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心にひとつ、またひとつと
小さな穴があいていく

その穴を埋める術はなく

それは連なって
ひとつの大きな穴となって

でも
それは漆黒ではなく

澄み切って輝く青空のような
暖かい穴

きっと埋める事はないだろう
きっと埋まる事はないだろう

だって
幸せだったから
だって
愛があふれていたから

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茶々丸が虹の橋へと旅立って行きました。

もうすぐ2週間になります。

2013年8月23日。午後7時35分。

ごえもんとしんのすけの待つ
あの橋へ走って行きました。



癌の診断が下ってから
経過を書こうと思っていましたが
低迷安定で書けませんでした。

手術後2か月もたたないうちに
再発してしまいました。

結果、死因は
脂肪肉腫の再発と転移による
内臓機能低下です。

あたしにはもう何もしてあげられませんでした。

再発は切除した患部を埋める為に活性化した細胞が
癌細胞だったこと。
転移は腹腔全体にびらん状に広がってしまったこと。

もう手術も出来ませんでした。

ただただ
最後まで好きな物を食べて
みんなと一緒に
すこしでも幸せだったという時間を過ごしてもらいたかった。

亡くなる前の2週間は給餌しないと食べられず
最後の2日は給餌も食べられませんでした。

食べられる物だけでも
水分だけでも・・・

そんな状態になり

23日、午後5時頃から呼吸が困難になって
抱っこして体をマッサージして
沢山撫でてあげていると
もう力が入らなくなってしまいました。

その日は午後から雨で
夕方も激しい雨が降っていたのですが
そんな状態になった時
1時間くらいでしょうか
雨がふっとやみました。

「僕を病院に連れてって」

そんな風に思いました。

自転車を飛ばして病院へ連れて行き
受付をした直後にキャリー内で倒れてしまい
すぐに診察室に入ったのですが
その時には息を吸うのもやっとになって

初めて、茶々の鳴き声を聞きました。

キーキーと高く響き渡る叫びでした。

あたしが最後にかけた言葉は

また

「茶々!おかぁしゃんだよ!がんばって」だった。

もう十分頑張ったのにまた言ってしまいました。

先生に連れられ酸素吸入直後に
呼吸も心臓もとまってしまいました。

何もする暇がなかった。

でも、一番辛い苦しみが長くなくて良かったのかもしれません。

もうこれ以上はかわいそう。


もう沢山頑張ったから
お休みしてもいいかな・・・
ちょっと疲れたかもでし。

そんな風に思ってたのかもしれません。

いや
そう思いたいんだと思います。あたしが。



毎日のお世話で
今日は元気がないな、
今日は楽しそうにしてるな、
そんな変化をここに記していければよかったのですが
今回は余裕がありませんでした。

病気の事も
再発は目に見えてわかりましたが
転移は本当にわからなかった。

わかっていても
手段はなかった・・・

だから
ただただ毎日
美味しいと食べてくれるものを食べられるだけ
楽しいと思う事を楽しめるだけ
気持ちいいと思ってくれるならいつまででも撫でて

でも嫌がるお薬や給餌もしなくちゃ生きられない
心を鬼にもしました。

いつかまた
部屋中を冒険しながら走り回ってくれるんじゃないかと
そう思わずにはいられなかった。

あたしが潰れそうだった。

1日に何十回も何百回も
息をしているのを確認せずにはいられなかった。

そんな余裕のないあたしをきっと
茶々は見ぬいていたんだろうな・・・と
今になって思います。

しんのすけもあたしの手から旅立ちました。
ごえもんも奇跡的にあたしの手から旅立ってくれました。

そして茶々丸もお兄ちゃん達と同じように
手の中でとはいかなかったけれど
その瞬間だけは離れていたけど
でも、あたしを待って、雨をやませて、辛い思いをさせる事なく
あっという間に旅立ちました。

我が家の3兄弟は
本当に母思いの優しい子ばかりでした。

IMG_0314



あたし
今までずっと引きこもり主婦でした。
生活の9割は3兄弟の為に生きてたといっても過言ではないくらいでした。
だから外には出なかった。

そんなあたしが
何故かこの時期に
この茶々が闘病してる時期に
パートを始めました。

8月の事です。

自分でもわからなかった。

あんなに外に出るのは嫌だったあたしが
みんなの傍を離れていると心配でどうにかなりそうだったあたしが
給餌をしている子を留守番させて
パートに出るなんて。
週2日、短時間でしたが
それでも数時間でも気が気じゃなかったのにどうして?


しんが逝った時には
ごえと茶々がいたんです。
2人のお世話をする事でなんとか立ち直れました。

ごえが逝ってしまった時は
もう食滞が始まりかけた茶々がいました。
茶々はごえが逝くまで頑張ってくれていて
ごえは茶々の具合をみて旅立ったのかと思うくらい
不思議なタイミングでした。

そして茶々は

あたしにはもう誰もいなかったんです。
失いたくなかった。

逝ってしまった後に
仕事が残りました。

とても不思議でした。

茶々のお葬式をあげた次の日から
仕事しました。
まだ研修中だから覚える事が沢山で
数時間はちゃんと真剣に仕事しました。

帰ってきて
暗い部屋、静かな部屋、暑い部屋
それだけで泣いてしまったけれど
でも次の日も仕事に出かけました。

母が

「きっと、茶々は、自分がいなくなった後のあなたが心配で
 仕事を残していったんだね」

そう言いました。

仕事を週に2日、
23日はいつもは家にいるあたしが
たまたま用事が重なってしまって夕方まで留守にしてしまいました。
そんな日の夜、茶々は決めたんでしょう。

仕事にいっている時に逝かないように
あたしが留守の時に逝かないように
あたしが後悔しないように
あたしの為に待っていてくれたんだ、きっと。

どの位前から苦しかったのか
わかりません。情けないけど。

でも、本当に最後は沢山抱っこさせてくれて
沢山撫でさせてくれて
最後の鳴き声は苦しくて鳴いたんだと思うけど
でも

「おかぁしゃん、ありがとう」って言ってくれたのかな。
なんて。

「おかぁしゃん、がんばって」って言ってくれたのかな。
なんて。

だから虹の橋へ送り出した時の言葉は

「茶々、いってらっしゃい!」


だって、あまりにも穏やかで
まるで見つめると体が上下して息をしてるんじゃないかと錯覚してしまいそうな位
眠っているような姿だったから・・・


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沢山のお花で華やかに
ぞんぶん食べられる様にごはんを添えて


「いってらっしゃい」



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それからのあたしは
2日位泣いて
今でもケージもごはんも遊び場もそのままだけど
泣いた後は普通に過ごしてます。

お骨が帰って来て
あの日から2週間経ってやっと
無意識にケージを覗くこともなくなって

毎朝、
ごえとしんと茶々に手を合わせて
います。


IMG_0325



普通に過ごしてた気でいたけど
1日の大半を子供達がしめていたので
その空白をどうにかしようと
今までしなかったゲームをしてみたり
ずっと何かを見ていたり・・・

家事をすればいいのですがね(苦笑)

ブログも書こうと思ってたんだけど
ごえやしんの時みたいに報告出来なくて
沢山心配してもらって、
茶々を愛してもらったのに。

やっと書けるかなと思ってたら
やっぱり泣いちゃいました。


でもやっと区切りをつけられます。


ごえちん、ありがとう。
しんちゃん、ありがとう。
茶々、ありがとう。

みんな、我が家に、母の元へ来てくれて
ありがとう!

そして、
愛してくれたみなさん

ありがとうございました!

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茶々丸 4歳4か月29日 2013年8月23日没




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