2009年08月27日

夏の終わりは愛らしく/シャボン玉とうさぎちゃんを追って

サムサム シャボン玉を追って

 

UKで活躍中のシャボン玉芸人、サムサム・バブルマンのことを某誌に(ほんのちょっとだけ)書いた。テレビや新聞に出ている人物と直談判などという、きらきら派手でメディアな状況は場違い&畑違いにもほどがあり、このところ底辺託児所の匂いが心身に染みついているわたしとしては終始へどもどしていた。

 

日本では今年7月に達成した巨大シャボン玉世界記録(http://www.excite.co.jp/News/photo_news/photo/?id=99747)でニュースになっておるようだが、UKではポール・マッカートニー、ピーター・ゲイブリエルら、セレブな方々のパーティーにも引っ張りだこの“時の人”だ(http://www.thisislondon.co.uk/lifestyle/article-23730115-details/Bubbleology%3A+Bubble+blowing+craze+hits+London/article.do)。わたしが書いたのは小記事だったし、お題自体が彼のことではなかったので詳しいことは書けなかったが、

 

「好きなことで食っていけるのか」という人生の命題に対し、挑戦を続けている気分はなかなかナイス。

 

だそうで、まあそういうこともバンドマンとか俳優とかが言うのなら聞き流すような発言だが、「シャボン玉で生きて行く」というのはちょっとあまり前例やサンプルのない生き方だけに、並々ならぬ説得力と愛とポエジーがあった。

シャボン玉歴20年。ふざけきっているようだが、誰よりも本気だ。「人間はこうでなくてはいけない。ということはない」を地で行っている御仁だと思う。

 

日本でもブレイクできる人(シャボン玉芸だけでも凄いが、そこはかとなくグラムロックまたはキュート系ゴシックで、シャボン玉界のウィリー・ウォンカ。な風貌が“いかにも”UKで、それ故とても日本向き)だと思うので、彼のことを取り上げたいというメディアの方、いらっしゃったらご連絡ください。

 

せっかく本人からいただいた資料やエピソードが使えなくて、もったいないやら何やら。

 

うさぎちゃんを追って

 

The Death of Bunny Munroいったい今度は何のジョークだ、の微笑を禁じ得ないふわふわバニーちゃんのアップは、ニック・ケイヴの新刊小説『The Death of Bunny Munro』の表紙。たぶん題名を考えついた時点で、この表紙を想定していたんだろうな(とは言いつつ、氏の母国オーストラリア版の表紙だけがこんなことになっているのも笑える)。

 

我が街ブライトンを舞台にした、余命いくばくかになった、くたびれた中年男性の話。

数年前、ジョナサン・ロスの映画情報番組にゲスト出演した際、「ブライトンを舞台にした映画を撮りたい」と語り、その時ちらっと話していたコンセプトにストーリーが似ているので、おそらくあの時から書いていて、それを小説の形にして発表することにしたのだろう。

コーミック・マッカーシーとフランツ・カフカとベニー・ヒルをブライトンの安ホテルに一緒に宿泊させたら、こういう本を思いつくかもしれない。とは、アーヴィン・ウェルシュのレビュー。

メディアからの捉えられ方を見ても、ニック・ケイヴの場合は“ミュージシャンが書いた小説”の域をはるかに超えていて、物書きとしての位置付け(作風ということではなく、作家としてのポジショニング)は、日本の町田康のようなものかもしれない。

 

邦訳が出るとすれば、誰が翻訳するんだろう?或いはもう終わってる?

