三毛猫の引きだし・・・編集者・イラストレーター・ライター美和子のブログ

イラスト、文章、旅、映画。 好きだらけでぱんぱんの引き出し。

東京で編集のお仕事をしている美和子です。
イラスト描きます。文章も書きます。絵と文章をこよなく愛しています。

スキにまみれた日々の中で、キラッと光るものを拾いあげて、じーっと観察して、磨いて,
引き出しに入れていきます。
死ぬまでワクワクしたいのです。

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レビュー:おおかみこどもの雨と雪



おおかみこどもの雨と雪を金曜ロードショーで観た。


映画館で観て以来だ。

あの時は号泣したんだけどな。


あまりにも思い出がくっつき過ぎていて、

映画を観ていても

ただただいろいろを思い出すだけだった。


まだ感情に蓋がついてるみたいで、

あんまり気持ちが動かずに、ただストーリーを追っていた。


しかも今、

絶賛遅れてきた反抗期中のため、

あいにく親子の絆のお話を純粋に感動できる気持ちを持ち合わせておらず、

ただ、ただ、私どう思いたいのかなと、何を感じてるのかな、と

ぼんやり、映像やっぱり綺麗だなーと観ていた。


観終わって、

考えみたいなものが浮かばないので、

とりあえず描けないなりに絵を描いているうちに

、なんとなく感情が降りてきた。




それは、一瞬存在した時間。


写真のように止まった絵として見れば、

花は一生、若いお母さんに見えて、

雪と雨は一生子どもをやっているように見えるけど。


それは幻想。

本当は一瞬で、

全部変わるし、消えるもの。

止まっているものはなにもない。




この絵柄みたいに、

この2人がすぽりと胸に収められることはもう2度とないんだなって

描いていて、思ったのだ。



それはやっぱり寂しくて切なくて、

でもそれが健全で、

大切なことだったりする。

 



大人になること。

どうあるのか、

どこで生きるのか、

自分で決めること。 



親の思惑と関係なしに、

子どもはいつのまにか、「自分」を選ぶ。

選ぶ力を持っている。



その上に課せられる自由も不自由も苦も楽も、

自分の責任で受け止めること。


おおかみになっても、

人間になっても、

まちがいじゃないから。



ずっとみんな一緒、が、

幸せとは限らない。




泣いてもいいから、

笑えるといいね。





それぞれがどこかで元気に生きてる限り、

かつてあった時間もまた、忘れられながら、思い出されながら、ひっそりと息をしつづける。




イラストを1年間描いて考えたこと〜トランセル期を耐えること。

気がつけば、イラスト教室に通い始めて
1年が経ちました。

大人になってからの習い事でこんなに続いたの初めて。快挙!




1年間描き続けていてわかったことがあります。

それは、定期的にトランセル(サナギ)になる時期がくるということ。


なんかもう、描けないし、
無理して描くんだけど、気持ち悪いやつしか出てこなくて。



描ける期(1)→
トランセル期→
描ける期(2)→…

というのを、数週間、数ヶ月単位で繰り返すんです。

でも、なぜか、
描ける期(2)は、
描ける期(1)よりも
もっと描けるようになってるんですね。


具体例を挙げますと、、、

描ける期(1)去年12月


Photoshopの使い始めでワクワクしてました。
描いてて楽しかったんだなぁっていうのが、自分で見ていてわかります。



トランセル期  今年の1月


なんとなく気持ち悪くないですか?
顔のバランスとか、色とか。
描いても描いても気持ち悪くて、焦って、でもやる気出なくて、そんな感じの日々でした。


描けない期はとにかく気持ち悪いので、
小学生のころ描きまくった人達とかを描いて、
気をまぎらわせていました。



(普段描いてないのに、こっちのほうが描けるんよな。笑)



描ける期(2)今年の3月

気持ち的にも、実際的にも、
あ、なんか描けるな、という感覚が戻ってきました。

そうしたら、
一回劣化したはずなのに、
なぜか前の12月のよりも良くなっている。(当人比)


これはなんでなのか考えたんですが、

あーー
トランセルの間に、
サナギの殻の中で、
細胞組織を作り変え、
トランスフォーメーションの準備をしていたんだなって。


トランセル期の間って、
次の課題が見えてるんです。
でもまだ力がないんです。
だからそのギャップがすごく気持ち悪い。 

殻の中では、手も足も出ない。

でも、この時期って、
努力と時間の掛け算によって、
比例式に綺麗な45度の右肩あがりの直線で能力が上昇するんじゃなくて、

一度下がって、低いところを平行線のまま推移して、
ある時に急に、ぴょんっと飛び上がったりして。

なんでかわかんないけど、なにかができるようになっていたりする。



今、村上春樹の『騎士団長殺しを読んでいて、
そのなかで主人公が、
「時間の流れを自分の側につける」ということに意識して取り組んでいるんですね。
(主人公は画家です)


