April 22, 2007
お茶作りと多国籍ビジネスプランの日曜日
今日はマイミクのマイライ女神様の関係で、福岡県と熊本県の県境、岳間(たけま)地方に行って、茶摘をしてきた。と言っても今日は雨が降っていて、実際の茶摘はできず、その代わり農園主に早朝に摘んでもらっていたフレッシュなお茶の葉を使って煎茶に仕上げた。
手早く蒸した茶葉を、下からガスで暖めたお盆の上に置き、微妙な手加減で揉みながら、4時間かけてお茶を仕上げた。出来たものを皆で試飲したが、鮮やかな萌黄色が目に快く、口に含めば玉露かと思うくらいのまろやかさと甘み、それに旨味もある。
しかもここのお茶は無農薬有機栽培のお茶なので、正真正銘の体にとてもいいお茶だ。
マレーシアでも最近は日本の緑茶がガンの予防などにいいと評判だが、無農薬と明示してないものは、十中八九通常の栽培方法、つまり農薬をたっぷり使って出来たお茶で、それは「農薬ジュース」を飲んでいるようなものだ。
それでこの岳間茶をマレーシアでも広めたらどうかと思うが、生産量に限りがあるうえ九州でも人気が高く、輸出用に十分な量が確保できるかどうか微妙なところだ。
岳間茶の詳しい説明は、以下のサイトをどうぞ。
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午後2時半まで製茶場にいて、それから博多に行き、日曜の夕方恒例の「多国籍クラブ」 StreamLogic Fukuoka (SLF)のミーティングに出席した。1週間前に行ったスイス映画「砂漠の風」の試写会で得たアンケート結果について皆で話し合い、さらに今後SLFで取り組むいくつかの「ビジネスの卵」について、ブレーンストーミングをした。時代の趨勢に合ったニュービジネスが立ち上がりそう。
April 18, 2007
誰でも癒しを求めている?
昨日の長崎市長の殺害はショックだった。広島市長とともに国際的な場で平和と核廃絶を訴えておられた方だけに、このような亡くなり方をされてとても残念だ。
長崎は、原爆を始めこれまでもさまざまな災いが起こってきたが、何か深い因縁関係があるんだろうか。キリスト教色が強い町だからなのか、日本社会に広がる病とその結果を身代わりに背負うということもあるのかもしれない。
私が暮らしていた1980年代の日本と比べると、この頃の日本は明らかに違う。まるで walking dictionary (生き字引)ならぬ walking bomb (歩く爆弾)のような人間にあちこちでお目にかかる。ちょっとした小さなきっかけで爆発するようで、この国は外に出るのがかなり物騒になったと思う。
電車に乗るたびに、突然奇声を発したり、怒鳴ったりその他奇妙な振る舞いをする人物と遭遇する。先日は、列車内で、携帯メールを打っていた女性に対し、「列車の中で携帯を使うとは何事か」としつこくイチャモンをつける男がいた。
また日曜日の試写会の後の「多国籍クラブ」の打ち上げで行った博多の「和民」では、初老のお客が突然烈火のごとく怒り出して、店長以下従業員一同が土下座のようにして謝っていた。
これら walking bomb たちは今の社会のストレスをもろにかぶっているのだろう。耐え切れなくなって自爆テロみたいに爆発して、近くの人たちが被害者になる。こうやってストレスが拡大再生産されるのだろうか。
こんな状態から一時的に逃れて癒されるために、東京の人たちは九州に、日本人たちは海外に旅行に出るんだろう。
しかし、そんな日本が欧米人にとっては、前回の日記で書いたように、またとない癒しの場所でもあるらしい。
April 16, 2007
試写会のあとの文化論
昨日は、前にも書いたスイス映画「砂漠の風」
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の試写会を博多で行った。映画の後、参加者にアンケートを書いてもらい、さらに有志参加で近くの喫茶店で懇談会をした。
アンケートからこの映画を日本でプロモートするかどうか決めるつもりだが、参加者からは、「英語の字幕を読むのに精一杯で、内容をあまり理解できなかった」という声が目立った。また、内容自体も今の日本では重過ぎるのではないかという意見もあった。
アンケートの内容分析はまだ行っていないが、参加者の声から予備判断すると、この映画は少なくとも今の日本の若い人たちには不向き、狙うとすると「団塊の世代」を中心とする人々ということになるのではないかと思う。
この世代はこれまで重ねてきた人生経験を振り返る時期に来ているだろうし、仕事や職場の縛りから自由になった一個人としてこの映画を観て、そこから得られるところが多いのではないかと思う。
懇談会が終わって、私たちの「多国籍グループ」(名前を、StreamLogic Fukuoka と言います)は近くの居食屋「和民」に移動して打ち上げを行った(和民へ行くのはグループのメンバーの各自も昨日が初めて)。
スイス人、カナダ人、それに日本人2人(スペイン人は他の用事で来なかった)の4名が、試写会の反省会はそっちのけでいろんな話をした。ただし、試写会の映画の内容が、ヨーロッパ社会の「男性性」についてだったことの裏返しなのか、各国の「女性性」の話にもなった。
スイスとカナダでは、このところ女性が男性化してきているとのこと。男女平等はいいけど、男女の区別もなくなってきていて、女性が男性と同じことをするようになったらしい。
それに対して日本は、まだ女性らしさが健在なのが魅力なのだそうだ。キュートな女性のいでたち。女性モデルが登場する広告。そんな広告をスイスやカナダで掲載すると、女性からの抗議が殺到するだろうと言う。さらに、女性が男性に合わせること(男性の顔を立てること)、家庭を守り子育てをする女性。「子供を生む機械」と発言しても政治生命を絶たれない政治家など(tongue in cheek!)。
そんな違いの背後に何があるのかをいろいろ議論しあったが、合意した結論は、日本はセンシュアル(sensual)な社会だということだ(これを「官能的」と訳せばポルノ的になるので、もっと広い意味を込めてそのままセンシュアルとしておく)。
センシュアリティが日本社会のすみずみまで浸透している。それは和服姿の女性、彼女らの化粧のしかた、八百万の神々、武術の型、日本人の丁寧さと細やかさ、ポストモダンの没価値の花盛りと混沌に反映している。
面白いことに、彼らと私とではセンシュアルなことへの評価が正反対だった。
私にとってみれば、センシュアルなものは低い価値のもの。これが支配しているのが今の日本社会であり、そのため、より高い諸価値(=合理性や論理的思考さらにその上の知恵など)へと人間の心が昇っていくのが妨げられている。その意味で日本社会の現状はとても抑圧的だと私は思っている。
一方、スイス・カナダ勢は、センシュアルな日本をポジティブに評価している。
スイス人のSは、五感の対象をそのまま受け入れるほうが善悪やロジックを強調する伝統的な欧米の立場にくらべずっと現実的だと言う。全て管理され、消毒された病院のようなスイスになど、1ヶ月住むのもごめんだそうだ。そんなSにとって、地上天国は大阪ではないかという。大阪は日本のいいところに加え、人間がオープンで率直で、好奇心旺盛しかもスピーディ。それに比べ福岡は、どこかスイスに似ているそうだ。
April 15, 2007
温家宝首相の来日と九州の未来
温家宝首相の来日は、日本と中国の関係を進めるためにとてもよかったと思う。
