2019年01月20日

原爆と原発の「あいだ」

 核物理学者多田将氏の「ミリタリーテクノロジー(核兵器)の物理学」を読みました。
 原爆について、世界唯一の被爆国である日本ではその被害状況などは多く語られてきましたが、原爆そのものについて、それがどのような物質なのか、どのような仕組みでその破壊力を持つのか語られることはタブー視されてきています。その結果原爆=恐ろしい破壊兵器という概念だけが先行して、原爆がなぜ恐ろしいのか、ではその恐ろしい原爆をどのように扱えばいいのか、原発と原爆はどう違うのか、考えることができなくなってしまっています。
 多田氏は純粋物理学の立場から、原爆の政治性とは離れて、それはどのようなものか。どのような力を持つのか。それを理解したうえで人類は原爆とどうむきあっていかなければならないのかの道筋を示してくれています。
 多田氏に説明されるまで、原爆のしくみと原発のしくみがほぼ同じであるということは知りませんでした。よく、日本が原発を手放さないのは、原爆を造る(いつ手も原爆製造に転化できる)可能性を世界に示すため(特に高速減速炉は)であると言われていたことは事実だったのだと多田氏の開設で納得しました。 
 原発も原爆も、原子核を結合する強い力(陽子と中性子を結び付けている力)を、解離す際に発生するエネルギーを、前者は発電エネルギーとして、後者は破壊エネルギーとして利用したもので、原理は全く同じです。
 その違いは、原発がエネルギー発生をコントロールして人間が利用可能な状態にしているのに対して、原爆は、制御することなくそのエネルギーを高めているということだけです。
 いうなれば、原発内部で生じている核反応は、原爆の反応の縮小版、もしくはそれがうまく制御されているだけということです。
 原発の核反応のエネルギーを制御して、反応を引き起こす中性子と、反応で生じる中性子の収支が釣り合っている状態が臨界状態で、原発とはその臨界状態を維持しながら、そこからエネルギーを取り出す仕組みです。
 臨界状態を維持するためには、中性子のぶつかる速度を調節する必要があり、その作用のある物質を減速材といい、それには軽水(普通の水)、重水、黒鉛、そして制御棒(ホウ酸、ハフニウム、カドミウムなどで作られている)を出し入れすることで、臨界状態を維持します。
 原発の原子炉を構成する3つの要素には、燃料(ウラン、プルトリウム)、減速材、冷却材があり、原発の原子炉では、核反応で発生した熱で水を沸騰させてその水蒸気を利用して発電を行っています。
 原爆は原発のしくみから、減速材、冷却材を取り除き、燃料の反応を高めるために、燃料の密度を上げ(濃縮ウラン)、反射材タンパーで燃料の周囲を多い鏡で覆われたようにした球の形に作られます。
 高速増殖炉はそこでできるプルトニウムを抽出すれば、原発のコア原料が大量に得られます。それは公式上言われているエネルギー効率云々というよりも、原発を造れる能力を持つという政治的駆け引きの材料になるということで、もんじゅがあれほどの税金を投入してうまくいかないのに、なかなか廃止されなかったのは、日本の世界に向けてのデモンストレーションでもあったのかと思います。
 このように原爆の仕組みを理解し、ではどのようにしてそれを取り扱うのか(すでに世界には地球を何百回も破壊できるほどの原爆が存在する)を考えることは、それをどのように使わないようにするのかを観念でなく、プラグマティックに進めていくために必要だと感じました。