私はこの言葉がすごく気に入っていて、
自分にとって今、とても大事な考え方な気がしています。



時間が自分の外を流れていると感じていて、
それに追いついていかなきゃって走っていると、
目に見える結果が出せない時期に、
すごく怖くなっちゃうんです。

風邪を引いて1人で部屋で寝込んでいる時に、
外の時間の流れから完全に遮断されてるような気がする、あの感覚。

でも、風邪を引いているときは、
いったん休みなさいってブレーキがかかっていて、
それはそれで、生きてくなかで、大切な時間のはずで。


いろんな波があって、上がったり下がったりして、
やっぱり一喜一憂しちゃうんだけど、
でも、どっちが良いとか悪いとか、本当にないんだと思う。



時間は自分の中を流れていて、
自分を置いていってしまうことなんてない。

止まってしまったように見える時間の中で、
大切なことが芽吹き始めているのかもしれない。

怖いけど、怖がらなくてもいい。

できないときは、ただできない。


そういう時間を、自分を受け入れること。
大丈夫だって信じること。 


いろんな局面に置いて、
なんどもなんどもサナギになって、
なんどもなんども羽化をして、
小さく小さく、
日々の中を死んだり生き返ったりして、
なにかが形になったり、ならなかったりして。


そういうの、まるっと全部含めての面白さなのだなぁと思い、
また、ペンを取る。


また、ちょっとサボる。














反抗期が心を救う〜ピアノの先生のことがいまだに怖かった話








昔から謎だった。


仕事にプライドやこだわりを持った年上の女性と
よくトラブルになる、傷つく。

学生時代はバイト先の御局様にいびられて
バイトを転々としたし、

社会人になってからは、
幸い身近にそういう方はいなかったけれど、

取引相手とか、そういうところで
数年に一回ペースでそういうトラブルが起きた。

全く同じ依頼文を数名に送って、同様に接しているつもりでも(そもそも対面する機会も少ないから、そんなに差はつかない)、
私のやり方に対して怒り気味のメールを送ってくるのは、
前述のタイプの女性だった。


そして、なぜかそういう人に対して
無理目なお願いや交渉をする必要がでてきたりして、
ますます相手は怒るし、
ますます私の胃は痛くなる。


よく考えたら、仕事上で男性
とそういったトラブルが起きたことはほとんどない。

もちろん少しはあるけれど、忘れてしまうくらいの傷しか残らなかった。

関わる人は男女半々くらいなのに。

これはさすがにおかしい。

自分の怖がり方や気の重くなり方もやや過剰な気がする。


そんなことを
部屋で1人もんもんと考えていた。





あ、そうか、

ピアノの先生だ。



そう思いついてから急に涙がでてきて身体がふるえた。



こわい 


こわい  




こわい!!




あーーー

思ってた以上に

こわかったんだ。




私は
保育園から中学の途中まで、10年近く近所のピアノ教室に通っていた。

先生は30代か40代くらいの女性で、
結婚は多分していなくて
実家の自分の部屋でピアノ教室を開いていた。

大きなグランドピアノの上には可愛い小物がたくさんおいてあって、
たまにお菓子ももらえて、
初めの頃は、ただその空間に遊びに行くような感覚で楽しんでいた。

でも成長するにつれてだんだんと指導は厳しくなり、
毎回のようにレッスンで泣かされるようになった。

「フォルテッシモって書いてあるのに!どうしてこれができないのよ!!」

正直そんなことどうでもよかった。
音を間違わなかっただけで褒めて欲しかった。

一つの曲を弾けるようになることの喜びなんて感じたこともなく、
ただただ何も言われずに無事に終わらせられるように必死に鍵盤を叩いた。

一対一のレッスンでは逃げ場がない。
この状況を見ている人もいない。


そうだ、お母さんが来たらさすがに止めてくれるかも。先生も遠慮するかも。

そう思いついて、母親に、
昔のようにレッスンに一緒に来てくれと必死にたのんだ。

しぶしぶレッスンに着いて来てくれることになって、
今日は安心だと思っていたのもつかのま、
相変わらずめちゃくちゃ怒鳴られて私は泣いて、
母親は気にせずに後ろのソファに腰掛けて新聞を読んでいた。

もう、どうしようもなかった。
この指導方法が私にとって正しいと思われてるんだ、と思った。
ここで行われていることが、タダシイコトなんだ。



私の部屋はピアノが大きな面積を占めていた。

エレクトーンとかじゃなくて、ちゃんとした黒くて重たいピアノだった。
中古だったけれど、ドケチな母親にしては、思い切った出費だったと思う。

ピアノには、母が作った白いレースのカバーがついていた。
ぴったりに採寸され、開閉できるようにちゃんと考えて作られていた。
母はいつも忙しそうにしていて、私が手芸の本を見ながらこういうの作りたい、作って欲しい、といってもとても聞いてもらえなかったのに。