国会演説にもあったように両国の交流の歴史は長い。世界一長い友好の歴史だといわれると、本当にそうだなと思う。近年は、日本と日本人は、近代中国の父、孫文の運動にも大きく貢献したこともある。
今の日本人が中国のことを考えるとき、ポジとネガの相反する思いがよぎるんだろうが、どんな人や国とでもいい関係を作るには、相手のポジに目を向けるべきだと思う。
私にとって中国へのポジとして、漢詩がある。かつて杜甫に熱中して、岩波文庫の『杜詩』全8冊(だったと思う)を読了したほどだ。杜甫の自然描写は色鮮やかでとても美しいが、特にその人間愛には深く感動する。時と所を超えた普遍的なものを感じる。
私にとって中国は杜甫を生んだ国であり、現政権がどのようなものであろうとこの国への基本スタンスは変わらない。
それで温首相の今回の来日で、このところ改善の兆しが見えてきた日中関係が大きく前に踏み出したのは、私にとってとても喜ばしいことだ。
日本と中国の「戦略的互恵関係」にとって今ほどいいタイミングの時はないのではないか。中国の大問題の1つ環境問題の解決に、日本がその環境技術と省エネ技術で大きく貢献できることは明らかだ。省エネ技術で中国の自然資源への需要が緩和されれば、世界の平和に直接貢献する。また、中国からの西風をまともに受ける九州にとって、中国の大気がきれいになることはとてもありがたい。
さらに、環境問題への草の根の協力を通じて、中国の民主化にも貢献できるかもしれない。中国には環境NGOが2700余りあり、これらの専任スタッフが約7万人、兼職が16万人、参加したボランティア数は伸べにして約860万人で、今の中国の国内状況は反公害や環境関連の市民運動が盛り上がった日本の1970年代の状況によく似ているそうだ。
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とすると、中国の民主主義は、日本の70年代と同じく、中央レベルからではなく草の根レベルから進展するのではないかと思う。
中国の市民社会と連帯、協働すること、特に環境や開発関連の社会紛争を解決するための中国市民社会の能力を高める支援をすること・・・これらを通じて私たちが、中国の民主化を草の根レベルから進めるお手伝いをすることができるのではないか。
特に、70年代の日本の市民運動を担った人たち(その中には団塊の世代も多数いたはず)が培ったノウハウが役に立つのではないかと思う。
それから九州にとって、中国とさらに仲良くなることは切実な意味をもつ。九州が道州制実施の先駆的モデル地区になったことにより、九州経済が「支店経済」から脱して、自立・自律することが緊急の課題になった。それには、中国大陸の六大経済ブロック(東北三省、北京・天津回廊、山東半島、長江デルタ、福建省、珠江デルタ)のそれぞれと緊密な関係を結ぶしか道はないだろう(朝鮮半島とも同様)。
これらの地域から九州に大量の投資を呼び込み、また元気で優秀な人々に沢山来てもらう必要がある。この動きはすでに始まっていて、今後加速するだろう。
アジアと緊密につながる多民族・多文化共生の九州…これはアジア共同体を草の根から積み上げていく上でのモデルになると思う。
April 10, 2007
地球温暖化への懸念への懸念
今日の西日本新聞の社説には、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第二作業部会が最近出した報告書を読んで感じた地球環境への懸念が書かれている。この報告書が描く未来予測からは、これからの地球の破局的なシナリオが浮かび上がってくる。折りしも、米国の元副大統領アル・ゴア氏による映画「不都合な真実」が、日本を含め世界的に大きな反響を起こしている。
もちろん、地球温暖化に対し敏感になることは、環境意識を高める上でいいことだと思う。しかし、今繰り広げられている温暖化防止への世界的キャンペーンには懸念を感じる。
その懸念には2つある。
その一つは、原発の推進という目標があって、その目標達成のために温暖化の問題が政治的に使われているのかもしれないということ。実際、このところ日米の政府と財界が強力な原発セクターを形成して、東南アジアに原発を作らせようと、猛烈な攻勢をかけている。インドネシアはすでにその軍門にくだった。
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マレーシアでも、同国政府がこの原発セクターの強い圧力の下にあることを伺わせる記事をローカルの新聞で最近よく見かける。
私としては、東南アジアという楽園を原発によって台無しにして欲しくはない。原発に比べれば、水力発電の方が、環境上・社会上のいろいろな問題はあるが、まあ lesser evil (比較的ましな悪)として、まだずっとましだと思う。
原発の環境に及ぼす害悪のことはここで繰り返さないが、もう一つ、原発で疑問に思うことは、これが本当に地球温暖化を食い止める発電方法なのかということだ。私が知っている限り、原発は形を変えた石油発電に過ぎない。つまり、ウラン鉱の採掘、運搬、そして核燃料化するプロセス、それにもちろん原発の建設、稼動、維持管理など、莫大な石油の消費がそこに隠されていたはずだ。石油を消費すれば、当然、温室効果ガスが発生する。
このことはもう、20年以上前から地球資源物理学者の槌田 敦さんなどが指摘していたことだが、これに対して原発推進側はどう答えているのか。私はこの間海外にいたこともあり、そのへんの事情を知らない(知っている方は教えてください)。
「温暖化への懸念」への懸念のもう一つは、本当に地球は温暖化するのかということだ。IPCCが集めたデータでは温暖化が進んでいるように見える。しかし、地球は温暖化ではなく、寒冷化に向かっているという人もいる。それは、地球惑星科学の日本が生んだ鬼才とも言うべき丸山茂徳東工大教授だ(詳しくは以下のサイトをご覧ください)。
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丸山教授は、地球の長い歴史から見たら今は氷河期と氷河期の間の間氷期であり、過去の比較的規則正しいサイクルから判断したら、いつ氷河期に突入してもおかしくない時期に来ていると言っている(IPCCの科学者たちがやっているシミュレーションは、扱う変数の数が多すぎて、地球環境という複雑な現象の今後を予測することは不可能だそうだ)。
また、地球が比較的温暖でいられるのは、マントル層から地表にせり出す地殻プレートが地球内部から運ぶ熱のせいだそうで、このプレートが地表にせり出す速さがこのところ低下しているとのことだ。ということは、地球内部からの熱の供給が少なくなっていることを意味している。
これまでの環境論者の考えでは、地球が生物にとって快適な環境を維持し続けているのは、太陽から地球に入る熱エネルギーと、地球から宇宙に輻射熱として放出されるエネルギーの間にバランスがとれているからだと言われているが、この考えには地殻プレートが地表にもたらす熱のことは考えられておらず、今から思えば不完全な理論だと思う。
丸山教授によれば、地球温暖化のほうが地球寒冷化よりもずっと良いそうだ。前者のもとでは、生態系が豊かになり、緑や森が広がり、食料も十分にあるが、後者のもとではその逆だそうで、実際人類の歴史で何度か起こった寒冷期には、食料その他の資源を求めての民族大移動やその結果としての戦争や軋轢が起こっているとのこと。
