約1年前、黒川開拓団(岐阜)の取材の成果をまとめ、
『女性自身』(光文社、2016年10月4日号)にルポを寄稿した。

忘れたい あの凌辱の日々 
 忘れさせない乙女たちの哀咽

女性自身3

「こんなことがあったとは知らなかった」
と岐阜在住の教師の方からメールが来るなど、それなりに反響はあった。


このスクープのあと、


本記事に登場した人達に対して、テレビ局から取材依頼があったそうだ。

私がいきついた取材対象者から直接、

「平井さんの記事を読んで取材したいと、山口放送の○○さんから連絡があった」「NHK岐阜××さん(そのあと名古屋)から連絡があって、いついつ会う」

などと連絡が来るようになった。
おばあさんは前々から私と会っていたので、律儀に知らせようと思ってくれたらしい(*ほかにも、記事の掲載後、次から次へと記者から連絡が来るようになったという)。*そのうちのひとつが、東京新聞で2017年7月2日に掲載済み。

直接に彼女自身の承諾もいっさい得ず、彼女の個人情報(私の取材ルート)がどこから流れ続けたのかは知っている。…せめて、取材相手の承諾を先に得なければならないと伝えたけど、がんがん先に、私が調査するなかで見つけた取材先まで、他のメディアに流している。このあたりは立場の違いだろうけど、私に一言もいわないのはどうなのだろう。

それはさておき、テレビ局の側。

私自身にはまったく連絡はない。

きっかけはもちろん、言わない。

ひとりのフリーランスの記事からテレビ企画のネタをひろって制作して、あたかも独自取材であるかのように報じる。テレビのネタ探しでは珍しくない方法なのかもしれない。組織に属する会社員からしたら、なぜこちらがこのように感じるかすら、理解しがたいかもしれない。

でも、最初の企画とルート開発、取材対象者に行き着くまでの苦労(関係者もあきらめていて、協力のない部分もあった)、オープンにするまでの説得など、重い扉を開くまでの力は相当大変だった。なので、複雑な思いはある。
はっきり言って、「私」個人が、たいした看板もない私が、まわりの信頼を勝ちとるまでは、言われたくないようなことを言われ、いやな思いをすることもある。独りのフリーランスはまず、自分を信頼してもらうところから始めなければならない。

**

おばあさんは「テレビに撮られたけど、私が死んだあと、無断で顔は出ないかな」
と心配して、私に電話をかけてきた。

ふつうの戦争被害のことならいいけど、
下の話(性の被害)だけはイヤ、孫もいるんだし明かされたくない、と。

その心境は痛いほど理解できる。
私が生きているあいだは見張っておくと答えておいたが、そのテープは恒久的にNHKに保管されるのだろう。

担当者もころころと変わるだろう(ここが組織はこわい)。
私が死んだあとのことまではわからない。

個人の尊厳に時効はないと私は思う。
たとえ、死んでも、遺族がいる。

自由にカメラを回したみたいだけど、ご本人との約束、ちゃんと守ってくださいね。

***

関係者からは以前、「平井さんが扉を開けてくれた」と言われた。70年も封印されてきたことだから。タブーを打ち破るきっかけにはなったのだと思う。

その方は私が書く雑誌名を聞いて、いきなり反対に転じていた(直前に少々圧力だった)。なのに一度世にでて、大丈夫そうなら、今度はテレビもOKになったのかとこれまた複雑になる…。あの反対も受けた私って、何だったのだろう。
この手のことはもう慣れたのだが、私の人生って…何事も、道なき道を作るための地道な闘いばかり。

愚痴ではない。このまま突っ走ります。
黒川開拓団のことにしても書ききれてないことや、私自身の見解もあるので、また書く予定はしている。

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NHKの二番煎じ、後追い取材はこの放送です。

→8月5日Eテレ 23:00~23:59
最後の盾~満州開拓村~女たちの敗戦 黒川開拓団

追記:この企画、一番最初は『文藝春秋』に持ちこんだのだけど、断れました。