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2019年01月19日

痛みによる全人化

 麻酔科医外須美夫氏の「痛みの声を聴け」を読みました。
 麻酔科医として患者の痛みの声に日々触れ、それに深く共感し、そこからの解放を責務とされている氏は、痛みを苦痛として、マイナスの負の側面だけで捉えようとする現代社会の価値観に、現代人の痛みの形に疑問を呈します。
 患者の苦痛を知り、それに共感するからこそ、痛みの持つ力をもっと患者自身が気づいてほしいという願いがあります。
 そして氏は古今東西の痛みを表現する文学作品に触れ、それに感動することで、「もしかしたら、言葉によってこそ癒される痛みもあるのではないか」と思います。
 さらに痛みの持つ可能性。「すべての痛みから人間を遠ざけようとすることは、人間にとって貴重なものに気づく機会を奪ってしまうこともある。」
 なぜならば、痛みの存在は痛みを知覚体験するする人の中にしか存在しないからです。
「痛みはそれが体験されているときの状況に、すなわち、個人の感情的、あるいはより情緒的に、いや社会的あるいは精神的状態を含めて全人的状態に影響される。」
ということを痛みを訴える患者さんと日々接する中で氏は痛感します。
 西洋人にとって痛みは語源的「罪」に由来し、人間の罪に対する罰としての意味を含む伝統があります。それに対して、日本語では「いたし」というのは程度を表す意味があり、身体や事物や心が極端な状態を表すのに用いられてきました。それは
「痛みをただ心持の極端な状況として受け止め、不快ではあるが、罰や試練ではなく、生きて死ぬ円環運動の中に現れたへこみや突起として、ある状態を乗り越えることができる方法」として感がれられないかと氏はいいます。
 また、痛みは自然界において、他と共生するために必須の要素でもあると。
 蔓延する鎮痛剤とその濫用現象は、市場経済が痛みを巨大な利潤を生む商品に変えていった現象だと氏は捉えます。
 それは現代人が痛みをただ苦痛を与える現象であるとして一面的にしかとらえず、それを苦痛を与える「情報」のみに限定してしまい、痛みの持つ多面的な可能性に目とつむってしまっていることから来ると氏は考えます。
 「痛みが生むトレランス=寛容」それは痛む人自身を全人的に成長させ、他者との共生を可能にすると。
 痛みの深い意味を知りました。


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2019年01月18日

「痛みのない世界」

 麻酔科医外須美夫氏の「麻酔はなぜ効くのか」を読みました。
 患者の痛みに向き合ってきた麻酔科医として、「痛み」の持つ多面性ー身体的、精神的、社会的、霊的ーから、痛みの本質とは何かを問います。
 手術の際、患者の生命は麻酔科医の手に委ねられるのだと改めて認識しました。 
 麻酔科医は患者に麻酔をかけることで、患者に麻酔状態を作ります。麻酔状態とは、意識がなく、筋肉の動きを止め、呼吸や心臓の動きを止めるーまさに生命の営みを一時的に停止させることです。
 「麻酔薬を打たれれば、人は無防備になる。」
 麻酔科医とは、そのような全くの無防備な患者さんの命を預かり、注意深く見守りコントロールし、無事に生命のある世界へ復帰させる人なのだと改めて、麻酔科医の重責を知りました。
 19世紀に麻酔が本格的に始まって以来、痛みのない世界で手術を受けることができるようになりました。そうしてそれまでは助からなかった命を助けることができるようになりました。それは痛みを摂ることと、痛みをコントロールすることは同じではないということです。手術中の生命の安全をしっかりと確保したうえで、痛みととることができるようになってこそ、痛みをコントロールできるようになったと外氏は考えます。
 麻酔科医は、病気と闘う患者さんが眠っている間に、患者さんの代わりに覚醒して手術という侵襲から患者さんを防御する役目を持つと氏はいいます。それは手術室のスタッフをオーケストラと例えれば、指揮者を演じるようなものであり、私たちが考えるように外科医が主役ではなく、一演奏家の役割に過ぎないということを改めて知ります。
 「手術をうまく演じ切ることができるようにするのが、指揮者であり、麻酔科医の大切な仕事である。」
 そのような働きを持つ麻酔は「怖い」と麻酔科医である外氏はいいます。麻酔科医は手術中不安定な患者の身体状態を安定な状態で維持するために尽力し、それは常に生命の危機と向き合っているということです。それは無意識の世界で生きる患者さんのいのちの声を聴きとることでもあると氏はいいます。 
 「植物のように意識がなく意思表示ができなくても、生きているサインは出している。そのサインを大事にして私たちは麻酔をしているのである。」
 痛みが何であるのか知り尽くしたうえで、あえて氏は「痛みは生きるために必要な感覚である。」といいます。快適やを第一に追求する世界では、痛みは邪魔な悪者にされてしまう。
「痛みのない世界と引き換えに大切なものを失いつつある社会や文化がある。」
と、現代社会に蔓延する鎮痛剤濫用などの現象に警告します。
 「痛みのない世界とは、痛みがないのではなく、痛みが聞こえてこないだけ。」自身の痛みを知ることは、他人の痛みを知ることであり、そうすることによって他者に世界が開かれます。痛みは他者とつながるための媒介の役目もあります。
 私たちは、痛みの持つ多面的な意味を知ろうとせず、痛みに対し不感症になってしまっているのかも知れないと感じました。

