2008年12月29日

厄病神

英国の人々にとり、1225日はもはや心置きなく乱れ騒ぎ、大暴れできるオポチュニティーになり果てており、当日は警察と緊急病棟が大変忙しいらしい。久しぶりに家族が集まってわいわいと食卓を囲み、七面鳥を食べながら女王のスピーチを聞いたりするピースフルなはずの1日が、わいわいし過ぎていらんことを口走る奴まで出てきて口論が勃発、昼間っからワインなどを飲んでいるものだから酔った拍子につい手や足が出て気がついたらお父さんが血まみれで倒れていた。とか、イヴまで働いたのに25日は早起きして親類縁者10人分のクリスマス・ランチの支度をしたお母さんに向かって「ちょっと今年のターキーはドライだね」と漏らした姑が刺された。とかいう家族間での暴行事件が最も多い日がクリスマスだというのだから神の降誕祭も何もあったものではない。まったく肉食民族というのは血の気が多くて呆れる。

 

大人がそういう調子であれば、子供たちだって乱暴になるのは当然だ。

さすがに極道児リアーナの独壇場だな。ははは、凶暴児ジェイクも凄いぞ。しかしジェイクがケーキに気を取られている間に、彼が奪い集めて来たプレゼントの包み紙をバリバリ破っては中身を「FUCK」と言って投げ捨てる1歳児デイジーの健闘ぶりもなかなかである。そんなことしてるとまたジェイクから鼻の穴にコンセント突っ込まれるぞ。などと高みの見物をしていられたのは、その日は託児所主催の父兄同伴クリスマスパーティーであり、わたしはフェイス・ペインティング担当だったからである。

 

フェイス・ペインティングといえばサッカー・ファンの人たちがよくやるあれだが、英国では子供向けイベントとなるとフェイス・ペインティング屋台が出ており、「猿にして」「虎にして」などと言ってくる子供たちの顔をおっさんやおばはんがスポンジや筆で色鮮やかに塗って行くわけだが、初心者のわたしもフェイス・ペインティングの描き方ガイド本を見ながら奮闘していると、へらへら笑いながらゴシック児レオが近づいて来た。

 

「ジーザス・クライストにして」

「は?」

「ジーザス・クライスト」

「駄目だよそんなの。わたしジーザスがどんな顔してるか知らないもん。会ったこともないし。いったいなんでそんなものになりたいのよ、あんた」

「彼は降誕祭のアイコンそのものではないか」

レオはいかにもゴシック児らしいことを主張し、後に引く様子ではない。この5歳児だけは、「でも、ほら、スパイダーマンも格好いいんじゃない」などと適当に誤魔化せるような相手ではないのだ。

そんなガイド本にサンプル写真の出てない顔を描けるのかどうかは不安だが、こんなところでガキ相手に押し問答するのも見苦しい。それに、この子と会うのは今日が最後になるかもしれないから、思い切ってトライしてみよう。というのも、ゲイのシングル・ファザーである父親が薬物依存症でリハビリ施設に入院することになったので、レオはこれを機会にロンドンの祖父母の家に預けられることにきまったのである。

 

しかし、いざ作業を始めてみれば、クライストの顔の再現というのは難しい。だいたい絵画などで見る彼の顔というのはいつも苦渋に満ちている。血色のいいジーザスなんて見たことがないし、断食で鉄分とかも足りなかっただろうから、顔のベースは水色。目元もがんがんに行ってる感じの釣り目なんてのはもってのほかだから、哀しげに目尻の下がりを強調し、頬がふるふるのヘルシー・ジーザスなんてのもあり得ないので頬の辺りにやつれた感じを出しつつ額に茨の冠を描き込んで、したたる鮮血を数滴、なんて作業をやっているうちに周囲が妙にざわつき始めた。

 

「気色悪い」

「不気味」

ホーリーな顔を描いているはずなのになぜかそういう声が聞こえ始めたで手を止めてみると、本当になんとも不吉な感じのする顔が出来上がっている。

「ブリリアントだ」

と手鏡を手に取って満足そうにしているレオの反応は、まあ考えてみれば当然というか、彼の場合は戦慄のゴシック児なので基本的にこういうホラーな感じは好みなのである。

 