上海でも出版されるようだし。

『神の御使い』の時は山形浩生氏だったが。

「ケイヴ先生、これはいったいどういう意味なのでしょう?」と自転車に乗って本人に訊きに行ける距離に住んでいる日本人翻訳者が、ここにも一応いるのだが。はははは。

うんこみたいな値段の下訳でもやるけどな。この先生のご本なら。

 

http://www.thedeathofbunnymunro.com/index.html

 

http://www.guardian.co.uk/books/video/2009/jul/13/nick-cave-death-bunny-munro

 

でも現実は何も追ってなくて

 

明日も底辺託児所だ。

 

夏の終わりは、いろいろな別れがある。

淀みきった世界を捨てて、先に進んで行く人たちがいる。

 

  

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2009年08月17日

マイ・リトル・レイシスト

営業マンに苦手なクライアントがいるのと同じように、保育士にも“できればスルーしたい”と思うガキはいる。

わたしの場合、そのカテゴリーに該当するのは凶暴児ジェイクだった。

 

なにしろ彼の場合、顔つきがまず尋常ではない。こんなに暗い目、というか、ひょっとしたら狂っているのではないかと思うような強烈な目つきをした幼児を、わたしは他に知らない。

そんな凄い目つきのガキが、殴る、蹴る、痛めつける、破壊するといった行為をエンドレスで行っており、諌めれば必ず暴力で反撃される。

 

また、口にする内容がいっぱしのアンダークラスのフーリガンなため、人種差別的発言が多く、外国人の大人にとっては忍耐力を試されることになる。

その上、妙に頭が良く、何処を突けば大人を傷つけることが出来るか正確に知っているから始末におえない。

 

かくいうわたしなんかも、そもそも彼に対して苦手意識を持つようになった直接の原因は、

「あんたみたいな外国人は託児所で働くな。俺の英語まで台無しになるから」

と言われたからであった。

 

英語圏の国で生活を始めた頃の外国人は、言いたいことがきちんと伝えられない、相手がよくわかってくれない、などの苦労の連続で、“自分は英語ができないから”という諦念と謙虚さを胸に生活しているものだが、これが海外生活も長くなり、前述のような苦労がなくなると、自らがネイティヴになったかのような大いなる勘違いを抱く瞬間がある。

 

そこに4歳のガキからリアリティーのナイフをぶすりと突き立てられたものだから、(至極まともな正論であるだけに)わたしは年甲斐もなく傷ついたのである。

 

そういう事情で、出来るだけ凶暴児とは関わらずに済むようコソコソと姑息な努力を続けてきたわけだが、そのうち彼が小学校のレセプション・クラスに通い始めたので、学校がホリデイの時期以外は託児所に来ることはなくなり、内心ほっとしていたのである。

 

その間も、当該施設でいろいろとジェイクの家族の噂は聞いていた。

妊娠していた彼の母親が、黒い肌の赤ん坊を産んだこと。

その赤ん坊の父親が、ジェイクの自宅に移り住んできたこと。

そしてジェイクの父親が、「ニガーと俺の息子を一緒に住ませるな」と言いながらジェイクの自宅に押し入って来て暴れ、警察沙汰になったこと。

 

以前、聖ジョージの旗のついたTシャツとキャップを身につけたジェイクと父親が歩いているのを見かけたことがあり、ははは、アホだな、ここまで来たら。と思ったことがあったが、所謂アンダークラス右翼と呼ばれる若者の多くが、「外国人に仕事を取られた」「女を取られた」などの私的な理由で外国人排斥を叫び出すのと同様、ジェイクと父親にも、聖ジョージの権化となって商店街を歩かねばならぬ理由があったのだろう。

 

そのうち学校が夏休みになり、底辺託児所に戻って来たジェイクは、ほんの数ヶ月会わない間にすっかり大人になっていた。

言葉数がめっきり減り、あまり他人の呼びかけに反応したり怒ったりしない。

暴力的なのは相変わらずだし、赤ん坊を見ると手を出したくなるようで目は離せないが、以前のように所構わず暴発している感じではなく、ぶち切れる回数も減った。

誰もいない昼寝部屋に一人でぽつねんと座り、黙々とレゴで遊んでいる姿など見ていると、こいつ具合でも悪いんじゃないかと思えて来て、つい隣に腰をおろしてしまう。

 

