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子供への虐待が傍目には解らない理由の一つに、母親の「ずるさ」と言うものがあるのだと思う。
人間は、誰でも他人に知られたくないことに対しては、実に慎重に行動する。
虐待とまではいかないにしても、子供に「お手伝い」と言う名目で、やっかいなことをやらせていた私の母の顔は、いつも意地悪そうで醜かったことを覚えている。
気味の悪い薄笑いがはりついていて…
汚いトイレ(便所)掃除、汚い鶏鳥小屋の掃除…などなどが、家族の中での私の掃除分担として決められていた。
決められていたというか、半ばそくせんしてやっていたというか。
「汚いところを掃除すると心が綺麗になるよ…」
という母の顔には、かなり「ずるい」笑みが浮かんでいた。
それでも、褒められると嬉しいから、子供の私は、素直に喜んでやっていた。
私の母は、掃除というものが大嫌いな人だった。だから私に押し付けていたのかもしれない。
そりの合わない祖父母の顔色を、いつも気にしていた人だったから。
掃除は嫌いで、料理も好きでも得意でもなかったから、よく考えれば、舅姑と折り合いが悪くても当然な部分があったようにも思う。真実は子供の私には知りようがなかったのだけれど。
そういうわけで、私はいつも上手く?母親に利用されて、いいように使われていた。
まずかったところは、私という子供が、子供心にも、母の本心を本能的に感じ取ってしまっていたところだろうか。
母が私を激しく叱責することも多かった。理不尽なことも多かったし、単にその場の気分次第のことも多かったから、自然と私は母の顔色を伺う子供になった。
こういうことに対しても、世間の目を気にする母はかなり周到で、
「この子は、頑固な子だから…しつけだから…この子が性格が悪いから…」
ということを隣近所に触れまくっていた。
人の眼だけは異常なほどに気にする人だったから。
そのせいで、子供の私が、何を言っても真実を語っても、誰も信じはしなかった。助けを求めたくても、そんなものはどこにもなかった。
学校に行くようになってからは、
「この子は、親の悪口を言う子ですから…」と教師に言っておけばそれで良かった。
当時の教師は、当然のように子供の言うことよりも親の言うことを信用する。
私の時代には、親が子供を精神面で苦しめる、虐待…なんていうものは、ほとんど知られていなかったし、問題にもされていなかったから。

私の幼少時は決して平凡でもなければ、幸せな時代でもなかった。残念なことに。
私は母親の負の影響から逃げるために生きてきたようなものだ。
そして、それに成功するには、かなり長い年月と辛い日々が必要だった。
何故、今こんなことを語るようになったかといえば、母親から逃げることに、やっと成功した…という嬉しくもない実感を、最近感じるようになったせいかもしれない。
虐待というほど酷いものだったのか、どの程度のものだったのか客感的なことは勿論私には語れない。
でも、私が母という存在に長く苦しめられてきた…ということは主観的には事実なのだ。
母という存在が子供を苦しめる…そういうことがあるのは事実である。

心で「やましさ」をを感じていることを言ったり、したりするときの人間の顔は、本人は気付いていなくいても、かなり正直に本根を語っている。本人は自分の顔なんて見えないから気付かないことがほとんどでも。
人を苦しめている人間の顔は、酷薄な顔をしているし、騙そうとしている人間の顔は、ずるがしそうに歪んでいる。
私は、人の顔の表情をつい観察してしまう。癖かもしれない。
その人が発してしている言葉とは、全く違う表情をしている人も実に多い。
自分が誰かと話しをいしているときに、どんな顔をしているのか想像してみたことのある人は少ないのではないかと思う。
録画でもしておいたら驚くかもしれない。
おそらく、語る言葉とは裏腹に、自身の心の本根を正直に表現していることに驚くかもしれない。