今日は少し妻の周辺の話をしてみたい。

同じ店で働く仲間の中には自然仲良くなる者も出てくる。しかし店がつぶれたり、嫌なことがあって自分の方から辞めたりということで、今までのところでは長くても半年ちょっとしか同じ店での勤務は続いていない。すると仲良くなった人とも付き合いが途絶えていく。つまり仲良しになったと言っても、同じ職場で毎日顔を合わせている限りでの付き合いに過ぎず、店を変わって職場が同じではなくなったのに付き合いが続いているというのはたった1人しかいない。まあ、仮に彼女をユリということにしよう(もちろん本名ではないし、彼女の源氏名でもなく、今ここで仮につけた名前に過ぎない)。

ユリは妻と知り合った頃は、妻も働く店で通常のホステスとして毎日勤務していた。しかし同棲している日本人の彼氏が、夜の仕事を辞めろとうるさいので、ドーナツを売る店の販売員になった。但し、金曜日と土曜日だけ夜の仕事もしている。ナイトクラブは言うまでもなく金曜日土曜日が忙しいので、その日だけのアルバイトを歓迎するのである。中には、毎日働いているホステスよりいい給料を払ったりする店もある。

ユリはフィリピンに子供がいて親に預けているので生活費というか、養育費というか、毎月金を送らないといけない。しかし、同棲している彼は、家賃とか食費とかは出すが、フィリピンに送る金までは出してくれない。だからユリは働いているわけだが、そもそも彼らが知り合ったのはユリの働いていた店だったというのに、同棲が始まると、そういう仕事は辞めろと言いだした。

夜の仕事を辞めろというのは、男として分からないではない。しかし、それを言うなら、フィリピンに送る金も出してやると言わなければいけないと私は思う。ユリとは私自身も何度も会っていて、どういう女性かよく知っている。美人ではないが、可愛い顔立ちで、性格もアクがない。悪く言えば、余り利口ではない感じがする。同棲して長くなるというのに一向に結婚の手続きを進めないので、ユリは彼としょっちゅう喧嘩している。そのことでユリは、彼女にとっても唯一の親しい友達である妻によく電話してくる。私は彼女に直接言ったことは無いが、彼とは別れた方がいい、いずれ泣きを見るのは明らかだと思っていた。但し、彼とも会ったことは何度もあるが、嫌な奴という類の男ではない。普通に付き合う分には、私とも仲良しになるかもしれない。しかし、私には、彼の男としての無責任さが許せないから、分かれた方がユリのためだ、ユリはまだ若いし、かなり魅力的だから、もっといい男を見つけるのは難しくない、と妻には何度も言った。妻の意見も全く私と同じなのだが、分かれた方がいいとまではさすがに言えなかったらしい。

最近になって、Facebookの彼女のプロフィルで、名前が変わっていたので、ああやっと彼と結婚したのかと思っていた。ユリは実は他人の名前でパスポートを作り、日本に来ている。ユリの本当の名前はその他人が使ってパスポートを作り、ドバイにいるらしい。つまり互いに名前を交換したわけだが、なぜそんなことをしたのか詳しい事情は知らない(ユリもそれについては語ろうとしない)。そんな秘密を知っているのは、ユリから聞いた私の妻と妻から聞いた私しかいない。ユリと同棲している男も、ユリの本当の親兄弟ですらそのことを知らないらしい。

日本には日本人と結婚して配偶者ビザで日本に来てフィリピンクラブで働いている女性が少なくない。配偶者ビザには労働制限がないのである。そのことを理由に、偽装結婚でビザを取っているフィリピン人も少なくない。実をいうとユリもその一人だが、そういうやり方はフィリピン人の間では珍しくもなんともないので、余り秘密にされていない(友達同士では)。入管にさえ知られなければいいと思っているわけである。

日本には昔エンターテイナービザ(芸能ビザ)で多くのフィリピン人が来ていたが、今は、テレビや舞台で実際に活躍している芸能人などを除けば、芸能ビザでの来日はできなくなっている。それで日本に女性を送り込む人たちは、配偶者ビザを使う訳である。そういった偽装結婚で来た人を、私は個人的に何人も知っている。彼女たちは、2年だったか3年だったかの契約であり、それが過ぎるとフリーになる。期間満了前の彼女たちはタレントと呼ばれて、1か月78万円くらいの給料しかもらえない。但し、家賃はエージェントが負担するので、給料だけでも暮らすのに困るということは無い。それに、給料は低額だが、指名に伴うバックがあり、それは指名1つにつき200円から500円くらいである。10日間における指名の数の多寡によって金額は変動する。またドリンクバックもある。ドリンクバックというのは、お客が女の子にビールを飲ませたり、その他の飲み物を与えた時に発生する。ブランデーをボトルキープした場合もかなりのバックがある。妻が実際に働いていた店では、ワインを注文すると、客は5000円払うことになる。そのうちの2000円が女の子にバックされのだが、そのワインの定価はなんと800円である。

