2010年11月

2010年11月22日

ネコ親爺の謝肉祭

初冬の八甲田 1.JPG


初冬の八甲田山:さすがに「里」の方は、

あんな風には’まだ’なってませんが、

それでも、例年の倣いでいけば、

「忠臣蔵」かクリスマスには

きっと真っ白になってると・・



ここ数日は温暖な当地・青森市:

それでも季節が季節;夏場は

焼いたものや水っぽいもの

食べてたのが、どうしても

暖まるものに移行してきます。

煮魚とか食べたい『魚欲』もですが、

ミケはやっぱりネコ親爺:『肉欲』が・・



嵩(カサ)さえまとめるなら、卸に出掛けると随分違うもの:知り合い

のトコに寄って:”大したモンじゃなくてイイ、ミケは和牛ジューベイじゃ

ないし;それにネ、今回のは塩とブラック・ペパー擦り込んで冷凍庫に

カッチン・カッチンの凍ったコーンビーフみたいにして置いとき、それを

圧力鍋で煮込んで、その出汁使って「御仲間」の野菜も入れて

肉・切り分けて西洋ワサビ塗って食べる為のだからネ”

”あ、感じ分かった、チョット待ってナ・・(ゴツイ扉の開閉する音・・)

ボイルド・ビーフ 1A.JPG

どう、コレ? チャック・リブだよ”(肩ロースの辺りでしょうか?・・)

同じトコで買ったストリップ・ロイン(一般に「サーロイン」で通ってる)の

半値 - 部位によって、イヤ:違うモンです・・



ウチに帰ってから 半分に - ミケ持ってる圧力鍋だとこの「半分」

がジャスト・サイズ(750g位かな・・):煮崩れ・ホグれせず、中まで

熱が入り込み;それに、野菜も一緒に入れる大きさ・・

タコ糸の掛け方など、とてもブキッチョで画像撮りたくない;それを

ガーゼとか、網目上のモンで包めんカナ?、と・・ 身の周りに無い!

’面倒臭い’とも謂ってられず;出掛け直し、ダイソーに入ってみて、

ボイルド・ビーフ 2C.JPG

一番・感じ近いモノで蒸し布を見付けて帰る。 それを半分コした

もので包んで冷凍庫に - ここまでが先々週のハナシ・・


その頃から「今」だと外に出に着るモノも結構・変わってた:季節です・・

未だ・意地張って、アンダー・シャツや股引/タイツ類 着込まない:

今からソレじゃあ2月・大寒にはフトン着て出掛けなきゃイカンから;

それでもブルゾン類はボッタリしたものにチェンジですワ。

クーッ・もうたまらん!と取り出すと、岩石の様になってて;それでも

ボイルド・ビーフ3.JPG

端っこをパン切り包丁でキーコ・キーコして削いでみるとコンビーフ状に・・

止めなきゃ・イカンです - これ続けると、鍋に入れる前に酔っ払って

削りながらムシャムシャとイってしまう・・

「岩石様」にはこれから酒風呂に入って頂く - ミケはバーボン党なの

ボイルド・ビーフ4.JPG

ですが;風味上、これにはスコッチの世話になっとります。


火加減・何段か変えながら香味野菜と一緒に酒風呂に入っている

「岩石様」に暫くして(何分トカ覚えてイナイ - 勘です、ヤマ勘)

火を落とし・蒸気抜いて、最深部に向かって串を試しに入れながら

声を掛ける:”おい、どや、煮えトウか、ジブン?” - 上唇と皮膚の境

ボイルド・ビーフ 5.JPG

辺りにソっと当て、暖かみ診ると:”煮えトウ・煮えトウ・・”

