2007年12月08日

モリッシーよ。君は自己弁護すべきではなかった

最近英国を賑わせた芸能ニュースの一つとして、NME掲載のモリッシー・インタビューのレイシスト発言事件というのがありましたが、

 

http://music.yahoo.co.jp/music_news/d/20071201-00000039-bark-musi

 

http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/7126967.stm

 

BBCでもCH4でもITVでもFiveでも1日中ニュース番組で流れていたことに軽い衝撃を受けました。さすがポール・マッカートニーを抜いてミュージシャン部門の“生けるブリティッシュ・アイコン”1位に選ばれただけある。というか、モリッシーは日本における美空ひばりや、フランスにおけるエディット・ピアフのような国民的歌手(英国は男性だという点に注目。これはそのうち書きたい題材です)である。と、むかし半分笑いを取るつもりで書いたことがありますが、どうやら本当に現実になってしまっている模様。

 

この“レイシスト”視されている彼の発言内容をニュース番組で聞いていたうちの連合いとその友人が漏らした言葉は、

「その通りじゃん」

「真実だよな」

でした。ちなみに、うちの連合いもモリッシー同様アイリッシュ移民の子供ですし、その友人はアイリッシュとユダヤ人の子供です。

 

今回のモリッシー発言のニュース報道のされ方を見ていると、“モリッシーはかくかくしかじかという問題発言をした”という事実報道の最後に“モリッシーはアイリッシュ移民の子供である”というオチの一言がついているものが多く、ああやっぱり英国人は意地悪ねえ、と再確認するわけですが、どっちがレイシストかっていえば、こっちのほうがかなりきてるな。と笑わずにはいられませんでした。

 

しかし。モリッシーのいうところの、血はアイリッシュ、心はイングリッシュ。ってのは何もアイルランド系英国籍保持者だけの話ではなく、この国には「ジャマイカン・ブラッド、イングリッシュ・ハート」とか「インディアン・ブラッド、イングリッシュ・ハート」とかいろいろ幅広く存在しておられるわけで、そういう方々も皆、モリッシーが発言したようなことは感じておられると思います。ただ、色つきの方々の場合は、「何言ってんだ、自分だって見るからに英国人じゃないくせに」と大笑いされてしまうから言わないだけで。

 

モリッシーという人は、けっこうこの種の発言は探せば出てくる人で、“米国では自分のギグに来ているのはヒスパニックばかりで、なぜか白人がいないんだよ”みたいな、取りようによってはレイシストとも取られかねないことを平気で言ったりするのですが、それは彼が特にレイシストということではなく、無防備だからです。そしてモリッシーの魅力というのも、実はこの“無防備さ”なのであり、彼はいつもそうでした。

 

「沢山友達がいてネットワークが充実」していて「外出してライフをエンジョイしている」ことが“ハッピー”の基礎条件である西洋社会で、「友達が少ない」とか「外に出るのが嫌だからほとんど家にいる」とか、そういうことを彼はガツンと無防備に言ってしまう。このようなアティテュードは、そう言いたいんだけども言えない多くの人々にとっては「俺はアナキストでアンチ・クライストだ」という宣言同様に痛快なものであり、この無防備なやけくそ&やけくその強靭さに胸を打たれ、共鳴する人々が後を絶たないからこそ、その一見弱そうだが実は怖れ知らずの“ハッピーじゃないやつ”はビートルズの生き残りよりも偉大だと評価されるまでになったのです。

 

それゆえわたしは、モリッシーは今回の発言を自己弁護するべきではなかったと言っておきたい。ましてやNMEに対する呪詛、当該出版物編集部員に関する批判、訴訟の意志の表明など、どれ一つとっても余計なこと。NMEがどのような出版物になり果てているかは、お子様以外はみな知っていることです。

 

今回のモリッシーの発言に「That’s true」と(こっそり)漏らした英国人(“〜・ブラッド、イングリッシュ・ハート”の人々を含む)は多かったはずだからこそ、わたしは遺憾に思います。英国全体がイミグレ問題やポリティカリイ・コレクトネスに神経質になり過ぎて、まるで圧政下の社会のように言いたいことの言えない世の中になっているからこそ、今回のモリッシー発言はいかにも彼らしいのであり、「Well said」だったのです。それなのにぐずぐず自己弁護してしまう彼の弱さが好き。というコアなモリッシー・ファン的感情も理解できないではないですが、やはり今回だけは、モリッシーは言いっ放しにしておくべきだった。

 

わたし自身は、どちらかと言えば「世界に新しい人間が生まれるとすれば、それはハイブリッドだ。自分はハイブリッドに望みを託す」という坂口安吾の言葉に共感するほうなので、人種や血なんかはどんどん混ざればいいし、国籍などという面倒くさいものは廃止すればいいとさえ思っていますが、今回のモリッシー発言を“レイシスト”と呼ぶのであれば、わたしだって「ロンドンの地下鉄に乗っていても英語が聞こえない」とこのブログで書いた覚えがありますし、「子を産まぬアングロサクソンは100年後には絶え、英国はインド人と中国人の国になっているかもしれない」と書いたこともあります。

 

が、わたしの場合は白人ではありませんし、この国では差別される立場なので“レイシスト”ではない。というか、なれない。

個人的には、このCAN BE と CAN NOT BEの現実こそがレイシズムなんだと思いますが。



Posted by mikako0607jp at 11:33│