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2019年01月17日

さみしさの理由ー「私を見て症候群」

 柿木隆介氏の「読むだけでさみしい心が落ち着く本」を読みました。
 現在日本人の誰の心の中に潜んでいる「私を見てーLOOK AT ME(LAMS)」という本能的欲求ーさみしさーに焦点を当て、その欲求が満たされないがゆえに引き起こされる様々な精神疾患をLAMS症候群として取り上げ、その治癒法を指南しています。
 さみしさに焦点を当てた精神治療。これは現代日本人にとって盲点のような気がします。
 柿木氏はLAMSは人がだれもが持つ本能的な欲求であり、ただ、その欲求が抑えられないくらい強くなったり、環境の変化によってその欲求に取りつかれてしまったときに、心が蝕まれていくと、その症候群発生の原因を指摘します。
 LAMSが心を蝕むのは、「さみしさ」や「孤独」が攻撃性をもっていることです。
 満たされないLAMS欲求は、やがて怒りという攻撃性を生み出し、その矛先が自分自身や身近な人に向かいます。前者であれば自己否定、後者であれば、LAMS欲求を素直に表しているやんちゃできかんぼうな言動をとる人に対して異様な嫌悪感を抱いたり、嵩じると身近な家族に対するDV行為などを生み出したりします。
 LAMS症候群の人は、愛されたいという自分の気持ちを隠しているために、それが満たされず、また、そのような自分が嫌でたまりません。「優しくて」、「性格のいい」、つまり「いい子」であるという対人的な仮面をつけているけれども、心の内ではそうではなく、それがまた自己嫌悪の気持ちを掻き立てます。
 LAMS症候群の根底にあるのは、過剰な報酬予測への期待です。普段は報酬予測が非常に小さいのに、それを抑えているがゆえに、何らかのきっかけによりそれが異常に大きくなる傾向があります。そして期待通りにいかなくなったときに、ショックによる落ち込みが想像以上になります。特にもっとも身近な立場にある両親や家族、友人や恋人に対して、過剰な報酬予測をする傾向があります。
 柿木氏は性格の三分類
1.個人型⇔集団型
2.閉鎖型⇔開放型
3.匿名型⇔自己顕示型
にわけて、それぞれの組み合わせ6通りに対応する現代人のLAMS症候群によって引き起こされる現象をあげています。
 LAMS症候群から抜け出すために
1.LAMSについて理解する
2.自分のさみしさから逃げず、その原因を考え、向き合う
3.自分を責めず「私を見て」という気持ちを素直に受け止める
の対策をあげています。
 この本を読んで自分がLAMS症候群であることを自覚しました。自分のさみしさを見つめなおそうと思いました。
 
 