同教授の考え方に従うと、化石燃料消費の結果としての温室効果は、もしそれが本当に起こるなら、地球寒冷化のマイナスの結果を緩和することになり、むしろ歓迎すべきことになる。
丸山教授の考え方が正しいかどうか私にはわからない。しかし、地球の気候変動とその結果予測に二つの相反する説があるにも関わらず、世は挙げて地球温暖化とそのネガティブな結果についての大合唱というのは片手落ちではないか。二つの立場の間の対話が必要だと思うが、特に地球寒冷化説の有力な提唱者がいる日本でこのことが起こっていないのはどうしたものか。この説を事実上無視してきたマスコミには大きな責任があると思う。
この辺のこと、私としては国際政治学+ジャーナリズムの観点でもっといろいろ調べて、本にしたら面白いと思うが、目前の仕事にかまけてそれをする時間も金もないのが残念(どなたか、このリサーチのスポンサーになって下さる方はいません?)
April 07, 2007
日本の散髪屋さんもイノベーションが進んでいる
昨日は福岡に行ったついでに、理髪店「QBハウス」に行ってきた。ここは10分間で1000円で散髪してくれることをウリにして全国的にチェーンを展開しているよし。
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仕事の約束の時間までまだ30分以上あったので、博多駅の筑紫口2階、新幹線乗り場の近くにあるこの店に行ってきた。
ちょうど開いている席があったのですぐに散髪が始まった。私にとってこれが日本に戻ってきて最初の散髪だ。
この店がコスト削減に力を入れていることは明らか。販売機から利用券を買うしくみなので、終わってお金の受け渡しとかつり銭もらうとかの手間がない(レジがいらない)。ただ髪を切るだけのサービスらしく、洗髪用のボールがなく、この頃一般的になったコーヒーのサービスもなくいわゆる non-frill のサービスに特化している。
なのに髪の切り方がとて丁寧だ。マレーシアのまるでウォク(中華なべ)でもやしを炒めているような散髪の仕方に慣れている私にとって、髪の小束を一つづつ切りそろえるような感じで、えらく丁寧にやってくれた。これでは時間内で終わらないかと思っていたら、最後はちゃんと10分で終わってくれたところは見事。
場所がまた、忙しい駅の構内にあるところもユニークではなかろうか。仕事の帰りとか昼休みに簡単に入れ、すぐに終わるのなんかとても便利だと思う。1人10分で終わり、しかも場所のせいか客もかなり次々と入ってくるので、こんなに安くやっても採算が合うんだろうと思う。
日本はどこもかしこも生き残りをかけてイノベーションが進行中のようだ。浦島太郎の自分など、そんな場面に出くわしていちいち感心している。
マレーシアでもイノベーションは進んでいるが、どこか違う。
例えば、下の子が行っている幼稚園では(特別な幼稚園ではなく、普通のもの)、Eラーニングを効果的に使っている。
ただ、床屋さんに関していえば、その多くは昔ながらのインド人の店だ。頼めば、髪を切る以外に洗髪、髭剃りなどいろいろやってくれる。しかも散髪だけの場合、8リンギから10リンギ(270円〜340円)くらいと、日本の1000円理髪店の3分の1くらい。
何やかや言っても、やはりマレーシアは暮らしやすいところだと思う。
April 03, 2007
スイス映画『砂漠の風』
最近、『砂漠の風』というスイス映画に関わっている。どういう風に関わっているかというと、この映画の試写会を博多中洲の映画館で行おうということ。
先日書いた福岡とその近辺に住むスイス人、カナダ人、スペイン人、日本人からなるグループによるプロジェクトだ(このグループ、StreamLogic Fukuoka という。なかなか深い意味をもつ名前だ)。
ことの起こりは、この映画のDVDをスイス人のSがグループに持ち込んで皆でそれを見たこと。その内容にとても感動した。テーマは、西欧社会で生きる男たちの内面の問題にどう折り合いをつけるかということだ。できあがったばかりの試写会のリーフレットから映画のあらすじと背景を以下に転載する。
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*あらすじ
13名の見知らぬ男同士がサハラ砂漠のヘリに集まった。年齢も職業も社会的な背景も違う彼らは、スイス、カナダのケベック、ベルギー、フランスなど世界の各地から参加していた。集まった目的は一緒に15日間の砂漠の旅をすること。そして、聞こえてくる内なる声に耳を傾けること。それは、各人がそれまでの人生のなかで密かに抱いていた問題に直面することでもある。それらは、家族の関係、父としての役割、母親を始め女性との関わり方、父との関係、男らしさについてなどであり、そこには不安、怒りそして悲しみが隠されていた。砂漠という非日常の環境のなかで、これらが浮上し、彼らはお互い当惑しながらもこれらに直面し、励ましあい、学び、変わっていく。
*背景
西欧社会では、今日、フェミニズムの進展により、女性的な価値観がかなりの程度浸透するようになった。それでも、男たちの日常生活には、競争、権力、暴力という男性的な価値観があいかわらず幅を利かせている。その結果、このような価値観が命令する「こうあるべき自分」と「本当の自分」との間に乖離が続いている。男たちは自分の感情をそのまま表出できないし、お互い親密な関係をもつこともできない。これが西欧社会に住む男たちの共通の問題として浮かび上がってくる。
(↑リーフレットからの転載はここまで)
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ある意味で、西欧社会における男同士の関係は、日本でのそれよりも不毛なのかもしれない。日本では、「裸の付き合い」とか「腹を割って」とかいう表現に現れるような親密な付き合いが男同士の間で生まれることは普通のことだと思う。しかし、西欧社会では、競争や力関係などのため、そう簡単にいかないらしい。
小さい頃受けた心のトラウマ、自分の弱さ、恐れ、不安など、男たちの大半は多くの問題を心の中に抱いているが、これらをお互い見せ合い、解決を探るという具合にはならない。
女性に対しては、親密な関係のなかでそのようなものをさらけ出すことができるが、そうすること自体が、その女性との間にさまざまなトラブルを引き起こすことにもつながる。
結局、西欧社会に住む男たちは解放を必要としているのだろう。女性解放は進んだが、男性解放はまだ始まっていない。
そう言うなら、日本でも男性解放が必要ではないかと思う。
それは一言で言えば、企業戦士であることからの解放なんだろう。実際、リストラそれに「若い男性の女性化」が進展していることもあり、企業戦士の数は減ってきているようだが、そのメンタリティーは少なくとも企業内では相変わらず健在だと思う。
このように見ると、男性解放と言っても日本と西欧社会ではその内容に違いがありそうだ。この違いが表面的なものなのか、それとも本質的なものなのか、私にはまだはっきりわからない。
いずれにしても『砂漠の風』は、社会における男性というジェンダー(=社会的な性)について観る人を深い思索に誘ってくれる映画だ。男として生きることについてさまざまな問題を提起してくれる。男性はもちろん、女性にとっても得る所が大きいと思う。特に、登場人物の一人が自分を苦しめていた問題から解放されるときの姿は、涙を誘う。
福岡近辺に住む方は試写会に来ませんか?