くつくつ含み笑いをしながら椅子から立って行ってサンドウィッチを食べたりトイレの前の列に並んだりしているクライストの顔を見ていると、その顔は救世主というより、関わりになるとろくでもないことばかり起きてしまう厄病神のように見えた。

周囲の子供たちもレオの顔を見てはぎょっとして後ずさり、ちょっと距離を置いて遊んでいる。極道児や凶暴児まで「あれは何なのか」といった表情で遠くから彼の姿を見守っているばかりだ。やはり誰しも厄病神と関わるのは嫌なのである。

 

が、よく考えてみると“クライスト=厄病神”という構図はきわめて正しい。

少なくとも、わたしにとってはそうだ。教会に戻る度にわたしの人生にはろくでもないことばかり発生するのである。1人目の夫はよその女を孕ませたし、2人目は癌にかかった。家内安全・無病息災などの俗世的御利益を願うのはクリスチャン道に外れるとはわかっていても、それにしてもわたしの場合、この厄病神の不幸効果はてきめんである。この調子では来年はどのようなことになっているかわかったものではない。

だのに、教会の末席で中途半端に腰を浮かして、「来たれよ拝まんわが主よ」なんて歌いながらクリスマスを迎えているわたしは、とんでもないアホかマゾヒストのどちらかに違いない。

 

パーティーの終了時間になったのでフェイス・ペインティング屋台の後片付けをしていると、アート屋台で手作りしたらしい画用紙のグリーティングカードを持ってにやにやしながら厄病神が近づいてきた。

「神の祝福があなたの上にありますように」

などとまた不吉なことを不吉きわまりない顔で言う。嫌な胸騒ぎを感じながら“キッス地獄の魔女へ”と書かれたそのカードを開いてみると、左側に長い黒髪の女の絵が描かれており、右側にはこう書かれていた。

 

UNHAPPY NEW YEAR

 

魔女はフェイス・ペインティング屋台の椅子からのけぞって笑った。

クライストと厄病神が合体した顔の者が言っておられるのだから、もう来年は決まったも同然だ。悩むことはない。不幸に向かってまっしぐらに行けばいいのである。

 

腹の底から大笑いしていると、レオが迎えにきた祖母に手を引かれて会場を出て行くのが見えた。

 

君は君のライフを達者で暮らせ。

互いにとって来年がどれほど悪い年になるか見届けられないのは残念だが。

 

愛をこめて最後の投げキッスを贈ると、リトル・クライストは右手の中指を突き立てながら扉の向こうに消えて行った。

  

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2008年12月22日

ムンクとモンク

経費削減をはかる英国の国家医療制度NHSは深刻なインフラ不足の中で運営されており、旅費とホテル代を負担して患者をフランスの病院に送り、現地で手術を受けて帰って来させるような不条理な状況に陥っている。だから癌患者の化学療法なども極力通院で行うようになっており、一回目の治療のみ副作用の有無を見るため入院することになっているが、それも通常は一晩のみということになっている。

 

「たった一晩だし、病院には来るな」と連合いは再三言っていたのだが、病院のトイレで失神したので彼には数日間の入院が必要になり、パンツや寝間着の替えを持ってRoyal Sussex County Hospitalの癌病棟(英語では当然そういうストレートな言い方はされておらず、田園地帯のB&Bを髣髴とさせる名の病棟になっているわけだが)に行くことになった。

 

どっと気持ちが暗くなった。

なぜなら、以前当該病院内で凄まじいものを目にしたことがあったからである。

妊娠中に流産しかけた時、同病院内の産科緊急スキャン部に行ったことがあるのだが、その時の待合室の様子ときたらそれはもうこの世のものとは思えなかった。

 

OHHHHHHMY BABYYYYYYYYYY! BAAAAAAAAAABYYYYYY!!!!!

