将棋工房「御蔵」のブログ

将棋駒の木地や棋具(盤、駒箱等)を製作している工房「御蔵」のブログです。

2008年11月

是非 ご覧になっていただきたい駒

 銘駒図鑑(http://meikoma.com/index.html)に新しい駒が掲載されております。
豊島作小野書、同じく豊島作三邨書の二点です。ある方が、ネットオークションで最近落札されたそうです。写真を拝見させていただいた限り、駒の保存状態は大変によく、漆の表現力から豊島数次郎の作に間違いないと思われます。小野書は、私が今まで拝見した豊島の小野書に比べやや太字で、裏字は細めですが、実に力強さを感る漆の表現です。虎斑の木地は、相当に派手なはずですが油を使っていないためか、控えめ見え、未だに成長過程の駒であることに驚かされます。三邨書は字の表現がおもしろく,好感を持って見させていただきました。実に流麗な漆で、「さすが数次郎」です。二点同時にオークションに出展されたそうですが、前の持ち主の方はよほど大切に扱っておられたのでしょう。
 2代目豊島龍山である豊島和次郎は、昭和15年に36歳の若さで他界しますが、銘やタッチから見ると、二点とも昭和初期のものではないでしょうか。とすると20歳前半の作品で、その若さであのような枯れた表現を作り上げることできるとは、「天才」としか言いようがありません。もし、彼がもっと長く生きていることが出来ていたらどのような表現の駒を作り出したのでしょうか。考えると残念でなりません。
 数次郎は、初代豊島龍山であった豊島太郎吉が56歳の時に生まれ、字母は太郎吉が製作したものとおもわれますが、三邨書のような難しい書体を数次郎は、その若さで十分に理解していたのでしょう。書に関しても彼は、相当な技量であったことが創造できます。
 是非ご覧頂きたい作品です。

石橋さん 初防衛おめでとう

 昨日は、大変に忙しい一日でした。午前中、4月に製作した新作の駒箱12点の拭き漆をしましたが、「心ここにあらず」で女流王位戦の様子が気に掛かり、8点のみで終わってしまいました。ネット中継を見ると、ちょうどお昼の休憩時間で、すでに華々しい戦いになっており、お二人の今回のタイトル戦に掛ける意気込みを感じました。師弟対決ではありますが、いつ見てもお二人の戦いぶりには驚かされます。差し手の善悪とは関係なく、その戦い方には情念の塊がぶつかり合っているようで、怖いくらいの気迫を感じます。
 午後からは、沖縄に行っている妻と義父を迎えに羽田空港まで行く予定でしたが、電話が入り、飛行機がシステムトラブルで、大分遅れそうとのこと。結局2時45分着が4時15分に羽田に到着、5時半に自宅に帰ることが出来ましたが、6時からLPSAの「駒つくり教室」があるため、女流王位戦が気に掛かりましたがちょっとだけネット観戦。
 途中、将棋連盟主催の天童でおこなわれた国際将棋大会に参加されたドイツチームの訪問を受け、教室は今年御蔵から独立した駒師の田原清秋氏に任せ、将棋駒について説明をさせていただきました。映像カメラも入り、約1時間の間、いろいろな質問を受け楽しく過ごさせていただきましたが、終わると同時に、石橋さんが防衛に成功したとの知らせを受け、皆でLPSAにおじゃましました。ちなみに、LPSAは御蔵のとなりのビルにサロンを構えております。
 伺うと、皆さん大賑わいで、早速祝勝会を開くことになり、約20人の方が参加なさいました。石橋さん、清水さんご苦労様でした。空港から帰ってきた時には四十数手であった局面が、百二十三手まで伸びており、その激しい戦いぶりに執念さえ感じる1局でした。石橋さんとは、彼女が19歳の時より『石橋開雲書』を書いていただいており、現在も第6作目が進行中であり、ご家族と親しくさせていただいております。ご尊父が今年お亡くなりになり、また、LPSAの理事として営業に忙しく活動されておりお体を心配しておりましたが、見事に将棋に復活されたご様子に安心しました。
 祝勝会は11時過ぎまで近くの中華料理店で行われ、乾杯の連続、ドイツチームの皆様も参加いただきました。
 石橋さん、LPSAの皆さん、本当におめでとうございました。

