東日本の視察の事を書かなくてはと思いながら
2カ月・・・・・・・・・・・
被災地の様子は、・・・言葉もない

釜石は、建物が残っていたが、赤い旗(解体)が
いたるところに立っていた。

陸前高田は、ほとんど何もなかった。
地形の違いで、様子はまったく違っていた。

そして、痛感したことは、広い・とにかく広い
ボランティアの方々が多く入っておられるが
広すぎて、どこにおられるかわからない。
1時間、車で走っても、まだ、陸前高田なのです。
私は岩手県しか行っていないけど
1日中、車で走っても、視察できたのは数ヶ所。
これは、大変な広さだと、悲しく実感しました。

いろいろな想いは、まだ整理がつかない。

仮設住宅を訪問した。
バリアフリー等改善されていたが
プレハブ住宅の暑さ・寒さ対策は、後手にまわっている。
2年〜3年の期限付きとはいえ、とても不自由な住宅だ。
また、浄化槽が住宅の目の前にむきだしで
臭いへの配慮もない
通路に砂利をあとで敷いたため
床下に水が溜まり、ハエや蚊の発生源となっている

600万円かけるなら、仮設ではなく、永住できる建物を
と思った。
気付いた人は多く、木造やコンテナの工夫で建てている
住宅があり、雑誌などで取り上げられている。
そうだよねーと思う。数は少ないけれどね。

都市計画が今議論されているけど、
長年、徐々に形成されてきた街、人々の繋がりを
短時間で再現できるものではないだろう

いろいろな議論があるだろう
住人の立場で・そして建築に携わる人は
その人の立場で、街の将来を描いて欲しい

時間はかかるだろう・・・でもその多くの時間が
新しい街を作っていくのに、一番必要な気がする

私は、学校の授業で、現状を伝える
九州は、東日本からは距離がある
しかし、建築に携わる者として、今回の災害を
しっかり、心に刻み、伝えていこうと思う。