私が生まれ育った実家は東京の中野で、JR中野駅から歩いてもごく近いところである。もう何十年も行っていないから、付近の様子は全く様変わりしてしまったに違いない。当時は駅から歩いても近いところなのに結構落ち着いた住宅街だった。昔のことで近頃の住宅のような一分の隙きもないような塀などはなく、目印のようなものに過ぎなかったから野良猫などもよく入ってきた。

私の父は私が11歳のときに死に、それから程なく動物愛護協会から犬を貰い受けて飼い始めた。母と長兄が一緒に行った記憶があるから、どちらかもしくは双方の意向で犬を飼おうということになったのだろう。当時はまだ高価なブリードの犬は少ないし、そうした犬を飼いきれなくて野良犬にしてしまうということも殆どなかったから、動物愛護協会に高価なブリードの犬などいるわけがなく、貰ってきたのは純然たる雑種だった。つまり、何か特定のブリードの血を引いているという特徴はまったくなかった。

勿論家族全員可愛がったが、庭に繋いで家に入れなかったし、特別可愛がったというわけでもなかったから、番犬として飼うことにしたのではないかと思う。

ところが、その後どういう経緯か知らないが、コッカースパニエルという種類の犬を飼い始め、これは家の中で飼っていた。もう昔の話であまりよく覚えていないが、比較的長兄がよく可愛がっていた気がする。ところが、何時の頃からか野良猫も住み着いて、家の中には上げなかったが、庭から外に出なくなったから飼い猫のようになってしまった。母が餌を上げていたから居着いてしまったわけだが、私はこうして犬と猫を飼い始めた当時のことを思い出すと、不思議な気がする。私の家族はいずれも人情味に欠けた冷たい人間などはいなかったが、人にも動物に対しても、ベタベタした愛情を示すようなタイプではない。犬については、よく覚えていないが、如何にも高価そうなブリードの子犬を誰かくれるという人がいて、それなら貰っておこうかという気になったのかもしれない。しかし、猫はそこらにザラに居る三毛猫だったし、野良猫だから居着いたと言っても飼い猫のように甘えてくるわけでもなかった。邪険にする家族はいなかったが、餌をやる母も、触ったり撫でたりしていたのを見たことがない。私自身も猫に触ったことはなかった。つまり、特別猫が好きだということはなかった。

40歳過ぎてから私は、ある事情で、まる1年間フィリピンで暮らしたことがある。フィリピン人である妻の実家だが、同じ家の中でも一応区別された作りになっていた。妻は出張の美容師などやって金を稼ぐのに忙しかったから、私は一人でぼんやり日陰で過ごすことが多かった。隣の家が沢山の猫を飼っていて、その中の1匹の子猫がどういうわけか、いつも日陰でぼんやりしている私の脚に毎日体を擦り付けて来るようになった。そうなると自然可愛いと思えてきて、餌をやることはなかったが、抱き上げたり撫でたりするようになった。妻もそれを知っていて、二人で近くの団地に家を借りて引っ越したときに、私のためにどこからか子猫を貰ってきてくれた。私は猫を可愛いと思うようになっていたが、動物が好きだという素振りを見せたことがなかった妻が、この子猫をとても可愛がった。毎日寝る時は一緒のベッドで寝かせた。

その後私は日本に戻り、ある仕事について働き、在職証明と納税証明がもらえるようになるとすぐに妻のためのビザに必要な書類を取得して、妻を呼び寄せた。これも事情があってかなり日数がかかり、妻が来るまで私はまる1年間、日本に一人で住んでいた。住んでいたところは会社の寮で、犬猫の飼育は禁止だったが、バレなければよかろうということで、会社の友達から子猫をもらって飼い始めた。大きな団地のようなビルで、大勢住んでいたのだが、猫の鳴き声が聞こえるという噂が広がり始めて、これは少し危ないなと思ったが、妻が日本に来て、しばらく後に別のアパートに引っ越すまで、会社に猫の飼育がバレることはなかった。尤も猫を飼っている人は他にもいたし、中にはウサギを飼っている人もいた。つまり会社はあまりうるさくなかったのである。

猫は雑種だが、ペルシャ猫の血が入っているようで、ふさふさした毛を持っていた。妻も私も随分可愛がった。5年位してから妻と二人でフィリピンに移住することになり、色々調べたが、猫をフィリピンに連れて行くことは非常に難しかった。猫にも狂犬病というのはあるそうで、その予防注射済の証明書まで用意したのだが、結局連れて行くのは断念して、妻の妹に託した。妻の妹も日本人と結婚して日本に住んでいたのである。