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2019年01月16日

悩みに対する「脳科学的」対処法

 柿木隆介氏の「もうひと付き合いで悩まない技術」を読みました。
 ヒトの悩みのかなりの割合を占めるのは「人づき合い」です。だからそれが解消できれば多くの悩みから解放されるはずです。
 脳科学者である柿木氏は、様々な悩みは脳がストレスに対する反応として引き起こした現象であるととらえ、その機序を理解することにより、悩みとうまく付き合う方法を指南しています。
 そのコツは、怒りや悲しみといった感情は、脳の働きによるものだという理屈や理由を理解することです。脳は理由や理屈がわかると「納得できる」、「安心できる」、「満足できる」という非常に冷静で知的な機能をもっているからです。脳の仕組みを知ることで、適切に対処し、解消することができます。
 男女間の齟齬について。そもそも男女の感情処理の脳機能が異なるということを理解することが大切です。男は扁桃体が発達しているために情動的に反応し、女は海馬が発達しているので記憶力がいいので、過去に囚われがちです。お互いの脳のクセを知ることで理解しあえることが可能になります。
 嫁と姑は脳の機能から、絶対にうまくいかない関係であると柿木氏はいいます。
 姑にとって嫁は自分のテリトリーに侵入してきた異邦人であるので、初めから敵対意識をどうしてももってしまう。嫁は鼻からうまくいかない関係だと達観して、年上の人に対する敬意を示しながら適当に距離を置いて、俯瞰的な視点で姑に接することが嫁姑のバトルを発生させないコツであると氏はいいます。
 母と娘は遺伝子が似ているので、近親憎悪が生まれやすい。だから適度な距離感が必要だと。
 妬みの感情は脳の中では「怒り」の感情と同じの原始的でネガティブなものである。だからそれを消すことは難しいです。ただ、それによって自分のこころを知り、イヤな部分を見つめなおす機会だと捉えることで、嫉妬心に少しだけ客観的な距離を置くことができます。 
 怒りを抑えるコツ、不安の解消法、慢性痛に対する対処法など、脳の働きを理解して、様々なストレスを軽減するには、自分自身の脳を知り、それを手なずける地道な訓練が必要だと痛感しました。

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2019年01月15日

大人の発達障害とは何か

 上野一彦、市川宏伸氏の「大人のアスペルガー症候群」、中山和彦、小野和哉氏の「大人の発達障害」を読みました。
 従来自閉症と呼ばれていた症候群は、それらを同一の症状と捉えその表れの濃淡をスペクトラムとして包括的にとらえて症候別に分類されています。
 アスペルガー症候群・・・社会性の障害、想像性の障害
 高機能自閉症・・・社会性の障害、ことばの発達の遅れ
 発達性協調運動障害
 発達性言語障害
 ADHD(注意欠陥多動性症候群)
 LD(学習障害)
などです。
 LD(学習障害)とは、特定の学習能力の遅れが見られる症候群のことです。感覚器官から入ってきた情報は、脳で整理され(インプット)、しまい込んだ情報は必要に応じて引き出され、言葉をとおして表され(アウトプット)ます(認知)。
 LDはこの一連の流れがスムーズにいかないために、読み書きに困難を覚える症候群です。
 インプット障害は、脳の整理ダンスのどこかに不具合があるため、もしくは正しい情報を引き出せないために生じます。
 それは感覚器官の機能障害によって引き起こされ、読字障害(文字がスラスラ読めない)などの障害の形として現れます。
 読字障害は障害されている機能によって大きく二つに分類され、
 1.視覚性読み障害・・文字を追う眼球の運動がスムーズでないために文字を読み分けることができなかったり、どこを読んでいるのかわからなかったりする。
 2.音韻性読み障害・・・聴覚認知が弱いため、文字と音を結び付けられず、読み間違えなどが多くなる。
 また文字を正しく書けない症状は、視覚、音韻障害に加えて。ワーキングメモリー(動作中の短期記憶)がうまく作動しないことによって引き起こされます。
 算数(計算や推論)ができないLDは、聴覚記憶や短期記憶の能力が弱いため、計算が苦手で、視覚記憶が弱い場合は、暗算は得意でもひっ算の位上がりや図形問題が苦手になります。
 人の話が聞けないLDは、聴覚ワーキングメモリーに障害があるために、まわりの音がいっぺんに入ってきて、音をことばとして聞き取ることが困難です。またワーキングメモリーがうまく働かないため、聞いたことをすぐ忘れてしまいます。また、文字や記号、図形の理解が困難な症状もあります。
 ADSHは不注意型、多動・衝動性などの症状の混合型が最も多く、遺伝的影響による脳の機能的な障害ー前頭葉が小さく血流量が少ない、行動や運動の調整部位である尾状核が小さい、前頭前野のドーパミンの量が少ないなど、様々な要因から生じます。
 発達障害が遺伝的要因の強い障害であり、その実態を深く理解し、それを障害の濃淡として(スペクトラム)捉えることにより、障害全か無かではない、誰もが有する可能性のあるものの濃淡と捉え、正その対策を考えることが可能になると感じました。

