2017年06月28日

GMエアフォース・バンド渡英:JUNE 1944

急ぎSHAEF要請に応じたOWI - 凄い’忖度’か?^^
Collage June 28 2017
人心;社会情勢;そして自然界 - 心配事が絶えません、
今・改めて大宇宙レベルの調和と安寧を祈念します。

ミケ鹿馬ブログ:2017年6月の「締め」
 宜しかったらお付き合いを^^

オルトン・グレン・ミラー大尉(後に少佐)指揮のアーミイ・
エアフォース・バンドがアメリカ本国から、連合国軍の
欧州本土進攻に呼応してイギリスに渡って演奏活動を行う
運びになっていったのが「時季」としては丁度今頃:
1944年の6月の事でした。

「グレン・ミラー大尉指揮 アーミイ・エアフォース・テクニカル・
コマンド・オーケストラ」として1943年春から合衆国陸軍航空隊
の広報番組"I Sustain the Wings"でアメリカ一般大衆に知られる様に
ISTW May 1944 smallen
なったグレンのAAFバンド。 軍上層部としては、安全な本国に
留まって戦時国債の購買促進に力を発揮してくれた方が助かる・・
という考えの方が強かった、とも思えるのですが;グレンは
遥かに骨のある人物でもあり、少しでも戦地で戦っている将兵の
’近く’まで赴いて彼らの耳に届かなければ意味が無いと
思っていた事でしょう・・

GM AAF Band Concert At AF Base
1944年春、エドワード・M・カービイ大佐がNYCヴァンダービルト
劇場の"I Sustain the Wings"リハーサルを聴きに訪れた。
彼は渡英してドワイト・アイゼンハウアー将軍指揮下のSHAEF;シェイフ
(Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force)
連合国遠征軍最高司令部の放送を任される事になっていた人物で、更に
"I Sustain the Wings"のスクリプトを受け持っていたダドリー軍曹とは
民間人時代にラジオ・プロデューサーとして知古の間柄だった。
カービイ大佐はダドリー軍曹を通じ、ミラー大尉がAAFバンドを伴い
前線慰問するべく渡英を切望している事に非常に興味を抱いた - 自身
が渡英後、英BBCとの協力関係によって着手するAEFプログラムの
構成内容充実にも非常に大きく益する可能性をそこに見出したのだ。

イギリスに発つ前にカービイ大佐はミラー大尉とワシントンで面談、
バンドの渡英について意見交換を行った。

5月中旬になるとカービイ大佐はBBCの協力を得て、連合国の欧州
侵攻軍向けの放送サービスの足場を固めていた。

5月23日から放送を開始、その翌日にはSHAEFからワシントンの
戦争情報局:OWI(Office of War Information)に宛ててグレン・ミラー
大尉と彼のアーミイ・エアフォース・バンドの’早急の’配置換え要請
の電信が送られた。

5月27日、AAFバンドの統轄権限者だったアーノルド将軍が本土から
ヨーロッパ作戦戦域:ETO (European Theater of Operations)への
配置転換を了承。
5月30日、AAFバンドに向けて海外派遣の準備に入るよう命令が出た。

OWIはSHAEFに、「6月15日にはバンドの移送準備が整う」(結果的には
19日にズレ込んだが)と返信していた。

6月10日、シカゴからGM AAFバンドによる"I Sustain the Wings"
の最後の放送

6月18日、ミラー大尉とポール・ダドリー軍曹がコネティカット州
ヒュー・ヘイヴンを離れ、空路イギリスへ向かい、命令により21日に
ロンドンのSHAEFに出頭。

6月22日、明け方にAAFバンドを乗せた輸送船:"NY8245"(実は
「クイーン・エリザベス号」、船名は伏せられていた模様)が
ハドソン川を離れ大西洋に船出した。

6月28日、ドイツ軍潜水艦:Uボートを警戒しながらの6日間の航海を
経て西スコットランド、グーロックにAAFバンド到着、バンドを引率して
きたヘインズ中尉(マネジャー役割)と前日ロンドンから飛んで来た
ミラー大尉が合流 - 同日夜にAAFバンド、グラスゴーから
ロンドンに向け鉄道移動。
6月29日、早朝ロンドンに到着したばかりのAAFバンド、ドイツ軍
ロケット爆弾による駅付近への空襲を目撃した後、アメリカ陸軍車両で
ロンドン市内の宿営所に移動。

6/29~7/1、ミラー大尉;ヘインズ中尉;ダドリー軍曹が
SHEAFに赴きデイヴィッド・ニーヴン中佐をはじめとする要人と会合、
AAFバンドの宿営と活動の拠点をロンドンからベッドフォードに
移すことで一致、大急ぎで移動手段の手配に入る。