言うまでもないが、偽装結婚で配偶者ビザを取り、日本に来る女性はみんな若いし、かなりの美人である。そういう女性でないと、エージェンシーは相手にしないからである。従って、逆に言えば、彼女たちは、給料は安くとも、指名のバックとかドリンクのバックなどで結構稼ぐ。また、お客からのチップもそういう女性は多い。日本人の中には、かなりの金を使ってでも店に通いつめ、チップも奮発し、女の子と結婚したくて口説くケースが多い。そういった男の中は、フィリピン女性と結婚して幸せな家庭を築く例も少なくないが、結婚したとたんに亭主関白ぶりを発揮して離婚になるケースも多い。

ところで、女の子は店から1か月78万円くらいの給料しかもらえないと聞くと、ずいぶん搾取されていると思うかもしれないが、そうではない。店は大体月に20万円くらいの給料を払っている。ただその支払先が女性を日本に送り込んだエージェンシーなのである。ではエージェンシーが搾取しているのかというと、そうでもない。彼らは偽装結婚で配偶者ビザを取得させるために多大の金を使っている。偽装結婚というのは、日本人の男から戸籍を取り寄せ、フィリピン人女性から出生証明書を徴求すればできるというものではない。いや、結婚だけなら出来るかもしれない。それでも男は2回くらい結婚の手続きのためにフィリピンに実際に行かなくてはならない。その間の飛行機代と宿泊費はエージェンシーの負担である。しかし、その程度のことで結婚すると、日本の入管のビザはまず取れない。少なくとも結婚までに3回くらいは男がフィリピンに行き、結婚手続きそのものの為にも1か月くらいのフィリピン旅行、もしくは1週間のフィリピン旅行が2回必要になる。従って、都合5回くらいはフィリピンに行かないと、日本の入管は本当の結婚であると認めてくれない。日本人同士なら、会って互いに恋に落ち、次の日に結婚するということはあるかもしれない。しかし、フィリピン人との結婚ということになると、そんな結婚は本当の結婚とは認めてもらえない。配偶者ビザが欲しくて結婚しただけだと思われてしまう。

それに、偽装結婚に協力する男だってただで協力するわけではない。彼の報酬は毎月5万円というのが相場である。しかも彼は一定の職業を持っていて、そこそこの収入がなければいけない。そうでないと配偶者ビザをとれない。そういう男をどうやって調達するか?大体は、すでに偽装結婚の配偶者ビザですでに日本に来ているフィリピン女性が、自分の妹や従妹を日本に呼ぶために、適当なお客や、仕事を通じて知り合った男に声をかけるのである。という訳で、フィリピンクラブの店長には偽装結婚している男が多い。なぜなら彼らは給料が非常に安いから、月に5万円でも、固定の追加的収入は有り難いからである。そういったあれやこれやを考えると、エージェンシーはかなり良心的な料金設定をしていると言わざるを得ない。昔のような芸能ビザの時代(つまり簡単にビザが取れた時代)とは全然違うのである。逆に言えば、エージェンシーはそれほどうま味のあるビジネスではなくなっている。だからこそ、このビジネスにヤクザが乗り出さないのである。

期間が満了すると彼女たちは偽装結婚を協議離婚という形で解消し、本当に好きになった男と結婚する。但し、フィリピンの法律は離婚を認めていない(世界的に見てフィリピン以外には今現在そういう国は無いらしい)ので、彼女たちは、日本では結婚できるが、フィリピンでは結婚できない。従って、そういう女性は永久に1年ごとのビザ更新になる。日本の入管は、双方の国で結婚していることを基本的に要求するからである。しかし、本当の結婚相手との間に子供が出来れば、その子は日本人になるから、今度は、お母さんは日本人の親ということで長期ビザが取れるようになる。

