
前節(第11節)のある意味ショッキングな敗戦から迎える今節(第12節)、レノファ山口FCとの対戦になります。まずはこれまでやってきたこと、進んでいる方向性を信じて、選手・スタッフはもちろんのこと、サポーターもこの試合に臨んでほしいなと思っています。私は祝日なのに仕事で現地には駆けつけられないけど……
はい、ここまでが試合前に書いていたことですが、まず選手たちには改めて同じ言葉を投げかけたいです。特に前半、相手の対策や風などの影響もあったとは思うけど、それでももっと出来たでしょう。皆もっと動いてもっと積極的にボールを通そうよ。そういうサッカーをするんでしょ。これまでやってきたことを信じて、自信を持って、やれることを精一杯!
でも、何故出来なくなったんだろう? 勝てなくなって迷いが出てきてしまっているのかな? それは、逆に(まだ)出来ないことまで無理にしようとしていることからも。まずは保持してから崩す、っていうのをやっているのに、例えばカットインなしのはやめのクロスとか。いや、それがダメと言っているわけではなく、意図を持って効果的に織り込むのは良いんです。そう、だったらね。しかし、仕方なく負の意味合いでやってしまっているのが。もちろん、ただ出来ることだけやればよいということではありません。でも、もっとこれまでやってきたことは信じてほしいと改めて。
後半は攻勢に出られました。しかし、寄せ(行くところと行かないところ)、コース切り、カバー等々、それらの判断が甘くなったスキを突かれてしまって逆に失点し、最後は守り切られてしまいました。やれること、やらなければならないことが出来ていないからこそ起こるスキだしズレだったか。これも勝てていないからこそ単眼的になり、行かなくても良いときに行ってしまい、逆に行かなくてはならないときに行けていない、って。
ここで、改めて以前自身が書いた文章の引用を。
> 突然ですが、作曲についても演奏についても、まず楽理・禁則をおかさないことやセオリーなどは大事です。いや、音楽って自由なのでは? はい、そうです。でも、セオリーなどを意識しなくて音楽を創造できる方はいわゆる超人だけです。凡人がセオリーなどを丸っ切り無視すれば、無秩序でただの出鱈目な音楽になってしまいがちです。とはいえ、そういったものを守れば素晴らしい音楽を作り出すことができるのか、といえば、それもまた違います。じゃあ、どうすれば? はい、セオリーを守りながらも、どこかで意図をもってそこから逸脱する瞬間を作ることです。実は、人はそのはみ出た部分にこそ心が動かされたりするのです。たとえば、2025年4月20日のN響オーチャード定期で演奏されたストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』では、Dance of the Coachmen(馭者と馬丁たちの踊り Danse des cochers et des palefreniers)はAllegro moderatoでBPMは112となっています。しかし、指揮者のパーヴォ・ヤルヴィはハ長調からイ長調に戻るところで明らかにテンポをはやくしています。楽譜にそうしなさいと記入されていないのにもかかわらずね。でも、まあ、これ、セオリー無視とか楽理・禁則をおかしたというほどのことでもないけど、この煽りによりライブならではの熱狂を生んだし、実際にそういった意図があったのでしょう。
これ、音楽の話ですが、第10節のサッカーの試合のレビューで書いたものです。サッカーでも同様に、まずチームの戦い方のベースは守り、それをしっかりと遂行。そして、そのうえで大胆な動きを織り込んでほしいんです。この辺の意思統一を。順番が逆になれば、それはただの無謀、無秩序だし。

