2017年06月24日

文字は書き手自らをさらす「自己暴露装置」

 新保信長氏の「字が汚い」を読みました。悪筆に悩む編集者の新保氏が、自身の字の下手さを題材に、「字を書く」ことの根本を追求しています。
 表紙のミミズがのたくったようなクソ下手な字は、新保氏自身のものだそうですが、これを見て完全に共感してしまいました。何を隠そう(ていうか、ワープロだから隠すも何もないのですが)、私も字を書くことが超ど下手です。小学校のころまでは意識したことがなかったのですが、自意識が発達するようになった中学生以降、自分の字の汚さに気づきはじめ、高校の数学の授業で、指名されて黒板に答えの証明を数字まじりの文字で書いたところ「答えはあっているけれども、字が汚くて何て書いてあるのか読めない。」と教師に言われクラスメートの前で大恥をかかされた経験。大学時代卒論の発表で当時まだワープロがそれほど普及していなかったためもあって、部分手書きの原稿をコピーしたのを配布したところ、担当教授が内容のことは何も触れず一言「汚い字だなあ。」と吐き捨てるように言われたこと。数々の自らの字の汚さに纏わるトラウマを思い出し、新保氏のエピソードに深く共感しました。 
 氏が「字か汚い人間にとってワープロやパソコンは『神道具』」と言われていますが、まさにワープロを初めて使って自らの汚い字でなく、整った美しい文字で自己表現できた時、それまで人前に文字を使っての自己表現をタブーとして禁じていましたが、一気にその重みから開放されて楽になったのを鮮明に覚えています。
 筆跡そのものが子供っぽくて拙い。とても五十路を迎えた分別のある人間の字には見えない。これじゃ真面目に書いてもふざけているようにしか見えない。 
 いつも私が自らの字を人様にお見せしなければならない時にまさに感じることです。「人格を疑われる」と。 
 氏は自身の字の汚さを対象として、字の汚さの理由。どうして汚い字を書くのかを、書くという行為、書くという心理的作用、美意識、日本語の書記の歴史的変遷などを紐解き、字を書くという表現とは何かにまで迫ります。
 汚い字を改善すべく、氏が様々な美しい字を書く人について教えを乞う際に、彼らが披露する美文字は、確かに整っていて読みやすいのですが、それよりも期待しているようなワープロ文字のような美しさではなく、それぞれに個性が現れているというのが、当たり前ですが意外な気がしました。 
 氏の汚い文字の最大の理由は、『ゆっくり丁寧に書く』というのが、性格的に向いていないこととあげていますが、私自身も自分のせっかちな性格が字を下手にしている最大の要因だと感じています。
 字がきれいな人は、字をきれいに書くだけの気持ちの余裕を持っている、読んで美しい字を、文字による表現の中身と同じく優先しているということです。 
 そして私を含め字が汚い人が自己表現手段としての字そのものをあまり重視せず、とにかく読めればいいのだという、字を蔑ろにしてしまいがちなのに対して、「イメージを正確表現する腕の使い方」をしっかりとマスターしているのだという氏の感想にも共感しました。 
 「道具を選ぶ」、「字にメリハリをつける」、「下手だからこそもっと手間をかける」。 
 美文字を追求するのではなく、日常生活で必要とされているのは読みやすく、人を不快にさせない程度の字であるというハードルを低くして、そのポイントとして挙げている上の注意事項を、これからも肝に銘じて、字を書くことを意識していこうと思いました。