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2019年01月14日

心の黒板ーワーキングメモリー

 あう阪満里子氏の「もの忘れの脳科学」を読みました。
 もの忘れが日常生活で問題となるのは、単なる単語を呼び起こせないことではなく、行動する間にその目標を忘れてしまうことに起因します。私たちは行動している最中に、これからの行動に必要な内容を一時的にこころの中にとどめておきながら行動しています。その記憶力のことをワーキングメモリーといいますが、私たちが普段経験する「もの忘れ」は実はワーキングメモリーがうまく働かないことによって引き起こされます。
 記憶は実は今から始める行動にとって必要なのです。
 必要な情報は「活性化された情報」として保持しておかなければなりません。ワーキングメモリーの作業は、一時的に行動に必要な情報を活性化し、保持し、という、行動をしながら記憶するという並列の作業が脳で行われているということです。
 ワーキングメモリーが特に必要とされるのは読書です。
 私たちは読書するときに、その瞬間読んでいる単語の意味を考えながら、文章全体の文脈を参照しながら読み続けます。それができないと、内容の理解が不十分になります。
 この能力が劣るということは、内容の理解に関わらない単語など多くの内容をそのまま理解してしまうことによって引き起こされます。覚えることにワーキングメモリーを消費することで、内容理解が不十分になります。
 ワーキングメモリーが働く際、言語的短期記憶もしくは視覚・空間的短期記憶を、中央実行系と呼ばれる(前頭前野背側部+前部帯状回)部分がそれをコントロールし、短期記憶を長期記憶へと移行させる働きをします。
 ワーキングメモリーがうまく働かなることは、この中央実行系の働きである、注意を向ける、調整がうまくいかなくなることで、この働きは年齢と共に衰え、高齢者の認知症の原因となります。
 またこどもの知的発達にもこのワーキングメモリーの発達が重要です。
 ワーキングメモリーを鍛えるためには、会話や読書が有効だということで、もともとワーキングメモリーの機能が悪い私は年と共に益々ワーキングメモリーの衰えが進むと思われるので、鍛えていこうと思いました。