芯を残したキャベツやらゴロンと切った人参やメークインやマッシュルーム

やらを入れ、もう一遍・「ヌル目の風呂」に入ってて貰う;白状すると、

「岩石」の出汁だけだと少し足りず、コンソメの素に助けて貰った。

懐かしいナ、と思う事に:亡きカミさんはこれにカブも入れなさい謂ってて

毎度:ミケは忘れたフリしていた - 千枚漬とか大好きなんスが・・、

煮えたアレってミケは苦手なんですワ・・

ともあれ;肉も野菜もホグれ/煮崩れせずに出来上がりデス:

ボイルド・ビーフ 6.JPG

酔っ払って撮った画像;照度・角度・構図など無頓着なもので、あまり

美味しそうには映っていませんが - いや、全然悪くナイです・・

サっとワサビ・ソースを肉につけながらドカ喰い:食べ過ぎかも分からんス:

この晩で、740gの半分に後、あの野菜陣にバゲットと・・、きっとドイツ

かアイルランドの人達なら”あぁ、イイですよ:ソレ位・食べなきゃ”、って

「分かって」くれるんじゃないかナ?、と・・ イカンのは何より「お酒

カロリー」・・ かといって、それで太るワケでも無いンス



ミケとしては全く我流でこんなの作ってて、”ポトフとかとも、どう?違う

でショが?”、と思っていたのですが;本買ったり、図書館で借りたりして

見てみると、ミケのにかなり近い感じので、アメリカ北東部のコンビーフ

料理:「ニュー・イングランド・ワンポット・ディナー」いうのがありました。



当節・一般的なノーションっていうか

広く観念になっているもので

「食の欧米化で日本人:体具合・悪くなった」

いうのがありますが *あくまで個人的に*

ミケ、この観念は感心しないんデス:

こうやって食べてる分には具合悪くなど

なりはしません ・・ただ、ミケは

もう少し「おチャケ」減らさんと・・



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mikekaba at 19:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 自分探し 

2010年11月14日

貴様と俺とは・8 トミー・ドーシーと (前)

Tommy Cover Image 1.jpg


かなり’久しぶり’なネタ - 「貴様と俺とは」:

グレン・ミラー側から、当時・交友のあった

スィング時代の巨匠達を偲びます。

1905年 11月 19日:蠍座生まれの巨匠:

トミー・ドーシー(Thomas Francis Dorsey, Jr.)

ペンシルヴェニア州 シェナンドー出身

グレンと関わりのかなり深かった御方です。



以前、トミー関連の資料を漁ってたら、

彼に関するトリビア中、「エルヴィスが抜く迄、

RCAビクター・レコーディング・アーチストの中で

レコード・セールスの「レコード」を保持してた」

っていうのがありました - ホントかい?・・



1970年代に出版された記録本では、通算でグレン・ミラーが

6,000万枚を越し、トミーを随分引き離していたものですが;

どうやらあれは、もっと「後の世代」の購買層がそうさせた様です:

実際・リアルタイムでは、バンドリーダーとしてのグレンとトミーは

もっと伯仲した鍔迫り合いを展開していたし、あのレーベルでの

在籍期間や収録曲数も、トミーが遥かに上回っていました

(というか、グレンが短過ぎ - 仕方無いですが・・)。



今でこそ「トロンボーン奏者として」のみ比べたら、トミーの方が

ずっと優れている、という印象を一般に持たれていますが;これが

二人とも20代だった1920年代のサイドマン時代まで遡ると、

当時はそれ程 優劣は開いていなかった様です:例えば彼らは

少し違う時期に短期間どちらも、あのビックス・バイダーベックの

Bix_Beiderbecke_1924.jpg

音楽集団に’若きトロンボーン奏者’として加入していた事があり、

いずれのトロンボーン奏者も、かのビックスから賞賛されていました。

ボイド・センターやホリー・モイヤー等のローカル/テリトリーのバンド

活動の後、ステュディオ・レコーディングが残っている最も遡ったもの

ではベン・ポラック&ヒズ・カリフォーニアンズの1926年 9月 14日

シカゴでのメンバーの中にグレンが見出されます - 大学中退し

てプロ奏者に専念し始めたコロラドからカリフォルニア、そうやって

シカゴ、そして1928年にはグレンはニューヨークに来ていました。

一方トミーは、15歳で(! グレンの「初・プロ」は17だったから、

2歳も早い)ザ・スクラントン・サイレンズというテリトリー・バンドで

ラス・モーガン(後に自身のバンド持った)の後任になり、タル・

ヘンリー;ルディ・ヴァリー;ヴィンセント・ロペス;ナット・シルクレット;

