2009年05月

2009年05月16日

たら・れば:グレン・ミラーの出演三作目


ミケのグレン・ミラー狂ばなし

「マイ・ミラー・マニア」:

宜しくお付き合いを・・



映画に観る『動く グレン・ミラー』
S.V.V clip 2.jpg

後にも先にも、あるのは:

Sun Valley Serenade (1941)と、

Orchestra Wives (1942)の2作品

のみ(いずれも20世紀FOX)・・

ところが、3作目どころか5作目まで

一端はしっかり『予定』が立ってました

だから、まるっきりの「たら・れば」

と謂うワケでもナイんです、コレ・・



映りの悪いのは残念ながらどうしようもありません;この

ブログ記事に使ってる『カラー絵』は十数年前にミケが、

アメリカのグレン・ミラー狂・同胞からVHSテープで

お裾分けして貰ったバンド・メンバーのホーム・ムービー

をDVDに引越して、その静止画を選り抜いたものです。

トップのは本編には残っていないSun Valley Serenade

で、恐らく"At Last"を女優のリン・バリ(口パク)が唄うトコ。

S.V.V clip 1.jpg

これは"Chatanooga Choo Choo"の衣装でトロンボーンの

フランキー・ダノルフォ(つい最近・90過ぎまで生きてた!);

ヴォーカルのポーラ・ケリーとハル・ディキンソン(夫婦だった)

が出番を待っている処(ダノルフォ氏の後ろのオジサンは謎、

ロード・マネジャーのオラリー氏か、撮影所のヒトでしょうか・・)

このホーム・ムービーをずっと付き合って観てると、飽きる程

みんな長椅子とかに寝たバッて、出番を待っていた・・

待った甲斐は充分過ぎにあった:そしてこれ、謂っちゃあ悪いが

主演のソニア・ヘニーにとって最後の大当たり作品でもあった:

GLENN with Henie on SVS Chsterfield AD.jpg

ラジオでグレンのスポンサーシップ持ってたチェスターフィールド

も早速、広告に使う(残念;オリジナルはカラー刷りの筈だけど

ミケにコレを分けてくれた「米・同胞狂人」にも白黒しかなかった)



O.Wives clip 3.jpg

2作目:Orchestra Wivesの演技指導中のトコか、聞き入ってる

ジョージ・モンゴメリー(彼;身長6フィート4インチ位あるの違う?

というのもグレンで6フィートあったんだから)

そして、アン・ラザフォード(白黒の本編だと髪の色、グキっと濃い

ブルネットみたいな印象だったけれど、ブラウンだった・・ そうだ、

「風と共に去りぬ」にも妹役で出ていましたネ)

O. Wives Still Extra 3.jpg

楽曲を書いたハリー・ウォーレン(曲)とマック・ゴードン(詞)の

コンビにとっても"I've Got A Gal in Kalamazoo" (1); "Serenade

in Blue"(2); "At Last"(9)と映画一作で3曲トップ10入り、という

のは恐らく記録モノだったんじゃナカロカ・・



そこで、『3作目』についての話ですが;上記"Orchestra Wives"の

封切近辺の日付のヴァラエティ誌の記事・数本にその「ヒント」を

見出す事が出来ます(これがまたグレンの入隊とバンド解散という

騒動にも重なってしまい、何とも慌しいんですよ):



1942年8月12日号「"Orchestra Wives"試写8/10 L.A.」

1942年8月19日「映画各社、バンドと契約 例のない条件」:

目下、バンドと撮影所が協議している最も長い契約期間はグレン

ミラーと20世紀FOXとの間の、「年間最低・1作で7年」、がある。

1942年9月9日号「ミラーに映画次回作が」:

20世紀FOXはグレン ミラーと、来年前半ホテル・ペンシルヴエニア

の長期出演終了後に製作に入る次回作について調印した。

今回を若干上回る出演料で;1作のみ・追加出演無し、が条件。

それがたった1週間後、同誌の記事群ではヒックリ返った様な話・・

1942年9月16日「映画契約 無効」:

唐突なグレン ミラーの陸軍入隊により、20世紀FOXとの年間

1作・3年間で3本の出演契約が御破算という事態になった。

撮影所は最初に予定していた"Blind Date"の為に他のバンドの

検討に入った。

**同じ号の他の紙面には**

「ミラー ボストン 入隊前サヨナラ公演 大入り RKOボストン劇場
 
4万$超 共演:アル・バーニー 上映:"Little Tokyo U.S.A."(FOX)」
 
「ミラー入隊 バンド欠くホテル・ペン  エージェント各社緊急態勢」



"Blind Date"という映画;20世紀FOXの記録上、存在しないんです。

ならば、"Blind Date";結局何という、どのバンド映画に化けたのか?

