2012年06月11日

Punk Britanniaにおけるジョン・ライドンの選曲の大団円

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先のエントリで書いたとおり、英国ではジュビリー(女王戴冠○○周年祝賀シーズン)とパンクというのはセットになっているようなので、BBCがPunk Britanniaなるクロスオーバー企画を展開しており、テレビのドキュメンタリーだけでなく、ラジオでもパンク関係者にDJさせた番組を放送している。

んで、当然ながらジョン・ライドン(番組中では自分のことを「ロットン・ライドン」などと呼んだりしているが)もPart1とPart 2の2回にわたって当該ラジオ番組でDJを務め、自ら選曲した「フェイヴァリット・ソングズ」を流した。

大変に興味深く、おもしろおかしく聴かせていただいたが、意外にも喋りの部分は抑え、がんがんと曲をかけ続けていた。
「俺は音楽に対してはスノッブじゃないし、そうであってはいけないと思っている」
というライドンがかけたアバの一曲が何故「フェルナンド」なのか。そして、このビージーズからの選曲は。など、考え始めると思索にふけってしまう部分は多く、
「ドリー・パートンはレッド・ツェッペリンを思い出させる」
などの名言も相変わらず随所で光っていた。

「ジョニーは別にピンク・フロイドを嫌いだったことはない。ピンク・フロイドの背後にあるアイディアが嫌だっただけで。彼らがやったことには嫉妬すら感じている」
「フィンズベリー・パークという場所は、アイリッシュ・フォークからレゲエまで幅広い音楽に溢れていた。そういうところで育ったことを俺は幸運だと思っている」
などの発言で、ほーん。と思っていると、
Part 1の最後から2番目の曲はアリス・クーパーの「18」。
「数年前、彼に会った。とてもいい奴だった。この曲がなければ、俺のキャリアは無かった。サンキュー、アリス・クーパー」と、曲の紹介は素直にど直球。
そして最後の曲は、エディット・ピアフの「No Regrets」。
個人的に、“心のパンク・クイーン”というのはパティ・スミス、スージー・スーなどのパンク世代に愛された女たちではなく、エディット・ピアフだという信条を長年抱いて来たので、この選曲には「おおおお」と拳を握らずにいられなかったのは否めない。

しかし、「俺のキャリアをスタートさせてくれた曲に感謝する」の喋りで「18」→「No Regrets」で締めるというのは、もはや大団円ムードというか、まるでディナーショーで「My Way」を熱唱するフランク・シナトラを髣髴とさせるような終わり方ではないか。ライドンもついにその心境に達したということなのか。
加え、「No Regrets」のエディット・ピアフの国、フランスがマルコム・マクラレンの最後の在住地であったことを考えれば、ここでもきれいな円形が描かれているというか、情念がぐるりと一周している。

Part 2もまた、同様に感慨深い番組の締め方をしている。
Part 2では、最後から2番目に彼がかけたのはThe Dublinersの「Irish Rover」。

数年前、やたらと英国産の自分を強調しておられた時期があり、「そのうち、また揺れ戻しが来るだろう」と拙ブログに書いたことがあったが、「ロットン・ライドン」がThe Dublinersをかけたというだけでも、わたしは「お」と声が出るのを制御することができなかった。しかも、彼がかけた「Irish Rover」はポーグスのシェーン・マクゴワンも参加している。

日本に「在日」と呼ばれる人々がいるように、ライドンもまた「在英」であった。
だから、いくらピストルズのライブで聖ジョージの旗を使用してみたところで、純英国産のバターのCMで英国のお茶の間に笑いをふりまいたところで、「そちら側には本当は自分は属さない」という醒めた感覚はこの聡明な人の中にはいつもあるはずだ。
この感覚はこの人の出発点である。

