2008年09月20日

ジャポニカ・フラワーたちよ(椿のことじゃよ。日本女子は撫子。ってのはわたしは嫌いでね)

ジャポニカ・フラワー あまり軽ネタを書かなくなってから、というか、子盗み問題や底辺託児所日記を書きだしてから、英国および合衆国、ならびにヨーロッパ在住のジャポニカ・フラワーズの皆様からいろいろな相談事のメイルを頂戴するようになり、将来はアゴニー・アントでデビューできるかしら。などと考えたりもする今日この頃だが、やはりわたしには無理である。

 

というのが、どうも気持ちが落ち込んで、疲労感に満たされ、駄目なのだ、なんかこの頃。重圧感(十熱燗。とPCでは最初に変換されたが、そうではない。10本も飲めたら盆と正月、もといクリスマスとイースターが一緒に来たようなもんだけどな)で憔悴してへろへろになっている。

 

ひとつだけ言えるのは、わたしは仰天したということだ。

これほど深刻に不幸を感じているジャポニカ・フラワーズがいるということに。

 

もっとみんな、ふまじめになろう。いい加減になろう。&スケベになって笑いを取ろう。

どうもこう、生真面目過ぎるのじゃないかな。三十代後半ぐらいからわたしの世代ぐらいのジャポニカ・フラワーズは。

 

この世代の日本人男性なら、まじめできっちりした清楚な撫子が好きかもしれないが、そのような態度では西洋の男性(特に英国の人民ピラミッド底辺周辺の男)には、窮屈がられ利用され舐めくさられて、大変不幸な状況を生み出すことは必至である。相手はアニマルなのだから。

 

飲酒問題を抱えた男と一緒になったら、君はさらにその上を行くアル中になれ(朝から居間で立膝して飲んでいれば、たいていの男なら“俺がしっかりしなくちゃ子供が死ぬ”と思い当って飲まなくなる)。

グーで顔を殴られたら、君はビール瓶またはパイントグラスで相手の頭を殴り返せ(こっちの男は丈夫なのでその程度じゃ死なん)。

男が家に金を入れないのなら、君は自分で金を稼げ(ほんで稼ぎのない奴は窓から放り投げて捨ててやればいいのだ)。

 

くそったれな男と一緒になったのは、そして今でも別れていないのは、君の決断だ。

自業自得。という白々としたロマンもへちまもない境地に陥るのを恐れて、「ヴィクテムな私」に陶酔している間に、ドメスティック・ヴァイオレンスだの、極端な貧困だのを目撃&経験している子供がえらいことになってしまうぞ。

 

男が大黒柱になるべき。という日本のNORMは西洋では通用しない。

勘違いしてこっちの男に寄りかかっていると、男も崩れるし、家庭も崩れる。

 

くそったれなのに今でも別れていない。ということがLOVEを意味しているとすれば、相手を崩さないようにするのは愛してしまった人間の義務だろう。

 

というようなことを各人に返事として書き送ることをせず、ここでまとめて書いているわたしも相当不誠実&いい加減だが、それだからこそわたしはそんなに不幸は感じてないぞ(連合いは感じているかもしれないが)。

 

              **********

 

MS子さんの娘)の精神鑑定医のレポートを読んだ。

 

“自分にはユーモアのセンスがないと思い、そのことを怖れている”という指摘があった。

 

英国で子育てをしているジャポニカ・フラワーたちは、真剣に考えねばならないポイントだと思う。

この国で評価されるのは、くもんのロンドン教室で鍛えられた計算能力ではなく、ユーモアだ。

 

               **********

 

どうして和田アキ子なのですか。自分は彼女は大嫌いです。

という主旨のメイルを戴いた。

わたしはあの楽曲を高く評価しているのであり、あの楽曲は日本のゴスペルだと20年ほど前から思っている。

 

