2013年12月31日

2013年もほぼGONE

今年は稀に見るほどいろいろなことがあった年なんですが、年の瀬はいつものように底辺生活者サポート施設に手伝いに行きました。


引退したアニーの後を引き継いで共同責任者として底辺託児所を回しているのは、わたしのイラン人の友人であり、ニュージーランドから出て来た夢に溢れる若き女教師であり、ジャマイカ出身の微妙にラスタファリアンな男性保育士です。

英国の幼児たちは、外国人によって教育される時代が来たのかもしれません。


かくいうわたしなんかも、シェーン・メドウズのインタヴューとか、ジョン・ライドンに会えるかもしれなかったとか、何ともおかしな出来事があった年でありながら、本当に忘れられないのは、6週間イタリアに行って職場に戻ったとき、

Mikako’s back!」と叫びながらだーっと一斉に走ってきた幼児たちの姿でした。

(彼らの「Mikako」の発音は、西洋人にありがちな「ミケイコー」とか、「ミカーコー」とかじゃないんです。本当に、うちの親父に呼ばれているのかと一瞬びっくりするようなパーフェクトな発音で「美香子。」と私を呼ぶ2歳の金髪碧眼の男児もいます。自慢する材料など何ひとつない人間ですが、彼らの発音だけは自慢に思っています)


2014
年は、英国の幼児教育についても書いてみたい。

&数年前からずっと喉の奥に引っかかっている(実際、声が出ない、2週間ぐらい前から。風邪にしちゃ長いし、ひょっとしてそのせいだろうか)あの長編の案件も何とかしたい。


とか何とか大晦日には抱負をいだくんですけれども、11日にはもう単なる二日酔いのばばあとなって、よろよろしながら12日の出勤時に着る制服にアイロンをかけている。というのが例年のパターンです。


皆様もそれぞれの新年をお迎えください。

(個人的にご挨拶せねばならぬところに全然行き渡っていないのは、毎日飲んでいたせいです)

 

年賀状代わりにこの動画を贈ります。

http://www.youtube.com/watch?v=2KZjnFZvCNc

 

  

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2013年12月30日

マニフェストとしての『The Angel's Share』

FILM_Review2-AngelsShare2-magnum

「天使の分け前」という邦題がついているらしい当該作は、個人的には「天使の取り分」の方がしっくり来る気がする。というのも、天使には現実社会でも取り分があって然るべきだと思うからだ。が、この世知辛い世の中ででそのような役割を果たしている人々にはSHAREなど回っていないし、働く場所さえ無くなって来ているのが事実だ。

だのに英国社会には、「どうしてそこまでするのか」と思うほどパッショネイトな地べたの世話焼きさんたちが存在する。拙ブログには、昔からこのテの人々がけっこう登場した。

元底辺託児所責任者のアニーがそうである。成人向け算数教室の講師もそうだし、うちの息子の親友のお父さんであるユースワーカーのブラック恵比寿氏もそうだ。


『The Angels Share』にも、そのテの人が登場する。

裁判で刑務所行きを免れた(よその国なら間違いなく禁固刑だが、英国は何しろ刑務所が満員御礼で暴行ぐらいではムショ送りに出来ない)犯罪者たちが行うカウンシルの社会奉仕活動の現場指導者ハリーである。

ウィスキー愛好家のハリーは、主人公ロビーを含む現場の若者たちにウィスキーについて教え、ウィスキー・テイスティングのイベントに連れて行くなどして面倒を見る。実際のカウンシル社会奉仕活動現場にこういう人情味溢れたおっさんがいるとは考えにくいし、もっと殺伐としたものだろうと思うが、しかし、アニーや算数教室講師や黒い恵比寿のことを思い出すと、いや、意外といるかも。うん。確実にいるだろう。と思えてくる。


ケン・ローチの映画の中では最も明るく、笑いあり涙ありでエンタメ性に富んでいる。と言われている本作では、主人公の底辺青年ロビーが、ハリーという世話好きなおっさんとの出会いによって自らの才能に気づき、荒みきった下層人生に終止符を打って更正する話だ。が、その人生の再出発に必要な資金は、超高級ウィスキーの樽から「天使の分け前」(ウィスキー蒸留中に蒸発し目減りする一定の分量)に見せかけて盗んだウィスキーの闇販売で得るのだから、要するに犯罪者が犯罪によって立ち直る話とも言える。だからこそ、「こんなものは何の美談でも、勇気を与える話でもない」と批判する人々も出てくるわけだが、しかし、ケン・ローチは美談を撮りたかったわけではないと思う。犯罪でも犯さない限り誰も「チャンス」など与えてくれない下層の若者たちの現実を撮ったのだ。