*場所は、博多中洲の「中洲大洋映画劇場」。
*日時は、来る4月15日(日)午後3時から5時まで。
*観覧料は一人500円(飲み物とポップコーン付き)。
*経費を除いた残りはユニセフに寄付します。
*映画内の会話はフランス語ですが、英語の字幕がついています。
試写会に興味がある方は、私までメッセージをお送りください。メッセージのなかにメールアドレスを書いていただければ、リーフレットのFDPファイルをお送りします。
April 02, 2007
日本人は、外敵によってではなく呆食で滅びるかもしれない
先日、マイミクで協働者のマイライ女神様のサロンに久しぶりに「九州・マレーシア5人組」のうちの4人が集まって話をしていたが、女神様と松茸先生が最近参加した食の安全に関する講演会の話になった。
講演会では、今の典型的な大学生の食べ方では(これを呆食というそうだ)、10年後には彼ら彼女らの全員が深刻な病気になっていると講師の方が断言したそうで驚く。
講師は地元紙の記者で、自分自身と奥さんが(多分)呆食のたたりで、深刻な病気をもっており、講演からは自分の命を削ってまでも今の日本人を取り囲む食の状況の深刻さを伝えたいという気迫が伝わってきたとのことだった。
この話が気になって、この地元紙が出版している食に関するブックレットを取り寄せて読んでみた。
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このブックレットは、新聞紙上に連載された特集記事やシンポジウムの報告などからなっているが、空恐ろしいことが書いてある。
その例をいくつか・・・。
あるスーパーから特売用の肉団子を開発するようにある商社が頼まれて、どうしたかというと、
「普通のミンチは使えないから、牛の骨部分についている肉を削り取った端肉(はにく)をもとに、大豆たんぱく(人造肉)で増量し、欠ける風味は香料(フレーバー)で補う。次に歯触りを滑らかにする加工でんぷんや油を加えるが、それと引き換えに失う粘りは結着剤でカバー。油をなじませる乳化剤、色あせを防ぐ酸化防止剤、さらに着色料、保存料、肉エキス、うま味調味料・・・。肉団子にからめるソースは氷酢酸やグルタミン酸ソーダなどで、ケチャップはトマトペーストや酸味料などでこしらえ、真空パックで加熱殺菌。国が認めたものではあるものの、二十種以上の添加物を使い、子供が喜ぶ味(軟らかくて味が濃く、三口でのみ込める)で、常温保存が利く商品に仕上げる。」(5ページ)
この商品を開発した商社マンは後に、この肉団子を美味しいと言って食べるわが子に衝撃を受け、会社を辞めた。(6ページ)
「あなたがコーヒーに入れた小カップのミルク。植物油に添加物を加えて白く乳化させたものかも知れません。」(5ページ)
賞味期限が切れたあるコンビ二の弁当やおにぎりなどを豚に与えていたら、死産や奇形児、虚弱体質ですぐ死ぬ子豚の出産が相次いだ。「透明なはずの羊水はコーヒー色に濁っていた。」(10ページ)
こうして見ると日本社会に普通に住むということは、毒に囲まれて住むということではないかと思えてくる。
こんなことになったのも、食中毒を恐れると同時にニセモノ食品を作って恥じない食品業界が大きいと思うが、見た目にこだわったり、お手軽食品を重宝する消費者にも責任があるんだろう。
このブックレットにも書いてあったが、旬の素材で和食を食べるのが一番健康にいいようだ。と言うわけで、日本では和食派になろうと思っている。
March 29, 2007
イラン戦争への秒読み状態?
