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映画「怒り」をみてきた。
最近、日本映画が面白くなった。以前は、一年待って、テレビかビデオで見ればいいかな…と思うことが多かった。最近は、テレビドラマがいまいちなせいもあるのか?、日本映画をよく見るようになった。「参勤交代リターンズ」も結構な面白さだったし、「シンゴジラ」もしっかり見た。
「怒り」という作品は、原作を読んだときに、涙が溢れるような感動を覚えたので、楽しみにしていた。
映画では、「信じること」というテーマをかかげて、テーマにそった脚本になっていた。
誰かを信じるということはどういうことか、愛する人をどんな状況でも信じれるものなのか、信じきれなかったときはどうなのか…
などなど、この辺にストーリーの中心を持ってきていた。

もともと吉田修一さんという作家さんは、前作「悪人」にしても今回の「怒り」にしても、この表題そのものがテーマなのか、というと「どうなんだろう…」と思う部分がある。
何故なら、どちらの作品でも、表題そのものについて詳しく描かれているわけではないから。
そして、不思議なことに、毎度私が一番感動する部分もテーマらしきものとはいつもズレたところにある。
今回の「怒り」という作品の原作本も、「怒り」について書かれているわけではないし、映画版のように「信じること」を書きたかったようにも思えなかった。
誰かの「怒り」から派生した影響を受けた人たちが、自分の愛する人が犯人ではないのか、と疑いながらも、弱く惨めな自分から、愛する人を助けようとする強い自我に目覚めていく姿が、感動的に描かれていると私には思えた。まさに私はその部分に深く感動した。
だから、映画と原作本では感動する部分がかなり違う。

映画は映画で素晴らしいと思ったけれど、危惧していたとおり、東京での男性二人の愛情劇が際立ってしまっていたような。刺激的だものね。
何故、原作者は、この部分をあえて男性同士にしたのだろう…原作では素朴にそう思った。男女でもよかったはずで…でも、この部分にあえて男性同士の愛情を登場させたのは、現代社会というものを強調させるためだったのだろう、と理解した。時代が確実に変化しているという意味で。

原作を読んでいて思ったのは、「信じること」や「怒り」という主題らしきものにこだわって読まないほうがいいのかもしれない…ということだった。
「怒り」が生み出した悪意に打ち勝つ人間のそこ力のようなもの、そういうものを原作者は、鮮やかに描き出しているように私には思えたから。
だから、映画と原作のテーマはかなり違っている…と私は思う。