福岡の某カソリック教会で聖歌隊にあの曲を歌わそうとしたが却下されたという経緯もあり、1994年の紅白歌合戦であのようなアレンジで和田アキ子があの曲を歌った時には、わたしは間違っていなかったのだと確信した。

 

彼女があの楽曲中で歌っている「あなた」とは、ジーザス・クライストのことである。外国の音楽みたいでなんか格好いいからという理由でそうしたにせよ、よく出来ている。

無宗教または時々仏教、ならびに神道、の日本で、このようなポップソングは稀有だ。他に何か例があったら教えて欲しい。

  

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2008年09月19日

あのブランコを押すのはあなた

SWING 底辺託児所のスタッフの構成は、きわめて特殊である。

金銭を受け取って働いている保育者(責任者または責任者代理)は各セッションに一人ずつしかおらず、それ以外は全員が無給のボランティアだ。

 

各セッションの人員は、責任者(又は責任者代理)+ボランティア4人で構成されており、アニー(・レノックス似の責任者)の話によれば、ボランティアの人員配置は“有資格で経験豊富な人1名、チャイルドケアの学生1名、FINE(放っておいても大丈夫)な人1名、サポートが必要な人1名”という構図を基に決められているという。

 

わたしが底辺託児所で働き始めてから一番驚いたのが、この“サポートが必要な人”カテゴリーにあてはまる人々の存在であった。

 

このカテゴリーは、通常の保育園や託児所であれば、こんな人物が子供と一緒にいるのはヤバいと見なされて子供たちと接する仕事にはつけないタイプの人々である。彼らは一様に、学習障害、精神障害などの明らかなる障害をもっており、そのため文字通り子供と一緒になって遊び、本気で喧嘩をしてしまう人もいれば、数年前まで精神科に入院していました、という人もいる。

 

底辺託児所が“無職者および低額所得者をサポートする”慈善施設の一部である以上、託児所にしても「働けない人々」を支援して行く任務を背負っており、「子供と触れ合うということはセラピーの役割も果たすんです」というアニー(・レノックス似の責任者)の言葉通り、施設全体の基本ポリシーのために使用されているわけである。

 

とはいえ、当然ながら、これらの人々と子供たちが触れ合っている時には、必ず誰か別の大人が傍にいて監視したりサポートしたりすることになっているわけだが、このカテゴリーの人々の中には、ちょっと気に入らないことが勃発すると子供のように憎悪感を剥き出しにして凶暴になったりして、実際の子供よりよほど扱いに困る人がいたりする。

 

例えば、Bという24歳の女性がいるのだが、彼女は学習障害と人格障害を抱えており、しょっちゅう嘘をつき、切れやすく、子供たちと本気で張り合う。例えば絵本タイムなどでも、子供たちに質問をすると彼女が矢継ぎ早に答えるので、「大人がすぐに答えると子供たちが考える暇がなくなっちゃうでしょ」と諌めると、「自分のことを何様だと思ってるんだ、このファッキン・イエロー・ビッチ!」と激怒して部屋から出て行き、植木鉢を掲げて戻ってきてそれをわたしに投げつけようとしたりするものだから、あと30秒逃げるのが遅かったら絶命していたかもしれないと思うような局面に立たされたこともあった。また、日本の婦人服サイズでいえば21号であるところの彼女が、7号であるところのわたしの膝に乗ってきて闇雲に赤ちゃん返りすることがあるのも圧死の可能性を孕んでいて大変に危険である。

 

たかが無給仕事のために命まで張りたくはないので、わたしとしては彼女のような人とは出来れば関わりたくないのだが、どういうわけか気がつけば彼女をサポートする任務を負わされていることが多いのであり、嫌だ嫌だと思っていることに限って必ずしなければならなくなる、あまりにもわかり易過ぎるわたしの人生って。とブルーな気分になりながら先日なども彼女と一緒にブランコ乗り場を担当していると、彼女がぶんぶん幼児の背中を押すのでブランコが物凄い高さ&スピードで舞い上がっている。

 

