先日、底辺託児所にEMAS(Ethnic Minority Achievement Service)という団体から講師がやってきて、「バイリンガル幼児の言語能力開発法」というコースが行われた。
基本的に託児所スタッフのためのコースだが、今回はテーマがテーマだけに、館内の別の部署でボランティアしている外国人スタッフも「バイリンガルの子供を育てている親として教養を深めたい」といった理由で受講を希望、蓋を開けてみれば圧倒的に外国人の受講者の数が多い。という顔ぶれでコースが始まったのである。
最初は純粋に言語的お話が続き、ふんふん言いながらみんなメモを取ったりしていたのだが、どこからそういう流れになってしまったのか、たぶん講師が「2カ国語以上の言語が話されている家庭ならではの、何か興味深い出来事はありませんか?」と外国人受講者の発言を促してからだったと思うが、気がついたら、あるロシア人女性が
「私の子供は学校の友達から“その変な言葉は何だ?”とひやかされて、ロシア語を話さなくなりました」
と、わなわなピンク色に顔を上気させており、
「うちもうちも」
みたいな感じで、インターナショナル・フォース(わたしもその一員なのだが)のみなさんが一様にわなわな状態になっている。
間髪を入れず、今度はあるアラブ系女性が
「差別的なことを言われるから、子供がアラブ語を喋らなくなりました。言葉だけじゃなく、アラブ文化に関する全てを恥に思うようになったのです」
と震える声で訴える。そして、
「先日、子供を連れてプールに行ったら、イングリッシュの男児がうちの娘に水をかけ始めました。娘が泣き始めたので、“彼女は嫌がってるから、やめてちょうだい”と男の子に注意したら、プールサイドに座っていた彼の母親がこっちに近づいて来て、“自分を(F)何様だと思ってるんだ!さっさと自分の(F)国に帰りやがれ!”と私にがなりつけたのです」
と号泣を始めたのである。
「泣かないで、大丈夫よ。私たちがついているから」
熱い激励の言葉が飛び交い、幼児教育のコースだったはずの席がやけにドラマチックな空間に変わる。
講師にしたってエスニック・マイノリティーをサポートする団体から来ているわけだから、人種差別されたと言って号泣している女性を放っておくわけにはいかない。
「それはいったいどこのプールなの?」
「きちんとそこのマネージャーに、起きたことをレポートしたほうがいいわ」
などと言って自分の携帯電話を取り出して電話をかけ始め、ますます室内のムードは緊迫してきた。
「どう思う?」
「どう思うも何も、私だって、○●で買い物をしていた時に店員から・・・」
「私だって子供を連れて●●に行った時に・・・」
「私も・・・」
と次から次にインターナショナル・フォースの女性らが自らの体験談を半泣きになって語り始め、その場はもう幼児言語教育のコースではなく、外国人女性が被害者として連帯する会へと変貌してしまったのである。
「どう思う?あなただって、経験あるでしょ?」
外国人女性たちの目・目・目がわたしの方に注がれる。
どの目も期待と興奮に漲り、瞳孔が開き切ってわくわくつやつやしている。
「どう思うって・・・」
わたしは答えようがなくて、言葉にゆきづまる。
「あるよね」
と言葉を漏らすと、こちらを向いている目・目・目が、パードン?な表情をした。
「いや、あるよね。そういうことは。だから、いちいち傷ついてちゃしょうがないっていうか。でも、本当に危険を感じたら警察に電話すればいいんじゃないかな。Racial abuseを受けた、って言えば、警察は一応調査しないわけにはいかないらしいから」
わたしが答えると、こちらに向けられていた目・目・目は、何こいつ?みたいな拍子抜け感を露にし、“呆れた”という感じでどんよりしつつ、わたしの隣に腰かけていた別の外国人に同じ質問をした。
場の雰囲気を盛り下げる発言者は無視することに決めたのだろう。
が、「自分の国に帰れ!」は、すでにコメディ化している英国人のキャッチ・フレーズではないか。
スーツか何か着てタクシーに乗って生活する階級の外国人は別にして、暴力と卑語とビーンズにまみれた階級で生活している外国人にとり、英国人にからかわれる、罵倒される、差別される。は、風呂に入ったり、歯を磨いたりするのと同じくらい日常的な、普通のことだ。
そういうことでいちいちドラマを拵えるのは、「わたし今朝もきちんと歯を磨いたのよおおおっ。おおおおおんっ、ぎゃああああああ」みたいなことを言いながら身もだえしているような感じで、どうもこちとら乗れない。っつうか、脳がしんしんと冷えるのである。
とはいえ、こうした人種差別はたいしたことではない。とわたしが思っているわけではない。
「マミイ、“ニーハオ”って何?“チンク”って何? どうして時々遠くからマミイにそう言って笑っている人たちがいるの?」
うちの3歳の坊主にしても、最近わたしに訊いてくるのだ。
「知らない」
と誤魔化しているのは、坊主の場合まだ“怖さ”というものを知らないので、もう少し成長して、ああいう輩たちに下手に反応したら暴力をふるわれたり、運が悪ければ殺されたりすることもあるから黙って通り過ぎたほうが得策なのだということが理解できるまで、これらの言葉の意味は知らさずにおこうと思っている。
ブロークン・ブリテンに生きる、底辺外国人のリアリティーなんてそんなものだ。
このリアリティーが嫌なのであれば、文字通り、外国人は自分の国に帰るべきなのである。
しょうがないのでぎりぎりテーブルの上で鉛筆を研いでいると、所在なさそうに沈黙している英国人受講者の一人、ポールが、わたしの目を見てドライな笑みを漏らす。
それはある種の連帯感の表明なのだろうが、わたしはこちらにも属さない。
こちらにも、あちらにも、結局わたしは属さないのだ。
だからただ頭を低くして、毎日ぎりぎり鉛筆を研ぐしかない。
いい加減研いだ鉛筆で何かマジに書き始めたほうがいいのかなという気もするが。