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2017年06月23日

植物は「知っている」

 ダニエル・チャモヴィッツ氏の「植物はそこまで知っている」を読みました。チャモヴィッツは新たに発見された植物の驚くべき能力を紹介しています。
 この本を読んで自分がいかに植物を「侮っていたか」を痛感しました。植物は動くことができず、何も「感じる」ことが出来ないと思い込んでいましたが、何が何が、植物は動くことはできないですが、動けないゆえに、動物以上の感覚を発達させ、それゆえ複雑な遺伝子を持ち、変化する環境に適応するためにヒトのいうところの「意識」こそ持っていませんが、立派に「感じている」ということを知りました。すごいぞ!植物。
 例えば植物には日が短くなってはじめてて花を咲かせる植物「短日性」と、日が長くなってはじめて花を咲かせる植物「長日性」がありますが、前者にはキクやダイズ、後者にはアイリスやオオムギがあります。
 これらの性質は、実は日の長さではなく、夜ー暗い時間の長さが開花に影響を与えています。植物はどのようにして日の長さを「感じて」いるのでしょうか。それは太陽光のスペクトルである青い光で屈曲する方向を知り、赤い光で夜の長さを測っています。赤い光は開花をオンに、遠赤外線はオフにします。なぜならば、一日の終わりに日の沈む際に最後見える太陽光は赤い色で遠赤外線はその後に続きます。植物の光を感じるフォトクロムという色素がそれによってオンになります。つまり植物にとってその日の一番最後に見る光によって、夜の始まりを知り、朝は赤い日の光によってオフになり夜の終わりを知るのです。
 チャモヴィッツ氏は植物は動物と同じく視覚があるといいます。生き残るために常に移り変わる周囲の環境ー光の方角、量、持続時間、色ーを知らなければなりません。植物は光の信号をヒトのように「像」として翻訳する神経系をもってはいないけれども、そのかわりに光の信号を様々な指示に翻訳しています。
 多くの植物が持つサリチル酸は、植物にとって免疫機構を増強する「防御ホルモン」で、病原菌やウイルスの攻撃を受けるとサリチル酸を作ります。
 またハエトリ草やオジギソウなどの植物は動物の触覚に相当する機構が発達していています。
 植物は移動できないため、周囲の環境変化に素早く適応するために、動物が自然淘汰で遺伝子変化によって対応するのに対して、DNAそのものは変えずに、DNAの構造を変化させるエピジェニックな変化によって対応することを積極的に選択してきたようです。植物の品種改良はこのような植物の性質を利用したものです。
 このように与えられた環境に受け身の対応するだけでなく、実は積極的に自分の能力を創造して適応していく植物の戦略には教えられること多々でした。見倣っていきたいと思います。
 
 

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2017年06月22日

仕事とは自分と他者への「ギフト」

 西村佳哲氏の「仕事をつくる」を読みました。
 安倍政権の重要課題として「働き方改革」が挙げられていますが、その真の目的は、GDP成長のために国民の生産性を上げるためであり、働く人本人の主体的な立場に立ったものであるとは思えません。背政府が進めている「働きやすい環境」とは働いている人が働く意義を感じ、仕事に生きがいを見出しうるような働き方を目指すのではなく、企業にとっていかに生産効率を上げるかを目的としているようで、「子育てしやすい環境」、「イクメン養成」などは、効率の良い労働者を労働環境に提供する手段にすぎないような気がします。
 西村氏は「働き方研究家」として、そのような政府の進める働き方とは対照的なクリエイティブな仕事をしている人たちをインタビューし、彼らの突出したユニークな仕事の成果が、彼らの主体的な働き方と働くことに対する哲学から生まれてきていることを明らかにしています。 
 いいモノをつくる人は働き方が違う。彼らのセンスは彼ら自身の働き方を形作ることにまず投影されている。素晴らしい仕事も作品もある意味でその結果に過ぎないことがよくわかった。また同時にそれぞれの仕事が彼らにとって他の誰にも肩代わりできない「自分の仕事」であることを知った。 
 インタビューしているのは、プロダクトデザイナーの柳宗理氏、「ルヴァン」のパン職人、「パタゴニア」の広報担当者などです。
 彼らは皆自らの身体をメディアとして、それをプロヂュースする職場環境を作り、仕事の成果を上げています。
 彼らの仕事が魅力的な源泉は、働く中で作り手本人が感じている喜びや快感にある。その仕事の感覚は、「いつか」ではなく「いまの瞬間」に向けられている。彼らは仕事によって「今」の瞬間の自分を疎外しない。自分がほかでもない自分であることにその仕事が価値を持つことを知っている。
 そのためには、気持ちよく働く環境をつくること。一緒に働くスタッフを「ワークショップ」のファシリテーターとして育成し、自らの求めるものを創り出すための環境を自ら作り上げていること。 
 西村氏は彼らの仕事のやり方に接してみて、仕事とは社会の中に自分を位置付ける「メディア」であると強く実感しました。仕事の意味とは、自分が行った行為が社会からのフィードバックによって形作られていく。
 仕事とは自分自身を誇示する手段ではなく、自分と他人に対する「ギフト(贈り物)」 
 