テレビ版「Punk Britannia」のPre-Punk編で、初めてジョニー・ロットンを見た時の印象について
「あんなもの見たこともなかった」
「あの瞬間にそれ以前のものは全て終わっていた」
と関係者は賛辞を惜しまない。
しかし、あの「世の全てを敵に回し、怒り、挑戦している目」は、イングリッシュではなく、在英アイルランド人の青年の目だったということは忘れてはならない事実だ。

その「ロットン・ライドン」が、アイリッシュフォーク・グループのThe Dublinersをかけた後で「ナイスな感じで繋がると思う」と言ってかけたのが、PILの新譜から「Out Of The Woods」。
アイルランドの国民的バンドThe Dublinersのメンバーと「ブリリアントな会話をしたことがある。なんていい奴なんだろうと思った。今でもそれが忘れられない」というライドン。PILの「Out Of the Woods」には、もろアイリッシュ・ミュージックな箇所もある。っつうか、加齢により若干だみて野太くなったライドンの声自体が、アイルランドの田舎のパブに夜な夜なふきだまり、キチガイみたいにジャカジャカ速いアイリッシュ・フォークを歌い狂っているおっさんたちの声に似てきている。時折、PILの新譜のライドンの叫びが、パブの閉店時間に帰宅することを拒否して酒を求めてぐずっているアイリッシュのおっさんみたいに聞こえる時があるのだ。

というわけで、ここでもライドンは、「在英」や「父親」を巡る情念をぐるりと一周させている。Part2も実に大団円なのだ。

しかしまあ、こうも見事に2つの円い輪を描いて見せられるということは、彼は現在、油が乗っているということなのだろう。

人間、歳を取ると、だんだん金銀の武装うろこが剥げて来て、裸に近づいて行く感覚がある。
そういう変化に素直に身を任せているような、ある種の逞しい覚悟を最近のライドンには感じる。

しかし。この選曲のリスト。
タイトルだけを順番に追って行っても、それだけでPart 1もPart 2もライドン流の物語というか小噺になっている。(「Do it!」→「You shouldn't do that」なんて。ははは)
この人、やはり宿命的に詩人なのだ。

http://www.bbc.co.uk/programmes/b01jcrs5

http://www.bbc.co.uk/programmes/b01jk6v1


  

Posted by mikako0607jp at 09:17TrackBack(0)

2012年06月06日

あなたが英国人である誇りを感じるのは、女王?それとも、 ピストルズ?

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英国はダイヤモンド・ジュビリー(女王在位60年祝賀)の4連休。であった。
んで、ジュビリー。と来れば、必ずセットでついて来るのがパンクらしい。
それについては、こういうFinancial Timesの記事もあった。
http://www.ft.com/cms/s/2/2b9ed96c-a97c-11e1-9772-00144feabdc0.html?ftcamp=published_links%2Frss%2Flife-arts_music%2Ffeed%2F%2Fproduct#axzz1wm2F84r8

わたしが勤務する保育園でも、一応ジュビリー祝賀のティーパーティーが開かれ、そのための装飾品やら、従業員用のユニオンジャックの帽子やらを買い出しに行かされたわけだが、いまやジュビリーとパンクというのは、本当に一般庶民用の商品レベルで合体しているのだ。という事実を思い知らされた。

例えば、ジュビリー祝賀パーティーにふさわしい子供用Tシャツなどを物色していると、ユニオンジャックだけがばーんと全面に印刷された正統派もあるが、胸元に印刷された王冠を被ったブルドッグが、鼻に安全ピンを貫通させている。みたいなデザインや、ジェイミー・リードのアートワークのパクリ的なデザインのTシャツが必ず数点はある。
これ、特にロック的なショップとかではなく、その辺のスーパーの子供服売り場とかにだ。

そんなわけで、国営放送BBCでも新たなパンク・ドキュメンタリーのシリーズなどをやっているが
http://www.bbc.co.uk/programmes/p00s81jw