それにポール・ホワイトマンのバンドで兄のジミーと一緒に演奏

Paul Whiteman.jpg

し、ニューヨークに出ていました。



あくまでレコーディングの記録(クドイ謂い回しですネ)としては二人

が一緒に演奏して残した最初のものは、コルネット奏者:ジミー・

マクパートランドが中心となった1928年3月 21日があります。

勿論、「レコード」ではなく「実演」ではもう少し早い折に「邂逅」

はあった事でしょう・・

同じ1928年でも晩秋の11月には「ドーシー・ブラザース」名義

のレコーディングがあり、トミーはトロンボーンとトランペットのダブル;

グレンはトロンボーンとアレンジのダブルをそれぞれ務めています。

ベン・ポラック;レッド・ニコルス;ジミー・マクパートランド;それに

ベニー・グッドマンがアッセンブルしたグループの録音にグレンが参加

する一方、トミーとジミーの「ドーシー兄弟」はナット・シルクレットや

ポール・ホワイトマンの繋がりの演奏活動に加わり、折々この3人:

「ドーシー・ブラザース」や他のグループ名で録音を残していました。

’不動の’ドーシー・ブラザース・バンドで活動する様になる迄、最初

の「邂逅」から6年程も要した事になります。

1934年にデッカ・レコードと契約し、ロング・アイランドにあるサンズ・

ポイント・カシノなど東海岸のダンス・スポットで演奏し、お客の受けは

上々だった様です - そうでしょうとも:ドーシー兄弟にグレンだし・・

Dorsey Brothers Orch with GLENN.jpg

スミス・バルーの為に折角・ 腕のイイ奏者や女性歌手でアッセンブル

したのに途中で仕事が頓挫してしまったバンドからグレンが連れて来た

人達でもう、メンバーの半分を占めていた - アレンジもグレン;

トミーに用が出来るとリハースするのもグレン;ロード・マネジャー役も

グレン・・ これでトミーはバンド共々、演奏に専念出来たワケですが・・



彼は・・「センチメンタル・ジェントルマン・オヴ・スィング」と称されています

が;「揮発性」がヤタラ高い人物だった:「センチ」な時もそりゃあ有ろう

ケド、「煮えたぎる」のもまたしょっちゅう - 実際、彼の下で腕前・

上げていったミュージシャンは大勢居たものですが、リハース時に起こす

彼の癇癪は凄まじかったらしいです;それで、一通り爆発すると、今度

は自分の怒りザマを自分で面白がっていた・・、というハナシです。

ハード・ワーカーであり、面倒見も良く、頼りがいのある人だった一方、

極めて父性的な厳格さでバンド・メンバーに接していたらしいです。

逆にトミーも、自身の厳格さや烈しい気性のせいでメンバーとの間に

疎外感の様なものも感じていて、バンドのバスには一緒に乗らず、

「マイカー通勤」していて;ある時、クルマで追い越してバスを停めて

乗り込み言い放った:”何で俺をそう嫌うんだ!” 気不味い沈黙の後、

ドラム奏者のレイ・マッキンリーさんが漸く喋る:”ならサ、もうちょっと僕らを

人並み(?!)に扱って貰いたいもんだネ・・”

The Dorsey Brothers Orch.jpg

女性歌手:ケイ・ウィーバーさんの述懐だと、画像で並んで座っている

男性歌手のボブ・クロスビー(ビングの弟で、後に自分のバンド持って

人気が出た方です)などは、かなりイビられていたそうです - 彼の

後任の男性歌手はボブ・エバリーという人で、後の「ジミー・ドーシー・

バンド」の人気歌手になった - 同じ「ボブ」でも、この人は前任の

クロスビー氏とは違ってトミーに気に入られたミタイです:トミーのトコに

同居してもいたらしく述懐には:深夜に仕事終え:”エっ!帰るんスか?