送り手が真に喜ぶギフトができるか。仕事の真髄はここにあると西村氏はいいます。
 真の働き方改革の目指すべき指針を教えられたように思いました。

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2017年06月21日

「成長」ではなく「生存」−商いの真髄

 イトーヨーガドー会長伊藤雅俊氏の「商いの道」を読みました。
 高度成長期に流通革命を担った東西の二大大手流通ーダイエーとイトーヨーガドー。ダイエーはカリスマと呼ばれた中内氏亡き後倒産吸収されてなくなってしまいましたが、イトーヨーガドーは子会社(というよりもこちらの方が売り上げは上回っているのですが)セブンイレブンの快進撃のおかげで、現在も流通大手です。その東の統帥伊藤氏の「商い」の真髄を説いたものです。 
 伊藤氏の商売は、母親が女手一つで商売をはじめ、病弱な兄がその片腕となり、戦後一家で北千住の小さな雑貨商から始まりました。
 徹底した商売人の精神を持つ母親を氏は商売の神様として尊敬しています。細かい心遣い、迅速な決断力と大胆な行動力。そして何にたいしても心から頭をさげることができ、かつ、卑屈にならない人であったと。そしてどんなに苦しくても、悩みがあっても、お客様の前では決してそれを見せず、気持ちよく買い物をしていただく。そんな母親の笑顔にある種の凄まじさを感じたと氏は尊敬する母の像を語ります。 
 そのような母親の商売に対する厳しい姿勢を身近で感じながら、伊藤氏は、商売というものは何かという真髄を常に追求し続けてきました。その結果たどり着いた結論とは、商売とはすべて「お客様のお陰」であるという精神です。それは「お客様は来てくださらないもの」という気持ちで毎日商いをしなければならない。その単純な基本を実践することが承認の自己表現であると氏は考えます。お陰様の精神、心からの感謝の精神こそが、商いの営みを支えると。
 そして、商人というのは、自らは何も生産せずに、人様の作られたものをお預かりして、お使いいただく人様に手渡しする仲介業者。だからお客様から信用を得ると同時に問屋さん、メーカーさんからの信用も得なければならないと、商売の原理を常に意識して、感謝の心を持ちづづけることの大切さを説きます。
 さらに最初に商売をする人、企業する人の冒険心は「狂気」であるとも言います。 
 伊藤氏の慎重で、小心すぎるように感じられる商売魂の底にあるのは、激しい衝動でもあるのだと感じました。しかし、恐怖心を常に持ち、商売の事業によって、従業員ならびにその家族を養っているおということを意識して、「成長」よりも「生存」を考える経営に徹してこられたようです。 
 基本の徹底、変化への対応を会社い理念としてきたからこそ、激しく変化する状況で、イトーヨーガドーが生き抜いてきた秘訣だと、その商売魂を感じました。

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2017年06月20日

複製という戦略

 武村政春氏の「おへそはなぜ一生消えないのか」を読みました。 
 題名の応えは、複製という生物の戦略に関係します。お腹を形作る皮膚や筋肉などは、地下鉄の電車のドアが閉まるように左右の組織が真ん中で融合するように作られていた境界部位であるからです。同じく体の正中線上にある組織は傷が治りにくいようです。
 この本は、人体のメカニズムに潜む複製という現象に焦点を当てて、複製という現象が進化がとった効率的な戦略であることを生物の代表的な複製現象の例を挙げて解説しています。
 生物における複製とは、同じに見えるものでもわずかに異質なものを複数生み出す現象で、物質界におけるオリジナルと完全に同じものを複数作るコピーとは概念が異なります。「同じに見えて同じでない『別のモノ』をつくるというところに生物学的意義がある。なぜならば、それは複製による多様性の獲得を可能にするからだと武村氏はいいます。
 なぜ生物が複製という戦略を取ったのか。それは変化する環境に適応するために、これまでにない新しい組織や器官を作る必要が生じた場合、これまでにあるものから複製を作るという選択の方が効率がいいからです。それはすなわちすでにあるものを鋳型としてもしくはすでにあるものの材料を拝借する形で新しいものをつくるやりかただからです。
 すでにあるものをやりくりするため、機能上欠点を生じてしまった複製があります。
 その例として挙げられているのが、ヒトの咽頭部分において、食道と気道が交差しているつくりをあげています。そのような複雑な構造のため、誤嚥性肺炎を引き起こす要因にもなってしまっているのですが、それは発生学上消化器官から複製によって呼吸器官をつくったため生じた現象です。
 また歳をとると傷が治りにくくなるのは、複製エラーに伴う突然変異の蓄積や代謝に伴う「副産物」が原因となり、細胞の複製がスムーズに行われなくなるからです。
 また子供時代にはあった胸腺という組織が大人になるにつれて退縮するのも複製現象によります。複製プロセスで胸腺を作る細胞が徐々に消失していき、やがて完全になくなっていきます。それは性ホルモンによっても退縮されるようで、
 「性ホルモンは生殖細胞だけを不死化させ、その他の体細胞を老化させ世代交代を促進するために胸腺退縮を促している」と武村氏は胸腺複製のメカニズムから推測します。
 ほかに、哺乳類の赤血球の核が消失したのも、それによってできるスペースで表面積が広がりガス交換の効率が上がることを上げています。
 このように生物の不等複製のメリットは多様性の獲得であり、体細胞は「その個体に限り」という制限があるがゆえに、多少の変異が許容されていて多様化した存在であるといいます。
 つまり進化は複製という戦略によって変化する環境に適応してきたということがわかりました。
 
