2008年11月19日

ネアンデルタール人の子供たち

それぞれの靴。 英国の貧民街に根を下ろして日も浅かった頃、強く感じた疑問の一つに、「なぜ英国の少女たちは未婚でぼろぼろガキを産むのか」ということがあった。

 

わたしの生まれ育った国なんかだと、十代の少女がひょっこり孕んでしまった場合には、〕Э佑両匆陲箸でクリニックを見つけてさっさと始末する。⊃討らさっさと始末させられる。といった按配でいずれにしても、始末。というのが一般的な対処法であったが、この国の貧民街では、出来てしまったものは産む。というのが普通になっている。

 

そうなっている理由として、〔疑Δ離轡鵐哀襯泪供爾砲論府から住居や各種補助金が提供され、働かなくとも生きていける制度が確立されている。腐ってもクリスチャン国である。という2点が挙げられるが、とはいえ、乳母車を押しながら昼間の貧民街をうろついている幼い母親たちの数は尋常ではなく、ヨーロッパ諸国の中で十代の妊娠率が最も高いのが英国だというのも頷ける話である。

 

英国の識者の皆さんは、アフリカに行って現地の女性たちに“避妊の重要性と女性の権利”などを教える前に、まず自国の少女たちを教育したほうがいいと思うのだが、どうもこの国の富裕層は自国の貧民区よりアフリカのほうが近いと考えている節があり、それはきっと遠い国の貧乏人なら自宅に押し入ってきたり車のフロントガラスを打ち割ったりして自分に直接危害を及ぼしてくる可能性がないので、“ワン・ラヴ。ワン・ワールド”などと言って一つになった気分になり易いのだろう。

 

というわけで、底辺託児所に子供を預けに来ているステラという女性なども、21歳にしてすでに4人の子持ちであり、「若い時はね(って彼女は今でも十分若いが)、子供を産めば政府が生活の面倒見てくれるから働かなくてもいいってわりと安直に考えていたのよ。でも、この歳になるとこれからのこと真剣に考えちゃう」などと話しているが、20代に突入したときにはもう4人の子持ち。などという状況は、発展途上国の部族の娘ならいざ知らず、先進国の若い女性としては珍しい。そういう意味でも英国の貧民街というのはすこぶる特異な場所であると思う。

 

男が変わる度に子を産むという姿勢はあまりにプリミティブだが、この若さで4度の妊娠・出産経験というのは貴重だ。「君は資格を取ってミッドワイフになれ」とわたしはアドバイスしているのだが、母親の今後はさておき、心配なのは子供たちのライフである。

 

これが本当にアフリカの部族の村なら良かったのだろうが、先進国の子供たちとしては、彼らは見るからに貧乏臭い。一番上の子からして慈善センターで提供している無料の古着を着ているのに、下の子供たちはそれを順番におさがりしているわけだから、4番目に辿り着く頃にはもう衣服はへろへろにくたびれきっており、どうにもみすぼらしい。また、長男が着用していたものを妹も着せられているため、ステラの娘たちは、ピンク色のひらひらの服を着た女児たちをじっとり凝視していることがある。

 

わたしも貧しい家庭で育ったので、幼児期の写真といえば、裸で毛糸のパンツだけ履かされて往来を歩いていたり、つんつるてんのセーターを着せられて臍が丸出しになったりしているような野性味溢れるショットばかりだが、ステラの子供たちがまさにそんな感じだ。が、昭和40年代の日本のドヤ街ならいざ知らず、今どきの英国にそんな子供たちはいない。

 

託児所のままごとエリアで彼らが遊んでいる時には、彼らの家庭の食事情も暴露される。「それは何?」「チップス」「鍋で何温めてるの?」「ビーンズ」「そのサンドウィッチ、何がはさんであるの?」「ソーセージ」といった按配で、この家庭にはチップスとビーンズとソーセージ以外の食事は存在しないことがわかる。野菜だのパスタだのライスだのというヘルシーな食品は、あれは英国では上層階級の食べ物である。本物の下層家庭は、缶に入ったビーンズと冷凍食品のチップスとソーセージで食いつないでいる。この国では人民ピラミッドの下層に行けば行くほど肥満している人が多いのはそのせいである。

 