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2019年01月13日

「参加」がキーワードー「縮充」を実現するために

 コミュニケーションデザイナー山崎亮氏の「縮充する日本」を読みました。
 「縮充」とは山崎氏の造語で、縮みながら充実させて、質感が良く、暖かい地域社会をつくる、いわば「少数先鋭化」の未来社会の実現を市民自ら模索する運動のことです。
 コミュニケーションデザイナーの仕事は、地域の課題を解決するために、住民自らが主体となって取り組む運動をファシリテートする役割をします。
 当事者とは別の包括的な視点を持つ存在として、しかしながらその活動の輪の中に入り、彼らの意見を引き出したり、問題のありかを明確にし、それにどう取り組むかの方向性を指し示す役割です。
 2008年を境に人口が減少し始めた日本は、少子高齢化が加速し、どんどん社会全体が縮小していくのは動かしがたい社会動向です。それは今までのように人口増加を前提とした発展社会を想定した社会システムではやっていけない時代になってきているということです。
 それがすでに現実となってきているのは地方社会です。山崎氏らのグループは、少子高齢化、人口減少が地域社会の問題となっている地域に飛び込み、地域の課題を見つけ出し、そして地域住民自ら自主的にその課題に取り組むためのワークショップを主宰しています。
 その際のキーワードが「参加」と「楽しさ」です。
 地域の問題をその当事者である住民自ら課題として自覚し、彼らの力で地域をどうにかして変えていくためには、今までのような行政に頼って、「やってもらう」姿勢では解決できません。ワークショップという形でまるで祭りのようにワイワイ人々が意見を交わし合い、その揺籃の中で、新しい自由な発想が生まれ、それを地域オリジナルな形で実現していく。
 コミュニケーションデザイナーは触媒として地域住民の活性化を促すために、様々な工夫をこらしています。
 それは何より、参加=自主性を促すことです。そのためには参加すること自体が楽しくなければならない。その楽しさが積極性を引き出し、住民を「市民」へと成熟させていく原動力になることを、山崎氏らは実際の地域における活動で実感しているようです。
 悲観的なニュースばかりを耳にし、社会に閉塞感が漂っている中、変革は自ら興し、未来を変えていくことができるのだという可能性を指し示してくれたように感じます。

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2019年01月12日

考え方や行動に根拠を持つー悩みからの脱却

 柿木隆介氏の「どうでもいいことで悩まない術」を読んでの続き。
 脳に関する知識が増えていくと確実に考え方や行動に変化が生じます。それは短絡的にある種の言動や考え方が脳へ影響を与え、期待するような結果を生み出すというのではなく、今までどうしてなのかわからず、どうしようもなく、「それ」に支配されていた状況への理由が、脳という作用によって引き起こされた結果なのだという納得感が、安心につながるからです。脳は複雑なシステムであり、それを所有する自らもそれを完全にコントロールすることは不可能です。(それができたらロボットになってしまいます)。
 しかしコントロールできなくても、そのシステムのしくみを知ることで、それを「手なずける」、少なくとも自らの脳の暴走に振り回されないほどの対処法を獲得することは、絶え間ない訓練(柿木氏が提唱する繰り返し行為が有効)によって、脳神経の配線を少しずつ変えていく効果もあって、可能だと実感しています。
 自称脳オタクとして、脳のことを知れば知るほど、生きることが楽になってきます。
 柿木氏の提唱する脳を「手なずける」方法は、どれも脳という、やっかいなそれでいて、100コントロールが不可能というのではない自分の中の他者への対処法として納得いくものばかりです。
 まずは敵を知れ!です。
 脳はとにかく自分に都合のいいように自分自身を「騙し」がちです。脳に騙されてはいけません。そのような脳に対する対処法は、適切な距離を置く(自分の脳なのにそれができるのか?)ことです。
 それは脳のクセを理解し、脳の働きを客観的に眺める視点ー脳が生み出すイリュージョンから自由になり、事実を事実としてありのままに受け入れる客観性を訓練することで、脳との適切な距離感を持つことができ、物事に冷静に対処することが身に着けます。
 物事をありのままに見えなくしているのは、脳が過去の記憶を再構成して、マイナスの体験を恐怖の情動として記憶しているためです。同じような体験に遭遇した時、脳は自動的にそれをストレスと感じ取り、「ああ、イヤだな」とか「辛いな」と感じてしまうのですが、それにこだわらず、それを放置し、逃避するのではなく、進んで対処していくこと。そうすれば、「案ずるより産むがやすし」で、意外にできるもので、その成功体験を積み重ねていくことで成長の栄養にすることができると柿木氏はいいます。
 ストレスの中でも最大のものは「時間の制約」です。それに対処するためには、面倒と思わないために、
1.作業や仕事が得意な人、あるいは大好きな人の話を聞いたり、観察して、面倒だと思ったことにも実は面白いことや意外性や興味深いことがあることをつかむこと。それらの人の「とりあえずマネ」をすることで、徐々にではあるが達成感が生まれて、周囲から褒められたり、結果が出たりする。そうすると、「こうすればいいことが起きる」ということが経験的にわかってくるようになります。
2。一つの作業をいくつか段階的に分けて、目の前のことに集中してこなしていくと達成感が味わえるようになる。
 ストレスを「解消」するのではなく、それを喜びの形に変えていく。そのためには、できる人のマネや細切れ方法など、脳を手なずける工夫を凝らして、不安や恐怖や苦痛であったはずのストレスを、それを乗り越え、人生の成長を促す起爆剤として利用できるようにすることだと教えられました。