長い事いろいろ調べてみたけれど、「確たるもの」見付からなかった。

だから、ミケの『苦手な(クフフ)Guessの勘ぐり』でいくしかなさそう・・

グレンが入隊してからのヴァラエティ誌の記事群に「後釜バナシ」が・・

1942年10月28日号「ボブ・アレン 20世紀と掛け合う」:

ジェネラル・アミューズメント社(グレンやウディ・ハーマンのブッキングを

していた)と20世紀FOXの間でグレン・ミラーの入隊で穴の開いた

役にボブ・アレンを充てるべく交渉を進めている。

1942年12月23日号:

「ウディ・ハーマン;20世紀FOXと5年で調印、グレン・ミラーの陸軍

入隊で流れたフィルムに取り掛かる」



その様にして翌年;ウディ・ハーマンさんがバンドと共に出演したのが

"Wintertime" - 封切:1943年9月17日 主演ソニア・ヘニー

製作:ウィリアム・ル バロン(”ワイヴス”と同じ方)
 
監督:ジョン・ブラーム(当初、”ワイヴス”に充てられていた方)
          
楽曲:ナシオ・ハーブ・ブラウン(曲)レオ・ロビン(詞)

当初はテクニカラー作品として予定されていたそうです。

ただ;グレンが例の志願入隊をせず三作目にかかったとして、それが

ソニア・ヘニーとのリユニオン作品になっただろうか、というと何だか

”ウーン・・”なんです。 それよりはアリス・フェイ?ベティ・グレイブル?

リンダ・ダーネル?、か誰かとで「ブラインド・デート」となりそうな・・

ミケとしては、やるだけやってみたけれど、最後は「ヤッパリ分からん」で

何か不完全燃焼だニャー・・



GLENN with Female Fans at Fox lot.jpg

"Orchestra Wives"時の撮影所にて

女性ファンたちと談笑するグレン:

どう? 『絵になる人』じゃない。

彼の3作目(多分カラーで)

実現出来なかったのは

やはり惜しいとしか・・



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mikekaba at 20:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マイ・ミラー・マニア 

2009年05月04日

ジュディ vs.スィング・バンド


ミケが慕ってやまない

ジュディ・ガーランド:

「やたらとジュディ様」

宜しくお付き合いを・・



sg3 ca 1943.jpg

先月27日辺り、雪まで降り積もった

当地・青森市もけふは24度位にも

なったんではないでしょうか・・

何かドンシャリ型天気;これも

地球温暖化のせいでしょうか・・

そのせいでミケの知性は狂って

なんか怪獣映画みたいなタイトルに・・



14歳の誕生日から2日後の1936年6月12日にDECCAで

"Stompin' At The Savoy"/"Swin Mister Charlie"を吹込んで

レコーディング・アーティストとしても歩み始めたジュディ:もう、

その頃から声量や唄いっぷりはさすがに素晴らしかった。

時代は、1年位前までサヴァイヴァルを懸けていたB・グッドマン

の苦闘も報われ始め、スィング志向のバンド合戦が動き出した。

ここからヒット・レコードの競争となるとビング・クロスビー等の

例外を除くとスィング・バンド達:謂わば「恐竜同士」の競い合い

の様相にどうしてもなってしまった感を禁じざる得ないトコ・・



オリジナル・ヒット盤が1910年代のアル・ジョルソンだった

この歌;生き返らせたのは"Broadway Melody of 1938"

という1937年のMGM映画で唄ったミケのジュディちゃん

ではナカカ、と思うのですが・・

You Made Me Love You Chart.jpg

彼女のDECCA盤;載ってない - あ”ン?同じDECCAで

ビングのが載ってる・・ ハリー・ジェイムス; ・・仕方ないか

ジュディの極め付け代表曲:"Over The Rainbow":

Over The Rainbow Chart.jpg

この歌;23曲あるグレン・ミラーの記録したビルボード・チャート

#1レコードの内のひとつでもあるんです - ミラー・マニアのミケ

なら喜んでもよさそうなモノですが - ク、苦しい・・助けてくれ・・

そう、ミケは「一神教」ではなく『多神教信者』です

アイム・ノット・イッシンタスケエエエーッ!!

うーん、ボブ・クロスビーにラリー・クリントンのレコードもあったのか・・

もっとも、これは察しがおつきと思いますが;映画「オズの魔法使い」

の印象が定着していき次第、ジュディ様の独壇場になっていきました。

DB 1940 Poll Girl Singers.jpg

上の画像:ダウンビート誌1940年人気投票の女性歌手部門。

ドリス・デイが6票多い、・・マいいか当時は映画の方に力点置いてたし



しかし・・ やっぱりジュディ様だワ;あったア!

Billboard Chart Sep 1940 TD GLENN Judy.jpg

1940年9月のチャートでトミー・ドーシーやグレン・ミラーに張合ってた:

これは、この当時としては大金星モノ;因みに、このチャート上・2位の

グレン・ミラーの「ブルーベリー・ヒル」は、程なく#1になった。

トミー;グレン;ビング;インク・スポッツがそれぞれ2曲ずつ、それに

ジミー・ドーシーとジュディが1曲ずつ



ただ、これだけ大ヒット盤になった

"I'm Nobody's Baby"ですが、

「モテない・彼氏いない」的な唄:

後年、あまりコレは唄わないんです

標題画像:容姿の点で最も映えていた

1943年頃の『兵隊さん、頑張って』目的

の雑誌上のポートレイト。 確かにMGMの

『美女創り』の技や術は見事だったろうけど

それだけじゃぁアリマセンよ、やっぱり・・

ミケが当時のベイヘイだったら却って

気が散って困ってしまいそうな・・



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mikekaba at 20:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) やたらとジュディ様