 

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2017年06月19日

「ゾンビ企業」を葬り去れ!

 星岳男、アニル・カシャップ共著「何が日本掲載成長を止めたのか」を読みました。
 バブル崩壊後から「失われた20年間」続いた日本経済の停滞がどのような要因によって引き起こされたのか、そしてそれに対する処方箋は何かをいち早く提唱し、現在の安倍政権の経済対策の指針となる論文です。
 両氏が日本経済の低迷の要因として挙げているのは、本来ならばキャッチアップ型の高度経済成長を支えた日本企業の(終身雇用制、年功序列、系列内組合等々)仕組みが70年代に終焉していたにも関わらず、バブル経済に突入し、改革の機会を逸してそれがそのまま温存されていたこと。二つ目は、90年代に冷戦が終わり経済が急速にグローバル化したことに対して対応できなかったこと。三つ目は高度成長を支えた人口オーナスが翻って急速な高齢化社会になったことの大きく、3つを上げています。
 そのことにより90年代後半、それまで経済停滞であったものが、機能不全へと陥りました。その直接の要因は、銀行の不良債権に対して、金融監督当局が、断固たる対応を行わなかったことにより、「ゾンビ企業」を支えるという状況が生まれ、これが創造的破壊のプロセスを停滞させ、成長を目指した金融政策がデフレを長引かせ、デフレ期待を定着させてしまったことだと分析しています。
 「ゾンビ企業」とは、本来であれば、死に絶えて消えてるはずなのに、生き残って世の中に害をもたらす存在のことです。様々な新陳代謝があって、経済は初めて活力を維持できるというのが自由主義経済の原則なのに、それに反する「ゾンビ企業」は、経済の新陳代謝の足を引っ張る元凶となります。 
 それに対して小泉政権(2001年〜2006年)は、6つの重要な改革を行おうとしました。
1.金融システム改革
2.郵政民営化
3.労働市場改革
4.FTA推進と農業改革
5.特区を活用した規制緩和
6.地方財政改革
 このうち1.2は成功しましたが、3以降は現在の安倍政権が引き続き改革を推し進めています。
 確かに、改革の成果が着実に出てきて、日本経済は20年ぶりにデフレ脱却をしています。
 星氏が勧めるこのような改革を実施することは、小泉元首相が言っていた「痛みを伴う断行」でありますが、日本経済がギリシアの二の舞にならないためにも必要な経済改革であり、ある意味プラグラティストの日本国民はそれを受け入れつつあると思います。星氏のこの論文は重症に陥っていた日本経済の治療のための処方箋となったように思います。果たして日本が再生するのか。それは国民が実際の治療の痛みを乗り越えることが可能かどうかによると思います。