普段は暴力的で大人を舐めきっていることで有名な3歳の女児も、さすがにこれには驚いたのか、泣きそうな顔でブランコ前方にいるわたしを見ている。

「しっかり掴まってなさいね、しっかり」

わたしは当該女児を励ます。しかし彼女は「怖い、怖い」と泣き始めた。

 

わたしはブランコを強制的に止めた。

「怖がってるから止めよう」

Bはそれでも無理矢理ブランコを押そうとし、当該女児をブランコから降ろそうとしているわたしの腕を掴んで叫ぶ。

「ファッキン・チンク(=東洋人への差別用語)!! さっさと自分の国に帰れ。私はこの子供が好きなんだ」

「でもこんな怖い思いをさせたらこの子はあんたのことが嫌いになるよ」

「別にそんなこと構わない。どうせ子供はみんな私のこと嫌いなんだから」

わたしは力ずくで当該女児をブランコから降ろし、走り去る女児の後を追うふりをしてブランコ乗り場とBから離れた。

こちらを追ってきて暴行を加えようとするかな。という予想に反し、Bはブランコ乗り場から動かなくなり、ブランコの下に体操座りをして宙を睨んでいる。

 

「あの子自体が図体のでかい子供だから、子供の面倒を見るなんて無理だよ」

ふと、Bの母親が食堂で言っていたのを思い出した。

Bの家族は全員が無職で当該施設に出入りしており、まあ要するにそういう家庭なのであるが、英国のそういう家庭の人々の特色として、普通そういうことは公衆の場でよく知らない人に喋ったりしませんよね。というような内容を大声でべらべら喋るというのがあり、Bの母親が朗々と語っていたところによれば、Bはこれまで2人子供を産んだことがあるらしい。

 

が、「障害者なので育てることはできません」と家族の方からソーシャルワーカーに連絡を取り、出産直後に2人とも養子に出したのだという。Bは、最初はひどく激昂して暴れたそうだが、「ああいう子だからね、2か月も経ったら自分が子供産んだことすら忘れてた」と母親は言っていた。

 

ブランコの下に体操座りしたBはいぜんとして大仏のように動かない。

子供たちからブランコを使えないという苦情が出始めたので、仕方なく彼女のほうに戻ることにすると、わたしの背後についてきた男児が無謀にもブランコに乗りたいなどと言っている。

Bは嬉々として立ちあがり、男児をブランコに乗せ、またもや背中をぶんぶん押し始めた。

「しっかり掴まってなさい、しっかり」

わたしは泣きそうになっている男児を励ます。

 

You know what?

子供よりも子供らしい、邪気のない笑顔でBが言った。

What?」

I love children

I know

I really love them

I know you do

 

泣き叫ぶ男児を乗せたブランコは、90度を超えたデンジャラスな角度で鉛色の英国の空に跳ね上がって行った。

 

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http://www.youtube.com/watch?v=_GHUOG125X8&feature=related

 

(これを見た連合いが、Japanese Shirley Basseyかって・・・・。

でも確かに70年代の全盛期の彼女なら、007のテーマ曲が歌えただろうな)

  
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2008年09月10日

朱に交わろうと、清涼。

ロータス・フラワー 下品で暴力的なファッキン・チルドレンの多い底辺託児所に、週に一度か二度預けられている2歳になったばかりの女児がいる。

 

彼女の名前はロータスといい、これがまさに泥沼に咲く一輪の蓮の花のように可憐でおとなしい。

やかましいガキどもに圧倒されて静かにしているだけかと思いきや、驚くほど気丈なところがあり、凶暴児に髪を引っ張られようとも、足を思い切り踏みつけられようとも、じろりと相手を睨むばかりで決して泣かない。18か月の頃からずっとそうである。

 

