平井美帆 MIHO HIRAI BLOG

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カテゴリ:ぼやき@書くこと > 障がい女性への性暴力

あらためて…
ストーカー問題の第一人者であったジャーナリスト、故・岩下久美子さんの『人はなぜストーカーになるのか』(文春文庫、2001年)を読み返す。すべての箇所を引用したいほど、的を得ている指摘が多い。岩下さんが取材を始めた1995年からすでに約20年もの年月が経つというのに、だ。

岩下さんが最初に国内のストーカーの実態をレポートしたのは、1996年の『プレジデント』5月号~7月号。桶川ストーカー殺人事件が発生したのが1999年10月。この事件を受けて、「ストーカー行為等の規制等に関する法律」が施行されたのが2000年11月。

セクハラと同じように、「ストーカー」という新しい言葉の導入とともに、徐々にその認識と概念が人々に広まり、被害の実態は明るみになっていった。それまで被害を言いだせなかった被害者が、少しずつ、声をあげれるようになったのだ。『人はなぜストーカーになるのか』では、ストーカーの被害報告のみならず、どういう人間が加害者になるのか、またどう対処すべきかといった点が詳しく述べられている。

だが、私がもっとも意識を強くして読んだのは、第五章「ストーカーは女の被害妄想か」である。

なぜならば当時、ストーカー問題を世に問うた岩下さんが受けた反論や反感は、現代にそのまま通じるものだからだ。岩下さんがストーカーの実態をマスコミの人に話しても、「僕の周りにはストーカーの被害を受けた女性なんて一人もいない。本当にそんな人間がいるのか」と言われる始末。

ストーカーのルポを書くこと自体、こう言われたという。
「岩下さん自身が被害妄想だと思われて、仕事が来なくなりますよ」(239ページ)

岩下さんは抑え気味に書いているように思えたが、実際はもっと色々言われたのではないか。「マスコミの人の中には」とだけ彼女は書いているが、編集者のなかには端から、性犯罪や被害の問題を女性が書くことに拒否感を示す人がいる。そしてそれは常に、――少なくとも私が経験した限り――男性編集者である。

岩下さんは言う。
「一部の人々から、ストーカーの存在を女性が知らしめることに対して、『腹立たしい』『反感を抱く』といった非難が出てきたり、個人的なバッシングを受けたりしたことは、驚きでもあり発見でもあった。
このテーマを扱うと、一部の人々から反感をかってしまうようなのだ。
なぜなのだろうか。私なりにその理由を考えてみた。
まず考えられるのは、強姦(レイプ)問題と同じで、被害者の方に落ち度やなにがしかの問題があると考えている人々が少なからずいることだろう。」(242)

もし、岩下さんがメディアに取り上げられたのが1990年代後半ではなく、今の時代であれば、相当、ネットで取り上げられていただろう。彼女の受けたという反発がリアルに想像できるがゆえに、第五章は読んでいて、少し悲しくなった。20年経ってもあまり変わらないのだから。

もう少し、岩下さんの残した言葉を取り上げたい。……「ストーカー」や「ストーキング」を、「性犯罪」や「痴漢」という言葉に置き換えて読んでもらってもいい。

「被害者に非があるという間違った見方は、被害者の心の傷を広げるばかりか、ストーカー擁護にすらつながりかねない。」(243)

――「モテルんだからいいじゃないか」などと言う人に対しては、次のように反論する。

「そういう人は、どんなに迷惑かつ険悪な関係であっても、どんなに嫌いな相手からであっても、関わり合いを持ってもらいたいと思うのだろうか。本当に相手は誰でもいいのだろうか。
もしそうだとしたら、それこそ、ストーカー予備軍の心性というものであろう。」(246-7)

「私はフェミニズム論者ではないが、セクハラやストーカー問題への過剰なる反論の裏には、古典的な男権をふりかざす姿が透けて見えてならない。」(247)

「ストーキングに限らず、自分の身が被害者の立場になった時、その被害を『あなたの被害妄想の産物です』と決めつけられたら、どう思うだろうか。雀部(*)氏に限らず、ストーカー問題に関しては被害者を疑うことから出発している人が少なくない。」(250)

*雀部俊毅氏は1997年5月号の『諸君!』(文藝春秋)に、「『ストーカー』は女の被害妄想だ」という記事を寄稿した。

「ともかくストーカーによる被害を対岸の火事と見なすことで、ストーカー自体が存在しないかのように論じる姿勢には憤りを禁じえない。それは、心に傷を負った者を異端視することにもなるからだ。
犯罪被害者への偏見は、そのまま障害者や人種への差別にもつながる視点とはいえないか。」(251)