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2017年06月18日

地方創成の指針

 増田寛也・冨山和彦氏の対談「地方消滅」を読んでのつづき。
 現在の地方経済の疲弊は、そもそも明治維新以降続いた、欧米にキャッチアップ型、人口増加型の経済成長期に日本唯一の資源である人材を中央に集め続けた効率的、均質的な殖産興業を担ってきたモデルが限界を超えている現象であると冨山氏は言います。150年間日本を牽引し、世界有数の先進国に仲間入りさせた原動力の耐久年数が切れた今、それを人材供給という形で支え続け、繁栄のフィードバックを「日本列島改造論」などの公共事業や産業育成の形で得てきたモデルがもはや不可能になってしまった結果であると。 
 それ以前の江戸時代は幕藩体制であったため、人の移住が制限されていたため、分権的で、多様で、地域それぞれい比較優位を生かして、それぞれに豊かなスタイルをもっていた。今回の地方創生は、150年間続いてきたキャッチアップモデルからの脱却を目指すという意味で、歴史的大転換が問われていると、地方創成を歴史的射程で捉えて、日本独自のユニークな解決策の潜在的可能性を探っています。
 その意味で、地方創生は、ポストモダンの新たな経済社会モデルの創造であるとともに、ある意味で伝統回帰であると冨山氏は捉えます。そしていち早く高齢化し、人口減少に悩んでいる日本の地方は、先進国すべてが日本ほどの急激ではないけれども、同じような現象による経済力低下傾向が逃れられない状況であるため、「課題最先端地域」として、この問題を解決することにより、世界に人口減少の対策のモデルを示すことができるという可能性を秘めたものであるともいいます。 
 地方経済の衰退の原因はともかく人手不足であると両氏はいいます。そしてその状態は今後改善する可能性は全くなく、むしろ状況は悪化していく一方であると。それを増田氏は「地方消滅」というセンセーショナルな表現で危機感を警告したのです。
 しかしながら、実際に東北のローカルバス会社の経営再建を試み、成果を上げてきた冨山氏は、生産性を上げることで、この事態に十分対処できるといいます。 
 そのためには、企業経営者や行政は、「選択と集中」の戦略を立て、地域に適した生産方式で、無駄をなくし、域内経済で利潤を出せるような組織変革を試みることが求められると。
 増田氏は岩手県知事の地方行政の経験から、地方における産業の中心は医療や福祉サービスである可能性が高いといいます。そしてまず「しごと」、それから「ひと」、「まち」を整える順序で再生していくことが大切だといい、そのために地域の特色を生かした産業を生み出していくことの優先性を説きます。 
 ローカル経済は製造業中心のグローバル産業と違ってサービス産業中心となり、全く異なる原理であることを理解し、ローカル経済にマッチした経済対策をすべきであると冨山氏はいいます。 
 そのために教育も二分し、ローカル経済の人材育成のためには、徹底した実学中心の専門学校的な教育機関を作り、地方経済の人材を輩出していくことが一つの解決策であると冨山氏はいいます。
 イノベーションとは、「創造的破壊」であり、そして東北では大震災という他律的な要因ですでに破壊のプロセスが起きてしまっている。これは不幸なことだけでども、イノベーションを起こすための創造的プロセスに進みやすい状況になっていると冨山氏は見ます。 
 もともと東北地方が持っていた「伸びしろ」をこの未曽有の事態が、プラスの方に切り替え、地方創成のけん引役として担っていく現象が、被災地を中心に若者たちの間で生じているようです。
 自由で柔軟な21世紀の幕藩体制を創造していくことが地方創成のカギなのかもしれません。

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2017年06月17日

「のびしろ」は地方を考える時のキーワード

 冨山和彦・増田寛也氏の対談「地方消滅」を読みました。冨山氏は元産業再生機構のCOOで戦略的コンサルタントとして地方企業の再生にも携わってきました。増田氏は元岩手県知事として実際に地方行政のトップとして地方再生の現場で指揮してきました。そして2010年〜40年にかけて地方の人口が半分以下に減ることー消滅可能性のある人口一万人以下の自治体が522及ぶーというショッキングなレポートを提唱して、地方の現状と厳しい未来を警告してきました。
 そのようなふたりが、これからの地方再生はどのような戦略で臨めばいいのか、理念や楽観的予測ではなく、地方の現実に即した提言をしています。
 この旅86歳の父が亡くなり、80過ぎの高齢の母だけでの介護を支援するために、2年半に渡って遠距離介護で地元(山口)と東京を3か月おきに行ったり来たりして、進学のために離れて盆暮れには帰省していましたが、久しぶりに地元の現状に触れることができました。  
 帰省するたびに実感したのは、急速に進む少子高齢化と、地方経済の疲弊です。実家のある萩市外の山間地は、高齢化と人口減少が著しく、小中学校の廃校統合、路線バスの減少が生じており、若い世代が子供を育てながら生活していくことが現実に困難な状況に陥っていました。仕事としてあるのは、医療・福祉関係のみで、若い人の多くが従事して雇用を得ているようでした。
 このような現状を実際に目の当りにして、冨山・増田氏の訴える危機的状況はまさに日本の地方で現在進行形で急速に進みつつある事態であるということを実感しました。 
 ではこのような地方の現状を踏まえて、どのような地方再生のシナリオを書くことができるのか。
 つづく。