この1972―1976編は、パンク以前&パンク直前の英国のストリート&庶民音楽シーンの推移を見事にまとめており、英国のロックとかについて書く仕事をしている日本人は必ず見た方が良いと思う。ここまでパティキュラーな番組、これまでBBCでもC4でも無かったよ。(おばはんは単なる保育士なんで途中でくたびれきって鼾かいて寝てたらしいがな)

んで、シンプルな企画だが、最も端的にこの「ジュビリーとパンクはセット」的ムードを反映していたのが、ガーディアン紙電子版のこの調査。

どちらに英国人であることの誇りを感じますか? 女王、それとも、セックスピストルズ?
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/poll/2012/jun/03/more-proud-british-queen-or-sex-pistols?newsfeed=true


実に、77%の人々がセックスピストルズだと答えている。
コメント欄を読んでみると、いくつか「ほお」とひざを打つものもあるわけだが(「パブで一緒に飲むならジョン・ライドンの方がいい」も含めて)、
わたしが最もこの国らしいと思ったのは

Neither. Both are dysfunctional.
(どちらにも誇りを感じない。どちらも機能不全じゃん)。
というやつだった。

各人が「この国らしい」と思うものはそれぞれ違うのは当然であるが、少なくとも、わたしが底辺託児所シリーズや「愛着理論」、その他の書き物で書きたかった英国というのは、このDYSFUNCTIONALということなのだろうと思う。

わたしにとっての英国という国は、このDYSFUNCTIONALを丸出しにしているというか、もう隠蔽できないところまで進んでしまっているので開き直っているというか、それを前面にすら打ち出している感があるのであり、それは我が祖国のように、いまだに機能不全であることを否定したり、隠そうとしたりする文化を持つ国で育った人間には、いつまで経っても消えない違和感と、ある種の神々しさを同時に感じる部分である。

誇りなんか感じねえ。どっちみち機能不全やんか。
というのは、裏を返せば、
誇りなんか感じる必要もないし、機能なんかする必要もない。
ということなのだ。

女王は人間じゃねえ。
あいつのレジームはファシストそのもの。
という歌を女王戴冠25周年祝賀月間に大ヒットさせ、その存在自体がヒットチャートから黒塗り抹消されるという前代未聞の事態になったセックスピストルズは、いまやそのスキャンダラスな歴史的事象をもって国家的ノスタルジーとなり、ジュビリーには付き物の風物詩となっている。
彼らの存在のうやむやになり方、済し崩しになり方もまた、DYSFUNCTIONALを地で行っていると云えるだろう。
ジェイミー・リードのコピーのようなTシャツを着てバッキンガム宮殿の参道でユニオンジャックの旗を振っていた子供は、何処かバターのCMで走り回っているジョン・ライドンに似ていた。

          *****************


今回のジュビリーに際し、往年のファンたちがピストルズの「God Save The Queen」を1位にしようと運動していることを知らされたライドンは、新聞のインタビューでこう答えている。

「俺は、そんなバカ騒ぎとは何の関係もねえから」


「ははは。んじゃ、儲けられる時に儲けてやるぜ」と格好つけることはしなかったのである。
社会や人間の機能不全な姿を暴いて見せたり、自らやってみせたりしてゲラゲラ笑ってきたこの諦念至上主義者にも、いまだに済し崩しにはできないものがあるようだ。
このあたりの逆説的な真摯さが、この人の魅力でもある。

妙に真摯な諦念至上主義。


いつまで経っても、やはりこの人のことが気になる理由は、こういうことなのだろう。
とジュビリーの休みに思った。
ははは。ということは、やはり、女王とライドンはセットなのだ。

(ちなみに、ゴシップ書きをしている人間だから知っているのだが、このジュビリー連休の最初の3日間、Google UKでいま最も検索されているセレブリティー10人の中には常にJohn Lydonの名があった。近年は名前が挙がっているのを見たこともなかったが)


おまけ。
http://www.youtube.com/watch?v=6Ar1B-Gy5II

  
Posted by mikako0607jp at 10:00TrackBack(0)