平井美帆 MIHO HIRAI BLOG

思ったこと、感じたこと、ぼやいてます。



























カテゴリ: 『中国残留孤児 70年の孤独』

三鷹の中国帰国者の会へ。
内職している人がいた。
ポールペンの先の部品を2個作って、1円だそうだ。安い。せめて1個1円にならないのと思うが、内職の相場ってそのくらいだと、残留婦人2世の女性は言う。

それでも数人ほどの採用に、日本語の不自由な帰国者だけでなく、日本人のおばあちゃん達も含めて十数人の応募があったという。

急いでも、1時間に250円くらいにしかならない。1日1000円いけばいいほうだそうだ。

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このあいだ、残留婦人3世にあたる読者からウエブサイト経由で長文のメールをもらった。私と同世代の女性だ。最後までいっきに読んで、ちょっとうるっときてしまった……。

彼女は自分のルーツを知ろうと、これまでの中国残留孤児・婦人の本を見つけると、できるだけ読むようにしてきたという。だが、書かれていることは、「1世」の体験や歩みばかり。3世の彼女は、あまりぴんと来なかったそうだ。

『中国残留孤児 70年の孤独』では、2世や2世の配偶者のことも多く書かれていたので、とてもうれしく思ったと彼女は言う。なぜならば、自分の両親の姿(お母さんが日本人、お父さんが中国人)と重ね合わせることができたからと……。

さらに私の本を読んで、「祖母や両親の話をきちんと聞いて、残したいと思った」と彼女は綴っていた。いずれ、子ども達が必要になったときのためにも、まとめて残しておきたいと感じたのだという。(私も取材をはじめてから同じ思いを抱いたが、すでに祖父母は4人とも亡くなっていた。)

私自身、たくさんのことを学んだ。
旧満州で戦争を体験した人たち、そして、二つの国の狭間で生きねばならなかった人々から。

「ああ、残さないと」「伝えないと」
そういう思いで身を削って書いてきたので、3世の人の感想は胸に迫るものがあった。

彼女は幼い頃に日本に帰ってきたので、表面的には一般の「日本人」と違いがない暮らしをしている。もちろん、言葉には不自由がない。それでも心のどこかに、「異邦人」でいる自分がいるからこそ、私の本も手に取ってくれたのだと思う。

彼女は私の本によって励まされたと書いてくれていた。
だが、私は彼女の思いに励まされた。

まだまだ旅ははじまったばかりの気もする。
扉を開くのは誰にでもできるし、いつでもできるのだと思う。
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本日8月26日から電子版、発売です!




各配信元(電子書店)
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刷りだしがあがってきました。この土曜日(8月6日)発売の『すばる』9月号に寄稿しています。ぜひ読んでください☺︎

I contributed an article for monthly magazine, SUBARU for Sept. on sale this Saturday. It’s about Japanese left behind in Northeast China (mostly women, children and orphans) at the end of World War II. Since returning to Japan in about 50 years, they've formed a new style of community different from a traditional Japanese family.

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帰国者2世の人と一緒に、三鷹の介護施設へ行ってきた。
「中国残留婦人」にあたる女性(91)が入所している。

事前に聞いていたより、具合が悪く、会話はできなかった。
その2世の人が一カ月と少し前に訪れたときは、ふつうに話せていたし、もっとふっくらとしていたという。

春になる頃には持ち直してほしいなあ……。

女性は終戦時、20歳だった。
満州で結婚したばかりの夫と生き別れ、ソ連兵に連れ去られ、それでもなんとか生き延び、中国人に助けられて家庭を築いた人だ。シベリアに抑留されていた日本人の夫は、終戦から7年後に母国の土を踏むことができた。だが、満州で離ればなれになった妻のことは死んだと思い、ついに他の女性と再婚した。のちにふたりは日本で再会を果たすが、互いにそれぞれの国に家庭があり、どうすることもできなかった。

まさに、昨年夏にテレビ放映された「レッドクロス」の世界だ。
目を閉じて、眠っている女性の顔を見ていると、映画「タイタニック」のワンシーンのようでもあった。この一世紀近く、彼女はどれほどの激動の人生を歩んできたのだろう。いま、脳裏にはどのような風景が浮かんでいるのだろう。いつの時代の出来事が流れているのだろう。もっとも、胸に去来するのはどういうことなのだろう……。

寝顔を見ながら、ずっと考えていた。

お見舞いに来ていた女性の息子、一緒に行った2世の女性も、「中国語」で日本人の女性に話しかけていた。残留邦人2世は中国で生まれ育ったから当たり前のことなのだけど、あらためて時の重みといおうか、女性の歩んできた長い長い道のりがうっすらと透けて見えるようだった。
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中国帰国者の忘年会にお邪魔したのだが、テーブルの上には、手作りの料理の数々…どれもすごくおいしい。異文化に興味や関心を抱く入り口というのは、実は「食」なんではないかと…。しかも、その国の食べ物が好きだと興味も持続する。

三鷹1223

テーブルの上に、20㎝~くらいに切った生のままの長ネギがあった。それをそのまま、おじさんが手に持って、かぶりついて食べている。テレビ版「紅いコーリャン」のなかで見た、ユージャンホなど村の男たちがネギを1本、手に持って食べているシーンを思い出した。