いい女だなあ。と、43歳の女が感心するような2歳児なのである。

とはいえ、黙ってぼさっと座っていることが多いので、底辺託児所で働く人々は概ね「言葉の遅い子」と思っているようだが、慣れてくるとハッとするような言葉を吐くので実は相当インテリジェントであることがわかる。将来はファム・ファタールだな。と睨んでいるが、そういう女というのはもう生まれた時からどこか違っているのだろう。

 

そのロータスの母親も、これがまた同性のわたしですら目が合うと赤面してしまうような美人である。すらりと長身&少年のようなスレンダーな体つきで、いつも白いTシャツにベルボトムのジーンズを履いてカウボーイハットを被っているのだが、これが妙に艶やかで女っぽく、彼女が底辺生活者サポート慈善施設の食堂を通り過ぎる時なんざ、昼間っから妙なもん吸って死んだ魚のような目をしているおっさんから、万年無職で働けない鬱ボーイなんですボク系脱力青年たちまで、急に目が覚めたような顔つきになって彼女を目で追っている。

 

が、ロータスの母親はファム・ファタールではない。

美貌のせいで黙っている時はそれ風に見えるが、いったん口を開くと急におどおどした態度になり、貧乏ゆすりを始め、どもり始める。

 

そのせいで、ショップの店員も、ウェイトレスも務まらなかったらしく、日銭を稼ぐために掃除婦をしていたそうだが、掃除をしていたスーパーマーケットのマネージャーに言い寄られ、断ったら解雇されたという。

 

よくロンドンの日系企業なんかには、何年か住んだだけですっかり精神的にUK化された気分になった現地雇用の日本人女性が、正当な理由(事業の縮小など)があって解雇されているにも拘わらず、弁護士にあれこれいちゃもんをつけさせて雇用主を恐喝するケースがあったりするが、実際の英国人女性には、彼女のようにセクハラされて解雇されておきながらそれを訴えない人もいる。

 

彼女のように人民ピラミッドの底辺部分でしか生きたことのない人たちには、“弁護士を雇って戦う”などという行為は雲の上の人々がすることにしか思えないからだ。貧乏人には弁護士なんか雇えないし、無料相談をしているチャリティー団体の弁護士などに電話したところで、常に留守電になっていて繋がった試しがない。などの理由により、こうした人々は泣き寝入りする。そしてこの国では、泣き寝入りする人間は“ルーザー”と呼ばれるのだ。

 

そんなわけで困窮するようになった母子家庭のロータス親子は当該慈善施設に出入りするようになったわけだが、“モデルみたいな言語障害者の姉ちゃん”ことロータス母が、じろりと肝の据わった目つきで大人たちを睨みつける美女児ロータスを抱いて現れると、そこだけ施設の空気が一変する。

 

名もなく貧しく美しく。

なんてことが現実にあるわきゃねえだろう。貧するということは、常に醜く汚く見苦しいことである。というのが貧民街在住歴11年のわたしの持論なのだが、当該母子を見ていると、そういうこともあるのかなあ。と思えてくる。

 

実際、ジャージの上着の下から腹をはみ出させつつプカプカ煙草を吸っている「リトル・ブリテン」の毎年子供を産んでます系ティーンエイジガールを地で行く女たち、何週間も洗っていないために髪がドレッドロック化する途上にあり、その途中の中途半端な状態なのでまるで油ぎったスフィンクスみたいになっていて、そんな状態にありながらも何処からか酒を買う金だけはゲットしているらしく昼間から真っ赤な鼻をして「ファッキン・ビッチ!」を連呼しているおばはん等々、当該慈善施設になんとなくふきだまっている女たちとロータス母子の周囲の空気は全く異質のものだ。

 

外見の美醜の前に、母子の周囲の空気はそこだけ清涼なのである。淀んでいない。

 

こういう人たちはあまり長くこの施設に出入りすべきではないなあと思う。

淀んでしまう前に、ゲットできるものだけゲットして去って欲しい。本来、当該施設はそのためにあるはずなのである。

 