「なんか複雑そうなもんつくってるね。ロボット?それとも、モンスター?」

と話しかけると、ジェイクは斜め下からの目線でわたしに一瞥をくれた。

「そんなんじゃない。エイリアンだ」

「エイリアンか・・・。いろんな色のエイリアンがいるね」

幼児たちがレゴで何かを製作する場合には、複数の色のブロックを使用するのが普通だが、ジェイクのエイリアンはそれぞれ一色のみで製作されているところが、どことなく異様な感じがした。

赤いエイリアン、白いエイリアン、青いエイリアン、黄色いエイリアン。

黄色と緑、とか、白と青と赤、とかいう、複数の色遣いのエイリアンがないのである。

 

「青いエイリアンは背が高いね。黄色いのは小さいから、マミイとベイビーかな」「色の違うエイリアンは親子にはなれない。こいつは赤い星、こいつは白い星、こいつは青い星から来た。だからこいつらはファミリーにはなれない」「どうして?別にいいじゃん、今はみんなこうして地球にいるんだから」「こいつらがファミリーになれないのは、それぞれの色に優劣の順番があるからだ。一番優れたエイリアンは白。その次は青、その次が赤で、その次が黄色。一番劣っているのは黒」

 

DiversityEqualityを推進する英国の保育士としては、黙って聞き捨てておくわけにはいかない言葉だ。が、そうやってエイリアンの話をしている凶暴児が、いつの間にかわたしの腕に頭をもたれ、赤ん坊のようにわたしの髪を触りだしたものだから、吃驚するやら当惑するやらで、どう反応していいものやらわからなくなる。

 

「黒いエイリアンたちは宇宙戦争で負けた。それは奴らが最もバカで、弱くて、劣っているから。黒い奴らは呪われている。神様は黒い生き物が嫌いなんだ」

腕に触れているジェイクの頭は、拍子抜けするほど小さい。

きっと神様に嫌われている気分になっているのは、ジェイク本人なのだ。

「ファッキン・ブラック、ファッキン・スチューピッド・ニガーズ」

問題発言を連発しているジェイクは、自分が安心しきったように体を預けている相手がファッキン・チンクだということに気付いているだろうか。

 

窓の外はざあざあと雨が降っている。

説教とハグは、どちらが効果的なのだろう。と考えながら、わたしは押し黙っていた。

なんだかどちらも大きく外れているような気がする。

と、生まれた日から虐待されてきたバンビみたいな瞳をしてジェイクが言った。

「アイ・ドント・ファッキン・ケア」

 

雨音だけが昼寝部屋に聞こえている。

その冷たい静けさの中で、リトル・レイシストと東洋人のおばはんが、体の一部だけをゆるく触れ合いながら、別々に座っている。

 

  
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2009年08月06日

真夏の朝のホラー

卵力絶倫。ある意味学者より貴重 週末の朝、デイリー・メイルという新聞を読んでいてそっくり返った。

ホラーみたいな記事が載っていたからである。

著名な歴史学者が書いたらしいその記事の題名は、『この女は不妊にしてしまえ、と私が言う理由』。

タイトルの脇には、見るからにアンダークラスの妊婦の写真が載っている。

 

また英国人のお家芸、壮大なるブラックジョークかしらん。

と思いながら読み始めると、これが執筆者の臭い口の匂いがぷんぷん漂ってくるような本気の文章なのである。

 

記事の大要はこうだ。


テレーザ何某というアンダークラスの女性が、14人目の子供を妊娠した。この女性は生活保護受給者で、同じく生活保護受給者であるところのパートナーと同居しており、これまで産んだ13人の子供たちは“ネグレクト”を理由に地方自治体によって取りあげられ、全員が英国のケアシステムで育てられている。