フィリピンに行って勿論すぐに猫を飼い始めた。野良猫の多いところで、その中で一番可愛い子猫を拾って育て始めたのである。この度は妻が日本で稼いでためた金で建てた大きな家だったから、この子猫は家の中で飼ったが、広いテラスにくる野良猫にも餌をやって、半ばは飼い猫のようになった。しかし、それらは決して家の中に入れなかった。常時テラスに姿を見せる猫は多いときで15匹を超えたが、有り難いことに、糞が臭い、鳴き声がうるさいという苦情は出なかった。日本だったら警察沙汰になったかもしれない。

この妻とは15年くらい共に過ごしたのだが、最後の数年は、私はフィリピン、彼女は日本という逆の形での別居生活になった。だから私にとっては、猫は伴侶のようなものだった。多くの猫が生まれ、多くの猫が死んで、私はいい年をして何度泣いたことかわからない。

妻との生活が完全に破綻してから数年後に、私は今の妻と知り合って一緒に住むようになった。当時は経済的にどん底に近い状態だったから猫を飼うことはできなかったが、生活が上向いて小さな家をマニラの南のカビテというところに買って引っ越す事になった時、妻が猫を買いに行こうと言った。フィリピンのマニラの或る一角にペットショップが集まっているところがあり、犬猫は愚か、およそペットとして人が飼いそうな小動物は、なんでもそこへ行けば売っている。私と妻が当時借りて住んでいた家が、たまたまそこのすぐ近くだった。妻と二人で散歩がてら良くペットショップを覗いていたのである。妻が特別猫好きだということは聞いていなかったから、私は驚いた。家を買ったのは私の稼ぎからだから、妻は私に感謝するつもりで猫を買うと言い出したらしい。私が猫好きであることは知っていたからである。

メインクーンという種類の猫で、育てば普通の猫よりだいぶ大きくなる種類だが、純粋種ではなかったのか、普通の猫より多少大きいかなというくらいにしかならなかった。家の中で飼い、ベッドに上がっても気にしなかったが、オスだからそのうち外をうろつき歩くことのほうが多くなった。妻も子供も可愛がったが、猫可愛がりしたのは私だけである。だから、私にはよく懐いていた。あまり敏捷な猫ではなくて、屋根に登ったりすることが有るが、そうすると自分では降りられなくなってしまう。そのために私ははしごを買ったりした。はしごを登って猫をおろしに行くのである。

フィリピンでは犬好きの人のほうが圧倒的に多いが、猫を飼っている人も結構いるし、野良猫も多い。私の猫はオスだから子供を生むということがなくて助かった。隣の家にも猫がいたが、メスだったので、1回出産するたびに56匹猫が増える。そのあたりまでは我慢して飼っていたが、2回めの出産からは生まれた猫を全部捨てに行った。後ろめたいので捨てたとは言わないが、そんなことはすぐに分かる。妻と二人で「うちのはオスでよかったね」と言い合った。うちの猫は大きさこそウィキペディアに書いて有るほど大きくならなかったが、姿形はメインクーンそのものだったから、誘拐されたことも有る。隣の人は、うちの猫の子供が出来たら育てると言っていたが、結局出来なかった。多分ペットショップで避妊処理をして売っているのだと思う。そうでないと高く売っている猫がポコポコ作り出されてしまう。

去年私が日本に来て、妻と子供は今年日本に来た。それで猫は妻の実家に移して、今はそこで暮らしている。そこはセキュリティの厳しい団地で、定期的に野良犬・野良猫狩りをしている。私の猫は見るからに野良猫とは違うが、団地の管理事務所に話して、飼い猫である旨伝えてある。それなら縛っておけと言わない所がフィリピンの良いところで、私の猫はその広い団地の中を我が物顔で歩いてメスを探しているという。

そこには妻の両親と妹が住んでいるので、時々スカイプで話をする。実を言うと私は妻の家族とは親しくないので、スカイプで話したことはないのだが、先日猫をウェブカムの前に連れてきてくれた。この時は私も「アオ、アオ」と大きな声を出してしまった。アオは、何処にいるんだろうという感じでキョロキョロ私を探していた。

私はもうフィリピンに行くことはないと思うので、2度とアオに会うことは出来ない。しかし、生きていてくれるだけで多少の幸せを感じる。私の腕に抱かれて死んでいった猫がたくさんいるから、それを思えば、会えなくても生きていてくれるだけで幸せだと思うことが出来る。