今から?!”:宿など取らずにニュー・ジャージー州・バーナーズヴィル

にある家に向かって猛スピードの深夜ドライヴに付き合わされた、と

いうのがあります。



「ドーシー・ブラザース・バンド」:翌年の6月上旬、「ジミー・ドーシー・

バンド」に成るしかなくなります - ある夜、トミーの指揮を”アップ・

テンポ過ぎ”、とジミーが曲の途中でさえぎって抗議し、そこから口論:

”それなら、好きな様にするがいい”とトミーは、お客もバンドも残して

去ってしまった・・ 大分前からバンド内には危なっかしいテンション

みたいなのが在ったそうで、何でも:1.ジミーは大酒呑んで、至って

’お気楽’:バンドの切り盛りは預けっぱなしだった 2.それでいて、

バンド・メンバーとも、出演先の主らとも、ヤタラ お友達付き合い;

他方、性分もあるにせよトミーは煙たがられ孤立していた

3.照れもあるのか、ジミーは自分では「フロント」に立って

指揮するのを避ける一方、専ら指揮するトミーをハヤしていた:

”これは・その内・きっと、我慢も限界とトミーが切れるダロウ・・”

「ブラザース・バンド崩壊」の場面に、グレンは居なかった:

イギリスのバンドリーダー:レイ・ノーブルが渡米し、演奏活動

する為の「アメリカン・バンド」のアッセンブルを引き受け、

’トミーより一足先に’「退団」していた(彼も、何か感じて

イタんじゃなかロカ・・)。 ただ、グレンも放りっぱなしでは

決して無く;飛び出たトミーのバンドのアッセンブルに

ちゃんと手助けしていたそうです



御視聴:コンナのどうでしょ?

Rampart Street Blues :The Cotton Pickers(Tommy on trumpet / GLENN on trombone)

Annie's Cousin Fanny:The Dorsey Brothers Orch.(一番・最後のヴォーカルはグレンです!)

I'm Getting Sentimental Over You:Tommy Dorsey

Night And Day : Tommy Dorsey



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mikekaba at 19:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スイング・バンド鹿馬 

2010年11月10日

ホロスコープに診る、かのチョーカン様


珍しくもミケのダボラばなし:

「ホロスコープに診る」ネタです。

いろんな「チョーカン」が おいでですが;

特に露出度が多く、物の言い様で

足を掬われかねない、極めて

クリティカルな立場のチョーカン様:

どんな星並びなんでしょう?・・



ミケは、新派/アンチの

どちらでもありません

ウィロー・ウェイスト(マナー、か・・)?

例によって、出たまんま:

診立てについては恨みっこなし、

「好き/嫌い」感情抜きで

御一読の程、宜しく

お願い申し上げます・・



タネ本は『ジュディ様』や『前・現ソーリ』の時と全く同じ:

「ジョーン・キグリーの大占星術」 主婦と生活社刊

(1989/11)ジョーン・キグリー著/三雲 孝江・先生監訳

チョーカン様:January 15th, 1946



Sen-Goku.jpg

太陽(磨羯宮):

限りない現実的・野心の人 - 勤勉、几帳面、強い

率先力と推進力の持ち主;自分を正当化し過ぎ

月(双子宮):

煽りたてられる月 - 安定性をやや欠く;

嗅覚が鋭い;「変化」が生活のスパイス

水星(磨羯宮):