本人曰く、「英国のケアシステムが私から子供を取りあげなくなるまで私は子供を産み続ける」そうで、「子供を産んでも国が育ててくれると思っているから簡単に出産する。あんな女は不妊にするべきだ」と実の妹はコメントしている。

自分(当該記事の著者)もこの意見に賛成である。

なぜなら、この女の子供を育てているのは実際には“国”ではなく、真面目に働いて納税している私であり、あなただからだ。

このような女が産んだ子供は、もれなく国のケアシステムに預けられることになるが、統計的に見ても明らかなように、こうした子供たちは将来生活保護受給者になったり囚人になったりして、納税者である我々に養ってもらいながら社会の秩序を乱すという、二重の迷惑を他者にかける人間になる。そんな子供は、この世に生まれて来ないほうがいい。

とはいえ、自分(当該記事の著者)は何もナチスのようなことを言っているのではない。

障害者や特定の人種の女性に不妊手術を施せと言っているのではないのだ。

バンダリズムや窃盗、障害事件などを起こし、他人の税金をあてにして生きて行く、そんな反社会的階級の人間をこれ以上増やすなと言っているのだ。

よってボロボロ子供ばかり産んでいる、無責任なアンダークラスの女たちには、国家が強制的に不妊手術を施すべきであり、英国はこの“タブー”をおかすことを真剣に検討せねばならない時期に来ている。

 


実にシュールな内容だが、これがモンティ・パイソンのようにケツをまくったユーモアなのかというと全然そんなことはなく、放っておけば先の尖った器具か何か持って女の生殖器官を破壊しに来そうなマジ感に満ちている。

 

当該記事への反応は各人によって異なるだろうし、最近のわたしのブログへの反応など見ていると、「その通り」と涙ぐんで膝を打っている日本人なんかも結構いるに違いない。が、わたしが何よりも怖いと思ったのは、“米国人とは一緒にしないでねん。腐っても僕らはヨーロピアンだから、知的に人権を擁護するの”だったはずの英国で、このような記事が堂々と新聞に掲載されているということなのである。

 

しかも、掲載されたデイリー・メイル紙はタブロイドでさえない。

高級紙がタブロイド・サイズを出す前から小判だったので、日本のメディア(特にエンタメ系)では勘違いした記述がよくなされているが、ページ3の姉ちゃんを見ようとして同紙を買ったりするとがっかりすることになる。

思想的には最も保守党寄りと呼ばれる新聞ではあるが、それにしたって女性読者が多い新聞だから、この種の過激な議論というのは希薄化ふわふわ仕上げになっているのが通常なのである。

 

それをこうして過激なまま出せるということは、英国にもこういう記事を読んで膝を打ってる人が増えてきたということであり、「人は人を殺せない」か何か言って青空に白鳩を飛ばしながら死刑を廃止し、「死刑執行してるアジアの国って、野蛮ねー」みたいなことを言っていた国の人々が、「人権もへちまもあるか。他人の金で生活している人間に生きる価値はない」みたいな、よっぽど凄いことを言い出したということだ。もはや英国にはヒューマンライツも白鳩もない。是非の基準は金だけだ。

 

筆者が「自分はナチスのようなことを言っているのではない」と何度も繰り返し主張しているのは自分でも気になったからに違いないが、この歴史学者の論旨は、社会のある特定のグループの人々の根絶を訴えている点で、ユダヤ人や障害者の根絶をめざしたナチと何ら変わりはない。

 

ろくな人間にならんアンダークラスの子供は生まれて来ないほうがいい。という主張にしろ、もう生まれてきてしまっている子供たちはどうすればいいのだ。ガス室に送るのか。

BROKEN BRITAINのその先にあるもの。はガス室だった。

というオチはわたしとしても想定していなかったが。

  

さらに、そうしたヒューマン・生き方系の問題は脇において、プラクティカルな観点から見てみても、ボロボロ子供を産むアンダークラスの女は英国にとって本当に有害な存在なのか。という疑問が残る。