彼女の鳴らした警鐘は、いまも響いているのである。あれから何人の命が犠牲になっただろうか……。警視庁は昨年末、ストーカー問題に対して専属のチームを発足させた。

「女性へのハラスメント(嫌がらせ)、人格への侵害行為という点ではセクハラもストーキングも同じ根っこを持っている。ただし、セクハラは殺人にまで至ることはない。これに対して、ストーキングは犯罪に直接つながりやすい点で、セクハラの比ではないのだ。ストーカーによる殺人事件をまったくの例外として、日常から切り離してしまえるほど安閑とした状況にない人々は確実にいる。」(248)




補足:被害者非難、Victim Blaming について
~「正しい被害者」「完ぺきなる被害者」ってなんだ?~

New!(追記)
When It Comes To Sexual Assault, #TheresNoPerfectVictim
マドンナがレイプ被害を届け出なかった理由

***
用語解説
(とはいえ、この説明、不適切だな。癌や風邪などの病気と、レイプを同列に語っている。レイプは、加害者による「意思」と力によって起こる。ウィルスなどとは違う。タバコ→肺がんと、男性→レイプ、ではないはず。)
Wiki(英語)
Blaming the Victim(帯:中流階級にありがちなイデオロギー)

とくに性犯罪の被害者を「異端視」する心理やリスクなど

Stop Blaming the Victim: A Meta-Analysis on Rape Myths
Avoiding Victim Blaming
Eight reasons why victim-blaming needs to stop
Stop blaming victims for sexual assaults on campus
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今日発売『AERA』に、障がいを持つ女性への性的暴力の記事が載っています。1ページですが、掲載まで時間を要し(紙面に載らなかった取材など含め)、一般の週刊誌ではあまり取り上げられない話題と思います。ぜひご一読ください。

追記:ウエブサイト公開:「障がいを持つ女性への性的被害」
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来週19日(月)発売の『AERA』(5.26号)に、1ページですが、障がいを持つ女性への性暴力被害の記事が出ます。前々から、ずっと掲載を待ち望んでいたもので、少しでも、こういう実態もあるのだと多くの人に知ってもらいたいです。

***
私がこのテーマに興味を抱いたきっかけは、まったく別の取材を通してのことだ。

1年以上前、地方で暮らすある女性と知り合った(今回の記事には登場しません)。当初はメールのやりとりだけだったので、私は彼女が障がいを持っているとはわからなかった。しかも、彼女は障がいゆえに事故に遭って大けがをして、リハビリに励んでいるところだった。(これらについては確認している。ただ、当事者が特定されないように書きます。)

毎日自宅にいて、深い孤独を抱えている彼女は私にも、「友達が欲しい」としきりに書いてきた。そのうちに、いろいろと自分のことを吐露してくれるようになったのだが、そのなかで私が引っかかったのは、「母親にも言えない」というある出来事についてだった。そしてそのことで、彼女は今も、身体が傷ついたのではないかと心配していた。

彼女は以前、事故に遭う前、「彼氏が欲しい」「友達が欲しい」と、ネットを通して出会いを探していた。ネットを通じて知り合った複数の男性ともホテルに行ったこともあると打ち明けてくれた。10数名ほどである。同じように障がいを持つ男性もいたが、健常男性も少なからずいた。

そのうちの何人か、とくにひとりの健常者の男性から、彼女の意思に反する乱暴な行為をされ、身体のことで悩んでいた。彼女は障がいから、言葉(音)で意思を発することが困難だ。またそうした不自由さがなくとも、密室で逃げることが難しい状況であったことは想像に難くない。

ネットの出会いから、見知らぬ男性についていった面については、軽率と言われてしまうかもしれない。しかし、詳しい内容を知るにつれて、相手の男性は「障がいゆえに、彼女の持つ弱い部分」につけこんで事に及んでおり、これは卑劣な暴力ではないのかと大きな違和感を抱いた。しかも、その相手は子どももいる既婚の健常男性だったという。そういう男性が、ネットで孤独な女性を探し、ホテルで一方的という言葉では片づけられない性暴力に及んでいるのだ。彼女の障がいは、メールでわからなかったとしても、実際に会えばわかる。

現在でも身体を傷つけられたかもしれないと怯え、でも母親にもその出来事はいえないと言う彼女…。私は姿かたちの見えないその健常男性に、強い怒りを覚えた。障がいをわかった上で、つけこんでいるからだ。彼女のことを顧みない性暴力に及んだからだ。ふだんは素知らぬ顔で働き、家族と日常生活を送っているのだろうか。

***
上のようなことから、私は障がいを持つ女性が抱える生きづらさ、社会で直面する困難、そしてそこにつけ込む人達について(無自覚のレベルを含め)、考えるようになり、取材をはじめた。テーマがテーマであるだけに、一般の全国誌にはなかなか取り上げられにくい。ようやく今回アエラに掲載が決まった。まだまだほんの少しの発信かもしれないが、当事者の人達、これまで草の根で取り込んできた人達の思いに少しでも応えられたらなと思っている。

追記:ウエブサイト公開:「障がいを持つ女性への性的被害」
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