7月末に亡くなったアラン・パーカーの映画は大好き。(題材的に「好物」というか)。『ミシシッピーバーニング』が有名だと思うのだけど、『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』もとてもよい。
(以下ネタバレあり)
死刑廃止制度、冤罪、社会運動がテーマなのだが、一瞬、「これは冤罪なの?」とconfuseしてしまうようなラスト。
でも、死刑に処せられたデビッドは、元同僚をレイプして殺害していないので、冤罪だ。
アメリカの社会的問題を扱った映画はほんとに切り込んでいておもしろい。
『フラットライナーズ』という古い映画(1990年)も、エンターテイメントの要素を盛り込みながらも、死後の世界、人の生死という重いテーマを正面から描いている。人の罪、贖罪にかんする視点などはやはり、キリスト教徒の多い国ならではの着眼点だなと思う。
他にも、ベトナム戦争、レイプ裁判など(『告発の行方』等)、国家や司法との関係性のなかで、「正義とは何か」を問う告発系が好きだ。精神障害がでてくるストーリーもよく見られるが、「日本では製作して公開するのは難しいだろうなあ」と感じる……。
どうしても、日本だと無難な映画がほとんどだ。さまざまな制約の壁があるのだろう。映画に限らないのだけど……。
表現の自由のみならず、あらゆる分野での選択肢の広さは、日本よりもアメリカのほうが抜きんでている。
アメリカの俳優は必ずユニオン(労働組合)に加入しなければならない。そうでないとエージェントからも、ユニオンにも参加していない=プロではないという扱いだ。こういう点も、芸能プロダクションが契約で俳優を縛りつけている日本とは、ずいぶん違う。要は「個人の権利」が真の自由獲得にとって必要不可欠だと、アメリカで暮らす人達は当然のこととして考える。
日本も個人主義になったとか言われるけど、根本的なところが違う。憲法で個人の権利が保障されているけど、いまだ浸透していない。
みんなのことを考える個人でないと迫害される。それも場合によっては一理ありそうにも思えるが、個人が犠牲を強いられるロジックと不可分になってしまっている。やはり、個人の自由や権利を一番大切にしたうえでの、組織や全体でなければならない。
アメリカ社会を知っているがゆえ、矛盾が多いのも事実と知っているのだが……日本ももう少し(ほんとは「もっと」を望むが)、多様性があればいいのになあ……。そっちのほうがおもしろいし、自由だって。
(以下ネタバレあり)
死刑廃止制度、冤罪、社会運動がテーマなのだが、一瞬、「これは冤罪なの?」とconfuseしてしまうようなラスト。
でも、死刑に処せられたデビッドは、元同僚をレイプして殺害していないので、冤罪だ。
アメリカの社会的問題を扱った映画はほんとに切り込んでいておもしろい。
『フラットライナーズ』という古い映画(1990年)も、エンターテイメントの要素を盛り込みながらも、死後の世界、人の生死という重いテーマを正面から描いている。人の罪、贖罪にかんする視点などはやはり、キリスト教徒の多い国ならではの着眼点だなと思う。
他にも、ベトナム戦争、レイプ裁判など(『告発の行方』等)、国家や司法との関係性のなかで、「正義とは何か」を問う告発系が好きだ。精神障害がでてくるストーリーもよく見られるが、「日本では製作して公開するのは難しいだろうなあ」と感じる……。
どうしても、日本だと無難な映画がほとんどだ。さまざまな制約の壁があるのだろう。映画に限らないのだけど……。
表現の自由のみならず、あらゆる分野での選択肢の広さは、日本よりもアメリカのほうが抜きんでている。
アメリカの俳優は必ずユニオン(労働組合)に加入しなければならない。そうでないとエージェントからも、ユニオンにも参加していない=プロではないという扱いだ。こういう点も、芸能プロダクションが契約で俳優を縛りつけている日本とは、ずいぶん違う。要は「個人の権利」が真の自由獲得にとって必要不可欠だと、アメリカで暮らす人達は当然のこととして考える。
日本も個人主義になったとか言われるけど、根本的なところが違う。憲法で個人の権利が保障されているけど、いまだ浸透していない。
みんなのことを考える個人でないと迫害される。それも場合によっては一理ありそうにも思えるが、個人が犠牲を強いられるロジックと不可分になってしまっている。やはり、個人の自由や権利を一番大切にしたうえでの、組織や全体でなければならない。
アメリカ社会を知っているがゆえ、矛盾が多いのも事実と知っているのだが……日本ももう少し(ほんとは「もっと」を望むが)、多様性があればいいのになあ……。そっちのほうがおもしろいし、自由だって。