2017年09月23日

「仕方がない」という強靭

 小野敦也氏の「顔ニモマケズ」を読みました。
 生まれつき病気などによって顔に障害を持っている障害者の方に、顔というアイデンティティに最も深く関わっている部分にマイナス要因を持っている人がどのようにその障害を乗り越えて生きているのか、それぞれの障害別にインタビューしています。
 どの人も自身の障害に深く傷つき、悩んでこられています。 
 インタビューされた人は小野氏と同世代の20代から30代の人で、彼らの世代は他の世代に比べてメディアの発達もあってか「見た目」を特に重視する世代だと思われています。
 同世代の多くが「見た目」重視で、評価の基準もそこに重点が置かれる状況の中で、明らかに自他ともに認めるマイナスを抱えて生きることの苦しさはさぞかしだと思います。
 けれども、彼らの生き方はありきたりの「障害に負けず」や「障害を克服して」というのとは質の異なる深いところで自身の存在を受け入れ、その上で前に進むという強さを感じます。
 「この障害がない人生を選べるとしたら」というある意味残酷な質問に対して、彼ら各々は率直に応えています。
 ある人は障害があり、それを跳ね返すことが自分が生きる上でのエネルギー源となっているので、それがない人生は考えられないとするものから、「今の幸せがこの障害を認め受け入れてくれた配偶者やこどもの存在から生まれてきているので、これと同じ条件つきで」という人、「世の中にあるものはどんなものにも意味があるのだと思う。自分だからできること、じぶんだからやりやすいことがあると思う」という人。 
 彼らに共通しているのは、単純な自己肯定ではなく、他者からの絶対的な否定を「仕方がないこと」として受容し、その上で自分の存在を肯定する何が残るか、自身のアイデンティティをかけた必死の苦悶の中から掴み取った重みのある自己肯定です。
 他者の気持ちは自分にはどうすることもできないが、自分にはそれを変える力がある。その変えることのできる部分を実際につかみ取ってきた自信と、真の自己肯定とはどのようなものかを教えられました。

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2017年09月22日

医師としての薬

 グレアム・イーストン氏の「医者は患者をこう診ている」を読みました。
 イギリスのGP(家庭医・総合診断医)の重鎮であるイーストン氏が、実際にGPの臨床現場でどのような診断が行われているのか、架空の典型的な診断日の典型的な患者を例にあげて、医療の「ゲートキーパー」たるGPの脳裏でどのような診断が行われているのかを明らかにしています。
 イギリスをはじめ多くの欧米諸国の医療制度は日本のフリーアクセスとは異なり、国民は医療機関にかかる際にすべての人がまずGPにかかり、そこから必要ならば専門医へのアクセス権を得るようになっています。すべての国民は地域のGPの診療範囲圏に属し、具合が悪くなるとまずGPに診察予約を受けて(普通一週間近くもかかるよう)、そこからGPの診断を受けることになります。
 医者が実際に地域住民であり、多くの住民が長年家族単位でかかりつけ医とし、(日本の大病院の3分診断とは異なり)診療時間も15分程度確保できるGPの診断は、高度な医療器械による正確な診断は不可能であるけれども、診療所に訪れる大多数の患者の症状は、GPの適切な診断と処方により、専門医に回すほどのものではないことが判明し、十分医療機関としての機能を果たしているようです。
 GPは家庭医・総合診断医として医療学校を出た後に3年間専門教育を受け試験に合格し、そしてその後も試験を受け続けなければならない専門性の高い正式な医者です。高度な医療機器による診断は不可能ですが、長年のGPとしての経験の蓄積と、患者の家族を含めた患者の人生まるごとの情報を得ている診断は、高度な医療機器にもかなわない深くて総合的なものとなっていることがイーストン氏の仮想診断の様子からうかがわれます。
 氏のGPの診断の様子を知ると、「医療はアート」だとつくづく感じます。医者は患者という素材を血の通った複雑な背景を持つ包括的な対象として捉え、患者の人生のナラティブと医者の人生のナラティブが出会う場としてGPの臨床現場があります。
 イーストン氏曰く「医者としての薬」とは、医者は処方する薬で患者を治療するのはなく、医師本人に患者を治療する大きな力が備わっているということをいいます。GPと患者の理想的な関係が如実に現れている言葉だと感じました。
 