前世紀末に、「百年後の英国は、インド・パキスタン人と中国人の国になっており、子を産まぬ英国人は絶える可能性がある」という警告を発した学者がいたからだ。

 

が、ここにがんがん子を産んで種の保存に努めている英国人がいるではないか。

ここ数年、英国の出産率は上昇しており、その牽引力となっているのはアンダークラスの女たちの乱れ産みだという話を聞いたことがあるが、外国人に国を乗っ取られることを心配するのであれば、積極的に子を産む女たちの妊娠・出産を奨励し、生まれて来る子を国費で育てこそすれ、不妊手術など施している場合ではないだろう。

 

歴史学者などというものは、本来そういった長いスパンで物事を考える人々だろうと思うが、おそらくはクレジットクランチで年金の価値がバカ下がりして老後の生活に不安を抱いた高齢の学者が書いた記事に違いない。

 

貧すれば、人も国家(という人の集まり)もその本質がわかる。

アンダークラスもオーヴァークラスも、神(または様々の名で呼ばれるそれっぽいもの)の目の前には目クソと鼻クソなのだ

BROKEN BRITAINのその先にあるものは、そのクソ認識でなければならない。

 

(世界びっくりニュースじゃないぞ。やがて来るのだ、BROKEN JAPANも)

  
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2009年08月03日

Fuck Save England〜ファックよイングランドを守り給え〜

先日、いつものようにPCの前に座ってUK国内ニュースをチェックしていると、「卑語には痛みを和らげる効果がある」という科学関連ニュースの見出しが上がって来た。

ニュースの内容を読んでみれば、FUCKおよびFUCKINGなどの卑語には、それらの言葉を口にすると身体的痛みを緩和することができる。という効果があることが、研究の結果明らかになったという。

 

確かに、出産のために関連病棟に入院した折にも、階上の分娩室から「FUCKING SHIT」だの「FUCKING BOLLOCKS」だの、勇ましい言葉を吐きながら赤子をひり出す妊婦の声が聞こえたものだが、あれも、女という生き物は卑語の陣痛緩和効果を本能的に知っているからなのだ。と納得しつつ、同時に、

なんというロマンのある記事であろうか。

と思った。

 

FUCKといえば、わが青春のセックスピストルズだが、身体的痛みを精神的痛みにも拡大するならば、あのジョニー・ロットンのFUCKまみれの怒号は、傷ついた若者が内面の痛みを癒すために発していた言葉だった。と解釈することも出来、大変に浪漫的でよろしい。

 

そしてまた、FUCKといえば、底辺託児所のデイジーである。

乳児の頃からFUCKFUCKINGだけは口にしていて(と言っても正確には、UCK・アック。F音がまだ発音できなくて。2歳になった現在はパーフェクトに発音しているが)、どんどん他の単語を覚えて行く傍らで、BOLLOCKSBASTARDCUNTなどの卑語の操作も上級化し、彼女が口にする文章の50%を卑語が占めている。

 

「あんたが(F)そうしろと(F)言ったから、(F)手を洗いに(F)来たんだろ。だのにこの(F)列は(F)いったい何なんだ、(FBastard!」

などというデイジーの言葉を聞いていると70年代パンクのかほりを感じ、ははは、ちびっこパンク。みたいな微笑すら浮かべたくなるが、実はこの卑語連発のコミュニケーション法というのは、21世紀における英国のアンダークラスの人々を象徴する事象でもある。

 

そんなデイジーに、最近仲のよい遊び友達が出来た。彼女の名は、アナリサという。

黄色いセックスピストルズのTシャツを着たスキンヘッドの中年男性が底辺託児所に“アナリサ”という名の女児を連れて現れた時には、「ああ。」と思った。

父親のむきむきとした腕一面にはカラフルなタトゥー。よく見てみれば、左腕には「Tax Pistol」の文字の刺青がある。

 

なぜ「性のピストル」ではなく、「税金のピストル」なのだ?それも、単数形で?