NOOOOOOOOO!! NOOOOOOOOOO!! PLEASE GOOOOOOOOOOOD!!

などという悲鳴が辺りに満ち満ち、スキャンの順番を待っている人も、もうスキャンが終わって流産が確定した人もそうでない人も、とにかく全ての妊婦が連れの男性にしがみつく、抱き合う、抱きかかえられるなどしてぎゃんぎゃん泣き叫んでいるのである。

 

わたしは身を固く小さくして部屋の隅に腰かけていた。

それはまったく、日本人のわたしにとっては異様としか言いようのない光景であった。

そりゃあ自分の体内にいた生命が滅ぶというのは大変悲しい出来事である。

が、あの英国人女性たちの「ぎゃああああああ」は、なんというかわたしにとっては奇妙というか不気味で、集団で気が狂っているのだろうかこの人たちは。とさえ思った。

 

日本人には、とてもあのようなドラマチックなシーンを人前で展開することはできない。というのは、これは劇的に振る舞う能力が不足しているというよりも、そういうことをする前に、そういうことをする自分を想像するとしーんと心が醒めかえってしまうからで、つまりはDNAに刷り込まれた美意識の問題なのだろう。

 

そこへ行くと醒めることもひるむこともない英国人女性たちのあの悲劇への陶酔ぶりは凄まじい。英国人のDNAには“ドラマクィーン”の刷り込みがあるのは間違いない。さすがはシェイクスピアとゲイの国である。

 

癌病棟となればそれはもう産科などよりよほど大変なことになっているのは間違いなく、阿鼻叫喚のムンクの叫び病棟と化しているに違いないので、心の準備を整えて病院に向かったのだったが、いざ病棟に着いてみればそこはフランチェスコ会修道院のような静寂に満ちていた。いや、ベッドに横になったり起き上がったりしている人々の髪型からすれば、禅寺と言ったほうが適切かもしれない。

 

うちの連合いの隣のベッドに寝ていた中年男性なども、ムンクというよりはモンク感に溢れており、英国人のくせに笑うとなぜか桂枝雀に似ている。

彼はブライトン近郊の小さなヴィレッジでGPをしておられたらしい。田舎のドクターとして毎日地元の人々の病気を診断していたら、いつの間にか自分の睾丸に癌ができていたという。化学療法は今回で4サイクル目になるそうで、経過が思わしくないため、来週からホスピスに入院させられると言っていた。

 

「日本の方ですか。僕は日本には興味があって、好きな作家がいるのですよ」

枝雀似のGPは起き上がってわたしに言った。

またどうせハルキ・ムラカミとかケンザブロウ・オオエとか、イマドキの欧州人好きのする作家の名前を言ってくるのだろうと思えば、

「オサム・ダザイが好きです」と言う。

「西洋人は、エキゾチックなユキオ・ミシマなどが好きな人が多いですが、自分はダザイが好きです。彼はクラシックなタイプのクリスチャンですね。例え実際にはそうでなかったとしても」

青い目をした枝雀師匠のベッドの脇には何冊も本が積み上げてあった。

後で連合いから聞いた話によれば、薬の副作用で夜中に何度も嘔吐しながら、苦行僧のようにがりがり本を読んでおられたという。同じ英国人でも、産科で泣き叫んでいた女性たちとは似ても似つかぬストイックさである。

 

思えば、流産の有無を確認していた女性たちには、まだ自分の人生を演じる余裕があったのだ。

なぜなら、彼女たちの場合、失うのはあくまでも他者の生命であり、自分の生命ではない。

しかしながら、自分自身が死にかけている。という事実は、本人にとってはドラマもへったくれもない厳然たるリアリティーなのだろう。

だからこそ癌病棟は、劇的でも熱くもなく、陰気でさえなかった。

どの人もただ淡々と治療を受けながら、粛々と生きているだけで。

 

「俺みたいなダンプの運ちゃんが死んでも世の中には何の損失にもならんが、医者なんて、世のため人のために役に立つ人じゃねえか。GPなんて年収10万ポンドだぞ。俺のクソみたいな人生とは築き上げてきたものが違うんだ」