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2017年09月21日

私たち全員が特殊ケース

 トッド・ローズ氏の「平均思考は捨てなさい」を読んでの続き。
 平均という概念は、近代のマス生産を支える都合のよい概念で産業革命以降に創造され人々の心に浸透していったものであることをローズ氏は明らかにしています。
  それにしてもこの「平均」病理はなんと近代人の精神を深く犯していることか。
 平均という「もの」は実在せず、それは私たちの心の中にあるものであることを理解し、平均思考によって見えなくなってしまっている「個性」をいかに顕在化させるか。
 それは平均思考から多大な利益を得ている社会構造をいかに変革し、個性を救い出す方法を見つけ出すことが肝要だと氏はいいます。
 そのためのコンセプトが「コンテクスト」です。
 人は誰もどんな状況でも変わらない統一された性格などないということを深く意識することが大切だと氏はいいます。
 「バラツキの原理」とは、複雑でバラツキのある現象を理解するためには、一次元的な思考は役立たなく、資質を複数の側面から捉え、それぞれは弱い相関関係でなければならないとするもので、個性を評価する基準となります。「バラツキの原理」によって明らかになるのは、見過ごされてきた個人の才能は決して非凡でも隠れてもいたわけではなく、平均思考によって覆い隠されていたという事実です。 
 個人の行動は各々のコンテクストすなわち特別の状況に左右されるもので、コンテクストから切り離して説明することも理解することもできないとローズ氏は考えます。そのためにはコンテクストごとに異なるシグネチャー(行動パターン)に目を向けなけばならないと氏はいいます。
 他人の行動を評価する際もこのコンテクストが大事で、私たちは他者とは限定的な狭いコンテクストで、自分もその一部である状況の中で出会っているということ、コンテクストをひっくるめて他者の行動を理解しなければならないと。 
 自分自身を理解するためにも、コンテクストごとに自身の行動を意識して捉え、状況要因を確認することが有効であると氏はいいます。そのようにして自分が能力を発揮できるコンテクストを見つけ出すことが成功への道であるといいます。
 「迂回路の原理」とは、人生のあらゆる側面においてそれがいかなるゴールを目指そうとも、同じゴールにたどりつく道はいくつもあって、しかもどれも妥当性があるとする考え方です。最適な経路は個性によって決定されます。 
 つまり平均的な人間などいない。私たちは全員特殊ケースであり、それは劣っても、変でもなく、人間として当たり前の姿なのです。
 そのためにローズ氏は今ある平均思考に基づく教育制度(アメリカの場合についてですが、日本の教育事情にも当てはまると考えられます)変革する必要があると、ディプロマではなく、資格証明書を授与するなどを提唱しています。
 自分が常に平均、マスから「外れている」と劣等感を抱いていましたが、平均は幻想であり、自分の心の中で作り出されていたものだと知り、心が解放されたような気がしました。

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2017年09月20日

平均的な人間など存在しないー個性学のすすめ

 トット・ローズ氏の「平均思考は捨てなさい」を読みました。
 ローズ氏はアメリカ社会に蔓延する「平均」という「信仰」に異議を申したて、その「信仰」の起源を明らかにし、それが生み出す弊害を指摘し、平均という信仰から脱却し、個性=ユニークネスを重視する社会を構築することを提唱しています。
 日本人のように集団の同調圧力が強い社会とは対照的に、アメリカ人は個人個人が比較的自由に振る舞っていると思っていましたが、アメリカ社会は「平均」という概念が人びとのこころの中に強く染みついているということをトッド氏は指摘しています。
 考えてみればアメリカ社会を象徴する競争主義も、個人個人が各自の目指すものを自由に追い求めることを社会全体が保障するシステムになっていますが、自由競争に参加する各自の脳裏には参加する集団の「平均」という概念を抱き、自身がその平均に対してどのような位置づけにあるのか意識していることが必要だと改めて気づきました。
 トッド氏はそのようなアメリカ社会に深く蔓延する平均主義から抜け出し、本当の意味の個性主義を主張しています。
 人々の見当違いの理想と比較する代わりに、個人としてのありのままの姿に注目して評価するようになったら、社会はどれだけ改善されるだろう。 
 
