2009年03月02日

小説家と底辺託児所

底辺託児所には男性のボランティアも何人か来ており、保育士になるのが目的で実習をしている人もいれば、児童心理学やソーシャルワークを学んでいる人などもいる。わたしが働いている曜日に来ているボランティアにも、ポールという男性がおり、くりくりの亜麻色の巻き毛にジョン・レノン眼鏡をかけ、70年代の日本の少女漫画に出てくる少年がそのままおっさんになったような感じの長身のヤサ男である。

 

英国でも保育の世界にはまだ珍しい男性の存在となると、圧倒的多数の女性ボランティアからランチ時のゴシップネタにされることが多いのは成り行き上しかたがない。

「すごいお坊ちゃん育ちみたいで、ボーディング・スクールに通ったみたいよ」

「何冊か本を出版したみたいで、ブッカー賞とまでは行かなかったけど、何かの賞にノミネートされたことがあるみたい」

「父親はBBCのカメラマンで、母親は著名なジャーナリストだって」

「・・・で、何でそんな人がここに来てるの?」

わたしが尋ねると

「ジェイミーの例もあるからね」

とボランティア女性の一人が答えた。

ジェイミーというのは底辺生活者サポート施設の名物的人物の一人であり、最近政府に資本を投入してもらったと報道されていた某大手銀行グループの取締役の息子だが、毎日ギターを背負って当該施設に入り浸り、食堂の真ん中でいきなり太極拳を始めたりする30代のモヒカン男性である。

 

底辺生活者サポート施設には、このテの富裕層ドロップアウト組が何人かいる。古着などを着用していかにも貧乏臭くてリベラルな感じを演出しているが、それらの人々の素生がすぐに知れてしまうのは英語の発音が妙に美しいからである。

そういえば、わが底辺託児所のアニー(レノックス似の責任者)なんかも非常に美しい英語を話すミドルクラス出身者で、そもそも彼女が教育に興味を持ったのは、自分がボーディング・スクールに送られて子供時代に寂しい想いをしたからだという。

 

そのアニーがここのところ託児所の資金難問題等で忙しく、最近、ふと気がつけば英国の知的富裕層出身のポールと日本のワーキングクラス出身であるわたしが2人だけで託児所で働いていたりする時がある。

 

リアリスティックであることを信条とするわたしに対し、ポールはドリーマーで優しい。よって彼と一緒に働いている時は、わたしがクソガキどもとサッカーボールを追い回し、カールは砂場で女児たちとままごと遊びに興じているという状況になっているわけだが、しかしどちらも「ぎゃあ」とか「わあ」とか言って騒がない人間だし、「さあみんなレッツ・ゴー」とリーダシップを発揮するタイプでもないので、ボランティアの中では一緒に働きやすい人の一人であり、偶然にパブで会った先日なども話をすることになった。

 

「あなたは、邪悪な子供たちと一緒にいることに違和感がないでしょう」

少し酔っているらしいポールは言った。

「わたしが邪悪だったからね。っつうか、今でもたぶんそうだけど」

「貧しくて、ハンディキャップを背負った子供たちと、あなたは普通に接することができる」

「まあ、わたしが貧しくてそのためにハンディキャップを背負ってたからね。っつうか、今でもたぶんそうだけど」

「僕は時折、駄目なんですよ」

「許せない」

「というか、わからない」

きっとこの人には辛いんだろうなと思った。育ちが良くて心根が優しいから、大変な境遇の中で生きていて、そのために歪んでいる子供たちと触れ合うのがきついのだ。

「頭で理解しようとするからいけないんだろうけど、そうしてしまう。同じところまで降りて行くことはできないから」

「降りる必要はないんじゃない」

「そうでしょうか」

「引き上げてやればいいんじゃないの。わかるようになるところまで」

わたしがそう言うと、ポールは何事かを考えるように沈黙し、じっとこちらを見ていた。

 

その翌週のことである。

FUCK(正確には、アック。Fサウンドがまだ発音できないらしい)を連発する1歳児のデイジーに、ポールが彼らしくもなく説教を始めたのだ。

「その言葉はやめようね。その言葉を聞くと、とても嫌な気分になる人がいるし、そんな言葉を言うと、デイジーを誤解する人がいるかもしれない」

「アック・ユー」デイジーは積み木で遊びながら、斜め下からの目線でポールを見ながら答える。

 

デイジーの両親はどちらも18歳で、よくある「出来ちゃったからとりあえず産んで、生活保護貰えばいいじゃん」な未婚の貧民街ティーンズだ。2人はデイジーが産まれて1か月もたたないうちに破局したが、現在もデイジーの養育問題(特に幼児養育補助金問題)などのため行き来しており、この2人の会話というのは50%FUCK又はFUCKINGで構成されている。

「あんたのこと(F)待ってたら(F)時間が(F)いくらあっても(F)足りない」

「てめえだけ(F)補助金(F)ネコババして(F)都合の悪い時にだけ(F)赤ん坊を(F)預けに来るな」

というような両親だから、デイジーが最初に喋った言葉がFUCKだというのもしごく当然である。

 

「デイジー、積み木でタワーを作ってみよう。どれだけ高くできるかな?」「アック」「デイジー、アックはやめようね」「アッキン・タワー。アック・ユー」「アッキンもアックも、悲しい言葉だから使ってはいけないよ」「アック・アック・アック」「ほら、この積み木には動物の絵が描いてあるね。これは何かな?」「ボロックス」

 

背中で聞いているにも笑いをかみ殺すのに往生する会話だ。

「イエ〜イ!ボロックス!!」デイジーの発言に反応してローラが言った

「ボロックスはここだよ。これこれこれ」と自分の睾丸をつかみながらスタンリーが猿のように飛び跳ねる。ついにこらえきれなくなったわたしが吹き出すと、深刻な顔をしていたポールまで笑い出した。

 

こんな風に笑いながらやって行けばいいのだ。

辛さと笑いは案外同じ場所から表出してくるものだから。

 

いろいろあって筆を折り、何年も物を書いてなかったというポールは、最近童話を書き始めたらしい。

それは彼が書いていた難解な小説より何倍も素晴らしいだろう。

読んだわけではないが、わたしにはそう思える。

 

卑語を悲しい言葉だと思える彼は、“アック”を文学にすることのできる人だ。

 

 



Posted by mikako0607jp at 07:00│TrackBack(0)

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