此処でユリの話に戻すと、彼女も偽装結婚の相手とはすでに離婚している。だから日本人と日本で再婚するのに支障はない、しかし、私が心配していた通り、男は無責任な奴だった。結婚するのはいいが、それなら専業主婦になれという。それでフィリピンにいるユリの子供に送る金まで出してくれるなら問題はない。しかし、そこまでは面倒見切れないというらしい。喧嘩ばかりの日々が続き、ユリのビザの更新時期が来週に迫っているところまで来てしまった。結婚というのは日本人同士なら極めて簡単である。しかしフィリピン人と日本人の結婚となると、提出すべき書類が沢山ある。つまりユリはFacebookでは再婚して名前が変わったことにしていたが、実際にはまだ結婚していなかった。そこでユリは協議離婚した偽装結婚の相手方と連絡を取り、ビザを更新する申請を出した。

しかし、何かしらおかしなところがあったのだろう、入管は、最初に日本に来た日はいつか、ユリの兄弟姉妹全員の名前と生年月日、ユリの卒業した高校の卒業証明書などを要求してきた。ユリのパスポートは、親戚でも何でもない人の名前で取ったものだから、最初に日本に来た日がいつかは分からない(それは既に失効した前のパスポートを見ないと分からない)、兄弟姉妹の名前も分からない、高校などどこを出たのか分からない。大体そうした質問を受けるということ自体が既に疑いをもたれているということであり、それら要求を完璧に満たしても又何か別の要求を受けることだろう。こうした疑問を持たれた時点でビザの更新は不可能に近くなったものと言ってよい。

昨日今日とユリは、日本で唯一彼女の秘密を知っている私の妻に長電話して相談してきた。しかし妻は弁護士ではないし、ユリのケースは弁護士であろうとも解決することはできない。という訳で、結局ユリは来週のビザが切れる直前にフィリピンに帰ることになった。

フィリピンに帰れば、仕事はない。子供たちの養育費はおろか自分の生活費を稼ぐのも難しい。結局は違法な工作をして日本に来たユリが悪いわけだが、本当に彼女を愛してくれる男を探していれば、そして彼の子供を産んでいれば、ビザの問題はクリアーできる可能性があった。だから、結局ユリは男の選択を間違えたのである。可哀そうだが、私にはどうすることもできない。

古い話になるが、日韓の外相協議によって慰安婦問題が最終的に解決され、日本はその合意に基づいて10億円を韓国に支払った。しかるにその後も日本大使館前の慰安婦像は撤去されないばかりか、新たに釜山の日本領事館前にも慰安婦像が建立された。日本政府はそれに抗議して一時大使を呼び戻したが、結局その後また韓国に大使は再着任した。通貨スワップ協議は中断されたが、今現在どうなっているのか、私が調べた限りでは明確ではない。この外相協議は文書化されなかったので、慰安婦像についてどう取り決められたのか不明瞭だったが、韓国側のメディアにこの点について述べているものを見つけたので、紹介したい。

安倍首相「10億円出した」…公式反論もできない韓国外交部(1)

長嶺大使は9日に帰国する予定という。本国に戻ってどれほど留まるかが少女像設置による韓日葛藤の行方の尺度になるというのが外交部の判断だ。少女像をめぐる葛藤は2015年12・28慰安婦合意当時にすでに予告されていた。当時の少女像に関連する合意文の内容は「韓国政府は日本政府が在韓日本大使館前の少女像に対して公館の安寧・威厳の維持という観点で憂慮しているという点を認知し、韓国政府でも可能な対応方向について関連団体との協議等を通して適切に解決されるよう努力する」というものだった。国内外の慰安婦被害者支援団体はこれを少女像を撤去するという意味として受け止め、反発した。

http://japanese.joins.com/article/438/224438.html?sectcode=&servcode=

上に引用したのは、中央日報と言う韓国メディアのニュースである。日本政府が在韓大使を呼び戻したときのニュースだから、いつの頃かと調べていたら、記事そのものに日付がついていた。それには2017190803分とある。私たちの(あるいは私の)記憶と言うのはずいぶんいい加減なものだ。あれはもっとずっと前の出来事のような気がしていた。