7月2日、AAFバンド、ベッドフォードに拠点を移す。

7月7日、別便で運ばれていた楽器や楽譜その他備品類も揃い、
AAFバンドは新しい放送に向けリハースを始めた。

バンドが渡英の為に乗船したのが6月21日の
夜で、最初のきっかけから、そこまで漕ぎ
つけるのに掛かった日数は28日:
「4週間」だったというのは
極めて’異例’だった模様です。
外地:前線司令部からの至急の要請
という事でワシントンも大急ぎで応じた模様でした。

GM AAF Band Abbey Roas Studio Recording  Sep 16 1944 1
御試聴:コンナのどうでしょ?
Flying Home:GLENN MILLER AAF Band
Speak Low:GLENN MILLER AAF Band

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mikekaba at 19:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マイ・ミラー・マニア 

2017年06月25日

「楽器で偲ぶグレン・ミラー」の更新あるヨ^^

現存する2本:どうやら同日購入だった模様ですワ・・
Collage June 22 2017
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(グレン)ミラー・マニアのミケ - 2017年「6月」のブログ
・ネタとしては、1944年の6月に展開していたグレンのアーミイ・
エアフォース・バンドの英国派遣を採り上げ締め括ろう・・、いう
意図なんです。 ただ;もう’チョイ’整理時間要しそう・・
そこで;フィラー記事ではあるものの結構、大事な「抑え処」を
話題とする「楽器で偲ぶグレン・ミラー」の追加/更新、
 - 宜しかったらお付き合いを^^・・

グレン・ミラーが愛用したトロンボーンで現存するものは2本:
ミラー・ヒストリアンの最高峰:Edward F. Polic先生著
THE GLENN MILLER ARMY AIR FORCE BAND:
I Sustain the Wings1989年 The Scarecrow Press刊:
2巻物・大冊データ本でグレンのアーミー・エアフォース・
バンドの活動について物凄く詳細なデータを盛り込んでおり
各メンバーの階級/認識番号や所持・使用していた楽器の
記録も載っています - 当然、グレンのトロンボーンも。

彼は「V・バックのStradivariusモデル6 トロンボーンを2本
所持、製造番号は#2040と#2137」、とありました。

一本は未亡人:ヘレン・バーガー・ミラーさんが形見として
持っていたもので、伝記映画:「グレン・ミラー物語」の
際に貸し出し、後にオハイオ州 デイトン近郊の空軍博物館
に寄贈されたもの。
 Museum smallen
もう一本は当時のバンド・メンバー:ジミー・プリディさんが
エアフォース・バンドのトロンボーン・セクションのリードを
務める様になってグレンから譲られ;結局、早めの形見分けと
なってしまった楽器 - プリディさんの死後;1992年に
御子息がThe GLENN MILLER Birthplace Societyに寄贈したもの。

GMBS Horn Display smallen
これら2本の楽器のスライド外管はどちらもライト・ウェイト・
ニッケル・シルヴァー製で、それ以前のブラス製外管(ニッケル製
スリーヴ付き)とは外見上の区別が分かり易いのです。

ミケは、手持ちのささやかな写真アーカイヴを時系列上に調べ、
一つの推測を立てていたのですワ:
”このライト・ニッケル・スライドの楽器が使われ始めた
のは「1941年7月下旬以降」;そしてシリアル・ナンバー:
2040と2137の間には、恐らく半年程の製造時期の
開きはあって、後者は翌:’42年に購入したのでは・・”

ミケが昨年から仲間に入れて貰ったFacebookのグループ:
"GLENN MILLER Archive"はミケの『上級生』の如き
ミラー・マニアでイッパイ!! それでネぇ;そこの
極めて活発な遣り取りの中で、グループの『大家さん』:
Dennis M. Spragg先生がアーカイヴ資料から記録を調べ、
仲間の質問に回答しているのがあって:
「グレン・ミラーは1941年8月15日にBACH社から
購入していた2本の"Stradivarius"モデルのトロンボーン
を携えて陸軍に志願入隊していた。 それら2本:共に
あのミラー少佐の致命的フライトの際は彼と一緒の
機上にはなかった - 後日、彼に続く予定のバンド
本体の楽器/備品群の中にあったからです。」
いうのがありました!!

