政治や議論や戦争が好きな女は例外なくセックスも好きなので、マーガレット・サッチャーなんて人は若い頃はとんでもなく色っぽかったに違いない。
という昔からのわたしの勘ぐりをそのまま映像にしてくれたのが、BBC4で放映されたドラマ「The Long Walk to Finchley」である。
http://www.bbc.co.uk/iplayer/page/item/b00c188n.shtml?src=ip_potpw
http://www.amazon.co.uk/Margaret-Thatcher-Long-Walk-Finchley/dp/B0018AHIVA
労働党政権が長く続き過ぎているのと、ブレア前首相の“米国の犬”的外交策&イラク戦争参戦の恥辱などから、ここ数年、英国ではネオ・サッチャー待望論のような空気が漂っており、それは就任直後のゴードン・ブラウン現首相が、党派の壁を無視した前代未聞の大胆さでサッチャー元首相を首相官邸に招き、肩を抱き合っている姿をマスコミに撮影させるなどしてPR材料に使ったことからも明らかだ。
そんなブームに乗ってかサッチャーの生涯を映画化する話も複数出ており、若き日の彼女を演じる女優としてシエナ・ミラーの名があがっている。ということも昨年MovieWalkerさんに流したネタであるが、今回のドラマを観た後では、あのような小便臭い女優じゃまるで駄目。キュートで尻軽。というだけでは務まらないのだ、魔性の女マギーは。
Andrea Riseborough。彼女のサッチャーは凄かった。あの吸いついてくるような色気。ウェッジウッドの磁器のように冷たく湿った白い肌。雪の中に咲く寒椿のように紅い唇。いつも泳いでるようで実は全然泳いでいないあのサッチャー独特の目つきも、このドラマの中で彼女が演じてみせたように、若い時分には“不気味”ではなく、男を惑わす色香を放射させていたに違いない。
とはいえ、このドラマは何も色狂いしているサッチャーを描いたものではない。周囲の男たちは彼女の色気にやられているが、サッチャーはあくまでもサッチャーなので、1にも2にも政治と野望。彼女がめでたく国会議員になるまでの長い長い道のりをコメディ・タッチで描いたものである。「政治を志す女」に対し、当時の保守党がどれほど冷たかったか。何度公認候補選びで落とされ、やっと公認されても勝てなかったか。どれだけ男だけではなく女にまで足を引っ張られたか。彼女の若き日は苦難と敗北の連続である。だが、負けても負けてもまた立ち上がるサッチャーの姿は、まるで起き上がりこぼしのようで、“思い込んだら試練の道を”系スポ根、いや、フェミ根ドラマといってもいいだろう。
敗北続きの果てに初当選することになったFinchley地区の公認候補選びのシーンで、決選演説の前に「どうせ私また負けるんでしょう」とトイレでひっそり弱音を吐くマギーの姿は、涙なくしては見られない。
“保守党で最年少”、“映画女優ばりにプリティな(ゆえにたくさん損もした)”候補者だった頃のマギーは、男など政治家になるための道具としてしか考えていなかったわけだが、その頃から彼女の背後には全身全霊をかけて彼女をお守りし(こんなことを言ったプリンスがどっかの国にもいたなあ)、一生涯支え続ける黒子のような男がいた。デニス・サッチャーである。
デニス・サッチャーって、いい男だよなあ。とは昔から思っていたが、サッチャーがいよいよ“真赤に燃える王者のしるし、国会議事堂の椅子”を掴んで、議事堂入口で家族で記念写真を撮るシーンでは、妻の名を呼んでも振り向いてもらえず、2人の子供たちの手を引いて帰るデニスの横顔にぐっときた。
男をつくるのは女。などと言うが、女をつくるのもまた男なのである。
いついかなる時でも変わらずに自分を愛し、黙って背後から前に押し出してくれる男がいるという揺らがぬ確信があればこそ、マギーはパーラメントの星になれたのだ。
星を掴む女の傍にいるのはああいう男でなくてはならない。
どだいビル・クリントンでは無理だったということだ。
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誰も知らない親権争いの件では、メイルが1通も来ず、そうだよなあ。そんなにメンバー・オブ・パーラメントなんて知ってる人がいるわきゃねえよなあ。いたとしても、こういう種類のことには気易く関わりたくねえよなあ。ふつう、大人は。と思っている。
先日、彼女が日本の母親と携帯で話しておられるのを聞いてしまった。
老齢のお母さんが、東京の在日英国大使館に単身出かけて行って、相談してきたという。
「もうお孫さんたちはあなたや娘さんの手の届かない存在になっているのですよ」
と言われたらしく、日本人のお母さんにはこの概念が理解できずに泣きながら国際電話して来られた由。お母さんはS子さんの弁護士費用のために家を売る覚悟でおられるらしい。
S子さんに何もしてあげられないのは、わたし自身がまずそうなのだ。
わたしにしても、影響力のある日系団体や企業の後ろ盾を一切持たない、しょぼい底辺外国人の1人に過ぎない。
あまり他人様のプライベートなことには関与したくない。というのはわたしのモットーでもあるわけだが、S子さんの件だけは、ちょっと起きていることが常軌を逸しているので、ひょっとしたら何か出来るんじゃないか。などと年甲斐もなくファンタジーを抱いてしまったが、やはり人生とはそんな愛らしいフリルで構成されたものではなく、例によって例の如くに何も出来ない弱小外国人である自分が情けない。