両親は音楽が好きだった。

女の子は私1人だった。
母は、美しいピアノの音が響く家庭の生活に憧れていたと言った。

私が音楽を好きならよかった。
ピアノが好きならよかった。

でも私はピアノを弾くことを一度も面白いと思えなかった。
母親の期待や落胆を、なんとなく感じていても。


ただただこなしていただけだったから、
大して上手くもならなかったし、
中学に入り部活も始まり、さすがにもういいだろうと思った。

辞めるという時は、怒られそうな気がしてすごく怖かった。
でも、先生はショックを受けたようで、言葉もあまり発せず、逆に私は動揺した。

私に期待なんてしてないはずなのに、好きでもないはずなのに、
そんな悲しそうにされるのが不思議で怖かった。

悪いことをしたような気がした。

ほとんど何も言えず、気まずい思いでその10年近く通った家を後にした。



今回、パズルのピースがつながったように感じて、
その、仕事にストイックな女性との長きに渡る密室の日々は、
私の人生に想像以上に暗い影を落としていたんだなぁと思った。

でも、人生で他にもつらいことはたくさんあったはず。

そうだ、中学のバドミントン部でも、
顧問のおじさんはすごく厳しい人だったし、しょっちゅう怒鳴り散らしていた。

でも、いま彼のことを思い出しても特になんの感情も湧いてこない。

ピアノの先生と何が違うんだろう?


そうだ、部活では仲間がいたし、私たちはよく顧問の悪口を言っていたんだ。

キモい。
うざい。最悪。
部活行きたくない。


使ってはいけないと言われていた汚い言葉を使うことで、
不快感をあらわにすることで、
相手が間違っていると思うことで、
その状況をくぐり抜けることができたんだ。

「嫌だ」と思った時に
ちゃんと「嫌い」を出せたから、
今はもう何も残っていない。

今、おじさんに苦手意識はない。



恋愛でも、
最悪な別れ方をしても、
相手が悪い!と決めつけてしまえれば、
または状況的にしょうがなかったと思えれば、
その時はどんなに傷ついて怒っても、
怒りを出し切って時間がたてば、
割とどうでもよくなってしまう。
(人によって違うかもしれないけど)

いやー最悪なやつだったけど、おもろい経験したわ(笑)、みたいな。


でも、逆に、
別れた後も
自分が取った行動を否定し、あの時優しくできていたら、あんな言い方しなければ、
と無限のたらればのifに囚われて自分を責め続けていると、
そのことはいつまでも自分の中で現在進行形として残ってしまう。


人を責めても、人の行為は動かせないから、どこかで諦めがつく。

でも、自分のことはコントロールできたはずなのに、と思うから、自責の念はなかなか終わらない。



でも、しょうがなかったんだ。


その時その時の自分の状況、自分の気持ち、そのうえで選んだ自分の行動や言葉があるだけ。

結果から遡って自分の言動を断罪していくと、
因果関係はどこまでも混じり合い、自分は果てしない罪びとになってしまう。


その時その時に選んだ道。
たまたまその時、一時的に起きた結果。
そこに善悪を持ち込むとしんどい。

自分を否定するのは、
本当にしんどい。


目の前から自分を否定する相手が消えても、
自分を否定する自分が残ると、それは終わらないから。






子どもの私は、非力で、1人で、相手を否定する術を持たなかったからこそ、
まだあのグランドピアノが置かれた閉ざされた部屋の中に幽閉されたまま、 
泣き続けていたのだと思う。

そうして、もうそんな場所からは遠く離れた現実の私に、
繰り返し繰り返し、 
同じ悪夢を見させていた。


今回、気づいてあげられたことで、
その子どもがあの部屋から脱出する鍵を手に取ることができたならいいなと思う。



陰口たたいてもいい。
汚い言葉を吐いてもいい。
性格悪くても、いい子じゃなくてもいいから。

辛い気持ちはとにかく身体の外に出してしまうこと。
そうしないと、地縛霊となって自分の心と未来を縛り続けるから。


親の庇護下にある子どもは、
自分のいる場所を選ぶ自由が少ない。

だからこそ、意に添わぬ状況におかれた時は、
心だけでもそこから引きはがして、嫌なことには牙を剥いて反抗したほうがいい。


その時々に
嫌うことで、
怒ることで、
反抗することで、
その時間は終わる。

新しい時間が始まる。


先生なんて大嫌い。
私のこと傷つける人は大嫌い。



今からでも、私は自分のために、
思いっきり反抗してやるのだ。



子どもを密室から逃がしてやるために。




新しい時間を動かすために。



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