将棋のファンとは?
将棋というゲームのファンとしての立場から将棋を見るのか、将棋指しのファ
ンとして将棋を見るのかによって、意見は大分分かれるのではないかと思って
おります。
 将棋を愛する人たちが望んでいることは、ゲームとしての将棋をベースとし
たコミュニケーションを創ることが大事であり、そこに存在する「勝ち・負け」
によって、そのコミュニケーションが崩れるのであれば、将棋を捨てることが
必要な人となるはずです。
 将棋を職業とする将棋指しと呼ばれる人たちにとっては、将棋の「勝ち・負
け」は、生活の環境を変えるバロメーターであり、勝つことが一番大切となる
でしょう。
 その将棋指しの将棋を見ることが大事な、将棋指しのファンにとっても、そ
の人が勝つことは嬉しいことではありますが、自分の生活環境の変化にはさほ
ど関係のない自己満足を得るためのツールのようなものでしょう。
いわば、将棋は、人生そのものというよりは、そのゲームの中に自分を置き換
えた仮想空間の中における人と人の争い、あるいは楽しみとしてのコミュニケ
ーションのツール。実際に王様が詰まされて自分が死ぬわけではありません。
そして、そのゲームの中の王様の生きざまがどのようになっていくのかを指す
側も、またそれを見る人も、どのように評価するかだけです。

将棋は単なるゲームなのです。

 しかし、そこにある自己表現があまりに生々しく伝わることが、このゲーム
の魅力なのでしょう。勝つことも大事ですが、その勝ち方・負け方も大事な要
素です。各ゲームにどれだけの魅力があるかどうかはそのゲームに勝ち方がど
れだけ存在するか、また一定の法則が存在するかによって違ってきます。必勝
法が見つかってしまえばその魅力は半減するでしょう。
 将棋ファンにとってプロの将棋は、その法則を見つけてくれる大事なツール。
でも、そのプロの将棋指しにとっては、生活の糧を得るためのツール。
必勝法のない段階でのゲームにとって大事なのは、そこにおける自己表現の仕
方であり、そこには、見る側にとっては、自分にとって責任のない楽しさが映
し出されます。
 ファンを魅了する将棋とは、指す人の、その人間性からひねり出される一手
一手にどれだけの存在感を見いだせるかであり、そこに指す人の個性が大事と
なるはずです。
 新聞将棋の楽しさは、多くの人にとっては棋譜ではなく、その情景を写し出
す観戦記者の文章から引き出されるものでした。毎日伝えられるその情景が、
待ち遠しくなるほどの文章力が必要でした。しかし、勝ち負けのニュースがい
ち早く伝えられることとなってしまった現在、その内容は変わってきてしまっ
たのでしょう。
 つまらない世の中になってきたものです。新聞社のニュースの速報性は他の
メディアに移りつつあり斜陽が見られます。また、将棋はそのメディアの速報
性が優れているため、新聞の販売促進性がなくなりつつあり、よりぞんざいに
扱われるようになりました。にもかかわらず、いまだに連盟はそこに頼るばか
りで方向すら見えません。
 将棋界を代表する日本将棋連盟。そこには、ファンが求める全てが集約して
ほしいと願う人が大勢いることを忘れないでいただきたいです。ファンを裏切
らないでいただきたい。個々の棋士はいざ知らず、そこの運営者がファンの存
在を忘れ、自己保身に走った時には、ファンはそれを捨てるだけです。それは
将棋自体が衰退するわけではなく、新しい何かが始まるだけで、連盟の存在が
無くなるだけだと思います。