ケン・ローチ版『フル・モンティ』とも呼ばれる本作で、いまさら彼がこのように世間受けしそうな、ハリウッド的と言っても良いほど「わかりやすい」表現法を選んだのは、加齢のせいではないとわたしは睨んでいる。

ソーシャル・リアリズムもずっとやっていると惰性になってくるのはわかる。が、一貫してずず暗い映画を撮ってきた彼がいきなりこのようにカラフルな映画を撮ったのには理由がある。それは彼に、映画とかアートとかを超えたところで万人に訴えたいメッセージが出て来たからである。


2013
3月、ケン・ローチは新たな左翼政党を発足させる構想を発表し、1130日に新政党Left Unityを誕生させている。

「トニー・ブレアが政権を握ったときに、労働党は労働者階級の政党ではなくなってしまった。もう長い間、ワーキング・クラスを代表する政党は英国には存在しない。英国には、中庸的政策を拒否し、庶民の生活を向上させる政党が必要である」

彼は政党発足の理念につき、そう宣言した。


わたしには、『The Angels Share』は愛と感動のエンタメ映画には見えない。その証拠に、盗んだり買ったり売り飛ばしたり換金したりせず、最終的に椅子に座ってゆったり天使の分け前を味わうのは誰なのかということを考えてみればわかる。

それはとんでもない額の値段を払って超高級ウィスキーを飲むだろう一握りの金持ちと、質素な家のキッチンに座っている世話好きおっさんのハリーだ。

The Angel's Share。を天使の分け前。と訳すと、日本語的には何か分け前に「預かる」みたいな、幸運にもいただいているような感じが残るが、これはハリーの当然の「取り分」だろう。

政権が底辺層を見捨て、貧民街のゲットー化を推し進めている時代に、地べたで庶民の生活を向上させようとしているハリーのような(アニーのような、算数教室の講師のような、ブラック・エビスな笑顔のユースワーカーのような)人々を軽視してはならない。政治とは、本来彼らの仕事をすべきなのである。というケン・ローチの力強いメッセージを感じる。


もはやアラセヴどころかアラウンド・エイティの映画監督が、こんなところまで来て作風を変えるにはよほどの動機がある。
加齢してリラックスしたケン・ローチの作品。と2012年公開時は言われたが、2013年になって見直してみると、リラックスどころか、なるほどそういうことだったのか。と思う。

『The Angels Share』は、わかりやすい言葉で語られたLeft Unityの設立マニフェストだ。


  
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2013年12月24日

才能ある人間には必ず誰かが気づく。そして世に出る

というのは、わたしの昔の上司の口癖でしたが、女子に関する限りそうでもないんじゃないかな。
と思うのは、やはり何やかんや言っても世間はやかましいビッチが好きだからであり、
華のない女子(華のない男子はけっこう世に出るんだけどね)の優れた仕事は、
誰かが意識的にひゃーひゃー騒いであげないと絶対に誰も気づかない。

という点で、書きたくなったレヴューでした。ウェールズ出身の21世紀のニコです。

http://www.ele-king.net/review/album/003518/


ところで、紅白歌合戦はサブちゃんがスペシャル大トリで有終の美を飾るそうで
今年こそ日本に帰って親父と一緒にコタツばたで見るべきだったか。と口惜しい思いでいます。

わたしはイヴの夕方まで仕事してるんですが、
毎年イヴは保育園に来る子供の数が激減だったのに、今年は満員御礼。
ペアレンツの皆さん、今年はイヴも地道に働いておられるのでしょう。

ブライトンのような地方都市では、クリスマスのイルミネーションも今年はしょぼいの極致で
まったくクリスマスのような感じがしません。
奇妙な年です。
人が歩いていないクリスマス前のショッピング・センターは不気味でさえあります。

追記:今年のクリスマス休暇はわりと暇なんで、けっこうブログを更新するかもです。

追記2:「本、買いました。サトウ」
というのは、もしかして、佐藤姿子さんことシナちゃんでしょうか。そうだったらメールください。
以前使っていたPCが壊れて以来、アドレスがわからなくなっています。

  
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2013年12月21日

ele-king vol.12 発売になってます

61egtjp1U+L__SL500_AA300_紙版エレキング年末号が発売されています。

連載の「アナキズム・イン・ザ・UK外伝」は、まだ書くか。のアンチ・ソフィア・コッポラ論第2弾。はははは。
息子が出た映画と、日本のヘイトスピーチ問題を絡めて、新たな視点から(ははは)「ロスト・イン・トランスレーション」に2フィンガーズを突き立ててみました。

