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いい得て妙な言葉
男の顔は履歴書・女の顔は請求書

アメリカの16代大統領のリンカーンは、「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」といったのだそうです。

そして、評論家の故大宅荘一氏は、テレビ出演中に「男の顔は履歴書・女の顔は請求書」という言い得て妙な、名言を遺したといわれているようです。

リンカーン大統領も評論家の故大宅荘一氏も、男の顔に付いては、ほぼ同じ内容のことを言っております。

男というものは、40歳前後になると、当然に今まで歩いてきた人生といいますか、生き様が顔にあらわれるということなのでしょう。

そのような見方で言いますと、顔というのは自分自身の履歴書にも相当するものであり、その生きざまの履歴である40歳になった己の顔には、責任を持てとリンカーン大統領が言っているのです。

遺伝子というご先祖様の贈り物

40歳前後の顔という区切りは、遺伝子に基づいていることが、現在は明らかになっています。

しかし、遺伝子のことなどまったく分っていない時代に、リンカーンが「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」といった眼識の鋭さについては、お驚き、桃の木、山椒の木です。

遺伝子が働くのは40歳前後まで

遺伝子学からいいまして、遺伝子というのは40歳くらいまで辛うじて働きますが、それ以降の効力はほとんどなくなっているのだそうです。

皆さんが関心を持っている顔の造形などは、40歳前後までは、ご両親から受け継いだ遺伝子におおむね従っていますので、造作が良かった親御さんの遺伝子を受けついで、よい顔に生まれた男はハンサムになり、女は美女でいられます。

しかし、それ以降になりますと、次第に遺伝子の効力が失われ始めて、その人の生活環境や心構え、職業、言動、生活習慣という生き様が、顔に大きく影響されてくるといいます。

ですから、いままで美男美女といわれて生きてきた人のなかでも、その人が身を置いている生活環境によって、激しく容貌が変わりだしてくる人が出てきてしまうのだそうです。

そして、生き様が悪しき人は、老人になってから、俗にいう悪党面に変わっていくらしいのです。

逆に、もって生まれた顔の、おつくりがいささかお粗末でも、歳を重ねていくうちに、味をもった魅力的な顔になっていく男女がいるのはそのせいなんだそうです。


まとめ

この記事を見てあらためて感じさせられるのは、容姿だけとると美男美女は得だということですかね……?

記事で描いてあるように、生き様の境界である40歳前後の前半生は、人生の価値からいって、後半生の40年間と、どちらが大切な年月でしょうか?

たしかに前半生の子供時代10年間は、容姿の良し悪しといっても、たかが知れている問題だとしても、後の30年間は彼我の差であることは歴然としています。

「容姿の差イコール異性にもてる」という計算式がすべてではありませんが、思春期から青年時代という若い時代に、異性にもてる、もてないということは、若者にとっては人生の甘辛と言って、一笑に付すこともできないでしょう。

しかし、顔という資産に偏り過ぎるのも怖いことかも知れません。

苦労を知らない泡の資産は、頼り過ぎると、シロアリの恐ろしさににも似て、人生の土台を腐らせるかもしれませんから注意してください。

顔という資産だけでなく、他にも素晴らしい資産をつくると鬼に金棒かもしれません。

今の時代の人間の価値は顔だけではないということも、あなたはご存知ですよね。

あまり顔にこだわり過ぎると、あなたにあって、他人にない、秘められているファンタスティックな面を、あなた自身が自分自身のなかに、見つけだすことができなくなってしまいます。

努力して到達する方が、経済的な糧での将来は、圧倒的な果実を得られます。

それらはスポーツであるかもしれませんし、無数に点在する知識かもしれません。

知識というものは、勉強にひたすら精をだすだけではありません。

遊びから出発したのが、スペシャリストになってしまった人もたくさんいます。

又、その時代の魔物が作った価値創造が、黄金の矢となり、大きく放たれることになるかもしれません。

浜の真砂から、コンタクトを探しだすような難作業かもしれませんが……。


ところで、この記事のなかに「女は請求書」という言葉があります。

しかしながら、具体的なことはなにもふれていませんので、このことについて触れたいと思います。

「男の顔は履歴書」は映画化され、大ヒットしたそうですが、「女の顔は請求書」は、とってつけたような感じで、メジャーではありませんでしたが、調べてみますと、女は、欲しいものが多すぎて、買いたい病になっているのを評した比喩なのだそうです。

大宅先生が存命の時代は、結婚すると男が働いて給料をもらい、女はその給料で暮らして行く。多くのサラリーマンの家族が、そのような世代だったと思いますが?
亭主の給料は低い。女房は買いたいものがたくさんあるのに、買えない。亭主の薄給をなじる。亭主は黙る。そんな日々が続いているうちに、亭主が、ふっと見た女房の顔が、いつの間にか、四角い請求書に見えてきたりして……。
お粗末さまでした?

(追記)
当初から疑問に思っていたのですが、「男の顔は履歴書」は大宅先生が言ったのでなく、大ヒットした映画の題名にひっかけて、「女の顔は請求書」と、当時の大宅先生がいったのじゃないかと最近は思っています。
そのほうが、この言葉の妥当性があるような感じを最近持ちはじめました。
それにしても主役を演じた、故安藤昇氏は当時の歴史が作り出した「男の中の男」と言ったら叱られるかもしれませんが、男気と才覚に溢れたすばらしい人物だとおもいます。