深みのある心を持ち、真面目で誠実 - 人から

信頼されるタイプ;抜群の記憶力;責任ある立場に

つくと権威主義に陥り気味

金星(磨羯宮):

1人の相手に愛情を長く注ぐ反面、嫉妬深く・怒りっぽい

自分が与える以上に愛を注がれないと満足出来ない

火星(巨蟹宮):

海岸の岩を浸食する大波の様にパワフル;敵対する

相手をゆっくり確実にやっつけるタイプ

木星(天秤宮):

芸術と正義が幸運の鍵 - 抽象的な思考が得意;

公正で温和、本質を見極める能力の持ち主だが、

仕事のパートナーが悪いと発揮出来ない;外交官・判事・

弁護士等に適性がある

土星(巨蟹宮):

不規則な生活や怠惰に陥り易い - 仕事に支障を

きたさないとしても、仕事が済むと自堕落/不摂生に

なりがち;腹部を患い易い;家庭/母親が

原因の不幸の暗示

天王星(双子宮):

行動より思考の人;最も強い衝動は腕力よりも、発言

や文章に顕れる

海王星(天秤宮):

正義感が強いが、論点曖昧な傾向

冥王星(獅子宮):

クリエイティヴな衝動;気高く横柄;支配欲強い


**吉相**

月;天王星と木星;海王星

温和で気品のある物腰、寛大且つ慎重で他人

から信頼される;ユニークで魅力的な人柄;

財産や投機で幸運に恵まれる;論理的なことに

長け、クリエイティヴな方面に素質も

月;天王星と冥王星

冒険を好み、勇気に溢れ、狂信的・情熱の持ち主で

心霊的にも優れている;独立と自由をを求める衝動、

精神力、エネルギー、豪胆な勇気と不屈の意志を

備えており、古いものを新鮮なコンセプトで作り変える

能力もある

木星;海王星と冥王星

プライドと尊厳、自由を愛する心、熱烈な欲望

崇高なほどの理解力の持ち主で、自分の事

は隠しつつ他人の事をズバリ見抜く目の持ち主



**凶相**

太陽;水星;金星と火星;土星

喧嘩っぱやく争いを好む;若い時に困難/障害に

阻まれた反動で飽くこと無い野心を抱き、年長者

から恩恵を受けず・自身も若年者に厳しい;

論争好き・理屈っぽい・皮肉屋;何時も物事の

暗い面ばかり見て、臆病で否定的な考え方をしがち;

愛情表現を乱暴で荒々しく受け取られて相手から

嫌われることが多い;あけすけで官能的で、露骨な

猥談や下品なジョークを好み恋愛面では

自分勝手でわがままな振る舞いが目立つ

火星;土星と木星;海王星

自分の実力以上に経済的に手を広げる危険があり、

経済的センスの発達したタイプでない;スキャンダルや

アルコール等の中毒の暗示;経済的・発展は望めず、

かりに金持ちでもケチな為に人望が得られない;

エキセントリックになったり、道徳観念の欠如

した人になることも



毎度の事ながら;さて・・?

どうなんデショ?・・
 
分かんないです・・



「良い面」を発揮してくれればイイ:

国民/有権者には何も、

「悪い面」に付き合う義理など

全く無いからです。


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mikekaba at 17:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 単なるダボラ、です・ 

2010年11月06日

インディアン・サマー

Indian Summer cover.jpg


新品スタッドレスタイヤ:そろそろ馴らしを・・

などと考えながら雨模様の数日過ぎ、

少し、「中休み」みたいな温暖さ;

これってインディアン・サマー?・・



ここ暫く、雨模様がずっと続いてたのが

やっと、日当たり良く・温暖な感じになって、

”こういう内、少しまとまった距離歩いておこう”、と

高台の、ミケ・父と死別したカミさんが眠ってる

墓苑・外周のウォーキング・コースを廻ってて;