エレキングが選ぶ2013年アルバム・ランキングでは、わたしが今夏ひとりで騒いでいた感のある(いや、渋谷のタワレコも騒いでいた)あのバンドが5位に入っており、プッシュしていた本人が大きな衝撃を受けました。(こんなのトップ10に入れてるのわたしだけだよな。とニヤニヤしていた幽かな喜びが打ち砕かれた想いは拭えません)

http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/2013-06-20.html

さらに、「Agitation」という最後から2番目の楽曲が大変にすばらしい「Birth of Dommunist」を発表されたJazz Dommunistersの菊地成孔さんのインタビューも掲載されており、これはファンならずとも楽しめる。面白い。と思いました。

もともと彼の存在は、当ブログの古参読者の方から教えていただいて知ったという経緯があるのですが、わたしの著書ではなんと彼の名前の表記が間違っておりまして、「地」が「池」になっており、失念いたしました。

イタリアのボートの上で揺れながら校正したのがいかんかった。などという言い訳は通用しません。
「彼、菊地の地が、池じゃなくて地面の地なんだよね。私と同じー」と脇で菊地凛子さんが仰っていたにもかかわらずの体たらくです。
菊地成孔ファンの方々、どうぞお許しください。


  
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2013年12月16日

ピーター・オトゥール追悼:『ヴィーナス』

彼が死去したというゴシップ記事を書きながら、このエントリのことを思い出していました。
再掲します。
英国映画の隠れた名作。わたしにとってオトゥールといえば、アラビアのロレンスよりこっちです。

                    **********


ブライトンという街には、いにしえのグラマラスがほのかに香る高齢者たちがけっこう住んでいる。

ここでいう高齢者とは、50代、60代の人生の斜陽世代のことではなく、70代、80代の沈陽世代の人々のことである。

こうした高齢者たちは、昔(といっても、この「昔」は平気で40年前だったり50年前だったりするわけだが)は芸術や演劇、文学の世界でぶいぶい言わせた人々だっただけに、それなりに今も収入源があったり、身内でなくとも面倒を見てくれる人がいたりするものだから、ロンドンの住居を売却して海辺の街の養老院に入るという老後の選択ではなく、独りで海岸沿いのフラットで生活していることが多い。

街を歩いていても、なんとなくこうした高齢者たちはわかる。きっと若い時には、異性関係(もちろんブライトンであるからして同性関係も多いが)の方面でもぶいぶい言わせていたんだろう、みたいな色気が、ふとした拍子に目元から零れ落ちているからである。


そういう高齢者たちは、今どきの若者たちが行くような、大きなガラス窓があって床はフローリングの、かーんと音がしそうなほど清潔でトレンディなパブには立ち入らない。彼らには彼らの社交場があり、そういうパブにはミドルエイジ以上のゲイの方々なんかも多く出入りしていて、明るくラガーのパイントなどは注文できないような、一種独特の、縁地色のビロードじみた雰囲気がある。パブというよりも、バアと呼びたくなるような。

つい先日、古くから知っているゲイの友人と街で出くわしてしまい、誘拐されるかの如くにわたしもこうした”妖し系”パブの一つに連行されてしまった。

「あらー、Eさん。ご機嫌いかがあ!?」

パブに入るなり、友人がアスコット・タイを巻いた爺さんに挨拶をした。歳の頃なら70代後半。異様に皺が深くて染みの多い、荒涼とした肌。きっと若い頃は、日焼けしたいい男だったんだろう。日焼け止めだのモイスチャライザーだのUVケアの重要性がどうこうされていなかった時代である。年老いた白人男性は、若い頃にビーチ・ホリデイを楽しめた身分だった人ほど、かなしい皮膚をしている。

Eさんが出てた映画、この間フィルム4で午後やってたから観ちゃった。すんごいいい男だから、体が震えちゃった。Eさんが夢に出てきたもの、あの晩」

アスコット・タイの老人は無言で笑いつつ、自分のワイングラスに手を伸ばす。この目の細め方。このグラスの握り方。単なる肌のばっちい爺さんじゃない。まだまだ恋だってできるような仕草だ。

「孫娘はあの映画を観て、僕じゃなくて、共演の俳優のほうが気に入ったみたいで、彼に男の孫がいたら紹介して欲しいなんて言うんだよ、真剣に」

「ははは」

「孫から恋愛の世話を頼まれるようになっちゃ男もおしまいだよ。年寄りはもう家に帰って、ココアでも飲んで寝ることにするよ」

と言ってしなやかな仕草で離れて行った老人の後姿を見ながら、わたしは言う。

 