上に引用した青字の太字の部分は重要である。日本政府は大使館前の慰安婦像が迷惑であることをはっきり述べている。それに対して韓国政府は、像を撤去するとは言ってないが「適切に解決されるよう努力する」と約束している。この場合、適切な解決は像の撤去以外には考えられない。それからまた、太字部分の直前もかなり重要なことを述べている。即ち「少女像をめぐる葛藤は2015年12・28慰安婦合意当時にすでに予告されていた。当時の少女像に関連する合意文の内容は」と言っている。合意文という言葉があるのである。日本ではあの外相協議は文書化されなかったということになっている。国家間の合意が文書化されない?そんな馬鹿なと私は思った。実際のところは文書化しなかったことにしましょうねということなのではないか。

韓国は日本とのスワップ合意を「日本が望むなら延長しても良い」という態度を示して、麻生財務大臣を激怒させた。その結果日韓のスワップ合意は期限切れで終了した。しかしその後韓国の経済が調子悪くなって、再び日本にスワップ合意を求めてきた。周知のとおり、釜山の慰安婦像設置に抗議して日本政府はスワップ協議の停止措置をとったが、私は財務大臣が岸田さんでなくてよかったと思っている。岸田さんは、中国の王毅外相に開口一番恫喝的なことを言われたのに言い返しもせずに笑って挨拶を返した。それが大人の態度なのか。次の外相の河野さんは、相変わらずの失礼な王毅外相にちゃんと言い返している。外務大臣というのは、日本を代表しているのである。日本を代表して馬鹿にされているのでは、日本国民として泣けてくる。慰安婦問題だって、岸田外相なら、にこにこしながらスワップ協議は慰安婦像問題とは無関係と言い出しかねない。私はそう思うので、次期総理として噂になっている岸田さんを全く買っていない。外交を人間関係とは別だというのは賢い政治的判断でも何でもない。人間として当たり前の反応を国家だから取る訳にはいかないというのは、国民の支持を受ける政治家ではありえない。

 

2017.10.13 09:20【北朝鮮情勢】

米大統領首席補佐官「北が高性能のICBM再突入技術を開発」

【ワシントン=黒瀬悦成】ケリー米大統領首席補佐官は12日、ホワイトハウスで記者会見し、北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発に関し、「北朝鮮は高性能の再突入体を開発している」と指摘し、「米国民は北朝鮮のミサイル開発進展を懸念してしかるべきだ」と述べた。北朝鮮のICBM開発をめぐっては、専門家の間では、大気圏に再突入した核弾頭を確実に目標の上空で爆発させる再突入技術が確立されていないとの見方が強い。ケリー氏の発言は、トランプ政権が北朝鮮のICBM技術について、米本土を脅かす実戦能力を確保しつつあると分析していることを示すものだ。

このニュースは要するに北朝鮮がICBM技術を完成させつつあるという話だが、そんなことがニュースになるのはおかしい。何故なら、それは誰でもわかっている事実だからである。従ってこのニュースは、別の意味があるものとして読まないといけない。それはどういう意味かと言うと、アメリカが北朝鮮に武力攻撃を加える場合の大義名分、あるいはアメリカ国民向けの言い訳を提供しているという意味である。私が読んだ記事の1つによると、北朝鮮を攻撃する場合、武力攻撃を決定してから実際に攻撃に着手するまで2カ月くらいの期間が必要になるそうである。韓国や北朝鮮にいるアメリカ人を安全なエリアに移送する、日本や韓国に防御用のミサイルを供給し設置し、使い方を指導する、一斉攻撃に必要な態勢準備(艦船や航空機の集合展開、弾薬や医薬品、食料、石油の準備)などのためだそうである。そうすると、このニュースは、今から2か月後に武力攻撃の開始があることを示しているものと理解することが出来る。

勿論、その間、秘密のチャンネルを使ってアメリカは北朝鮮と交渉をするだろうが、今までの経緯を見ると、アメリカが北朝鮮の核保有を認めない限り、交渉の進展は望めない。アメリカは、北朝鮮の核保有を認める場合のメリット・デメリット、武力攻撃して北朝鮮の金正恩政権を崩壊させた場合のメリット・デメリットをもうだいぶ前から詳細に比較検討しているに違いない。トランプ政権は、中国に協力させれば武力攻撃なしに北朝鮮を屈服させることが出来ると考えた。それは誰でも考えることであり、アメリカは中国にそうさせるだけの力があるとトランプ大統領は考えた。しかし、中国はそれほど単純な国ではない。中国のやりたくないことを中国やらせるのは、どんな手段をもってしても至難のことである。それが中国人であり、中国という国である。