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2017年06月16日

「集団知」、「経験知」、「すり合わせ」

 冨山和彦氏の「稼ぐ力を取り戻せ」を読みました。
 21世紀現在のグローバル市場において、日本企業が稼ぐためにはどうすればいいのか。日本企業の潜在力を生かした経営とは何かを戦略的アドバイスしています。
 冨山氏は日本企業の卓抜した特色は「すり合わせ」であり、それは日本のドメスティックな企業文化が作り上げた日本独特の生産様式であるといいます。それが高度成長を支えてきました。しかしテクノロジーの発達により製品の急激な汎用化が生じ、また安い労働力の新興国の登場により、従来のやり方が通用しなくなってきていることが現在の日本企業の苦境の要因であると捉えます。
 ではどうすればいいか。それは「すり合わせ」技術そのものは日本企業の優位な特色としてそれを極めること。しかしながら、もともと細かな改良を積み重ねて暗黙の価値観の強いモノづくりに優れた日本人気質は、ともすれば「すり合わせ」そのものが目的化し、「モノを売る」、つまり「稼ぐ」ための手段でしかないことが忘れ去られて、顧客のニーズにマッチしないものを作り続けてしまい、結果として売れない状況を創り出してしまっていることが問題であるため、売れるためのモノづくりが可能なような組織続くりと人材養成をしていくことが求められると冨山氏はいいます。
 本当に儲かるためには、技を極めるのはなく、技を商品的価値に転嫁できるような特別な技を身に着け、「カネになる」技を開発すること。それはモノづくりは「付加価値づくり」になるような組織づくりが求められると氏はいいます。
 そのためにはトップが「選択と捨像」を素早く決定し、それを組織全体に浸透できるような「見える化」された透明性のあるシステムを構築することが必要です。 
 有機化的な結合力で強く結ばれた連続的な共同体であることが日本企業の最も重要な集団個性であり、それが「すり合わせ」のための経験値を積み重ねてきたと氏はいいます。 
 これからの日本企業は、目まぐるしく変化するグローバル市場に対応できるようなスピードがあり、かつ柔軟性のある組織づくりをして、それらの特色を生かした日本独自の製品を作り続けていくことが生き馬の目を抜く世界で生き残っていく唯一の手段であると冨山氏はいいます。
 己自身を客観的に知り、その特色を生かした生き残り戦略を立てていくこと。それが今の日本企業に最も求められていることだと感じました。

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2017年06月15日

アジアのベスト&ブライティスト国家をめざせ

 冨山和彦・松本大氏の対談「この国を作り変えよう」を読みました。
 冨山氏は長年企業経営コンサルタント、政府再生機構のCOOとして、松本氏はベンチャー金融証券会社を共に率いてきた革新派の経営者ですが、この二人が現在の日本が置かれている政治的経済的状況を分析し、具体的に日本の未来像のデザインを語り合っています。
 二人の共通認識は、現在の日本の経済的苦境は、グローバル社会が急速に浸透し新興諸国の安い労働力との競争に対抗できず、今まで日本の経済的優位を支えてきた加工貿易立国という国家モデルが成り立たなくなってきたこと、そして、国内においては中高年以上の世代の既得権維持のために年齢差による格差が問題となっているということです。 
 前者に対する対策としては、これから日本はグローバル経済における競争に打ち克っていくためには、日本人の歴史的文化が培ってきた「すり合わせ」技術をさらに高め、製造せず、高度な技術を集約したマザー工場だけを国内に集約し、世界のテクノロジーのハブとなることを目指すというものです。 
 後者に対しては、高齢世代がベスト&プラクティストを発揮して、既得権を若者のために積極的に手放す名誉の文化を形成していくことだという二人の意見です。 
 それは健全な市場競争によってだれもが等しくプレーヤーとして参加し、富を手に入れることが可能な制度を整え、そうしてGDPを上げて生み出した富を再分配することで、その結果として生まれる格差は受け入れながらも国民皆の経済的な底上げを実現していくというプラグマティックなモデルです。
 それは日本がアジアのベスト&ブライティストが集まる「知識集約立国」になることを目指すもので、そのために日本を若返らせるために求められる具体的な10の提言をしています。
 それはプラグマティズム=「稼ぐ」ことを徹底した提言で、本当にこれが実現できれば、日本は心身代謝が健全に機能するオプティミズムに満ち溢れた国になるかも知れないと希望を抱きました。そのためには、既得権を持つ中高年層以上の人たちの名誉ある撤退が実現できなければならないと、その実現の困難さも痛感しました。

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