「1941年8月15日」 - この日付の「根拠」は
「支払いの証拠」:支払いが済んだ小切手の日付に拠る
ところなのでしょう(先述GMBSのチェアマン:マーヴィン・
ニグリイさんが、ミケに20年程も前に助言してくれた事が
ありました:”購入時期を割り出す方法があるヨ - 養子の
一人:スティーヴ・ミラー氏が支払い済み小切手などの記録/
資料類を受け継いでいるから・・” - 現在はコロラド大学
ボールダー校のアーカイヴが大切に保管との事ですワ。

それがネぇ;”何とクドいネコ親爺”、と思われそうですが、
ミケ:未だチョコっと思っている事があるのです」ワ:
”1941年の「8月15日」って云うのは、グレンが’オーケイ、
コレらは合格 - 貰ってくヨ/使い続けるヨ’となった’後で’
彼の事務所がBACH社に小切手を振り出した日付であって;もう
チョット前から少し「試用期間」はあったのではナカロカ?・・”
1)慎重な彼でもあるし、「その日」にチョット試奏した位で
今なりの貨幣価値でも数千ドルする楽器を直ぐに2本買ったり
などするとは思い難い・・
2)時代的に、ビデオ・メッセージなどという「録り置き」が
効かない状況で当時の彼の人気度合いで、いくら当時 NYC
ブロンクスにBACH社の工房が在ったにせよ、まとまった時間を
楽器の試奏に割く事が出来たとは思い辛い・・
  ある程度の期間、実演や放送で鳴らしてみていたのでは?・・

まあ・・、’概ね’で云えば「使用開始時期」など、
ミケの「推測」もマンザラでも無かった感じですワ。
一方、2040も2137も同時購入だったのは
コレはイイ事教わりました。 1941年はWW2
アメリカ参戦直前で、遍く管楽器メーカーにとっては
ギリギリ平和時の生産ピークだったのかも - 真鍮や
ニッケルの民生供給はその後、統制かかった可能性も・・

御試聴:コンナのどうでしょ?
1939年6月27日のステュディオ・レコーディング - この頃は
ブラス製のアウター・スライドの楽器だった訳ですネ・・
Pagan Love Song :GLENN MILLER
1941年9月3日のエア・チェック音源 - この頃で、ライト・
ニッケル・スライドの楽器を使いだして半月位になる訳ですネ。
Oh So Good:GLENN MILLER
GLENN Soloes at Cafe Rouge Autumn 1941 smallen
1941年10月頃 - まだトロンボーンもおNew目かナ?・・

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mikekaba at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マイ・ミラー・マニア 

2017年06月23日

珍盤?:T・ドーシー/C・バーネット

ドーシーとバーネットのコミカルな競演盤・・^^
Collage June 24
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”「月7本」は何とか・・”、とアガいていたネコ親爺、
どうやらネタの「探し方」が可笑しかっただけのやう、
「6月分」は急に埋まりました - あと一週間かそこいらで
6月終わってまうのに。 宜しかったらお付き合いを^^

トミー・ドーシー・バンドの活動記録:1940年分で『6月』を
眺めていたら、「!!!」がありましたワ:
RCAビクター専属アーティストとして、通常はレギュラー盤:
「ビクター」レーベルからのリリースが主だったトミーのバンド、
折々、ヤング向け廉価レーベル:「ブルーバード」でのリリース
もあって、有名なところではフランク・シナトラをフィーチュア
した"East Of The Sun (And West Of The Moon)"等がありました。

でもネぇ;”コレは「珍盤」ではナカろうカ??・・”いうやうな
ステュディオ・レコーディングが1940年の「6月」にありました。

1940年6月27日、ビクターNYCステュディオで、名義を
"Tommy Dorsey Family (Mountain Branch)"  - 「トミー・
ドーシー家の山岳分家」いう感じでしょうか?? ― とした
1曲をブルーバード向けに収録していました(当日の他の収録曲
は"Tommy Dorsey & His Orch."で「ビクター」ですワ・・)

曲目はミュージカル:“Du Barry Was A Lady”の為にコール・
ポーター先生がお創りになった"Friendship" - 普段はアルト・
サックスを吹いているフレッド・スタルスさんがオルガンを受け
持ち、ヴォーカル・グループのパイド・パイパーズが唄う・・

このレコーディングは「ブルーバード盤 #10804」のA面
となっていたのですが;カップリング相手:『B面』がまた面白い
のですワ - 名義は"Swing and Sweat with CHARLIE BARNET"
(「Swing & Sway with サミー・ケイ」のパロディ??)
御唄はトランペット奏者兼アレンジャーのビリー・メイ?!
曲目は"The Wrong Idea" - ステュディオ・レコーディングは
前年:’39年10月9日に行われていました。

とても興味深い事に、この"Friendship"収録から
2年ほど後にミュージカル:"Du Barry Was A Lady”は
MGMで映画化され、トミーのバンドも出演しています。

御試聴:コンナのどうでしょ?
件の「ブルーバード盤 #10804」、コレA面のトミー・ドーシー
Friendship:Tommy Dorsey Family (Mountain Branch)
同じく「ブルーバード盤 #10804」、コレB面のチャーリー・バーネット
The Wrong Idea:Swing and Sweat with CHARLIE BARNET
トミーの同じ1940/06/27収録、コチラは「ビクター盤 #26660」
The One I Love Belongs To Somebody Else:Tommy Dorsey
/w Frank Sinatra and the Pied Pipers

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mikekaba at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スィング・バンド鹿馬