結局のところアメリカは北朝鮮の核保有を認めることになるだろうというのが再三書いている通り私の予想だが、何しろ私は政治の素人だから、戦争になってほしくないという願いが私の予想を導いているのかもしれない。あまり説得力のあるものではないことを白状しておく。北朝鮮とか中国とかいったあからさまな人権抑圧をする国は、たとえ原爆を持とうが、強力な軍事力を持とうが、歴史という長い目で見れば必ず衰退していくものである。そうでなければ、人権がこれほど世界中で尊重されることは無い。国家とか政治とか権力とかいったものは、理念で動くものではないのである。つまり、人権を過度に抑圧すると国力が衰えていくという事実が、人権尊重とか民主主義の重要性の本当の理由なのである。私はそう信じている。

アメリカは、186311日のリンカーンによる奴隷解放宣言により、奴隷制を廃止した。日本が士農工商の身分制度を廃棄したのは、明治4年、すなわち1871年のことだが、最近の歴史研究では、士農工商というのは身分制度ではなく職分に過ぎないという見解が有力になっているそうである。身分制度としては、武士と非武士、えた非人の3つに分けるのが正しいのだというのだが、いずれにしても日本には、人間を物と同じに見る奴隷という概念はなかったし、欧米に比較すると人権思想という面では遥かに進んでいたのである。日本が、アメリカのような、人口も資源も科学技術もはるかに日本より優位にあったアメリカと何年にもわたって互角に近い戦争をすることが出来た理由は、そういうことなのである(と私は考えている)。

今、神戸製鋼が組織的に大規模なデータ改ざんをしていたというニュースが世間を騒がせているが、大企業の不正は枚挙にいとまがない。こうしたニュースに名を連ねたことのない日本の最大企業であるトヨタでさえ、節税と脱税の分水嶺を綱渡りするような高度なテクニックを駆使しているというもっぱらの噂である。大企業の収益と支払税額の比率を、中規模や零細規模の企業と比較してみればいい。大企業の方があきれるほど小さな比率になっているはずである。

コンプライアンス(法令順守)が、現代の企業理念とされていて、どの会社もわが社の方針などというと、コンプライアンスと地域社会への還元などと声高に謳っている。私は上に述べた通り、民主主義や人権尊重は理念として大事なのではなく、それこそが国家繁栄の絶対的条件なのである、だからこそそれらは崇高な理念として掲げられているのだと思っている。即ち、それがどんなに崇高な理念であろうとも、国家の力を削ぐ役割を果たしているのなら、世界に広まることは無いのである。

企業のコンプライアンスも同様で、企業の社会的責任などと言ったりするのだが、本当はそうではない。コンプライアンスの無い企業はいずれ企業として衰退していく。それは独裁国家がいずれ国力を衰退させるのと同じである。だから、企業の社会的責任としてわが社はコンプライアンスを重視するなどと言っている間は、その企業は、コンプライアンスの重要性を本当に理解しているとは言えない。企業の社会的責任などという考え方とは無関係に、コンプライアンスの無い企業はいずれ衰退するのである。だから、当社は企業として発展し、ますます大きな収益を上げるためにはコンプライアンスが絶対条件であると思っている、という言い方でないといけない。

コンプライアンスはない方が儲かるに決まっているけど、昨今の風潮でそんなことを表立って言う訳にはいかない、それが恐らく大企業の本音だろう。だから大企業の不正は後を絶たない。もっと積極的にコンプライアンスを重視することこそが、企業の繁栄につながるのだという信念を経営者が抱くような時代はいつかやってくるのかもしれないが、それまでの間は、企業による不正はこれからも続くだろう。

ローレンス・ブロックの「死者の長い列」という推理小説を今読んでいるのだが、その中に、オーストラリアではタクシーの乗客は普通助手席に乗るという話が出てきた。
「後ろの座席はスプリングが壊れてるから?」
「オーストラリアには階級がなくて、みんながお友達だからだ。後ろに乗ると、お高くとまってるように見られるという話だ。」という会話がそれに続いている。

ローレンス・ブロックはアメリカのハードボイルド作家であり、多くの賞を取った大家である。アーサー・ヘイリーのようにいくつもの別のエピソードを並行しながら描いていき、それが読み進むうちに、互いに関連の無いように見えたエピソードが見事に一つに収束していくという書き方をよくする。そういう書き方はアメリカの作家の特徴かと思っていたら、すぐ前に読んだ東野圭吾の「白夜行」もそういう書き方だった。そう言えばはるか昔に読んで途中で投げ出した高村薫もそういう書き方だった。私は辛抱強い読者ではないので、そういう書き方は苦手である。いくつかのバラバラな話が収束に向かうまでの間に投げ出したくなってしまう。