イランの国連安保理事会の制裁決議といい、数日前に起こったペルシャ湾でのイランによる英兵15名の拘束事件といい、いよいよブッシュ政権によるイラン攻撃が近まったのではないかと思う。
すでに、2003年のイラク侵攻のときと同じレベルでの軍事集結がペルシャ湾とイラン国境沿いに完了しているとメディアは報じている。
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国連の決議を経ずにイラク攻撃を行い、世界中の非難を浴びたのに懲りてか、今回のイラン攻撃準備は国連と欧米のメディアを使って用意周到に行われている。イランの後ろ盾のはずだったロシアと中国も戦争容認に傾いているようだ。
ブッシュ政権は、イランが今や国際世論にも関わらず核兵器開発にまい進する危険な国家であり、ペルシャ湾でも敵対的な行動をとり、さらにイラク国内の反米民兵組織を支援する好戦的で異常な国だという国際認識を作ろうとしている。
これらの多くはブッシュ政権による言いがかり、でっち上げで、要するにイランに親米政権を樹立してここから中央アジアにかけての石油支配権を確立するための布石だと思う。さらにイランが石油代金の支払いを米ドルからユーロに変えたこともアメリカがイランを潰そうとする要因だろう。
イラン戦争が起こったら日本はどんな役割を押し付けられるのだろうか。アメリカ追随=日本の国益と考える日本政府は、今度はイラクの時以上の軍事貢献をさせられるのではないか。日本の安全が脅かされている。にも関わらず、日本のメディアは、欧米メディアの後追いをするだけで、今起こっていることの真実を伝えてないと思う。
英語が読める方は、どうか次の2つのニュースサイトのイラン関係の記事を見ていただきたい。そうすれば今、進行中のことが見えてくるだろう。
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イラク戦争前夜の時と違い、イラン戦争反対の人々の動きはまだほとんどない。この戦争を止める方法はないものか。
March 27, 2007
フリーター脱却の道=インドに行ってIT技術者になること
日曜日は福岡市天神に行って、インドのIT会社の代表者の話を聞いてきた。インドと言えば、今や世界中が認めるIT先進国だ。しかも人件費が安い。それで日本の企業がインドの会社にソフトウエアの開発を委託することにより、ソフトの開発費用を大きく削減することができる。
今後は会社の経理事務のようないわゆるバックオフィス事務もインドや中国などの会社に委託するようになるだろう。ネパールもこのサービスを始めるための準備を着々と進めている。このサービス(BPO:Business Process Outsourcing という)により、今後日本の会社では事務員を雇う必要が大きく低下し、一人あるいは数人が切り盛りする会社が、ビジネスのコアの部分に専念できるようになりそうだ。
天神のインド系IT会社の代表者の話に戻るが、彼は時々日本の若者たちがたむろする喫茶店などに出かけて、彼ら彼女らに話しかけているとのこと。今の日本の平均的な若者のハングリー精神のなさは言わずもがなだが、その中でも見込みのありそうな人たちを見つけて、この会社と同じグループに属するインドの大学に1年間送って、IT技術を身につけさせるそうだ(コースは英語で行われる)。その間の授業料も生活費も会社が全て負担するそうだ。条件はコース終了後は自分の会社で働くこと(インドで働く場合も、日本で働く場合もあるだろう)。
費用が向こう持ちで、就職口まで決まっている、しかも使える英語まで身につくとは、日本人にとって願ってもない話ではないかと思う。IT技術はこれからますます求められる技術だ。日本でフリーターをやっているより、インドでITを勉強してそのプロフェッショナルになるほうがずっといい。
どうですか、皆さんも。Seize the day! チャンスを逃すな!
March 24, 2007
日本の司法がアービトラージされる
向井 亜紀さんが代理出産した双子について、最高裁が「実の母とは認められない」との決定を下したが、
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この判決といい、最近のホリエモンへの判決といい、司法への信頼を自ら損ねるような行動(あるいは司法が自らをコケにするような判決)がこの頃多いと思う。この2つの裁判が示しているのは、激しく変化する現代社会の現状に日本の司法がもはやついていけず、無用のものになろうとしていることではないだろうか。
グローバル化の時代、アービトラージ(arbitrage)という考え方の重要性が高まっている。
これは国際取引の分野で「さや取り」とも訳されるが、司法に当てはめれば、人々が各国の司法制度(つまり正義を判定する制度)を比べて、その有用性を判断し、その判断に基づいてしかるべく行動することを意味するだろう。
日本の司法は、これまで一国内だけで正義を独占できていたのが、グローバル化により、他国の司法と比較され相対化され、その結果日本の司法が無視されたり、回避(忌避)されたりして、世界の中で日本の司法を置き去りにしてことが進んでいく可能性が見えてきた。
このことの背後には、インターネットなどにより、個人が世界の情報をリアルタイムで手に入れられるようになったことによる根本的な変化がある。結果として、世界的に個人の力がどんどん高まっている。
March 23, 2007
「戦争犯罪についての国際会議」についての友人の論考
マレーシア発の平和運動については、これまでに2回にわたり書いてきた。
2007年1月10日「マハティール前首相の平和攻勢」
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2007年2月7日「クアラルンプールが平和のための世界首都になるかも知れない」
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上記の日記で書いたクアラルンプールの「戦争犯罪についての国際会議」に一緒に出席した友人が、会議についての論考を『長崎平和研究』に掲載するとのことで、本人の希望により以下に転載します。
私の記事(日記)に対して、当時多くの方々からコメントをいただきましたが、この論考についても、皆さんのコメントをいただければ有難いです(コメントは本人に伝えます。本人からのレスポンスもここで掲載できるかもしれません)。
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“Criminalising War”国際会議に参加して
〜真の文明を目指す‘Look West Policy’の勧め!?〜
川原 紀美雄
去る2月5日から7日にかけてマレーシアの首都クアラルンプールで開催された国際会議、“Criminalising War”(「戦争を犯罪にしよう」)に出席した。いまや紛争を武力で解決するには無垢の市民が犠牲になりすぎており、如何なる理由があるにせよ、その行使は犯罪であることを人類は共有するよう訴えた会議であった。
