2010年08月25日

帰国およびULYSSES

今日、英国に帰国する。

というより、ブライトンに帰街する。という感じになっているのが不思議だ。ここ数年は。

そんなブライトンへの愛と憎しみを綴ったのが、「ブリテン的労働者階級とロックの距離感」というエッセイ。

ULYSSES No.4で読んでいただければ幸甚。

こんなもの書かせてくださるのは、日本ではこの媒体しかない。

http://www.shinko-music.co.jp/main/ProductDetail.do?pid=2132301010

(海外在住者の中で、おクールでお素敵な日常を送っている奴なんてほんの一部だ。なんてこたあちょっと考えれば猿でもわかるのに、どうも日本のメディアおよび活字購買者ってのは、いつまでたってもアレだ。と思ったもんな。本屋で)

※ULYSSESのI・H様、陰ながら回復をお祈りしておりました。

異常に暑い夏でした。というか、まだまだ続くのでしょう、日本では。

どうぞ、くれぐれもご自愛ください。

※えざき氏、M・H様、東京ではお世話になりました。

人さまには、お世話になりっぱなしではなく、いつかお世話を返したいと思い続けて45年。

情けない。ふがいない。年甲斐もない。それがわたしです。

そんなことを考えながらホテルの部屋でビール飲みながら牛乳プリンを食べています。

 

 

 

 

 

  

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2010年08月07日

プールサイドの白闇

日本にいる。というのは前のエントリでも書いた話だが、今回の帰省が以前と違うのは、訪れる場所と日々の過ごし方が“親”になったということだろう。

 

双極性障害のうつ曲線が下向きになっているわが実母から「しゃからしか」と苦情が出まくっている坊主の手を引いて母子難民の如くに福岡の街を流浪しているわたしは、頻繁にプールに通ったりして、プール脇にあるママさん待合所みたいなところに座ったりしているわけだが、そんなことをしていると奥様がたの会話が聞きたくなくとも耳に入って来る。

母国語だけを使って生きて行くことの辛さは、他人の発する言葉がすべて、いや、すべて以上の120%の理解度で脳に浸透してくるということかもしれない。

 

現在ブログでだらだら続けているアンクール連載を、無責任&人でなしな興味本位の姿勢でわたしが書き続けていけるのは、わたしは礼子ではないからだ。が、こうしてジャパーンでお母さんがたにまみれて、彼女らの会話をBGMに聴いていると、「そうなのよねえ」「うちもそうなの」とか言って相槌を打っている礼子の姿が見えてしょうがない。

ほんとうに彼女は、日本なら普通(NORMALではなく、COMMONの意味で。でも、ある国でのCOMMONは当該国でのNORMALになるから、普通は正常ということなのだ)だったのである。

 

ここ数年、思うのは、

「私(俺)はやっぱり日本がいいということに気がつきました」

と言って短期で日本に帰国する若い留学生の方々が増えたということだ。

昔、というかおばはんの若い頃は、こういうタイプはごく稀で、たいていの若い衆は、どうにかして金がなくともビザを延長できる方法を模索していたものだが、最近の日本の若い人々は特に海外でなくともいいと思っているというか、言い方を変えれば、「自分は日本のほうが合っている日本人だ」ということを若くしてクールに悟っている気がする。

 

つまり、性に合わない海外に滞在し続けることで大悲劇に襲われたりする日本人は、おっちょこちょいでノボセ者(eg“田舎者”)だったおばはんの世代ぐらいで終わるのかもしれない。

日本の若い世代には冒険心が足りないという声をよく聞くが、冒険心があるというのは言い方を変えればアンリアリスティックなバカたれなのであり、醒めているということはそんなに悪いことではない。

 

閉塞感。という言葉もよく耳にするが、閉塞していても、そこにいる過半数の人々がそれなりに満足で、ちゃんとご飯食べていけていれば、グローバルなどという実体のないコマーシャル・コンセプトはいらないのだ。

 

海外に出れば何かが開く。というコンセプトもおかしなもんで、見たこともないものを見たり、聞き慣れない言葉を喋る人種に囲まれると、確かにそういう“開いたかもしれない感”は得られるが、だからと言ってそれで自分に直接関係のある何かが本当に“開く”ということは実際にはあまりなくて、“閉じる”ことのほうが多い。というのは、海外で成功した人は言わないかもしれないが、実際には海外に出ることでよけい閉塞している人のほうが多いぜ。と思えるのは、わたしが下側在住者だからなのか。

 

でもあの頃はそういう声は全然聞こえなくて、商業的媒体に踊らされてその気になって猫も杓子も海外に出た世代だったなあ。と思う。特に、今のティーンズの母ちゃんたちの世代だ。

礼子の件は、そんな流れの“或る顛末”でもあるのかなと思う。

 

プールサイドでそんなことを考えながら坊主におにぎりを食わそうとするが、きゃつも半分毛唐だからそんなもんは食いやせん。

「そうそうそうそう」「あそこの塾は先生があんまり良くないってえ」などと白昼のだべりに熱中しておられるお母さんがたの脇を、すみません、すみませんとか言いながら通り過ぎて自販機にチップスならぬフライドポテトを買いに行くわたしの背後で、セミがひんひんひんひん鳴いている。

 

闇には、暗いものと明るいものがあるなあと思う。

 

暗闇、ならぬ、白闇。

ここは妙に白々と明るくて、ブライトンの底辺の暗がりほど笑えない。

 

 

  
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