しかしアーサー・ヘイリーの場合には関係ないと思われるエピソードが、それ自体面白いので途中で投げ出したくなったりしない。内幕物をいくつも書いている城山三郎は、日本のアーサー・ヘイリーだと言われたことがあって、それについて城山三郎自身は、光栄ではなく、不本意だと述べている。アーサー・ヘイリーは単に面白さを狙ったポピュリズムの作家で、読んでも後に残るものがないと言う。城山三郎自身は、そんなものを書いている訳ではないと言うのだろう。まあ、そうかも知れないが、人物描写の巧みさ面白さは、いかにも図式的だという非難はあるにしても、城山三郎にはなくてアーサー・ヘイリーにはある。その意味で、私にはアーサー・ヘイリーのものの方がより楽しく読める。

ローレンス・ブロックは同じく人物描写がうまいが、アーサー・ヘイリーのような図式的な描き方はせず、もっと深くて渋い。しかも作中人物の交わす会話が、ストーリーなどなくてもそれ自体読む価値があると思うくらいうまい。今読んでいる「死者の長い列」は、今のところ1刻も中断できないというまでの面白さは感じないが、数日前に読んだ同じローレンス・ブロックの「倒錯の舞踏」は面白かった。それは、アメリカ探偵作家クラブ最優秀長編賞を受賞しているのだから面白いのが当然だが、推理小説とか翻訳物が嫌いだからこの種のものは読まないという人がいたら、ぜひともこの「倒錯の舞踏」は読んだ方がいいと勧めたい。私は以前にもこの作品を読んだことがある筈だが、ブックオフで少し立ち読みしたら、例によって中身を全く覚えていないから、わずか200円のことだし、読み進むうちに思い出してもまあいいかと思って買った。

年代的に言って、私が読んだのは、フィリピンで中古の本、それもペーパーバックで読んだのだと思う。私はフィリピンで引っ越しを何度もしているが、大量の本を荷造りしたとき、同じ作品がいくつもあったことに驚いた。本を買うときは、誰でも裏表紙の紹介文を読んで面白そうだなと思ったら買う。あるいはまた、作家の名前で、この人の作品なら間違いないと思って買う。それでも、前に買って読んだものなら買いはしない。家に行けばそれがあるのだから。しかし、そういう買い方をすると、前に読んだことがあるのを忘れて同じものを買ってしまうことがよくある。私の場合、幸か不幸か、前に読んだことがあると気が付かないまま読み終わり、読み終わってもまだ気が付かなくて、本を整理する段になって初めて気が付くのである。それなら同じ本を買っても惜しくないじゃないかと言われそうだが、そうでもない。やはり同じ本が自分の家にあったら、クソとか何とか言いたくなる。だから、「倒錯の舞踏」は絶対に読んだことがあるはずだと思っても、前に読んだのはオリジナルの英語で読んだのだし、これは翻訳だからいいかなどと自分に言い訳しなければ、買うことが出来なかった。しかし結局いつもの通り、読み終わっても既読感は全くなかった。

話を最初の部分に戻すと、タクシーで客が助手席に乗るという話だが、実はフィリピンでもそういう光景をよく見る。若い女の子でも平気で助手席に乗ったりする。フィリピンのタクシーは、自動ドアではないし、運転手がドアを開けてやるというサービスなどしないから、後ろに乗るか前に乗るかはお客に選択権がある。オーストラリアでも客が助手席に乗るという話は知らなかったが、フィリピンで客が助手席に乗るということに関しては、奇妙なことだと思っていたので、私はフィリピンで長年働いている日本人とそれを話題にしたことがある。