このような21世紀の人間の生き様を示唆する、わが国の平和憲法を具現化するような国際会議であったにもかかわらず、ご多分に漏れずわが国のマスコミは「鈍感力」を決め込み、ほとんど報道していない。わずかに報道された内容も、「マハティール氏米英首脳を非難〜原爆、イラク戦争をめぐり」、「米英首脳、フセインより重罪」など会議の一面のみを強調しており、この時期に開催された歴史的意味などを掘り下げた、社会の木鐸としての役割を果たしていない。
今、日本は世界をリードする21世紀を真に切り開く「美しい国」ではなく、多くの国・人々が眉をひそめる、戦争が出来る時代遅れの「醜い国」に向かってひた走りつつある。本国際会議の主催者マハティール前マレーシア首相は、植民地から独立し自国の近代化を進めるうえで、第二次世界大戦で壊滅的打撃を受け灰燼の中から立ち上がる日本のエネルギーをモデルに、長年にわたりLook East Policyを推し進めてきた。しかし、経済から軍事にいたる閉塞感に満ちた現在の日本の動きに見切りをつけ、あたかも「鈍感生」に満ちたわが国に警鐘を乱打するかのごとく、自らの手でLook East Policyの完成形態として、わが国憲法が有する国の成り立ちの根幹である国際的紛争に戦争を選択しない社会ルール作りの緊要性を提唱したのである。
言うならば、それは冷戦終結以来の現在の日本人に決定的に欠けている、哲学的に将来を見据えた21世紀の人類社会を切り開く、格調高い‘警世の書’ならぬ‘警世の国際会議’として歴史的に評価されるような会議であった。それはどのような内容を含んだものであったのか、マハティール前マレーシア首相の冒頭演説から特徴のいくつかを紹介しよう。
まず、7000有余年にわたる人類の戦争の歴史を振り返り、今回の国際会議のテーマである戦争の歴史限界性について、深く分析していることである。“戦争とは人を殺すことであり、人を殺すことは文明化されていると自称する如何なる人間社会においても犯罪とみなされる。然るに、文明化された人類社会は今日にいたるも、紛争解決の手段としてますます残虐性、無差別性をます武器を使用することを合法化しているが、これは大変な矛盾である”と。
従って、わが国のマスコミ報道に垣間見られたように、本国際会議はテロを口実に現在進行形中のアフガン・イラク戦争を推進してきたブッシュ米大統領、ブレア英首相、ハワード豪首相を戦争犯罪人として告発(小泉首相が含まれていないことに注目!)することが主な目的ではなく、戦争を犯罪として告発する会議と原爆を含む残虐な戦争被害の展示を通して、戦争を合法とみなす戦争と平和に関する古典的認識を戦争を完全に拒否する認識に転換する崇高な世界的努力が成功するような場を設定することを目的としていることである。
このことは、この会議が誰かの売名行為のためではないとマハティール氏が言い切っているところに端的に示されているのみならず、新たに設立される場の最初の動きとして、平和のための世界的規模のNGOのネットワークを構築し、あらゆる地域の平和活動家を励まし、平和と戦争の犯罪性につき語り合い、戦争と戦争準備に具体的に抵抗することなどを提起しているところに見られる。
さらにこれから向かうべき目標として、文明社会の矛盾を克服するこのような行為こそ尊厳と気品に満ちた‘美しい行為’であり、人権を尊重する文明は国家間の紛争解決に戦争、殺戮、破壊を選択しなくなったとき、戦争を犯罪とする真に文明化された社会を実現することになろうと強調している。
マハティール前マレーシア首相が示した今回の国際会議の方向性は、平和憲法を有するわが国こそが先頭に立つべき課題であり。現在のわが国の指導者にその能力が無いのであれば、Look East Policyの完成形態としてマハティール前マレーシア首相が冒頭演説の最後に呼びかけた、「真の文明を達成し、戦争を犯罪とする戦いに前進しよう!!」にわが国のNGOとして、あるいは個人として加わろうではないか!
本国際会議だけでなく、昨年9月にヘルシンキで開催されたAEPF6(Asia Europe People’s Forum 6)では市民の安全と繁栄を実現するための危機管理として、Military Crisis Managementを超える、戦争を否定することにつながる‘Civilian Crisis Management’の実践と理論が報告された。このように歴史は着実に動いている。マハティール氏はローマは一日にしてならず、されど戦争の無い世界、法の支配が各国の行為を統治する世界、弱者と強者が共存する世界を実現するには時間はかかるものの、ローマを建設するほどの時間はかからないと述べた。‘Look West Policy’をお勧めする所以である。
(長崎平和研究所所長)
March 19, 2007
九州そして福岡へのビジョン
昨日は、対日貿易投資交流促進協会(ミプロ)と福岡市が共催する「外国人のためのビジネス起業セミナー」に出席した。内容は日本での起業・会社設立の方法についての説明と、カナダ人と中国人の起業家による福岡でのビジネスの体験談だった。
内容もよかったが、とてもためになる資料も沢山いただいたので、私の外国企業相手の異文化マネジメントのコンサル活動にも幅が生まれそうだ。
このような催しが福岡市で開かれるようになったのも時代を感じさせる。近い将来の道州制の実施を見据え、九州はこれからは独立した経済ブロックを形成する必要がある。そのためには海外からの投資を積極的に呼び込むことが不可欠だ。グローバル化の時代では、世界からどれだけお金を集められるかが地域の繁栄を左右するのだろう。
九州は、「支店経済」を早く返上して、東京や名古屋、大阪ではなく、主に中国大陸と朝鮮半島さらに東南アジアの方を向くようになってもらいたい。
(このことと、地域循環重視の生命圏地域主義:バイオリージョナリズムをどのようにして調和させるかというのは大きな課題だが、今日はこのことは考えない。)
九州の(事実上の)首都である福岡市の利点は、中国大陸と朝鮮半島と近いことだ。実際、福岡に来ると、ここが大陸と半島と密接につながっていることを肌で感じる。昨日のセミナーでも、福岡に進出したい中国企業の代表の人々がかなり多く参加していたようだ。大陸と半島さらにシンガポール、マレーシアからのお金の流れを加速させたい。
福岡のもう一つの利点は、住みやすいこと。食べ物が美味しいし、人々は日本の他の地域と比べるとかなりのんびりムード。温かくて率直な人たちが多い。山海の食べ物が美味しい。阿蘇や九重などすばらしい自然がすぐ近くにある。
それから福岡市自体がヒューマンスケールだ。今は廃刊となった Asiaweek が毎年行っていたアジアで住みやすい都市のランキングでは福岡市が毎年のようにトップの座を占めていた。
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この住みやすさが、主に欧米系の人々を引き付けている。新しく現れようとしているのは、住みやすい福岡で起業し、生活をエンジョイしながらここで成功して、中国大陸進出を目指そうというパターンのようだ。
昨日の夕方に同じく福岡市内で出席したミーティングは、この新しいパターンを象徴するものだ。カナダ人とスイス人がそれぞれ1人づつ、スペイン人2人、それにグローカルな視野をもつ日本人1人が集まって(今後これに私も加わるつもり)、お互いのビジネスを成功させるために協力し合っている。