ロータスの母親は、今年の春から当該施設で熱心にアートコースを受講している。

うまく喋れなくとも自分の気持ちが伝えられる手段を生まれて初めて見つけたという。

先月当該施設のオープンデーが開かれた折には、彼女の絵がポスターに使用されていた。

              

一方、母親がアートコースを受講している間託児所に預けられているロータスは、クソガキどもにどんなにいじめられても泣かないが、母親と別れるときだけは号泣し、託児所入口のゲートの柵を猛然とよじのぼって、泣きながら逃亡をはかったことすらあった。

 

「ロータス。マミーが今何をしているか知ってる?」

柵にしがみついているロータスを抱きあげてわたしは尋ねた。

「彼女は絵を描いているの」

「うん。でもロータスが今行ったら彼女は絵が描けなくなるよね」

「・・・・・」

「ロータスのマミーは絵を描くのが大好きでしょう」

「うん」

「ロータスはマミーのこと好き?」

「うん」

「じゃあ彼女に絵を描かせてあげよう」

何事かを考えるようにわたしの顔を見ていたロータスはぴたっと泣くのをやめた。それどころか、次回からは別れ際に「バーイ」と自分から母親に別れを告げるようになったのである。

 

自分側で犠牲を払ってでも好きな人に好きなことをさせる。というのは、大人でもそう出来ることではない。

生まれて2年もたたない子供にそんなことができるのは、この母子の間に、静かながらも揺らぐことのないリスペクトと愛があるからだ。

彼女たちが朱に交わってもきんと清涼でいられるのは、きっとこの関係性があるからなのだろう。

  
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2008年09月02日

愛の減少感。預金残高も減少しているが。

Baby Doll 新学期から底辺託児所で働く日が一日増大することになり、ああ嫌だ嫌だ、いったいぜんたいどうしてこんなことになってしまったのだろう。そもそもこんな所で何をしているんだろう、わたしは。と陰気な気分で砂場に腰掛けていると、戦慄の幼児として有名なレオが、小型乳母車玩具の備品であるところのベイビー人形の胴体から首や手足を引きぬいてバラバラにし、彼が言うところの“地獄の解体作業”に熱中している。

 

「あんた何でそんなにバラバラにするの。かわいそうじゃん、ベイビーが」

軽い気持ちで言葉をかけると、

「醜く低能な小人は神の手によって解体されるのだ」

と相手は例によって重厚な台詞を吐きながら、バラバラ死体状になった人形の各部分を様々なアングルに並べたりし始め、ほお。そこはかとなくハンス・ベルメールみたいじゃん。と思いつつ眺めていると、今度はそれらを砂に埋めて胸元で十字を切り、

「醜い禿頭の小人は永遠に封印された」

とへらへら薄気味悪い微笑を浮かべている。

 

いい意味で言えば個性豊か、悪い意味で言えば無茶苦茶なガキの多い底辺託児所でも彼の個性はひときわ強烈なので、わたしはアニー(・レノックス似の責任者)に訊いてみたことがある。

「レオの、異様なほどのベイビー人形への執着って、ありゃいったい何なのでしょう」

「それはね、彼の父親の家庭に、赤ん坊が生まれたからなのよ」

「っつうと、レオの母親と別れた父親が新たな家庭を築いて、そこに子供が生まれたということでしょうか」

「いや、事態はもう少し複雑でね」

と前置きしてからアニーは説明を始めた。

レオは、そもそもゲイ・カップルの子供として生まれた(と言っても生まれるわけがないので、当然どこかの女性の卵子と母体を借りてのIVF出産だったのだろうが)。しかし、レオの父母、ならぬ父父は2年前に破局した。その破局の原因というのも、レオの父親の一人が女性と恋に落ちてしまい、もうゲイはやめてヘテロになることにします、という人生の大改革を行ったからだそうで、彼は同性のパートナーを捨てて当該女性と一緒になり、昨年赤ん坊も生まれたという。

