

***
今回の裁判についてはわからない。
厳しいと思うけど、納得はいかない。

裁判上においても、紛争相手に心理的ダメージを与えることを目的として、争点とは無関係なことを、意図的にくり返し、攻撃材料として持ちだすのは不当である。卑劣以外の何ものでもない。まして、反論すらできない亡き親の名誉を傷つけることを……。

***
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東京地裁の前をとおると、パネルなどが掲げられていた。
あれ? こちらも見てみると、今回の裁判の一審で、私側の請求を棄却した八木文美裁判長の名前があった。

裁判長も大変だなあなどと思いつつ、人の一生を左右する決断をするのだから、慎重に検討してほしいという思いはある。ときには恨まれたりすることもあるだろう。私は過去、ひどい判決文を書いた一審の裁判長ら(八木裁判長どころではない)を恨んではいない。だが、能力的に低いと思っている。事実認定する上でちゃんと証拠を見れていないし、ある意味、社会通念に縛られすぎて、相手側の創作につられすぎだった。特殊性を検討せずに、「はい、はい、規範にあてはめてこれで終わり」というパターン。一言でいえば、頭が固いのだ。

***
私の件にかぎらず、判例について本音をいえば…
1 役立たない判例があとあと残るから、公益性のある重要な争いごとはいったん提起した以上、最後まで闘ってほしい。
2 裁判をあきらめないで、不当なことはとことん訴えてほしい。そうでなければ、判例が増えず、古い判例が規範として残ってしまう。

民法は、何十年も前の判例で仕切られている現実がある。そもそも民法は古い(オリジナルは明治もの)。その民法の条文に当てはまらない争点については、過去の判例を持ち出してくるわけだが、その判例も古かったり、モデルケースがほとんどなかったりする。


*「落日燃ゆ」謝罪広告等請求事件(一審東京地裁 昭和50年(ワ)7430号,昭和52年7月19日判決,東京高裁 昭和52年(ネ)1829号,昭和54年3月14日判決)

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