2㎝くらいのところで挫折したら、残りのネギはどうなるのだろうか?
やはり、全部、食べないといけないのだろうか(とすると長すぎる)。
香辛料を使った料理が多いので、お口直しなのかな。
歯みがき効果もありそうだ……。

などと、ひとりあれこれ考えていたのだが、20㎝くらいも食べれないから断念。
あれは何、これは何、と訊きながら、食べるのが楽しい。(なぜかネギのことが印象に残った・笑。挑戦したらまた書こう)
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12月6日付の東京新聞に『中国残留孤児 70年の孤独』書評が載りました。ネット掲載はこちらから 評者は、報道写真家の勝山泰佑さん。文頭は「我是谁」から始まり、短い文ながらも、鋭く切り込んだ言葉が並び、丁寧に読みとってくれたのがわかる。勝山さんはあきる野市の「中国帰国者之墓」まで足を運んだという。

舞踏劇「我是谁(私は誰ですか)?」を書いた宮崎さん(身元未判明児)に、早速電話して伝えたところ、喜んでいた。日本語が上手な彼は、中国ではメディアの大学で教えていたこともあり、日本人、中国人問わず、下の世代との連携窓口となって日々奮闘している。また、通院する帰国者につき添うなど、仲間の支援にも力を注ぐ。ほかの多くの孤児たちは、日本語がそれほど話せないし、読めない。

だが、下記の白山明徳さん(「家園」14号)のように、身元未判明児たちはそれぞれの人生を生き、年老いた今だからこそ、母への想いを募らせ、生きているうちに会えない運命を嘆いている。宮崎さんや池田さんなど皆を引っ張る力のある孤児たちは、そうした仲間の想いも背負って活動しているのだ。

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東京新聞の書評は、
「両親が養父母に変わる」の一言に、私はあらためてはっとさせられた。

連絡をくれた2世の女性は(日本人の父、中国人の母)、
「帰国と棄国は、すごく重たい言葉ですね」
と言っていた。

中国を決して捨てたわけではない。気持ちの面では「棄国」ではないのだろうけど、孤児の「帰国」によって、今度は中国人配偶者が日本で孤独を抱え、自分の親や親戚と離ればなれになってしまったのは事実だ。また、2世は葛藤しながらも日本で家庭を築き、子ども(3世)は日本語しか話せなくなる……。

彼女は、「書評の中に、2世、3世のことを触れてくれれば、若い人も読んでくれるだろうと思いました」とも言っていた。確かに、日本の中高年は過去の出来事、70年前の悲劇ばかりにどうしても目が向いてしまう。
この書評に限らず、出版社の年輩の人達もそうした傾向にあった。残留孤児支援者のなかでも、「2世のことはよく知らない。会ったことがない」という人もいた。あるいは、満州や引き揚げをよく知る人であっても、帰国者との交流はない、という人も……。

最初に本に興味を抱いてくれるのは、やはり「満州」「引き揚げ」「残留孤児」といった言葉をよく知っている世代である。むろん、70年前のことを伝えていくことは非常に大事なのだが、いまの社会の現役世代、その下の世代にもつながるようにしていきたい。70年前の物語だけで終わらせたくない。

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『中国残留孤児 70年の孤独』を刊行してから、じわじわと人のつながりが広がっていきそうである。先週は、満州移民研究をしている高橋健男さん(新潟在住)が、出版社経由でご著書と貴重な資料などを送ってくださった。ありがとうございます。 

いくさ、あらすな
高橋健男
新潟日報事業社
2015-03-27


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また、満蒙開拓平和記念館(長野)で「案内ボランティア」をされている木村多喜子さんからも、ウエブ経由で長文メールをいただいた。ボランティア通信「ピース Labo.」26号の編集後記にも取り上げてくださった。少し長くなるが、以下に引用する。

「今、ある本を読んでいる。平井美帆さんという 1971 年生まれのノンフィク ション作家が書いた『中国残留孤児 70 年の孤独』(集英社)という本である。 私と同世代。その彼女の目線で、『今』の残留孤児1世、2世、3世の姿を描いた作品である。1世の思いと2世、3世の思い、抱える問題の違いが穏やかに綴られている。いつも記念館で案内をする時、残留邦人の『今』が気にかかっていた。そして、自分がそれを知らずして案内する事の心もとなさを感じていた。満州の当時の様子や残留孤児、残留婦人のことを書いた良書は多くある。

けれど、私が知らないだけかもしれないが、その人たちの今を見つめた著書が少ないと感じていた。そんな時、この本に出会え、その内容にクラクラするほどの衝撃があった。再びあまりにも知らない自分がいたからだ。この著書 に出てくる東京の『NPO 法人中国帰国者・日中友好の会』の理事長の池田澄江さんは、先日東京で開かれた養父母展で挨拶をされた方である。この団体が開いている『中国残留孤児の家』に近々行こう。彼等の今を知りたい」

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北京放送での宮崎慶文さんのインタビュー(開いたら音声が出ます)
 拙書でも書いたとおり、宮崎さんも「故郷(ふるさと」を歌っている!おなじみの「うさぎおーいし」から始まるあの歌は、残留邦人にとっても大切な歌なのだ。)

*「家園」14号は、日中友好の会のHPに掲載
*「ピース Labo.」26号のPDFは、こちらのウエブサイトに掲載
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