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2019年01月11日

脳を手なずける方法

 脳科学者柿木隆介氏の「どうでもいいことで、悩まない技術」を読みました。
 精神科医としての臨床経験と、脳科学者としての研究で解明したことを踏まえて、「等身大」の脳の働きを理解して、脳の本来のパフォーマンス能力を妨げている「悩み」の対処法を指南しています。
 悩まない方法の基本は、脳に納得させることです。
 「人間の脳というのは、理由や理屈がわかると『納得できる』、『安心できる』、『満足できる』という非常に冷静で知的な機能を持っている。」
 そしてそのような機能を十分に発揮できるようにするためには、日々の習慣によって脳のクセを変えていくことがコツです。
 イヤなことを思い出さないようにするためには
1.もっと強烈な記憶を上書きする。
2.意識をまったく別のところに置く。
 「割り切れない」気持ちというのは、前頭葉が不安や怒りなどといった大脳辺縁系への働きを何とか抑制しているものの、その脳活動に無理があり心が軋んでいる状態です。そこから抜け出すためには、脳のミラーニューロンの働きを積極的に利用して、「割り切れている人」のマネを積極的にしていくことです。
 もしくは、イヤな気持ちに引きずられないように、自主的に環境をかえ、付き合う人を変えたり、習慣を変えていくことで徐々に改善させていくことです。大事なのは「そんなの無理!」と思わず、ちょっと行動や環境を変えてみることです。
 また、お説教や愚痴には快感があり、それにハマると中毒性があるため、依存症になります。お説教、愚痴の依存症になると、「お説教のタネ」、「愚痴のタネ」を常に探しながらネガティブな目線で物事を見ていくようになります。もしそういう悪循環に陥ってしまっていることを自覚したならば(自覚することが難しいので、お説教臭い人、愚痴っぽい人は結構いるのですが)、自分がストレスを受けていること、それに対して愚痴をいうことで快感を得ていることに注目して、それに目を向けがちなクセを治していくことです。
 怒りの対処法としては怒りを感じる出来事に遭遇した時、まず3〜5秒時間を置くことです。前頭葉が怒りを抑えるのにそれぐらいかかるからです。この時間をうまく稼ぐ一番いい方法は、深呼吸です。深呼吸によって横隔膜が刺激されて、交感神経と副交感神経のバランスがとれるようになります。
 また怒り以外のことに意識を移すことも有効です。
 さらに怒ったときに自分のモチベーションを高めてくれたり、情けない、恥ずかしいと思うような気持ちを刺激して抑制する言葉を自分に投げかけたり、あるいは「脳が勝手に怒っているだけだ」と他人のように考えることです。
 もっとも効果があるのは、人間にとって褒められるのは快感であるため、怒りを鎮めることに成功すれば、「偉い!」、「すごい!」「さすがだなあ!」などと、自分を褒めることで、成功体験を長期記憶に貯蔵させていくことです。
 今度怒ったときに実行してみよう。
 つづく。

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