天一作 盛上駒

 先日、あるオークション代行店より、天一作の盛上駒が持ち込まれました。
真贋を見てほしいとのことでしたが、驚くべき駒でした。
 天一作で書体名は無く(俗に天童丸文字に近い書体)、虎斑の見事な木地
に、漆が見事に表現されておりました。一瞬豊島数次郎を髣髴させるような
高く強い表現を見せておりました。
 以前、私が近代将棋に掲載しておりました「銘駒研究室」において師の盛
上駒の特集を組んだことがありましたが、これほどの表現には出会うことは
ありませんでした。
 当時、詳しく調べてみたところ、天一師は、昭和30年代後半より40年頃まで
『東京駒』に対抗すべく、盛上駒に挑戦をしていたそうです。私達の、それま
での知識では、昭和50年代半ばに久徳師により、天童に盛上駒が作られたのが
最初であるとされておりました。
 約10年ほど前になりますが、私が、「牛谷露滴」(豊島太郎吉に駒つくりを
教えたと伝えられている人物)のことを調査していた際に、ある骨董商のお店
で、天一作の盛上駒を見る機会があり、昭和39年に製作されたと聞いていると
の話を受け、
 「これは、時代から言っても、贋作かもしれない」
と言ったところ、そのご主人はたいそうお怒りになり、
 「これは、私がアメリカ大使館の一等書記官であった人が、昭和42年頃にアメ
リカに帰る際に家財を整理され、それをわたしが引き受けたものですから時代に
間違いはありません。」
 とのことで、
 「なぜ、アメリカの方がこのようなものをお持ちだったんでしょうか?」
と尋ねると、
 「東京オリンピックの時に、記念として大使館へ贈られたと聞いている。」
とのことでした。駒を購入し調べてみると、天一作2作、武山作1作が作られてい
たことが判明しました。昨年もあるコレクターの方より天一作草書の駒が持ち込
まれた時も驚きましたが、その駒も調査の結果本物とわかりました。
 今回持ち込まれたその虎斑の駒は、「見事」と言うしかございません。
大分使い込まれ裏字は、磨り減ってはおりますが、ただただ、上手としか申し上
げることしかありません。
 当時は、「盤屋は大名、駒師は乞食」と言われるほど駒師は恵まれていません
でした。その中で、師は「東京駒に負けない駒を」との一念で製作を続けたと聞
いております。昭和40年代に入り、師は、盛上駒を問屋に卸そうとしたところ、
 「こんなものは売れない」
とけんもほろろに断られ、師は組み駒(将棋駒を天童ではそう呼ぶ)の製作を断
念し、「飾り駒」の職人に転向され、その後数年で亡くなられたそうです。
その、無念さがしみじみと心に響きます。同時に、師の「良い駒を作り天童駒の
評価を上げよう」よいう思いは駒からあふれ出んばかりに伝わってきます。
 現在、オークション代行店トーシンの銘品館に、写真が載っておりますので、
興味のある方は、是非ご覧になっていただきたいと思います。  

駒の手入れ

「駒をどのように手入れをしたら良いのか?」
よく、このような質問を受けますが、私は常に「駒を使ってください。
そして、使った後駒を柔らかめの布か、セーム皮で拭いてください。」
と答えます。
 駒は、使って磨くことにより、より美しさを増します。使っても、磨
くことを忘れると、駒に手油が残り、それが埃を付着させる要因となり
ます。油は、駒(ツゲ)にしみ込み、そのままにしていると埃も一緒に
駒にこびりついてしまいます。これが駒が汚くなる原因です。2・3回
に1度でよいですから、空拭きをしてあげましょう。
 椿油を使うことを薦めている方もいらしゃいますが、私は反対します。
油はどのような種類でも、駒の天敵であると考えていただいて良いでし
ょう。
 硬化した漆は油に強いように見えます。実際に盛り上げた駒に油をつけ
ても盛り上げた漆に影響があるようには見えません。しかしながら、その
油は木地にしみ込み、少しづつたまってゆきます。ある程度まで油がたま
ると、駒を彫った位置にまで油が浸透します。漆は、木地の導管に根を張
った状況で駒に接着しています。導管は細く1mmの何分の一の径しかあ
りませんので、そこが溶け出してしまうのです。そこで、漆は木地から浮
いた状況になり、打ち付けた衝撃により剥奪します。
 また、木地にしみ込んだ油は容易に抜けることはありません。一見油を
塗ることにより、表面がきれいになるように見えても、十年もすれば油で
いっぱいになり、油自体が酸化を起し黒ずみはじめます。
 駒は手入れさえよければ、数十年、数百年使える品物です。大事にかわ
いがって下さい。 
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