 

通院で化学治療中の連合いはそう言って立ち上がり、自宅のトイレに吐きに行った。

くだんのGPの奥様からのメールを読んだのだ。

それは、“クリスマスカードと日本人作家の英訳本をありがとうございました”という丁重な文面だった。

そして文末に付け添えるように、うっかり書き忘れたことを追記するように、彼が先週ホスピスで亡くなられたことが書かれてあった。きっとそのことを連合いとわたしに伝えるべきかどうか迷ったのだろう。

13歳の息子のため、クリスマスにはギターとアンプを買ってあると言っていたくしゃくしゃの笑顔の男性はもうこの世界には存在しない。

 

ライフという大層な響きのものは実はこんなにも軽い。

いろいろ築き上げた人生も、何も築けなかった人生も、同様に、同等に、ふっつり途絶えて無くなる。

意義ある生涯を生きた人間も、なんとなくずるずる生きた人間も、同様に、同等に、ふっつり滅びて消える。

 

今年のクリスマスは寒くなるらしい。

連合いの吐しゃ物が水中にどろどろ落ちる音がする。

  
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2008年12月09日

Life is a piece of shit after all 〜人生はやっぱり一片のクソ〜

ムスタファという3歳児が底辺託児所に来ている。

母親に連れられて生後6か月の妹と一緒にエジプトから渡英したばかりで、全く英語の喋れない、痩せこけた黒人少年である。

 

託児所に来るようになった子供は、最初は人見知りをする、母親を求めて泣くなどして落ち着かないのが当たり前だが、ムスタファの場合はその様子がすこぶるサッドである。というのも、彼は3歳児のくせに無言でさめざめ泣くからである。

 

初日、2日目と、専属のような形で彼の担当に回されたが、機嫌よく静かに遊んでるなあ。パズルで。と安堵しながらふっと彼の顔を見てみれば大粒の涙が頬にぽとぽとこぼれ落ちたりしていて、「子供の癖に、沈黙のうちに泣くのはやめなさい。ぎゃあ、とか、ひゃあ、とか言いなさい。物凄く悲しいから」と思わず叱りたくなるのは、それはきっと、わたしがこういう男に弱いからなのだろう。

 

つぶらな瞳で何事かを一生懸命に訴えられたって、こっちは何言われてんだかさっぱりわからないし。ってんで彼が失禁してしまったことも1度や2度ではなく、彼の母親に「“パンツに出ちゃったの?”は何て言うんですか」と北野武の“コマネチ”状態になりながら尋ねたり、小便小僧のジェスチャーまでして「“おしっこしたいの”はどう言えばいいんですか」も教わったりして、喋ることのできるアラブ語が“用を足したいの?”と“猿股濡れたの?”だけというのもどうかとは思うが、この2文に関してはネイティブ並みと言われるほどの発音をマスターした。

 

見知らぬ国に来て、わけのわからない言葉を喋る人間に囲まれ、それでもそこで生きて行かなければならないムスタファは、エジプトでも相当な苦労をしたらしい。貧困。命からがら異国に逃亡せねばならぬほど妻子を虐待する父親。ムスタファが失禁して着替えさせる時、腰から尻にかけて棒のようなもので打たれた複数の傷跡を見る度にわたしは彼の濡れたパンツを被ってヘッドバッキングしながら呟きたくなる。

 

Life is a piece of shit after all.