生活保護受給者に政府から提供される住宅というのもこれは千差万別で、例えば先日なんかも、ロンドンの一等地チェルシーで、時価3億円の邸宅が無職シングルマザーに提供されていたということが明らかになり、“それは税金の無駄遣いだろう”と保守系の新聞に叩かれていたが、ステラの場合はそんな幸運には見放されており、硬貨をメーターに入れてガスを使用するという古式ゆかしいタイプの公営団地に住んでいる。

 

よって硬貨の持ち合わせがなかったり、有り金が底を尽きた月には、ガスを使用できないこともあり、そうなると子供たちにもシャワーを浴びさせられないので、彼女の子供たちはそこはかとなく臭うことがあって、髪の毛なども洗ってないために脂ぎってるくせにざんばらというか頭皮にかさぶたが出来ているというか、ネアンデルタール人の子供みたいになっている。

 

このような文明に逆行する子供たちが往来をほっつき回っているとどうなるかというと、やはり文明社会では異物視されることになるわけであって、ステラの家にもソーシャルワーカーが出入りしており、彼女の子供たちは地域の“保護が必要かもしれない要注意児童リスト”に名前が入っている。

 

地方自治体が実の親から子供を取り上げるのは、虐待や養育放棄が認められる(認められてない場合もあるけどね。このバトルその後編は近々書く)ケースだけではない。“貧困”も立派な理由になる。貧乏過ぎて衣食住などの基本的な子供のニーズを満たすことのできない大人は、親失格というわけだ。力のない親は子を育てるな。ということである。

 

だが、そんなステラの子供たちにも、一か所だけやけにリッチな部分がある。

どういうわけか彼らときたら、足元だけはいつもパリッと、良い靴を履いているのである。

ステラが子供たちを靴屋に連れて行き、店員にきちんとサイズをはかってもらって買っているらしい。ASDAPrimark10ポンド程度の靴しか買わないわたしなどは拝見するだけで目が潰れてしまいそうなClarksの靴を、ガキの分際でみんな履いていやがるのである。

「いい靴履いてるねー」

先日、慈善施設の食堂でわたしがステラの次男に声をかけると、脇にいたステラが恥ずかしそうに言った。

「靴だけは、ね。彼らが自分の足でいろんなところに行けるように。私はどこにも連れて行ってあげられないから。・・・なんか変かもしれないけど」

 

ふと目線を下ろせば、テーブルの下のステラの足はわたしと同じPrimark6ポンドのブーツを履いている。

 

力のない親は子を愛するな。なんてことは神にだって言えない。

人はすぐ他人の愛について間違っているだの適正であるだのと査定・批評したがるが、真の倫理とはそうした○×でかたがつくような問題とは別のものだ。

 

妙に眼球の奥がずくずくして霞んできた目を上げれば、ネアンデルタール人の子供たちは今日も野蛮な雄叫びをあげながら食堂を疾走している。

 

 一人一人が、履きやすそうで頑丈そうなぴかぴかの靴を履いて。

  

Posted by mikako0607jp at 08:19TrackBack(0)

2008年11月11日

(非託児所系ゴシップ時評)アンチテーゼ聖母の死/No We Can't

落馬。そして落夫。 5年前から“ガイ・リッチーよ。正気に戻れ”と自分のサイトで書き続けてきた身としては、マドンナ離婚について何ら異論はないわけですが、離婚裁判に向けてのマドンナ側の戦略というのがどうも気になって。

 

英紙によれば、どうやらマドンナ弁護士チームは、これといって夫に落ち度がない場合に英国人女性が離婚理由として使う常套手段No1“精神的虐待”(ケイト・ウィンスレットなんかもこれで1人目と別れました)を離婚理由として戦うつもりらしいのです。

「ばばあのくせにそんな若造りをするな」「老けたな」などの発言で年下夫に精神的虐待を受け、それが女性としての自信喪失につながった。という路線で。

 

英国人夫の毒舌。というのは意外に海外では知られておらず、国内では周知の事実ですが、どうも口が悪いのは下層階級の男だけではないようで、金融街シティで弁護士をしている年収3千万円の英国人男性と結婚した日本人の元同僚も、やはり結婚5年目を過ぎたあたりから「日本人ならそれを言ったらもうジ・エンドだろ」というようなことを言われ始めたらしく、将来離婚することになった暁にはそれを“精神的虐待”の証拠として裁判所で提示するため、気に障ることを言われたらいちいちその内容を電子メールにして夫に送りつけ、いざという時に使えるようファイルしていると話していました。