今でもレオと暮らしているもう一人の父親のほうは、パートナーとの破局以降精神的落ち込みが著しく、デザイナーの仕事も手につかなくなって酒に溺れるようになったが、今は底辺託児所のある慈善施設でアートコースの講師としてボランティアしており、生活の立て直しを図っている。

 

UKのゲイ・キャピタルと呼ばれるブライトンに住む子供らしいエピソードではあるが、ぞっとするほど色白で美形の、それゆえ気色の悪さも倍増するゴシック児レオは、こういった事情で赤ん坊に対して執拗なまでの悪意を示していたのである。

 

愛の減少感。

堕天使ルシファーが、神を裏切った理由はそれだったのよ。

20年ほど前、新宿でカルト団体のマーケティング部員に話しかけられて合宿セミナーに参加してしまった友人が、遠い眼をしてそんなことを語っていたことがあったが、レオが赤ん坊に制裁を加えずにはいられない理由も、まあそういったことのようである。

 

「愛が、減少しているように感じるのかな、君は」

二日酔いでボランティア仕事に出かけた朝、わたしはなにげなくレオに訊いてみた。

「愛は、常に減少を続け、死に絶える」

「そんなこたあない。増大することもあるよ」

「愛とは、常に減少を続けるだけなのだ」

「違うよ。どうすれば増大するか教えてあげよっか」

わたしは酔った勢いでレオの頬にキッス地獄の聖なる洗礼を与えてやった。

 

「やめろ。やめろってば」

レオは顔をしかめ、手足をばたばたさせてもがき苦しんでいる。

ポリスに見られたら幼児性愛者として投獄されても仕方のない強引さでわたしはぎゅうぎゅうに彼をハグした。

「やめろ。やめろよ、このクソったれの雌牛があ!」

いつものゴシック調の言葉が消え、子供らしい(あくまでも底辺託児所の子供らしさという意味で)表現が出てきた。

「愛が増大したでしょ?」

「してねえよ。気色悪いだけで」

レオはわたしの手を振り払い、部屋の隅まで走って行って、怒りと恨みと憎しみが混じり合ったような、なんとも言えない表情でこちらを睨みつけている。

「くふふ。あんたの弱点がわかったよ。キス&ハグ地獄だな」

「俺はあんたが嫌いだ」

「わたしはあんたが大好きだけどな」

「俺はあんたが大嫌いだ」

「関係ないもん、そんなの。あんたのこと好きなのはわたしなんだから」

前夜(というより当日の朝)まで飲んでいた酒の効用で饒舌になっているわたしは、5歳児を相手に愛の告白を続けている。

レオは「このキチガイばばあ!」とわたしの愛を全面的に拒絶し、しまいには昼寝部屋であるところの別室に行ったきり戻って来なくなった。

 

愛が減少するのは、大人だって悲しい。

ゲイだストレートだ人生の大改革だというような大人の事情とは何ら関わりのない子供にとり、新しい家庭に赤ん坊が生まれた途端会ってくれなくなった父親の行動は、どれほどの愛の減少感につながっているだろう。

 

が、そんな減少感などというものはほんの序の口なのだ。

大人になればもっと深刻に減少するものが出てくる。

預金残高、冷蔵庫の中の食料、仕事。

これらの問題は気持ちの持ちようで増大するような主観的なものではないから、せめて愛ぐらい、増えたような気分になって日々を乗り切るという人生のサバイバル法を身につけていただきたい。というプラクティカルな観点から、わたしは、特に二日酔いの朝などには有無をいわさずチュッチュおよびぎゅうぎゅう式メソッドで愛の増大感というものを示しているのだが、今のところ、まだレオのベイビー人形いたぶり癖は収まっていない。

 

そのうちわたしも煉獄の闇の中で浄罪の炎の矢に脳天か何かぶち抜かれて永遠に封印されているかもしれない。

           

 

http://www.youtube.com/watch?v=lsOBpDkwBtM&NR=1

 

  
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