平均という概念が「誕生」したのは19世紀で、それ以前は平均という概念が存在しませんでした。人びとをマスの単位で捉え、その集団の特徴を平均という概念で記述しようとする思想は、そのころ生まれた遺伝学や熱力学の影響を強く受けました。それには二つの大きな支流があります。せ「タイプ分け」と「ランク付け」です。前者はケトレが唱え、正常さを判断する上で平均は信頼できる指標であるとし、後者はゴートンが唱え優性思想の根拠となる狭い範囲での成果のランク付けの基盤となりました。
 アメリカ社会ではそのような平均思想が、テイラー主義などの大量生産産業を支える思想と結びつき、標準化と管理のシステムが発展しました。テイラー主義を土台とする教育制度にも結び付き、生徒を効率的にランク付けし、社会にふさわしい地位を割り当てることが教育目標となりました。
 幼い頃から平均思想を植え付けられた子供たちは、平均を疑いもなく信奉するようになりました。
 つづく。

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2017年09月19日

失うことの覚悟ー強さと脆さ

 ナシーブ・タレブ氏の「強さと脆さ」を読みました。「ブラックスワン」で予測できない危機とそれがもたらす破壊的な影響のシステムを考察したタレブ氏は、その後世界経済の危機状況が氏の予測どおりに生じたことで、氏の仮説が立証されました。
 この本は、ブラックスワンについて日々考察を深めているタレブ氏が、讒言の形をとって自らに問う思考の方法になっています。
 ブラックスワンの対処法としてたどりついた氏の考えとは
1.時の試練と、はっきりと現れない知識に敬意を持つこと。長期に渡ってうまくいってきたものがより好ましい。
2.最適化を避ける。無駄を愛することを学ぶ。保険の役割を果たす戦略を構築してポートフォリオを頑強にする
3.確率の小さいペイオフを予測しない。
4.起こりにくい現象に、「典型的な姿」なんてないのに気をつける
5.ボーナスの支払いにはモラルハザードが付いて回るのに気をつける。 
 
ブラックスワンに備えるために、私たち一般人はごくごく慎ましく堅実に保守的なものに敬意を持ちながら暮らすことが、それがもたらす破壊的な影響を最小限にすることだとタレブ氏はいいたいのだと思います。
 この世の中に確実なことなどない。特に複雑化した非線形的な要素に大きく影響される現在の世の中で、幸せを追求するならば、小さなマイナスを気にせず避けず、それは大きな害を被らないためのギフトだと捉えてそれから学ぶという姿勢が求められると氏は考えます。
 失うことの覚悟をいかに身につけていけるか。それがブラックスワンへの最善の対処法だと氏はいいます。
 それは日々生じるすべてのことに意識的になり、能動的に生きることに他ならないと思いました。

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2017年09月18日

差別が生んだエネルギー

 上原善広氏の「路地の子」を読みました。
 自身が部落の出身であるという内部の立場から、タブーとされてきた部落問題を批評してきたノンフィクション作家上原氏が、自身の実父を通じて、被差別部落の戦後史を描いた力作です。
 16歳の頃から食肉捌きを職とし、差別の中で己の才覚と腕一本で成り上がってきた男の一代記を、そんな父とは対照的な生き方をしてきたと自覚する上原氏が愛憎半ばする思惑を込めて描いた力作です。
 父親隆造が食肉捌きの仕事に就いたのは、伝統的に部落の職業であったこと、関東に住むものには知られていないのですが、関西には代表的な被差別部落の地域があり、それぞれが伝統的にまた差別ゆえに(そのような職業しか就けなかったことから)そこの住民の多くが食肉捌きなどの特化された職業についていました。
 上原氏が描写する食肉捌きの模様は、血と汗と糞尿にまみれた過酷な肉体労働である様子がまざまざと伝わってきます。そのような「汚い」とされる職業であっても、龍造にとっては己の才覚で成り上がることのできる唯一の方法であるとして、誇りをもって肉体の限界まで働き続けました。
 徹底した現実主義者でカネこそがすべてで、つべこべ言わずカネという実益さえ手にすれば差別なんかなんでもないとする強靭な精神の持ち主でした。
 冒頭で描写された職場の同僚に馬鹿にされたことを契機として本気で殺人を犯そうする場面が示すように、激しくいつでも爆発しかねないマグマのような血の付いた気質を内部に抱えながら、それをひたすらおのれの事業発展に向けた結果多大な成功を治めました。
 龍造の成功には昭和44年に制定された「同和対策基本法」があり、被差別部落解消のための住民の福祉の向上対策として、住居提供や職業の優遇(無税)などによりいわゆる「同和利権」事業であったと上原氏は分析しています。またバブル景気も追い風となり、部落であること「ゆえに」利権にありつけるという現象が生じていたとも氏は父親の事業の発展と衰退から考えます。
 差別の実態は差別される当事者にとって、もちろん辛く理不尽なことであるけれども、それにめげず、そこから生まれる怒りと濃い仲間意識を糧に生命の力動を発揮した生き様は、人間の可能性を見せつけてくれることを教えられました。

