2010年10月20日

ある追悼

今日、久しぶりに底辺生活者サポート施設に行った。

相変わらずの面々が、相変わらずたむろって、相変わらずの会話をしながら、ゆるゆると相変わらずの午後を過ごしていた。

 

何気なく施設で発行している内部雑誌をぱらぱらしていると、歯が抜けきった口をでへでへとだらしなく横に広げて、サムライが戦でちょんまげを切られた時のようなざんばらの長髪の、個性的というか一度見たら決して忘れないというか、赤ん坊が見たら泣きだすようなもの凄いインパクトの笑顔のおっさんがにかっとこちらを見ている。

 

何もこんな写真を追悼記事に使わなくても。

 

彼が逝ってしまったことを初めて知った衝撃もぶち飛び、思わず笑いがこみあげた。

いい写真だ。

いかにもこの施設の利用者たちが選んだ写真だと思う。

 

今秋から、換金できる仕事を優先しているので、あまり底辺生活者サポート施設には行ってない。加え、夏はずっと日本に帰っていたから、彼が夏の終わりと共にいなくなってしまったという事実を10月も後半になるまで知らなかった。

 

「なんか最近、元気がないように見えるのは、気のせいかな」

と彼が気の抜けるようなふわふわした声で言うので、なんとなくムカついて

「家族が病気なの」

「何の病気?」

「癌」

と答えると、彼は、彼のほうがよっぽど可哀そうだと思えるほど困った顔になり、あうあうあうあうと半ばパニック状態でどもり始めて、ああこの人にこういう深刻なことを言うべきではなかった、この人にはこういうことを消化するキャパシティーはないのだ、とわたしのほうが彼の背中をさすりながら、大丈夫、大丈夫よ、落ち着いて。と言っていると、見る見る彼の目に涙が溢れ、

「ちゃんと生きてご飯食べて働いている君は、偉いなあ。本当に偉いなあ」

と、ぼとぼと涙の雫をこぼしながらわたしの腕をぎりっと強く握っているので、この人はいったい何者なんだろうと思ったことがあった。

 

その彼が、癌で亡くなったらしい。

大腸に癌のあることが判明したのは、亡くなる6週間前だったという。

 

体全体が障害のデパートのようで、恒常的に体調が悪かった彼のことだから、癌の症状が出ていても別におかしいと思わなかったのかもしれない。

いつもガリガリに痩せこけた小さなおっさんだったから、体重もあれ以上落ちようがなかったのかもしれないし、周囲も気づかなかったのだ。

 

あの時、あんなに彼を泣かせたうちの連合いは、癌の治療を終えて延命している。

ふわりと先に逝ってしまったのは、泣いていた彼のほうだ。

この死に方の呆気なさは、どこか人間離れしている。

 

ずるずるとびっこの足を引きずりながら、バケツを抱えてトイレの前をうろうろしていた彼の姿。

にかっと笑うと口が臭くて、託児所で頭に虱のわいた子がいると、どういうわけか大人のくせに一番最初にもらって大騒ぎしながら髪を掻き毟っていた彼の姿。

 彼の姿がいつもあった場所に目をやるが、どこにも不在感はない。

 

施設の名物だったくせに、いなくなっても誰が困るわけでもなく、その不在が目立つわけでもないから、「死ぬ」という劇的なことになっていても何か月も気づかなかった。

そういう人は、きっとわたしだけではないだろう。

それが、彼だったのである。

 

ゴム手袋のヨハネのモデルになった男性が召された。

 

召された。という言葉がこれほど似合う死人を、わたしは他に知らない。

 

  

Posted by mikako0607jp at 09:54TrackBack(0)