彼はある大企業のフィリピンにある子会社の社長である。小さな会社だが、こぎれいなビルの中にオフィスがあり、ざっと見たところ20人くらいのフィリピン人が働いていた。でも彼は、会社の社長と言う雰囲気の人ではなかった。それではどんな感じかと言われると難しいのだが、あえて言うと、女房に仕事を任せて気ままに人生を暮らしている人のような、そんな雰囲気があった。フィリピン人には遅刻が多いという話を私がして、彼は、うちは遅刻には厳しいから遅刻する人はいませんと言った。しかし、彼は、遅刻よりトイレが問題だと言うので、どういう意味ですかと聞いた。フィリピン人は、会社に出てくるとまずトイレに行く。小の方なら分かるが、大の方をするのだ。此処に、と言って彼は盲腸のあたりを指して、おできが出来たことがあって絆創膏を貼っていたが、絆創膏の具合が何となくしっくりしないので、様子を見てみようとトイレに行ったら、個室がみんな塞がっていた。どれか開くだろうと思って洗面所の前で待っていたら、あとからきて並んだ男に順番を抜かされた。見ると、個室から出てきた人も並んで待っていた男も彼の会社の社員だった。別の個室から出てきた男もそうだった。それでしばらく鏡を見て顔を何やらしているふりで見ていたら、後からくる人も、出てきた人もみな彼の会社の社員だった。

フィリピン人は特に正直ということもないが、隠す必要のないことを隠すほど人が悪くはない。だから社長の質問に答えて、いつもビルのトイレで大の用事を済ますと何人かが正直に答えたらしい。実をいうと当時は私もそうだった。

なぜなら私はボーディングハウスに住んでいた。ボーディングハウスと言うのは大きな建物内に沢山の個室がある下宿屋である。個室と言うよりもベニヤで区切ったスペースという方が実態を反映している。もちろんドアはあるが、キッチンやトイレは共同である。そういうところに住んでいると、共同トイレで用を足す気にならない。会社に行けばビルの中の奇麗なトイレが利用できる。

私は何軒かのボーディングハウスを転々としたが、1番安くて、当然ながら1番劣悪なところでは、風呂場がなかったし、トイレも故障中で使用不可の札が掛かっているのがむしろ常態という所だった。それではどこか他所で用を足すしかない。そこでは風呂も酷かった。水を貯めたドラム缶があって、そこで水浴びをするのだが、人が大勢出入りする場所だから、服を着たまま水を浴びて石鹸で洗い、部屋に戻ると図らずも洗濯済みになった衣類を干し、体を拭いて着替えを身に着けるという具合である。会社勤めの人には親と同居していて家にトイレがある人が多いと思うが、ビルのトイレよりきれいなトイレを備えた家などほとんどない。だから、みんな会社に行くと適当に暇を見計らってトイレに行って大きい方の用を足す。人間の自然のリズムとして、大きい方は朝一番で用を足したい人が多いというだけの話である。

社長は、「ウンコくらい家で済ませて来いよ」と言っていたが、その話をずいぶん長くしていたから、よほどカルチャーショックだったらしい。私もフィリピンに行く前は、外出先で大をしたことなどない。それは長い人生だから、下痢気味で我慢できなくて1度や2度はあったかもしれないが、普通は家に帰るまで我慢した。家のトイレ以外のところでブリブリ音を立てながら用を足すなどと言うことは、私の辞書にも載っていなかった。しかし、生活程度や環境が変われば、そんなことは直ぐに変わってしまう。でも、社長の言うことは日本人として共鳴できるから、調子を合わせて話をした。

いい加減トイレの話が続いたところで、私が話題を変えるべくタクシーの話を持ち出したのだが、「ああ、それはね。身の安全のためですよ」と社長は言う。

「と言うと?」

「後ろに座って流れる景色を見ていたら、いきなり運ちゃんがピストル持って振り返るというのでは困るでしょ?」

私もフィリピン生活が長くなっていたので、フィリピンにはタクシー強盗が多いことは知っていた。フィリピンでタクシー強盗と言えば、その半分か半分以上はタクシーの運転手が被害者ではなく加害者である。だから社長の言うことは一理ある。

「それから、運ちゃんの方としても、いきなり後ろからピストル出されたり、ナイフで刺されたりしたら困るわけですよ」

「そうですね」

「だから、お客は後ろに乗せないで横に乗せるほうが安全なわけです」

「なるほど」

「という訳で、運ちゃんとお客と双方の思惑が一致して客はみんな助手席に乗るんですな」

彼の分析と解説は、反論しようもないほど論理的だなと私は思った。

オーストラリアでは、運転手とお客は友達だから横に座る。フィリピンではいつ殺し合いになるか分からないから横に座る。ところ変われば品変わるという言葉があるが、品は変わらないがその理由が変わるということもあるらしい。

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