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2017年09月17日

ブラックスワンを乗りこなせ

 ナシーブ・タレブ氏の「反脆性」を読んでの続き。
 タレブ氏は現象を、頑強性、脆弱性、反脆弱性の3つにわけ、変化の大きな時代にシステムとして生き残っていくのは、反脆弱性だけであるといい、反脆弱性の例を挙げています。
 運動、断食等の効果は、肉体に備わった反脆弱性を利用して利益を得る手段であると、タレブ氏が自身実証しています。
 時を超えて生き残っていける強さを持つシステムは、試行錯誤(タレブ氏の用語では反脆弱い「いじくりまわし=ブリコラージュ」を含有するもので、小さな失敗を繰り返し進化していくといいます。
 タレブ氏が最も反脆いシステムとして全面的に信頼しているのは唯一自然だけで、それをうまく活用し時を糧に進化してきたシステムを見抜き、自身のシステムの参照とすることが、自身も生き残る秘訣であるといいます。
 変化を拒否するのではなく、それに積極的に見を晒す(エクスポージャー)こと。そこから利益を得ること(オプション性)を利用することが七面鳥問題(ブラックスワン現象)からの損失を最小限にする唯一の方法であると氏はいいます。
 そのような戦略はともすれば、一人勝ちを目指す利己的な争いの非倫理的になりがちですが、タレブ氏はオプションから利益を得る者の取るべき倫理的な態度として、「身銭を切ること」、「他人に脆弱性を押し付けない」など、仁義ある姿勢を取らなければならないと主張します。
 また、非線形的な複雑なシステムから利益を得るための最も有効な戦略として「バーベル戦略」をあげています。バーベルの片方は小さな失敗を繰り返し、もう片方は、大きな穴をねらう。徹底的に保守的に安全策を確保して、果敢にリスクに挑戦する余裕を持つこと。
 現在の世の中が好むと好まざるとにかかわらず、反脆いシステムであるということを心底納得して、それを乗り切る秘訣を教えられたと思います。
 

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2017年09月16日

反脆さによる利益は間違いを愛することから生まれる

 ナシーブ・タレブ氏の「反脆さ」を読んでの続き。
 タレブ氏はシステムを、頑強性、脆さ、反脆さの3つに分け、それぞれを線形性か非線形性かによって前者と後者2つを区別し、さらに非線形性から積極的に利益を得るかどうかで後者二つを区別します。
 そしてシステムから生き残り利益を上げることのできるのは、反脆さであるといいます。
 反脆さの一番の特徴は、間違いをあらかじめシステムの中に組み込み、そこから学んだことを糧として頑強にするシステムとなっていることだと氏は考えます。
 氏は自然現象の中から反脆い例を挙げています。なぜならばタレブ氏は自然を反脆いシステムのメタシステムと捉えるからです。自然の与える試練に生き残ったシステムだけが反脆さを獲得し、頑強になっていく。 
 氏の上げている例は、「ホルミシス」(少量の有害物質が生物にとって薬の役割を果たし効能をもたら現象)、進化(個々の生物が危害を受けて死ぬと、その利益が生き残った個体や次世代にとって利益となる)、オートファジー(絶食すると悪いタンパク質が先に分解されて体内で再利用される)などです。
 システムは貴重なストレスを抱え込むことで、それに対する過剰補償によって、成功、成長、イノベーションを引き起こすことができると氏は考えます。 
 有機体的な動的システムが正常な状態を保つには、一定性の変動制、ランダム性、継続的な情報の変換、ストレスが必要であるから、変動制を奪うとかえって有害になると、頑強性のもろさの原因を指摘しています。 
 変化を積極的に取り入れ、失敗を繰り返し、そこから学び、システムを変化し続けるというプロセスが反脆さを取り込むことになると氏はいいます。
 そして先延ばしは、物事を自然の成り行きに任せ、反脆さを働かせる手段となるといいます。それは時の流れが脆さを検証する最高の手段であるから。そして自然は時の流れによって、「頑強」と太鼓判を押された唯一のシステムであるかだと氏は考えます。
 失敗を恐れず、変化を積極的に取り入れながら、結果を急がず、時の流れに身を任せる。
 反脆さから利益をえる姿勢は要約するとこのようになります。
 さらに、反脆さについての考察はつづく。

