真鶴に行った。アメリカから帰国した友人夫妻が、今度は真鶴で暮し始め、その新居に招んで頂いたのだった。海が一望できる部屋は、まるでリゾートホテルのよう。ミメオの誕生日祝いにと用意してくれていたシャンパンとオードブルを、広いテラスで頂きながら、さっそく話に花が咲く。だからこの時は、まったく忘れていたのだった。川上弘美の「真鶴」のことを。
いや、実を言えば、真鶴の駅まで迎えにきてくれた友人の車に乗って、半島をぐるりと一周し、木々が鬱蒼と茂る人気(ひとけ)のない道を降りていったとき、「この辺り、なんだか怖いね」と皆で口々に言い合って、その時、ほんの一瞬、思い出しはしたのだけれど。
川上弘美の「真鶴」のことは、「ふたたび『真鶴』」というタイトルでここにも感想を書いたけれど、あれは怖い小説だった。読み終えて、すごい、と唸ったけれど、読んでいる間中、主人公に「ついてくる」この世のものではない「女」の気配を感じ、「向う側」に連れて行かれそうな気がして、怖かった。そのせいか、あたしにしては珍しく一度読んだきりで本棚にしまいこんでいた。いつか必ず再読するときが来るとは思っていたけれど、それはもう少し先のこと。そう思っていたから、文中に描かれてる「真鶴」のことも、それがどんな日のどんな場面だったのか、すっかり忘れていたのだった。だから、車の中で思い出したときも、ああ、そういえば、ここがあの真鶴だ、と、そう思っただけだった。
夕暮れて、少し雲が晴れてきた。そろそろ時間だ、と、友人宅を出て、港を見下ろす場所に建つレストランへ。この日はちょうど「貴船まつり」の二日目。港の対岸にある貴船神社から船に乗せて運んできた御輿を、この日、神社に戻すのだという。特等席で、その祭りを眺め、花火を楽しむ。ガラス越しに見るそれは、どこか映像のようでもあり、それでも祭りの華やぎは伝わってきて、あたし達はいつにも増して、食べて呑んで喋り続け、夏の一夜を満喫したのだった。
が、家に戻って、本棚から「真鶴」を取りだして読み返し、息を飲んだ。そこに書かれていたのは、まさにこの祭りの日のことだったのだ。『転覆した船を置きさって、先をゆく御輿をのせた船は、神社のふもとの岸につく。
そのまま御輿は岸にはこばれる。とりついた男たちが、大音声をあげながら、きりたった岸のうえにある神社まで、御輿をかつぎあげてゆく。』


『花火がつぎつぎにあがる。音がしない。気がつくと、いっさいの音が失せている。』
『ほら、みて。
女がゆびさす。蔵の隙の海面を、転覆した船がしずかに漂ってゆく。むすうの火花の船の腹にふる。火花はやがて小さな炎となって、鬼火のように船のまわりをとびかいはじめる。』
『いつのまにか、霧の先に、男たちが群をつくって進んでゆく。どの男の背中も、どこかに旅立とうとしている背中だ。』
『来年のお祭りには百を連れてこよう。念じる。どこからがほんとうの記憶で、どこからがそうでないものなのか、―中略―、祭りが輝きながらうごいてゆく、来年はきっと百とならんで立って、うねるようなこの祭りの力をかんじ、「ながれていかないでよ」女がさえぎる。
さえぎられて、穴の底に落ちてゆくような心地になる。
気がつくと、からだがうすれている、まるでついてくるこの女のように。』
引用した文章は、どこか怖いようなものばかりだけれど、でも「真鶴」という町は決して怖くはなかった。鬱蒼と茂る雑木林の中だけはひんやりとしたものを感じたけれど、小さな港も提灯の並ぶ商店街も、どこか懐かしいような気さえした。港に集まる人々は知らない顔ばかりのはずなのに、どこかに知っている人がいそうな気がした。そういう意味では、やはり不思議な空気を持つ町だと言えるのかもしれない。日暮れ前の港を車で通り抜けたとき、ミメオが期せずして「ここは他のどことも違う」と言ったくらいに。
『電車がホームをすべりでる。海がわの席に座り、ながれはじめる風景を追う。』
『この電車は、真鶴と東京を結ぶいれものだ。わたしのからだを、まぼろしからうつしよへ、またはんたいに、今生から他生へはこんでくる、いれものだ。』
川上弘美は真鶴を、こちら側とあちら側に住む者達が入り混じる場所として書いているけれど、そう書く気持ちが分かるような気もした。もしあの夜、港に立っていたら、やはりそう感じていたに違いない。でも真鶴は、この小説のように怖くはない。むしろ、その両者が優しく溶け合っているような町だった。向う側の人たちに強く守られているような、そんな町だった。
『 』内は、すべて川上弘美著「真鶴」より。
2006年 文藝春秋 1429円
---------------- 8×キリトリセン ----------------
そういえば、今年こそ、もう一度、と思っていた遠野や花巻も、ここではないどこかに通じている場所だった。今年はなぜかいつにも増して、子どもの頃の「夏休み」に身を浸したい、という思いが強い。小高い山に囲まれた田んぼの中の一本道、蝉時雨の降る清流、古い温泉宿や民宿が並ぶ海水浴場、風呂あがりにゴム草履で歩く小さな漁港。そんなところへ旅をしたいと思っていたのだけど、どうもタイミングがうまくいかず、なかなか決行できずにいる。だから、この真鶴は、そのイメージにとても近くて嬉しかった。一度行っただけで、あたしもミメオもすっかり真鶴という町を気に入ってしまった。いつか又真鶴に行って、こんどはゆっくりと歩いてみたい。港や路地をうねうねと辿って歩き、ここではないどこかに通じる道を探してみたい。