 

10月のある日の午後のことだった。

うちの連合いが、「俺さあ、悪性リンパ腫にかかってるんだって」と明るく宣言しながら病院から帰ってきた。

家に入ってきた様子はポジティブだったが、その前に連合いが我が家の前に佇み、15分ほどじっとり家屋を眺めていたのを、わたしは台所の窓から見ていたので知っている。

 

癌の病期分類には4期まであり、彼は4期というのだからこれはもう最終段階まで転移が進んでいるということであり、きつい、とか、だるい、とかいうことも結構あったはずだと思うのだが、如何せんうちの連合いもムスタファ同様痛みを声に出さない。

耳の脇にしこりができ、GPを再三訪ねても「心配することないっすよ」と言われ続け、でもさすがに半年も放置しているとしこりが膨張してこぶとり爺さんみたいな顔になってきたので、じゃあちょっと検査してみますか。一応。ということになったが、NHSだから当然ここからまた3ヶ月の月日が流れるわけであり、ようやく検査してもらったらそういうことになっていたのである。

 

寒い戸外にぼさっと突っ立っていると、ムスタファがまた沈黙のうちに慟哭し始めた。

極道児リアーナが、彼の乗っていた三輪車を強奪して行ったのである。いきなりサイドから殴りつけられ、無理矢理三輪車から引きずり降ろされたムスタファは、座り込んだまま俯いて地面にぼとぼと涙を落としている。

「何しやがんでえこのアマ」「ふざけた真似しやがるとしばき倒すぞ、だらあ」など、言いたい言葉は頭の中に渦巻いているだろうに、彼にはそれが伝えられない。だいたい彼はこんな異国になんか来たくなかったのだ。母国で大変な目に合わされたので逃亡してきてみれば今度はこんなわけのわからない言葉を喋る人間に囲まれ、凶暴児だの極道児だのから毎日いいようにどつき回されて、これではどこに行っても彼の人生はさんざんではないか。

 

Life is a piece of shit after all.

 

あの日、連合いはそう言ったのだった。

“どうせそんなややこしい病気にかかっているのなら、この荒れ果てたクソみたいな家と家族を捨ててバックパックで出奔し、命が尽きたらどこぞの国でのたれ死ぬ”OR“クソみたいな家に留まって、クソのような生涯を生きられるまで生きる”の、せめぎ合いの時間だったと彼は言った。あの、家の前に佇んで家屋を呪わしげに凝視していた15分は。

 

「そのボール、蹴ってごらん」

幼児用のフットボールを抱いて、困り切った表情をしているムスタファにわたしは言った。

「キック、キック」と蹴る仕草をしてみせると、彼はボールを空中高く投げ上げる。

「投げるんじゃなくて、地面に置いたまま蹴るんだよ」

と言うが、英語のわからないムスタファは、投げ上げたボールが地面に落ちてくる前にそれを蹴ろうとする。これではまるで蹴鞠状態だ。彼がわざわざそんなややこしいことをしようとするのは、これまでフットボールというものをしたことがないからだ。

と思っていると、相手はいきなり凄まじいボレーを蹴りつけてきた。何という身体能力であろうか。空中を落ちてくるボールを蹴るのに、3歳児が空振りしない。

 

「ひゃあー。あんたチェルシーにスカウトされるかもよ」

という英語での驚嘆を彼が理解したとは思えないが、ムスタファは嬉しそうに声をあげてきゃっきゃっと笑いながらまたボールを放り投げる。彼がこんな風に笑った顔は初めて見たなあと思っていると、フットボールと一緒に空から霙が落ちて来た。

 

Life is a piece of shit after all.

この言葉は15分のせめぎ合いの末に連合いが出した決断を意味していたのだった。

「いつでも出奔しろ。あんたの人生だ」と答えると、「OK」と連合いは笑った。

 

Life is a FUCKING piece of shit after all.

クソでも生きる。

クソなのに生きようとする。

どうして人間はそういうばかたれなことをするのだろうか。

 

霙にも負けず、ムスタファは笑い叫びつつフットボールを追いかけて走る。

なんか楽しそうだから、一発殴り倒したろ。みたいなギラついた目つきで極道児や凶暴児がじりじり背後から近づいて来ているのも知らずに。

きっとムスタファはまた殴り倒されてボールを取り上げられ俯いて慟哭するだろう。

きっと連合いは化学療法で吐いて震えて文字通りクソのような気分になって世を呪っているだろう。

 

しもやけが、ひりひりするなあ。と思いながら、わたしはムスタファのほうに全速力で走って行った。

 

  
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