というわたしの疑問は、アナリサの母親が現れた時に明らかになった。

ローリー・アンダーソン(ヴィジュアル的には色彩がモノトーン&NYおアート系になった忌野清志郎。の女性版。と言えば若年層にはわかるのか?)みたいな風貌のアナリサの母親は、実は国税局のお偉いさんなのだそうで、毎日ブライトンからロンドンに通勤しているエグゼクティブらしい。

 

きっと若い頃にパンク好きで知り合い、パートナーとして暮らして来たら、中年になってひょっこり子供が出来ました(または人工授精で子供をつくりました)、なカップルなのだ。そんな国税局のお偉いさんの娘がなぜ底辺託児所のような場所に預けられているのかと言えば、それはピストルズのTシャツを着た父親が地元ではちょいと名の知れたガーデン・デザイナーで、底辺生活者サポート施設のガーデニング・プロジェクトを指揮しているからだ。

 

同じ月に生まれたデイジーとアナリサは、一緒に庭を駆け回ったりして遊んでいるが、PILの楽曲の題名を名に持つアナリサが大変に行儀のよい、美しい発音の英語を話す女児であるのに対し、何処にでもあるありふれた花の名前を命名されたデイジーは、言葉も汚なければ、行儀なんてクソ食らえ的な生粋の底辺幼児だ。

 

2人の誕生日は7月だったので、「託児所で、共同のバースデイ・パーティーを開こう」とアナリサの父親が提案した。

そしてパティシエだか何だか知らんが、高級住宅街にある専門の職人の店でケーキをつくらせ、誕生日当日に託児所へ持ってきたのである。

デイジーの母親は何らの貢献もしない。というか、そんな高級店で特注したケーキを持って来られたら、そこら辺のスーパーで売っている、子供番組のキャラクターがついたケーキとかチョコレートなんかは持ってこれないだろう。

 

いそいそとケーキにろうそくを立てたりして場を仕切っているアナリサの父親とは対照的に、デイジーの母親はドアのそばにひっそりと立っている。

アナリサの父親が持ってきたピンク色のケーキには、“誕生日おめでとう。デイジー&アナリサ”とチョコレートソースで記されていた。どこまでも思いやり深く、他人の子供の名が自分の子供の名の先に来るわけである。

 

ハッピー・バースデイの歌を託児所の子供たちが歌い、誕生日を迎えた本人たちがろうそくを吹き消す段になった。

どうしていいのかわからず躊躇しているデイジーに、アナリサの父親が言う。

「デイジーが吹き消しな。ほら」

デイジーはドアのそばに立っている自分の母親のほうを、“どうすればいいの?”みたいな目つきで見た。“こうやって吹き消すのよ”と口をすぼめている託児所スタッフの陰に隠れるようにして立っていた母親は、とっさにデイジーの視線から目をそらした。

情けなくて、彼女もどうすればいいのかわからないのだろう。

陰気な顔つきで下を向いているデイジーの母親の頭の上に、ピンクや黄色の風船がゆらゆら揺れている。

 

デイジーは周囲から言われるままに椅子から立ち上がった。

そして2本のろうそくの立ったケーキを見ながら、口を開ける。

が、デイジーはろうそくを吹き消すのではなく、リボンや薔薇の飾りのついたケーキを見下ろしながら言ったのである。

FUCK OFF!」

 

2歳児が発する卑語も、ジョニー・ロットンの卑語とそれほど変わらないのかもしれない。

 

痛快は、時として痛みにまみれていることがある。

 

 

http://www.youtube.com/watch?v=C8szRgIcYlY

 

(今見てみると、この頃のロットンの目つきと凶暴児ジェイクの目つきはよく似ている)

  
Posted by mikako0607jp at 20:51TrackBack(0)