平井美帆 MIHO HIRAI BLOG

思ったこと、感じたこと、ぼやいてます。


Smash the patriarchy!










San Clemente Pier
San Clemente, CA, USA


©MihoHirai









カテゴリ: 裁判とか判例、法学もろもろ

私が予備試験の受験勉強していたり、自分の相続争いを考えたり(叔父が勝手に亡き祖父の動産を持ちだし)するときに、辛くなるのは慣習法が日本では認められている点だ(民92)。もちろん、公序良俗(民90)に反すれば、無効となるが、闘わなくてはならないのは、その「慣習」によって苦しめられた側だ。

そして、日本の慣習というのは、きわめて女性差別的である。徹底的に女性を除外してきた。「人」に含めていない。古来、日本の慣習というものを形作ってきた思想が、男尊女卑なのである。市町村では往々にして、男の衆が物事を決めてきた。家族、親族では、「長」つまり、父だろう。日本の慣習は家父長制に基いて、脈々と続いてきたのだ。

日本には、そういう慣習にしたがって作られたルールなどが多々ある。希望的観測で「減ってきた」と思いたいところだが、近年の医学部入試での女性差別をみれば、決して過去形ではない。女性差別の思想や意識を変えるのは容易ではないのだ。とりわけ、得する側(既得権益側)は、無頓着だし、平然と差別する。いたるところで慣習は渦巻いている。

**
法律の入門書を読んだときに、民主主義にはマイナス点もあることが書いてあった。そのとおりと思い、頭に残った。民主主義は多数決の原理だからだ。そして、社会で割を食っているのは「少数派」なのに、つねに多数派の原理を持ちだされると、少数派に対する不当な扱いは是正されない。このようにいうと、男女数はだいたい半々だから、多数派原理でも問題ないではないかと考える人もいるかもしれない。しかし、決め事はつねに「全員」で決められるわけではない。議決権、決定権を持つのは男が大半。この光景が日本社会では珍しくない。どの分野においてもだ。
すると、いとも簡単に、息を吸うがごとく、多数派の男性にとって心地よいルールが作られ、維持されていく。上辺だけは「民主主義的」である。

**
女性差別のルールが公序良俗に反するとして、無効となった有名な判例に、女子若年定年制の就業規則規定(昭和56年3月24日)がある。男性の定年を60歳、女性の定年を55歳とした就業規則規定に対してである。また、入会部落の慣習に基づく入会集団の会則(平成18年3月17日)などもある。結婚した女性は、《離婚して、旧姓に復しない限り入会権者の資格を認めない》とする部分に対してである。どちらのルールもあまりに前時代的で「江戸時代の話なんだろうか?」と一瞬思うが、どちらも最近、少なくとも私がすでに生まれてからの判例だ。

**
いま媒体が思い出せないのだが(見つかったらこの部分は修正か加筆)、ある弁護士が法律とジェンダー論はぶつかるといった文章を寄稿していた。ジェンダー法学に対して、どことなく批判的に書いていた。この弁護士には男女平等、男女同権についてはどう考えているか、訊ねてみたいものだ。…といっても、法律家を名乗る弁護士界ほど、男性中心的価値観がまかり通っているという矛盾があって、この手の考え方の弁護士は珍しくないだろう。

私からすれば、女性差別は公序良俗というよりも、憲法に反する。無効にはなったが、判決文もなまやさしい。なぜ、もっと糾弾しないのだろうか。

***
上に書いたような民主主義のマイナス点を補うために、Affirmative Action(積極的差別解消措置)がある。ところが、この措置が日本社会では女性に対しては取られてこなかった。入試だけでなく、幹部候補や政治家枠などでも取られていない。それなのに、司法試験では、AAが取られていて、男性差別にあたるのではないかという問題がでた。こういう問題を安心して入試に出せるところからして、男性優位の考え方がまかりとおっている。→「現実はどうよ」
このエントリーをはてなブックマークに追加

いや、元気なうちに書かねばならないことのひとつに、法曹界とジェンダーの問題がある。

これについては、長年貧乏な依頼者側であった私、さまざまな訴訟形態を体験してきた私、受験生としていわば今度は「内側」から法曹界を知るにいたった私にしか、書けない部分がある。どのノンフィクションでもそうではあるが…。

こればかりは法律を学んでも、変わらない。

仮に、資格がとれても(試験にうかっても)、ノンフィクションは書き続ける。

業界をクロスしたほうが、見えてくるものもある。
このエントリーをはてなブックマークに追加

死者の名誉毀損については、『落日燃ゆ』*がリーディングケースのようになっている。

まったくもって、承服しがたい。

(詳細はいま、ここで書かない。)

この件について、私が控訴した裁判の第一回口頭弁論があった。

法廷の入り口で裁判長の名前を確認してみると……
IMG_6845

約1年前、亡き祖父の遺産範囲確認の裁判の控訴審で、裁判長を務め、事実上、私に勝訴をもたらしてくれた大段亨裁判長だった。

このときは、私の主張(真実)を証拠に基づいて、素直に認める大逆転判決を出してくれて、感極まった。実際、大泣き。ここに至るまで、どれほどの、どれほどの道のりだったか…。

唸ってしまうほど鋭い、的を得た控訴理由書を書いてくれた伊東良徳弁護士のおかげでもある。相手の嘘を見事に暴いてくれたのである。

***
今回の裁判についてはわからない。
厳しいと思うけど、納得はいかない。

裁判上においても、紛争相手に心理的ダメージを与えることを目的として、争点とは無関係なことを、意図的にくり返し、攻撃材料として持ちだすのは不当である。卑劣以外の何ものでもない。まして、反論すらできない亡き親の名誉を傷つけることを……。

***
IMG_6840

東京地裁の前をとおると、パネルなどが掲げられていた。
あれ? こちらも見てみると、今回の裁判の一審で、私側の請求を棄却した八木文美裁判長の名前があった。

裁判長も大変だなあなどと思いつつ、人の一生を左右する決断をするのだから、慎重に検討してほしいという思いはある。ときには恨まれたりすることもあるだろう。私は過去、ひどい判決文を書いた一審の裁判長ら(八木裁判長どころではない)を恨んではいない。だが、能力的に低いと思っている。事実認定する上でちゃんと証拠を見れていないし、ある意味、社会通念に縛られすぎて、相手側の創作につられすぎだった。特殊性を検討せずに、「はい、はい、規範にあてはめてこれで終わり」というパターン。一言でいえば、頭が固いのだ。

***
私の件にかぎらず、判例について本音をいえば…
1 役立たない判例があとあと残るから、公益性のある重要な争いごとはいったん提起した以上、最後まで闘ってほしい。
2 裁判をあきらめないで、不当なことはとことん訴えてほしい。そうでなければ、判例が増えず、古い判例が規範として残ってしまう。

民法は、何十年も前の判例で仕切られている現実がある。そもそも民法は古い(オリジナルは明治もの)。その民法の条文に当てはまらない争点については、過去の判例を持ち出してくるわけだが、その判例も古かったり、モデルケースがほとんどなかったりする。


*「落日燃ゆ」謝罪広告等請求事件(一審東京地裁 昭和50年(ワ)7430号,昭和52年7月19日判決,東京高裁 昭和52年(ネ)1829号,昭和54年3月14日判決)
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