1953年12月12日深夜、青森県新和(にいな)村[現弘前市]小友宇田野地区の
リンゴ農家・M家の三男で桶職人のT(24)は、大量に飲酒して酩酊状態となり、
味噌を盗もうとして実家の物置小屋に忍び込んだ。
そこで猟銃を見つけたTは銃を手にすると裏口から実家に忍び込み、
寝ていた父親(57)他、祖母(80)・長男(35)とその妻(33)、
長男夫婦の子で長男(7)・長女(5)と叔母(61)を射殺し、
さらに家へ放火して長男夫婦の二女(3)を焼き殺した。
 犯行後、Tは親戚に付き添われて駐在所に自首して逮捕された。
その姿は皮の胴着の下に弾帯を装着して散弾を挟んでいた。
Tは犯行時の記憶がほとんどなく、父親へ猟銃を撃ったことは覚えていたが、
他の者への犯行や放火については覚えていないと証言している。
 捜査で放火についてはTが放火した証拠が得られなかったため、
焼死した次女は殺人の被害者には含まれず、7人殺害と住居侵入の罪で送検された。
 裁判では犯行当時の精神状態が争われたが、
青森地裁は「Tは犯行当時酩酊状態にあり、味噌を盗んだことが
父や兄に見つかると殺害されてしまうと被害妄想状態に陥り、
日頃の恨み(家から追い出され知り合いの物置で暮らしていた)が爆発して犯行に及んだ」
もので心神喪失により殺人については無罪とし、
住居侵入に対してのみ有罪(執行猶予)の判決を言い渡した。
この判決は高裁でも維持され判決が確定。Tは釈放された。
 釈放後、Tは村に戻り兄と共にリンゴ園を経営し成功。
結婚をして子をもうけ、自治会長等を勤めるなどした。
しかし晩年の2001年12月、運転していた軽トラックが
雪道でスリップし対向車線からはみ出してきた乗用車と正面衝突、
Tは死亡した。享年72歳。

※この事件が後に都市伝説として有名な「杉沢伝説」のモデルになったともいわれている