生きるための「欲」

spoon

又しても、ダウンしていた間のことで、
もういい加減にせえ、と言われそうだけれど。
でも、そういうときだからこそ感じたこと、いつもと違って感じられたこと、
そういうものが、けっこうあれこれあったりして。
たぶんそれは喉元過ぎてしまえば、すっかり忘れてしまったりするもので、
だからこそ、今のうちに書いておこうかな、と思ったりしています。
なので、もう少しだけおつき合いくださいね。

+++

絶好調から、突如、急転直下で絶不調になり、
そのショックは大きかったものの、
点滴と薬のおかげで症状は急速に治まって、
翌日には時々起き上がって、ぼんやりテレビを見たりした。
ワイドショーとか夕方のニュース番組とかを、
あまり深く考えず、景色のように眺めていた。
と、ふいに思ったのだ。
食べ物ばっかりだなぁ、と。
こんなに食べ物ばっかり映してどうするんだろう、と。

その時のわたしの状態は、ちょっと不思議なもので、
すでに症状は治まっていたから、
食べ物を見ただけで気分が悪くなるということはなく、
かといって、いつものような食欲があるわけではないので、
きれいに盛られた料理を見ても、「美味しそう」と思うわけでもなく。
ミメオが作ってくれた、消化の良い温かい料理は、
ちゃんと美味しく食べられたのだけれど、
それ以外に体が欲しているものは、くだんのリンゴジュースくらいのもの。
そのせいなのか、テレビの画面に次々に現われる「食べ物」が、
ただの「食べられる物」(あるいは食材)のようにしか見えなかった。
まるで紙に書いた「食べ物」という「文字」を見ているかのようで、
そこから味や匂いや食感を想像することもなかったし、
「食べたい」とか「食べたくない」とか、
そういう感覚さえ湧いてこなかったのだ。

そのおかげで、食べたいのに食べられない、とか、
治るまで我慢する、とか、そんな辛さがなかったのは有り難かったのだけれど、
でも、やっぱり、それはとても不思議な感覚で、
どこかおかしい、と思っていた。
ヒトとして、不自然なことだ、と。

そんな時、たまたま見た番組に、ある一匹の犬が出ていた。
その犬は、とにかく食べることを嫌がるのだ。
どうやら生まれつき味覚がないようで、
それでも生きるためには食べなくてはならないから、
飼い主の女性がとても苦労して、毎日餌を口に入れてやるのだった。
ドッグフードを離乳食のようにすりつぶし、
時間をかけて、ひと匙ひと匙、口に入れてやる。
犬は抵抗しつつも、ついには根負けして嫌々ながら飲みこむのだけれど、
きっと飼い主の愛情を感じているからだろう、
牙を剥いたり、怒ったりすることはない。

たぶん、「味覚がない」犬にとって、口にむりやり入れられたものは、
もはや「食べ物」などではないのだ。
それはただ、むりやり飲み下すものでしかなく、
言ってみれば、生きるために必要な薬を飲むのと同じ事だ。
「食べる」という楽しみも「食欲」も知らずに、
来る日も来る日も、大量の薬を飲みくだしながら生きていく。
それは、どんなにか辛いことだろう。

その犬の健気さと、飼い主の深い愛情に、思わず涙した。
食べ物を見ても何も感じず、まるで「食欲」のないあたしにとって、
味覚のないその犬は、どこかヒトゴトではなかった。
そして、あらためて思ったのだった。
食べる、ということは、食物を飲みこむことではないのだなぁ、と。
「味わう」という楽しみがあるあらこそ、
「食べる」という行為は成り立つのだ。
「美味しい」と思えばこそ、「食欲」が生まれる。

考えてみれば、ヒトが生まれ持った「欲」というのは、
よく出来たものだと思う。
全ての欲には快感が伴い、快感があるからこそ欲が生まれる。
食べ物を美味しいと思えばこそ「食欲」が生まれ、栄養を摂取できるし、
セックスに快感があるからこそ「性欲」が保持され、
生き物として種や命を継ぐことができる。
眠ることの心地好さを知っているからこそ、
疲れたときには眠りをむさぼり、身や心を癒やそうとする。