 

これは英国がブラック・ユーモアの国だということも大きく関係していると思うのですが、彼らはツービート時代のビートたけしが母親について言っていたようなことを、平気で本人に向かって言います。これを“精神的虐待”と呼ぶか、“ユーモア”と呼ぶかは、相手への愛の大小によって変わってくるところですが、マドンナがこれを離婚理由にしようとしていると知り、ああ彼女もやはりこの国の男の毒舌が許せないガイジン女性であったか。と思うと同時に、マドンナの死期を予感しました。

 

そもそも、この伊×仏系米人ポップスター“マドンナ”は、カソリックにおける“マドンナ”即ちヴァージン・メアリー(聖母マリア)へのアンチテーゼとして出発したのであり、それは、処女や母性といった、男性が大好きな“聖なる女性(または男にとって都合のいい女)”というものの徹底的な否定であり、「あたしはあんたらにとって都合のいい女にはならないよ」というフェミニスト的姿勢を前面に押し出しつつ、その上で「・・・(でも凄い色っぽいでしょ)。ふふふ」という、やっぱり男にモテたい女子の本音を見事に織り込んだものでした(その戦略の宣言が「ライク・ア・ヴァージン」(virginといえば、処女懐胎を信じるカソリックでは聖母を意味します)だったわけです)。この絶妙のマーケティングにより、“反マドンナ”は全世界の女性から支持を得てきたのですが、その彼女が「男にばばあと呼ばれて虐められた」などということを言い始めると、これは自らの生涯をかけて築き上げたイメージを捨てたも同然です。なぜなら、「年齢や容貌をネタに女性を虐待するなどとは許せない」というフェミニスト方面の怒り&同情を引きだすことは出来ても、女子のモテ願望を満たすということはもはや彼女にはできなくなるからであり、「でも色っぽいでしょ、ふふふ」どころか「かわいそうな私、あああ」系の、陰惨なイメージで離婚するのは自殺と同じことでしょう。

 

「ふん。あんな甲斐性無しとは、親権に30億つけてきれいさっぱり切れてやるわよ。子供なんてアフリカに行けばいくらだって買ってこれるんだし」みたいな、アンチテーゼ聖母の意地。又は、マテリアルばばあの突き抜け。を貫くのが、腐っても“アンチ”の看板を掲げてきた者の進むべき道だったはずです

 

「裁判沙汰にしないで、円満に別れましょう」(英国には協議離婚というのはありませんので、2年間別居して、その別居事実を理由として法的に離婚する。ということにしたいのでしょうか)とマドンナがガイ・リッチーに泣きついたというのも、これは単にカバラ関係者からの圧力だけではなく、“私は取り返しのつかないことをしているのではないか”という商売人としての彼女の直感だったのでしょうし、そう思えば、「全て弁護士に任せてある」と言って冷酷に電話を切ったというガイ・リッチーの対応にも長年の恨みつらみが感じられて爽快、いや、感概深いものがあります。

 

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アンチテーゼといえば、最近わたしが見聞きするようなTVおよびラジオ番組、ならびに実生活でも周辺で流行っている言葉が、「No We Can't!」。

言うまでもなく、バラク・オバマの「Yes We Can!」をもじった時事ジョークですが、米国が「Yes We Can」の国なら、自分たちは「No We Can't」の国だ。という、英国人ならではのユーモアにわたしはこの国の魂というものを再確認し、ちょっとわくわくしています。

 

トニー・ブレアのメリケン化ブリテン時代が完全に終焉し、地味で吝嗇で嫌われ者のブラウン首相が率いるUKは、過去30年間で最悪の大不況に突入するそうで、来年は空前の数の失業者とホームレスが街に溢れるとかで、人民ピラミッド底辺人口の激増が予想されています(街は汚れ、治安は乱れ、底辺託児所は忙しくなることでしょう)。

 

このダークな時代の幕開けに、マドンナが米国に帰るというのもまた象徴的。この際、英国人男と出来て移住しているハリウッド女優とかも全員帰ったほうがいいでしょう。

 

No We Can't!」を合言葉に、いよいよNO FUTUREな時代が戻ってくるのです。UKに。

  
Posted by mikako0607jp at 10:42TrackBack(0)