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2017年09月15日

失敗を糧にするシステムー反脆(はんもろ)さ

 ナシーブ・タレブ氏の「反脆弱性」を読みました。
 「ブラックスワン」という、現在の複雑化した社会に生じる制御不可能な巨大な「想定外」な現象を取り上げ、世界的なセンセーショナルを引き起こしたタレブ氏が、「ブラックスワン」概念を進めて、そこから積極的な利益を得るためのキーワードとして「反脆弱性(はんもろさ)」概念を打ち立てました。
 レバノンのキリスト教の家庭に生まれ、思春期の多感な時期に内戦を経験し、不確定要素、確率がもたらす現象を身をもって体験したタレブ氏は、確率論を学んだ後に、ディーラーとして確率の支配する世界を実地で体験し、「ブラックスワン」という概念を「発見」しました。「ブラックスワン」が複雑性が引き起こす制御不可能なマイナス現象を主に指しているように思われますが、タレブ氏はその概念を精緻に考察して、「ブラックスワン」の中でも、プラスの現象を生じるものを「反脆さ」として取り出し、それがどのような現象なのかを氏独自の感性で考察しています。
 タレブ氏が定義する「反脆さ」とは。
 耐久性や頑強さを超越する
 衝撃を糧にする
 ランダム性や不確実性を好む 
 ある種の間違いさえも歓迎する 
 
巨大な影響をもたらす大規模で予測不可能な突発現象である「ブラックスワン」現象の中で、ランダムな事象によるダウンサイド(潜在的な損失)よりもアップサイド(潜在的な利得)の方が大きいものを「反脆さ」と定義します。 
 タレブ氏は、「反脆さ」をブラックスワンの特効薬というだけでなく、ブラックスワンが歴史、技術、知識といったすべのものにとって不可欠な役割を果たしているということを明らかにする概念であるといいます。現在の世の中はランダム性から利益を多く得るものが世界を支配しているからです。
 反脆さについて、つづく。

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2017年09月14日

貴重な時間を賢く節約ーデフォルトルール

 キャス・サスティーン氏の「選択しないという選択」を読んでの続き。
 複雑で多様な社会にあって、私たちは選択するという「重荷」に押しつぶされそうになっている。特に貧しい人たち、ただでさえ生活を送る上でストレスの多いために精神的余裕がなく、選択に向ける余地が残されていない人たちにとって選択肢が増えることは自由になることではなく、逆に間違った選択をしてしまう可能性も高まり、マイナスになってしまうと氏はいいます。
 そのために社会が提供できることは、あらかじめ制限された選択肢ーデフォルトルールを提供することであると氏はいいます。
 しかし他者によるお国仕着せの選択肢には、強制、個人に合っていない、惰性、などの問題も生じがちです。 
 キャスティーン氏は選択の方法を3つに分け、人びとが自身の状況に応じてもっとも利益となる選択の方法を意識的に選択することが大切だといいます。その3つとは
1.個別化していないデフォルトルール
2.能動的選択
3.個別化したデフォルトルール
 複雑化した社会において、選択することにマイナスを被り易い人たちにとって、3番目の個別化したデフォルトルールを社会の側が提供することが、選択の精度を増し、彼らの福祉を向上することを手助けすることになるといいます。
 そのためには提供する側が、彼らにふさわしい信頼できる選択アーキテクトを構築することが必要となります。 
 ビックデーターの時代になって、個人によりふさわしいオーダーメイドの選択アーキテクトを提供できるようになり、精度の高い選択をすることが可能になってきたと氏はいいます。 
 デフォルトルールを採用する際に注意しなければならないのは、人はいったん選択したものを変更することを嫌がり、惰性に陥りやすいという傾向を考慮して、信頼できる選択アーキテクトでなければならないということです。そのためには選択アーキテクトに対する情報公開が必要となります。
 それがふさわしい状況であれば、選択しないという選択ーデフォルトルールを採用することによって個人の福祉を向上させることも可能であるということを改めて考えさせられました。

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