「ビューティフルな人だね。なんかこう、存在っていうか、雰囲気が美男」

「彼、若い時は鳥肌立つほどゴージャスだったもの」

「なんかちょっと、『Venus』のピーター・オトゥールを思い出しちゃった」

「ああ。いい映画だったわね、あれも」

「あのアスコット・タイの俳優さんも、若い時は沢山女を泣かしたんでしょうね」

「そりゃそうよ。泣かしても泣かしても女のほうから寄ってきたんだもの、ああいう人たちは。彼は3回結婚して3回離婚してるんだけど、それだってモテ過ぎが原因だもの」

「モテるってのも、幸福なこととは限らないからね」

「そうそう」

「むかあし、わたしも妙にモテる男とつきあってたことがあったの。なんかあるんだろうね、ああいう男には。風にのってく匂いが他のおしべより強烈、みたいな」

とわたしはまたもや昔の男の話を始める。ゲイの友人と会うと、どういうわけか昔の男の話になる。恥ずかしげもなく昔のバカタレな恋の話をしながら、「わかるわあ〜」とか言いつつでろでろになって手を握り合えるのは、わたしにとっては同性よりもゲイの友人だ。


「で、モテる男の性ってやつだけど、雌と雄ってのは常にしっくり嵌り合うわけでもないから、嵌り方の調子悪い時期とかもあるわけじゃん。そうすると、常に他の雌がいっぱい周囲にいるものだから、ちょっと気分転換でよそに嵌めてみたりするのよ」

「うん」

「そうするとさ、より多く相手に惚れてる方は、やっぱ傷つくんだよね。で、こんなことが続くんならもう別れようって思うのよ。自分の心身の健康のために」

「そうなのよね」

「で、別れ際に言ってやったのよ。あんたはきっと、自分がしょぼしょぼの汚い爺さんになって、若くてかわいい女の子に片思いをして彼女にいっぱい傷つけられたりしたら、誰かに恋をするっていう感情がわかると思う。それまであんたにはわからない。って」

「それ、いくつの時?」

「十代だった。わたしも相手も」

「ははははは。あんたティーンにそんなこと言ったって。老人になるなんて死ぬのと同じぐらい自分とは関係ないと思ってる年頃だから、“はあ?”みたいな感じだったんじゃないの」

「うん。そんな顔してた」

「でも、本当に『Venus』みたいな話。あの映画でピーター・オトゥールがさ、車の中で立ち上がった若い娘のミニスカートの太股を見つめながらニコニコして座ってるシーンがあるでしょ。あれ、赤ん坊みたいに幸福そうで、たとえ報われなくても恋をしながら死んで行けたから、あの人は幸せだったって、思えるものね」

「うん。ある意味、この世で一番ハッピーな男の映画だよね」

「そうそう。死ぬシーンもまた、傍らにいる若い娘がミニスカートで、むき出しの太股がいいのよね。死んで行く老人の傍らではつらつと弾力性があって淫らで。あれは史上最高の太股映画です」

などととめどもない話をしながら、師走の英国の夜は更けて行く。


十代だったあの男も、今は40代のいいおっさんだよなあ。と思いながら

40代なんて、まだまだだよね」

と言うと、ゲイの友人が答えた。

「そうよ。あんたのティーンの頃の男なんか、まだあと30年ぐらいたたなきゃ本当の恋なんかできないってことじゃない」

「そう考えると、長いよね」

「長いわよ。果てしなく。ライフって、どうも思ってたより長いみたいなのよね」

窓の外に、先ほどのアスコット・タイの老人が、灰色のコートに身を包んで1人でとぼとぼ舗道を歩き去って行くのが見えた。

  
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2013年12月10日

すべての道はライドンに通ず

エレキングの連載更新しました。

http://www.ele-king.net/columns/regulars/anarchism_in_the_uk/003496/

先月ので「すごい話」と言われた時には、
こっちは書くまいかとさえ思いましたが、個人的にはこっちが真打ちでした。
(結局は通じてなかったにせよ)。


それにしても、今年は変な年でした。
過去3年間、PCの壁紙が『This Is England 86』のプロモ用画像だったことを思えば、
シェイン・メドウズのインタビューなんてのも、シュールきわまりない仕事でしたし。



この反動で来年がどんなテリブルな年になるかと思うと、今から不安でしかたない。  
Posted by mikako0607jp at 16:43TrackBack(0)