”ここで歩いてられるの:恐らくもう、一ヶ月に

チョット「はした」付く位だナ”、思いながら

極細軸のコーデュロイ・シャツに汗が・・

冬入り前の「極短・中休み」かぁ・・、

この・ネタ書けるの当地じゃ今の内、

「インディアン・サマー」



ヨーロッパでも、随分古くから”Saint Martin's Summer”、と呼ばれ

ていたそうですね - 「聖マルタンの夏」、ですか?・・

これを謳った歌:「インディアン・サマー」;やっぱりスィング時代に

Indian Summer chart.jpg

このヒト達が張り合ってましたワ - トミーもグレンも吹込みは

1939年の秋でしたが;どちらもチャート上でピーク・ポジション

に各々達した時は、もう年を越していました。

この歌をトミー・ドーシー・バンドがレコーディングしていた頃は、

まだ例の「青い眼のフランキー」(シナトラさん)は恐らくハリー・

ジェイムスと一緒だったんでしょう;ジャック・レナードという方が

男性・専属歌手で、凄い人気があったそうです - 何でも、

シナトラさんに替った当初、”ジャック程、支持されるかな?”、と

周囲は疑っていたくらいだったそうです。
 
グレンのバンドのレイ・エバールは自身が好きな歌に「バークリー

スクエアのナイチンゲール」と、この「インディアン・サマー」を挙げて

いたそうです。



歌詞:イッテみましょう・・

Music by Victor Herbert  Lyrics by Al Dubin

c WB MUSIC CORP.



Summer, you old Indian Summer

Youre the tear that comes after June times laughter

You see so many dreams that dont come true

Dreams we fashioned when summertime was new

You are here to watch over

Some heart that is broken

By a word that somebody left unspoken

Youre the ghost of a romance in June

Going astray, fading too soon...

Thats why I say,

"Farewell to you, Indian Summer!"



「歌」になる20年も前に、既に「曲」にはなっていた:1919年に、

ピアノ小品としてビクター・ハーバートさんがお書きになっていて;

アル・デュービンさんの歌詞と『合体』が1939年の事だったそうです。

シドニー・ベシェ;コールマン・ホーキンス;ジーン・クルーパ・バンド;

エラ・フィッツジェラルド;サラ・ヴォーン等など、いろんな方の

名レンディションが沢山ありました。

Indian Summer chart Tommy.jpg

トミーはこの歌の後、更に"All The Things You Are"でチャート・トッパー

をビクターから「連発」していた

Indian Summer chart GLENN.jpg

ブルーバード・レーベルのグレン・ミラー版は「タキシード・ジャンクション」

が流行り出すホンの少し前だったミタイですね・・



ただ;何となく・オカシナ感じするのは、

この『小春日和の歌』:チャート・トップに

Indian Summer chart B.jpg

なったのが、年越した40年の2月:

バレンタイン・デーから10日近くも

過ぎた頃だった - 寒い最中:そりゃ、

小春日和に戻りたかったでしょうネ・・

それにしてもグレンとトミーって;凄まじい

張り合い方していたモンですワ・・



御視聴:コンナのどうでしょ?

Indian Summer :Tommy Dorsey

Indian Summer : Glenn Miller

Indian Summer :Coleman Hawkins



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mikekaba at 21:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スイング・バンド鹿馬 

2010年11月03日

『真珠』の誕生日

Cover Image A String Of Pearls chart A.jpg


獅子・生まれのミケちゃん;ドッチいうと、

蠍さん期は苦手そうか?言うと・・

でも無い - ネタはアルで!

ミラー・マニアのミケ鹿馬の

11月・一号でごぜぇます・・



獣人/ネコなとっつぁン:ミケ鹿馬、

およそ『文化』とか、昔なら「天長節」とか

エニシが無さそうなモンですが;有る!