ビジネス以外にも、これらの人たちの日常生活に対するコメントが有効に生かせれば、福岡は多文化・多民族共生でオープンでエネルギーにあふれたところになるだろう。私としても、外国人が住みやすい福岡実現のために、ささやかな貢献をしていきたい。
March 16, 2007
ライブドア事件の判決について
ライブドア事件の一審有罪実刑判決が出た。
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最近までマレーシアにいて、この事件をそう詳しくフォローしてたわけではないが、私としては今でもホリエモンがそう悪いことをしたとは思わない。
ライブドアの「錬金術」が粉飾決算(=違法行為)だというが、連結決算のやり方の当否について被告側の主張も筋が通っていると思うし、あれは新式のファイナンス・テクノロジー(=合法行為あるいは最悪でも脱法行為)だという見方も成り立つんではないか。
事件の本質に加え、証言や証拠もあいまいな部分が多いので、そんな場合は推定無罪ではないかと思うんだけど、裁判所はあえて有罪にしてしまった。
これまでの検察の捜査と立件の仕方は明らかに政治的なものを感じたが、中立なはずの司法も今回の判決をみると政治的なものがあるんではないかと思ってしまう。
合理性を徹底的に追求し、日本の旧式で不合理なビジネス慣行を次々に覆してきたホリエモンは、確かにその意味で英雄だったし革命児だったと思う(行状や品行の問題も言われているが、それらはここでは問わない。また彼からは、そのようなことで人々のお手本となることは期待しない)。しかし、革命を目指せば、体制からの手痛いしっぺ返しが来ることは昔も今も変わらない。
そんな革命児を保釈して体制側は大丈夫なんだろうか。ホリエモンはこれからマスコミに頻繁に現れて、体制批判を繰り広げるんではないだろうか。彼が検察の捜査の闇の部分を暴き、日本の世論を味方につけることも大いにあり得ると思う(あるいは、マスコミにしゃべらないことが保釈の条件になっているのだろうか)。
March 15, 2007
KL郊外の健康センターの悩み
マレーシアの首都クアラルンプール(KL)の郊外のプタリンジャヤにある検査病院 LifeCare Diagnostic (ライフケア健康センター) のことは前に書いたが、
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(病院のサイトは、http://
仲良くしているここのオン院長から相談を受けた。最近、マレーシアの日本語新聞に病院の広告を出したが反応がさっぱりだという。それで、KL近辺に住む日本人に来てもらうためにはどうしたらいいだろうかと。
それで、私としてもいろいろ考えているところだが、まず現状把握として、この病院の「売り」は、
1.最新式の設備により、検査につきものの痛みや不快感をほとんど経験せずに検査を受けられる。
2.同じく最新のシステムにより、検査、その結果が分かること、専門家の詳しい説明とアドバイスを受けることが1日で完了する。
3.スペシャリストの診察料が30リンギととても安い。
3.従来の病院のイメージを払拭した落ち着いた快適な環境。また、スタッフがとてもフレンドリー。
マイナス面は、
1.業務時間が午前8時半から午後5時半までで、急患には対応していない。
2.手術が出来ない(手術が必要なときは、症状に応じて、提携している病院を紹介する。ただし、詳細な検査・診察データはその病院に転送されるので、検査・診察が二度手間にはならない。なお、手術以外の治療はできる)
3.日本語を話せる常勤のスタッフがいない。
ではないかと思っている。
それで、対応策として、
1.日本語で対応できる体制を整えること。
2.病気や怪我のときもここにくれば安心という、医療と健康のワン・ストップセンターになる(夜間や緊急の対応もシームレスなそれなりの方法がありそう)。
3.KL在住の日本人への効果的な浸透方法を考える。これに関連して(1)まず英語が分かる日本人に病院を利用してもらって、あとは口コミで広げる、(2)病院への見学ツアーを組織するなど、いろんな方法が考えられそう。
皆さんからもいいアイデアやアドバイスはありませんか?マレーシア在住の日本人の方々のニーズはいかがでしょうか?この病院を利用された方の感想も歓迎します。コメントをいただければ有難いです。
March 12, 2007
ネパール二都物語
何ということだ、ネパールから戻ってきて早くも一週間経ってしまった。あそこで味わった興奮と感動も薄れてしまいそう。
それで、あそこで感じたことを忘れないうちに大急ぎで書こうと思う。題して、「ネパール二都物語」。
二都の一つはもちろん、首都カトマンズ。かつてはカトマンズ盆地に三つの王国があり、それぞれの都の街並みはチーク材かなんかのような耐久性のある木材で出来た築後千年以上たった家屋が連なっていたそうで、それは壮観だったろうと思う。この生ける博物館だった街並みを1970年代に近代化ということで取り壊し、コンクリートブロックでできた家々の街並みに変えてしまったことは返す返すも残念なことだ。
しかし、Dwarika さんという奇特な方が、古い家屋取り壊しの現場に駆けつけて、古い材木を引き取り、その数がかなりの数保存されているという。この木材を使って、カトマンズの一角にDwarika's Hotel というとてもチャーミングなホテルが出来ている。願わくはこのホテルを含む地区全体をかつてのアンティックな街並みに復元すればどんなにいいかと思う。そうすれば、ここは日本人観光客を魅了する地区になるだろう。
二都物語のもう一つは、カトマンズから小型飛行機で200キロほど西に飛んだところにあるポカラだ。この町は古くからチベットとインドを結ぶ交易路にあって栄えたところだ。今では、8000メートル級のアンナプルナ山の連峰を望む世界トップクラスのトレッキングコースの出発点として有名だ。
この町のオールドバザール地区は今、レンガによる伝統的な街並みの復元が進んでいるようだ。しかし、観光客に一番人気がありそうなのは、ぺワ湖(Phewa Lake)の畔の地域だ。湖の畔の道沿いには、洒落たレストラン、お土産の店、サイバーカフェなどが軒を連ねている。
私としては、この町の一番の売りは、魚の尻尾山(Fish Tail Mountain)と呼ばれる峰を中心とする雪をかぶった峰々が街並の背後に屹立していることだと思う。魚の尻尾山は、スイスのマッターホルンに似た姿だが、高さはほぼ7000メートル。その姿がほんの目の前に聳える景色には感動する。この山はまた、ニュージーランドのクック山にも似ているが、ハーミテージ・ホテルのカフェテラスから見えるクック山よりも、ポカラの町から見える魚の尻尾山のほうが、「素材」としては上だと思う。
歴史と文化の香りのカトマンズと雪をいただき屹立するヒマラヤの峰々のポカラ。この二つの都は「ネパールフリーク」でない普通の日本人にとっても魅力的な観光スポットとなるだろう。
March 05, 2007
ネパールから戻りました。ネパールは面白いところです!
