トルニタリナイコト@MimeiTagawa

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江ノ電「江ノ島」駅のすぐ近く。
龍口寺のおみくじ。

『雲が晴れ、霞もなく澄み切った青空のように、福祿ともに得て、願い事も叶うだろう。また志しを立て一生懸命に努力をすれば、吉祥がさらに多く、新しい福徳もうまれることであろう。』

うれしや、うれしや、ありがたや。
はい、精進いたします。

そういえば、去年ひいたおみくじには、「春樹花爛漫」という文字が入っていて。これはもしかして春樹氏いよいよノーベル賞、あるいは長編の新刊が。などと期待していたのだけれど、残念ながらそうはいかず。と思ったら、明けてこのお正月早々、長編新刊の発売日決定というニュースが。ということは昨年すでに作品は完成していたということで。おみくじ、当たってたかも。と、勝手な解釈ながら、なんだかうきうきしている初春。

◆今年もどうぞよろしくです。
夢見食堂―夢見荘亭主の簡単ゴハン
新年最初の家ゴハン
いか飯になれなかったいか



  

 

芙蓉-2-1000DSC_3291



〔ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉〕 八田木枯



立ち枯れてもなぜか絵になる芙蓉の実。
「枯芙蓉」(かれふよう)は冬の季語なのだそう。
冬晴れの日に見るそれは、ほわほわと愛らしいけれど、
明日は大寒波とか。
おおさむ、こさむ。
山からそんな便りが届くかも。
でもどうか災いになるほどの荒天にはなりませんように。
 
 

 
 

 



 

 





 
 

 

 

上野根津1400BeFunky Collage

さて、くだんの「水月ホテル鴎外荘」。正月二日、近隣の神社まで送ってくれるというホテルのバスに乗って、根津神社へ。この辺り、散策には事欠かぬ場所でもあるのだけど、ミメオはまだそんなに歩き回れないし、三が日は休んでいる店も多いし。ここは無理せず、境内を一廻りするだけにして、カフェでお茶して再びホテルへ。そして午後、ミメオは神経痛に効くという温泉三昧。あたしは母を連れて、上野方面へぶらぶらり。

歩道に面した柵の向こうは、動物園。「なかよし広場」の片隅で、ポニーがぼうっと佇んでいる。どうやらひなたぼっこをしているらしい。母とふたり立ち止まり、「可愛いねぇ」と見惚れてしまう。そういえば、この動物園には何度も来た。まだ若かりし母と幼いあたしが、こんなふうに並んで動物たちを見ていた。

束の間、時が戻ったような気がして、懐かしいような切ないような気持ちになっているあたしの横で、母が呟く。「ここに来たのは、いつだったかしら。戦前? 戦後にも来たかしら」 あの、もしもし? ここにはあたしと一緒に来てますから。パンダだって見に来ましたから。「あ、そうか。そうよね、最後に来てからまだそんなに経ってないのね」。いやいやいや、時はもう十分経っておりますが。

不忍池に出ると、大きく広がる空を鳥たちが舞っている。立ち枯れた葦の向こうにはビルの群れ。「ああ、ここには来たわ。絵の教室のお友達と、つい最近」。いえいえ、あれは確か4,5年前のこと。

年女で、今年84になる母は、昨年末に受けた認知症テストで「問題ナシ」と誉められて喜んでいたけれど、それでもやはり年相応に色んなことがずれている。暑さ寒さの感覚や、時の長さや短さや。(そういうあたしも、すでに他人事ではないけれど)

冬の日は早々に傾きはじめ、ホテルへと戻る道すがら、「上野東照宮」という立て札を見て母が立ちどまる。ここ、行ってみようか。なるほど。ここには我が高祖父・慶喜公が奉られているのだった。といっても、それは父方の家系。あたしがまだ幼いうちに母は父と別れたので、以来その血縁とは無関係に生きてきた。親戚縁者で話題になることもなかったから、意識することなく過ぎてきた。だから、母がこんな事を言い出すのは珍しい。

行ってみれば初詣の列が長く伸びていて、最後尾につくと日が暮れる。参拝するのは諦めて、唐門の前まで行き、しげしげと眺める。戦争や震災でも焼失しなかったというそれは、さすがに重々しく、美しい。銅燈籠には葵のご紋。母も近づいたり離れたりしながら、長いあいだ社殿を見ていた。東照宮の謂われが記された札を熱心に読んでいた。

悲喜こもごも様々なことがあった母の人生だけれど、年を経てみればどれもがもうひっそりと記憶の小箱に収まっている。その場その時に蠢いていた感情も薄らいでいるのだろう。だから平らかな気持ちで、「思い出」という褪せた写真を眺められる。そこに写るぼやけた輪郭の人々を、もう一度確かめたくなる。係わった人たちを呼び起こすことで、今ここにいる自分が確かなものになる。たぶん、そういうことなのだろう。

そういえば。あたしもここ数年、大河ドラマなどを見るとなぜか不思議な気持ちになる。もし篤姫が「お家」を守り通さなければ、あたしは生まれてこなかったかも。「真田丸」を見ているときも、感じていた。この史実のどこかが違っていたら、と。今までは、そういう目で歴史を眺めたことなどなかったのに。

やはり年を取ったということなのだろう。年々、なんとはなしに心許ない気持ちになって、今いる自分が不確かになる。どこか遠くから来て、長い道を歩いてきた今、冬の薄日に照らされる自分の後ろに、ちゃんと影はあるだろうか。長い影法師の足もとと自分の足もとがしっかりと繋がっているだろうか。そう思って振り返る。振り返って、確かめたくなる。そういうことなのかもしれない。

BeFunky Collage-1200


というわけで。縁がありながら今まで縁遠かった上野という土地を再確認することもできて。予想以上に良い場所で、ああここ好きかも、と思ったり。そして宿の中にいるあいだずっと「浴衣に羽織、つっかけサンダル」で過ごしたおかげで、とっぷりと温泉旅行気分を満喫できて。こんなところが東京にあったなんて。ミメオもあたしも母も、三者三様それぞれに、なんだか得した気分の正月三が日でありました。ありがたや。

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新年からなぜこんなに長々と書いちゃったんでしょう。と思いつつ。まぁ今年は、気ままわがまま思いのままに。(あ、これを抱負にしよう)

◆更新シテマス
夢見食堂―夢見荘亭主の簡単ゴハン
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