数多い「ミラー・スタンダード」中、この日が

『誕生日』だった、お馴染みの或る・一曲

もう・・、「前置き」:ヨカですネ・・



もう、69(し、・・シックス・ないん?)年も前なのか・・ 1941年の

11月3日に、グレンとバンドが N.Y.C.のビクター・ステュディオで

正午から夕方:5時半迄かけて、6タイトル/トータルで7テーク

(何時ながら、凄い人達 - 1曲を除いて、後は全て1テーク!)

を収録;その中に"A String Of Pearls"(「真珠の首飾り」)も・・

RS Nov 3 1941 .jpg

RCAビクターのブルーバード・レーベルBB 11382の・・「B面」?

何でフリップ・サイドに置いたんダ?・・ ま・イイよね;大ヒットしたし・・

その「オリジナル番号」以降のレコード番号で、如何にリ・イシューの

頻度が凄かったかが分かろうというものです;しかもこれは1970年代

の資料で、CD時代に入っていない時点でのものです・・



"Humpty Dumpty Heart"(コレだけ、2テーク); "Ev'rything I Love"; そして、

『真珠』; "Baby Mine"(ディズニー映画:「ダンボ」の挿入歌 - 泣い

ちゃいますよね・・);"Long Tall Mama"(実は、ミケは『真珠』よりもコッチ

の方が好きなんですワ・・); "Day Dreaming":これで6曲/計7テーク。

標題画像の3人:グレンに;ボビー・ハケットさん;ベーブ・ラッシンさん。

ハケットさんは、(グレンの志願入隊から)「解散」となる迄 バンドに

留まっていたけれども;一方、ラッシンさんは極めて短い在団期間に

終わり、グレンのバンドで残した「レコード収録」はこの時のもののみ:

だから極めて貴重、と謂えるワケです。 リード・アルト・サックスを長い事

受け持っていたハル・マッキンタイヤが独立し、それをテナー・サックスの

テックス・ベネキーが暫時・替わり、テナー・サックスにラッシンさんが加入

という状態だったのですが、これは あくまで一時的なもので;結局、ベニー・

グッドマン・バンドでバリトン・サックスを吹いていたスキッピー・マーチン

(後に、MGMなどで映画音楽のオーケストレイションで活躍します)

が加入してリード・アルト・サックスとなりテックスがテナーに還れました・・



11月という事もあり、この日に収録された曲:年を越して1942年

(とはいえ;ものによっては、年明けからいきなり)からチャートに現れます。

A String Of Pearls chart A.jpg

『真珠』が初めてチャートに入ったのが’42年の1月3日で、2月7日から

1位に2週;そしてチャートには21週間留まっていました。

この曲では、テックスはアーニー・カセーレスさんとアルト・サックスでソロの

エクスチェンジ;ラッシンさんは、テックスの相棒:アル・クリンクさんとテナー・

サックスで競演;そしてハケットさんのコルネット・ソロ・・、考えてみると・・、

随分・贅沢なレコードですワ。

『真珠』には競作盤も出ていて;ベニー・グッドマンのコロンビア盤が15位と

A String Of Pearls chart B.jpg

健闘しており、何と言うことか:作曲者、グレンのスタッフ・アレンジャーだった

ジェリー・グレイさんは”ホント謂うと、ベニー盤の方が気に入ってた・・”

なんていう述懐もあった様です・・?



この日・収録の6曲中、1曲だけ少し後:

ビクター・レーベルに「昇格」してからリリース

された(だから番号:ビクターの「Vi」-27943)

「ロング・トール・ママ」という曲:実は、批評家

筋は、コッチをより高く評価してた(ミケも)。

それにしても;「ダンボ」の歌から『真珠』

やら「ママ」やら - 何でもヤる御方



御視聴:コンナのどうでしょ?

Long Tall Mama :Glenn Miller and his Orchestra

A String Of Pearls :Glenn Miller and his Orchestra

Baby Mine :Glenn Miller and his Orchestra



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mikekaba at 10:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マイ・ミラー・マニア