時に、ヒトは「欲」というものを、持てあましたり、
イケナイモノのように思ったりもするけれど。
でも、やはり「欲」は必要なものなのだ。
欲があるからこそ、ヒトの営みは成り立っている。
生きるための「欲」があるからこそ、ヒトは生きていける。


+++

目の前の食べ物を見て、何も感じないというのは、
ちょっと怖いものでありました。
食いしん坊のあたしは、
日々、あれ食べたい、これ食べたい、と言ったりしているだけに、
その状態は、とても不可思議なもので。
テレビに映る料理を見て、あれ食べたい、と言えるってことは、
けっこう大切なことなんだなぁ、と、思ったりもしました。
もちろん飽食というのは、様々な問題を孕んでいるのだと自覚しつつも。
あと、強欲なヒトってパワーあったりするものなぁ、とか思ったりして、
日頃はつい批判したくなるようなものを、
ちょっと違った角度から眺めてみたりもしました。

そんな状態の中、テレビを見ていて、
唯一「食べたいかも」と思ったのが、なぜかチーズフォンデュ。
ううむ。
なぜだろう、なぜかしらん。
で、今日の夕食は、そのチーズフォンデュ(もちろんシェフはミメオですが)
しっかりと味わいながら、美味しくいただきましたです。
はい。

+++

そのミメオの料理ブログ夢見食堂
既にお知らせした通り、昨日から今日の午前中にかけて、
ニフティのディリーポータルZに載ったわけですが。
昨日一日の訪問者数が、なんと3322。
うーむ。
予想はしていたけれど、やはりすごい。
「夢見食堂」は、通常でも1日400前後のアクセスがあるのだけど、
それにしても、やっぱりすごい。
ニフティ、恐るべし。
大手ポータルサイトのパワーというモノを改めて実感いたしました。

ちなみにピックアップされた記事は、こちら↓
「温かい刺身」
http://www.mimei.info/mimeo/archives/2007/01/post_89.html
これ、ほんとに簡単で美味しいです。
(こんな料理、どうして思いついたの?と訊いたら、
 本人曰く「さぁ…? ただ、なんとなく」)
疲れた胃にも体にも優しいし。
ぜひ、お試しアレ。

fc2r

Trackback

Comment

momo | 2007年02月23日 16:57
味覚がなくなったら食欲がないのと同様、考えられなくなったら”生きる”こともつまらないものになりますよねー!ミメイさんの感性に乾杯!

走り続けていると、時に身体も心もお休みが必要になります。風邪や熱のおかげでそれができますね。
ミメイ | 2007年02月24日 00:24
momoさん
うふふ。どうもありがとー。
>考えられなくなったら”生きる”こともつまらない
そうですねー。
考えるのが嫌になるようなこともあるけれど、
でも考えられなくなったら、と思うと、そのほうが怖いですよね。
>風邪や熱のおかげでそれができますね
ほんと、そうなんですね。
ちょっと休みしなさい、というサインなのかな。
自分のカラダなのに、自分ではよく分からなかったりするし。
カラダってほんとに不思議です。


Kii | 2007年02月24日 01:47
>自分のカラダなのに、自分ではよく分からなかったりするし。
それをね 少しづつ解読するのが おもしろい。
ほんの少しづつ
ミメイ | 2007年02月24日 02:44
Kiiちゃん
うん、たしかにそうだね。
ひとつ分かる度に、なるほど、と思う。
そうやってカラダと心をならしていくかんじ。
ふしぎだなぁって思うことって、ほんとに面白いよね。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
Profile
日がなぼんやり夢ウツツ。モノカキ田川ミメイのとるにたりないこと(通称トルタリ)ばかり。
■OfficialWebsite mi:media
■Livedoorプロフィール
田川未明ファンコミュ@mixi

By: TwitterButtons.com
By TwitterButtons.com
Categories
Archives

tetujin




QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