今朝、ネパールから戻ってきた。11年ぶりに訪れた同国だったが、カトマンズには日本車や韓国車が溢れ(後者の数が多いみたい)、また新しい事業がどんどん立ち上がるなど、活気がみなぎっていた。
詳しくはまた mixi やブログで書くつもりだが、この国について一言で言うと、未来とグローバル社会に向けてとても開かれた若さとエネルギーがみなぎる国だということだ。
*10年間続いた武力闘争が終わり、マオイスト(毛沢東主義者)たちも新しい政府に加わることになった。マオイストとそうでない人々との間の和解が、小さなぶり戻りはあるにしても、着実に進んでいる。ギャネンドラ現国王がしたことで、王制(monarchy)はこの国の人々の間で魅力をすっかり失った。王制を廃止し、共和国になるという大きな流れはもう止められない。
*これまで抑えられてきた少数民族がこの国のあちこちで声を上げ始めた。この取り扱いを間違えば大変なことになるが、たぶんこの国の人々がもつ知恵と創造性でうまくやれるだろう。このプロセスから来る社会学習(ソーシャル・ラーニング)効果はとても大きいものになるだろう(ちなみに、この国には「主要民族」が60あるとのこと)。
*この国を出て、欧米や日本などの国に住んでいた人々が戻り始めている。彼ら彼女らのこの国を良い国にしたいという強い思いに感動する。これらの人々がもって帰るノウハウやスキルさらに国際的なネットワークはこの国にとって大きな資産となるだろう。また、これら新しいミドルクラスが生み出す富により、この国の経済がうまく回り始めたようだ。カトマンズやポカラの周辺では一種の(高級)住宅建設ラッシュが進んでいる。
*「なんでもやれるという態度」("Can-Do" attitude。"Malaysia Boleh" のようなもの)がみなぎっている。「今度、医学学校をカトマンズに作ろうと思っている。世界のどこでも(ただし、日本は除く)医者としてやれる資格だ。資金は金持ちのインド人、ネパール人それにバングラディシュ人から集められる。一緒にやらないか」と若いネパール人ビジネスマンからいきなり誘われた。同じことを日本でやろうとすれば、行政への働きかけ、関係者への根回しなど、とても大変なことになるが、この国では本当に大切なことに集中して取り組めるようだ。
*私たちが北部九州に創ろうとしている大学・大学院にとって、ネパールは理想的な実践と訓練の場となるだろう。この大学の4つの柱、つまり、ビジネスマネジメント、NPO公務マネジメント、環境マネジメント、コンフリクトマネジメントのそれぞれとこの国の現実が結びつくことからくるシナジー効果はとても大きいものになりそうだ。
その他詳しいこと、ネパールの将来のビジョン、この国の観光のことなど、また追って書いていきます。
February 24, 2007
マレーシアとネパールの空を自由に飛ぶのはいかが?
カトマンズでのプレゼンテーションのためのパワーポイント資料もなんとか完成し、どうにかネパールに行ける態勢になってきた。
それであと数時間で家を出るのだが、その前に数日前にマイミクの「見た目は邦彦」さん
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とオフラインでお会いしたことを少しばかり書いておこうと思う。
見た目は邦彦さんは、マレーシアの自家用飛行機の教習所の関係の仕事をしておられる(他にもいろいろ仕事をもっておられる)が、マイホームタウンの隣町の福岡県小郡市に住んでおられることもあり今回初めてお会いした。
ハンドルネームに違わす、邦彦さんご本人かと見まがう方で、お話しているとキャラクターも邦彦さんに似ておられるよう。
鳥栖に用事があったからというわけで夕方、地元のショッピングセンターの「夢タウン」でお会いし、コーヒー一杯だけで何と3時間くらいお話した。
自家用のセスナ機で空を飛ぶことの楽しさ、マレーシアの飛行機操縦の教習所のこと、それにいろんなビジネス機会のことなどお聞きして楽しかった。
自家用機で自由に空を飛ぶというのは、多分日本ではとても贅沢な実現不可能な夢のような話だが、マレーシアに行くとその夢が簡単に実現しそうだ。物価が日本の大体3分の1のマレーシア、飛行機に乗る費用も教習所の費用も日本と比べたら格段に安い。
クアラルンプール(KL)の郊外にあるスバン空港(ここが以前はKL国際空港だった)にこの学校はあるので、KLペトロナスタワーの近くも飛べるし(ニューヨークでこんなことしたら撃ち落されるかもしれない・・・)、郊外に広がる美しい住宅地や油やしのプランテーションも見ることができる。
見た目は邦彦さんによると自家用機の免許をとるのにマレーシアほど理想的なところはないそうだ。KL郊外スバン空港の飛行機操縦の教習所...、これでまた日本人にとってマレーシアの魅力がまた一つ増えた。
さらに同じことをネパールでも始めたらいいのではないかという話もした。ネパールをレジャー飛行のメッカにすることも今度の会議で提案しようと思う。
万年雪をいただくヒマラヤ連峰とエベレスト山、ポカラの湖と点在する村落、カトマンズ渓谷、さらに亜熱帯のチトワンの草原。これらを自分の操縦で空から堪能できたら世界一の贅沢気分が味わえそうだ。
February 21, 2007
いろんなことで忙しいということと、人と人とつながること
2月27日にネパールの首都カトマンズで開かれる会議で、この国への日本人観光客をもっと沢山呼び込む方法について話しするための準備をしている。
今週の土曜日に出発するので、話す原稿とか、パワーポイントなどプレゼンの資料を明後日には完成させなければならないのに、久しぶりの日本でいろんなことが面白く、目前の仕事になかなか集中できない。
大前研一の本が面白い。田原総一朗の本が面白い。櫻井よしこの考えも理解したい。マレーシア前首相のマハティール氏の平和運動をめぐるマイミクのフジヤンさんのコメントにもレスポンスしたい(けど、時間がとれない)。
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また昨日から佐世保市のある起業家に対するメールを通じてのコンサルも入って、そのやりとりも面白い。
面白いことだらけなところに、さっきはNHKの『クローズアップ現代』で社会起業家=「社会貢献を仕事にする人たち」の仕事ぶりが取り上げられ、これがまた実に面白かった。
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従来のタイプのハングリー精神がもてなくなった現代日本の若者たちが今後ハングリー精神を発揮できるとすれば、それは前にも書いたが「魂のハングリー精神」だと思う。
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人は何のために仕事をしているのか、自分のことばかり追求して結局それが何になるのか、生きる意味は自分の中にあるんではなく、自分の外に、社会の中にあるんではなかろうか、というような思いがこのところ台頭してきた社会起業家たちのなかにあると思う。
私なんか、仕事をしているときとプライベートなときの自分を分けたくない(分割したくない)、「手前どもは...」のような奇妙な言い回しを使わずに仕事をしたい、自分の表現として(自己実現のために)仕事をしたい、このような部分で他者とつながりたいと思ってきたが、このような願いも社会起業家に共通する思いではないかと思う。
このような思いをもち、さらにそれに基づいて行動する人々が今の日本ではとても増えてきているようで、一見暗く見える今の日本社会の希望のともし火ではないかと思う。
というわけで、また目前のネパール問題に戻ります。
February 18, 2007
東アジアの新年おめでとうございます!
今日は東アジアの新年。この地域それに世界中に散らばる東アジア人コミュニティがこの日を祝っている。
私の家族それにクランの親戚一同は明日からホリデーでペナンに行くとのこと。義父母それにマイワイフにとってはペナンが生まれ故郷だ。
日本も旧正月を復活させてほしいものだ。そうすれば、東アジアの人々との連帯感がずっと深まるだろう。日本人とアジア各国の人々がこの日を共に祝うようになる日を見てみたい。